萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

今月は長かった。

2010年03月31日 | 日々の記録


今日でようやく3月が終わる。ひと月をこんなに長く感じたのは久しぶりである。原因は仕事の方にあるので、ここでは書けないが、とにかく長かった。歳をとると、一週間やひと月があっという間でイヤになるが、たまにこういう風に長く感じると、その分長生きをしたようで得した気分にもなる。もっとも、仕事のストレスで寿命の方は縮まったろうから、お相子かもしれない。

ともかくも、長い3月は終わった。酒でも呑んで憂さをはらそう!これから、会社を出るのであるが、家に帰って呑むか、どこぞの店に入って呑むか、迷っている。もう、8時になるのにスーパーよって、何か作って、というのはどうにも面倒だ。帰りがてら、最近“止まり木”のそばに見つけた店をのぞいてみるかい
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久々に歩いた。

2010年03月30日 | 散歩

<通勤路から名取川に架かるJRの橋を観る>

今日は久々に会社まで歩いてきた。朝から天気がいいのも久しぶりである。まだ、多少気温は低いが春はもうすぐそこまで来ているのは確かだ。桜は硬いツボミで咲く気配はまだないが、もう一週間もすればほころびてくるのではないか。通勤路でそれが確かめられるのは楽しいことだ。

昨日は月曜日であったが、予定していた宴会があったので断食せず、本日実行している。午前中は昨日の酒やら栄養が血液中を走り回っているので、あまり空腹感はないが、お昼の時間になると口寂しいからか、昼飯の為に嬉しそうに席を立つ、座員達を恨めしく思う。

「何を食っても、どうせ大したものではないのに、なぜ、毎日必ず昼飯を食べるんだ。たまには食わずに本でも読んだらどうだ。よっぽど充実した昼休みを過ごせるぞ。」と、飯を食いに行く彼らに心で毒づいてみる。

午後に入るとしばらくは忘れているが、夕方近くには食えないことを思い出す。やはり、毎日の習慣だから、食べたり呑んだりしている時間になると、体の方が自然に思い出すのであろう。

しかたがないので、明日の、特に夕飯を何にするかということを考え、それを楽しみに早く寝てしまうことにしている。腹が減って眠れないことも多いが・・・。
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今年の桜は・・・。

2010年03月29日 | 散歩

<3月中旬の札幌駅前。順調に春は来ていたのだが・・・。>

ここにきて天候が不順である。関東では桜が咲くというのに、北海道や新潟では冬に逆戻り。半端でない雪が降っている、という。仙台でも昨晩は雪が舞った。今日も吹く風は冷たい。“温暖化”とは何処の星の話であったか。

この時期の天候不順は桜前線の乱れに繋がるので困る。今年はいつ何処で花見をするか、という作戦を立てたいのであるが、それが難しい。昨年はドンピシャで弘前城の桜を見ることができたが、ああいう幸運は二度あるとは思っていないが、それなりにスケジュールだけは立てておきたい。

まずは、4月4日の日曜日。予定では大宮に戻っているので、大宮公園の桜はこの時に観にいく所存。できれば、何人かで桜の下で宴を張りたいものだ。仙台の桜は4月の第2日曜かその翌週か。こっちでも仲間と花見をやろうという話は出ている。野球の公式戦のスケジュール如何によっては参加できないかもしれないが・・・。

後は出張先でちょうどいい具合に桜を観られるか、どうか、である。行きたいところは何ヶ所かあるが、こればかりは、座用があって、しかも桜が咲いていて、天気もいいという偶然が重ならないと見ることができない。昨年の弘前城は幸運中の幸運であったというしかない。その所為かどうか。同行の地方座長は桜を見たあと、スピード違反で捕まってしまった。二十数年間無事故無違反であったのに・・・。

毎年、この時期なると思い起こすのが西行の次の句である。

  春風の花を散らすと見る夢は 
  覚めても胸のさわぐなりけり

考えて見れば、梅や紅葉のように、桜ももう少し長い期間、観ることができれば、これほど人の気持ちを煩わせないはずだ。もっとも、それでは、「胸のさわぐなりけり」にはならないかもしれない。この一瞬を見逃してしまうと、あと一年は見られない、という焦りが人をして、桜前線を追わせるのであろう。
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嗚呼、徳栄・巨人・アルディージャ!

2010年03月28日 | 野球

<ヤケ酒用の泡盛だ。30度だ。>

本日は仙台地方は曇のち雪の天気予報。また、スポーツたけなわで、甲子園では午前中に埼玉県代表の花咲徳栄の二回戦。午後には巨人のデーゲームと大宮アルディージャの第4節がある。どこへも出かけずに、呑みモノ食べモノを買い込んで酒でも呑みながら“止まり木”で過ごそうと決めた。

午前中、スーパー開店とともに酒、肴といろいろ買い込んで部屋に戻って、テレビは無いので、ラジオとネットで贔屓のチーム観戦と洒落込んだのはいいが、徳栄負け、巨人2連敗、大宮アルディージャ3連敗、と散々な成績。どこかひとつぐらい勝ったっていいじゃないか!えっ、なんなんだ、まったく。

勝利の美酒にと思って買ってきておいた、久米仙の30度の泡盛はヤケ酒用となったのでありました。

追伸・・・せめてもの救いは楽天がサヨナラ勝ちでマー君で1勝あげたことぐらいか。トホホホ
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セリーグ開幕。巨人快勝!

2010年03月27日 | 野球

<大宮、氷川神社。巨人もアルディージャもチームカラーはオレンジだ。>

昨日、セリーグも開幕した。巨人はヤクルトを4-1で危なげなく退け、開幕戦をものにした。先発の内海投手の出来もよかったし、打線も単打ばかりではあったが、坂本以外の野手7人で11安打放った。中でも昨年の新人王2番センター松本が3安打していることに注目したい。

今年、ホンダから期待の新人外野手長野(ちょうの)がドラフト一位で巨人に入り、オープン戦でも期待通りの働きをして、一軍に名を連ねた。巨人の外野のポジション争いは熾烈である。4番ラミレスのレフトは確定しているが、後の2席に松本、亀井、長野、谷、今はファーストに回っているが高橋由伸を加えると5人いる。

昨晩の試合は2番センター松本、5番ライト亀井でスタートしたが、怪我をしたらもちろん、調子が落ちても、たちどころに強力なサブが待機しているのだ。ライバルがひしめきあってのスタメンなので、気合の入り方が、熾烈なポジション争いから間逃れている1番ショート坂本あたりとは違っていたかと思う。

坂本はこの試合5打数無安打で、守ってはタイムリーエラーでヤクルトに先制点を与えている。そんな、精彩を欠いたトップバッターに調子を合わせることなく、松本は5打数3安打、2得点と2番打者として立派な仕事をした。

小柄で育成枠出身の松本が昨年獲得した自分のポジションを必死に守っている意気込みが感じられた。自分に求められている仕事をキチンとやり遂げる能力と精神力がある者だけが、スタメンのポジションを獲得できる。長野が松本の牙城を崩すのは並大抵ではないと思った。

また、坂本も安穏としていると、レギュラーの座から転げ落ちてしまう可能性は大きい。中井をはじめ、巨人には虎視眈々と上を狙う能力を持った若手がうようよいるからだ。

内部競争が激しいチームが弱いはずは無い。原監督が語った「巨人はまだ85%の出来。これからもっと強くなる」という言葉は誇張ではなく真実であろう。
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鮨。

2010年03月26日 | 酒食・グルメ?

<どれも旨かったが、手前右の穴子焼きはことのほか美味であった。>


昨晩、札幌にいる兄が出張で仙台に来た。食事でもしようということになった。仙台は初めてだというので、牛タンでも、と思ったがちょっと安易すぎるので鮨屋を予約しておいた。案の定、牛タンは昼飯で食べた、という。

昨日はラーメンの話を書いたが、ラーメンにしろカレーにしろ元は中国やインドから伝播してきたのを日本風にアレンジして、国民食ともいえるレベルにまで改良したモノである。基本的にこういうのは日本人の得意技だ。

中国から漢字を輸入してきて、ひらがなとカタカナを発明して日本語を作ったり、種子島に一丁の鉄砲が伝わるや否やあっという間に国産化して、長篠の戦で信長は三千丁の鉄砲隊を組織した。鉄砲が種子島に着いてわずか32年後のことである。

現代においても、クルマ、カメラ、ラジオ、テレビと輸入したものを国産化して、輸入元をしのぐ、という例は枚挙にいとまがない。反面、日本で発明したモノとか文化は乏しい。相撲や剣道、柔道などの格闘技にはオリジナル性が強いものが多いが、数はしれている。

そんな中で「鮨」は、特に、江戸前鮨は完全な日本のオリジナルである。酢飯に生の魚を載せて食べる、という発想は誰が考えたか知らないが非常にユニークだと思う。江戸前(東京湾)で獲れる様々な魚の味わい方として、これ以上のものはないのではないか。

海外でも鮨は食べることができるようになった。小生も上海やニューヨークの日本料理店で食べたことがあるが、微妙な味で、それは、素直に鮨だとはいえないシロモノであった。もちろん、旨いとは思わなかった。

鮨は日本でしか食べることができないものだ、とその時思った。日本人に生まれてよかったとも思った。しかも、日本では珍しい独自の食文化である。そのことを考える時、さらに誇らしく思えてしまうのだった。
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ラーメン。

2010年03月25日 | 酒食・グルメ?

<北海道は北見で食べたラーメン。呑んでから入ったので写真は撮ってあるものの、味の方は覚えていない。>

今日の昼はラーメンだった。何処にでもあるチェーン店だ。リーズナブルな価格なのと、学校が休みに入ったこともあり、平日なのにファミリー客中心で大入りであった。

小生はどちらかというと余りラーメンは食べない方だ(と思う)。それでも、会社の仲間と昼飯を一緒に行く時の“ラーメン率”は結構高い。特に寒い時期はラーメンが多い。他の食事をするにも適当な店がない、のも理由のひとつだ。ラーメン屋というのはいたるところにある。これは、仙台に限った事ではなく、全国的なものだ。日本人は余程ラーメンが好きなのだろう。

特にチェーン店が多い。クルマで移動している時でもラーメン屋の看板は目立つ。乱立していると言ってもいいぐらい、一地域に固まっているところもある。お互い潰れずに成り立っているようだ。もっとも、札幌のラーメン横丁のように何十軒ものラーメン店がひとつ所にあっても、経営が成り立っていることを考えれば不思議では無いのかもしれない。やはり、それだけの需要があるのだろう。

40歳を過ぎたあたりから、生活習慣病を意識しだすと“ラーメン”という食べ物は塩分や油が多く、あまり身体にはよくないイメージがある。そんなことから、なるべく食べないようにしているつもりが、仲間と行く昼飯、呑んだ後の一杯など、結構利用していることに気付く。特にラーメンの本場、北海道へ出張に行くと、ラーメン率は昼夜を問わず高率になってしまう。

それにしても、昼はともかく、酒の後の一杯はやめたいものだ。
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「ホイホイ回鍋肉」

2010年03月24日 | 酒食・グルメ?


出張が多くて住む家が二軒あって、しかも一人暮らしとなると、当然ながら外食が多くなる。しかしながら、自分で何か作るのもキライではない。その昔、朝食をキチンと摂っている頃は朝飯だけは大抵自分で作っていた。今からは想像できないが、味噌汁までチャンと作っていた。時には余ったおかずで弁当詰めて会社に持っていった時期もある。昼休みに弁当を広げて食べていると、回りから変な目で見られたものだ。

自炊しなくなったのは2005年1月から始めた「一日二食、週一断食」の所為である。朝食抜きにしたので、作る機会が圧倒的に減った。したがって、余ったもので弁当を詰めることもなくなった。しかも、たまさか作っても、食べる機会がなく、いつまでも冷凍庫で凍っていることが多くなった。

それでも、家が一軒の時はまだましだった。大宮と仙台に二軒もって、しかも出張が多いとなると、めったに自分で作ることはなくなり、圧倒的に外食が多くなった。ただ、そんな生活を続けていると身体にも悪いし、第一食生活が味気ない。

そこで、もともとキライではないので、何もすることの無い休みには自分で何か作ってみることにした。簡単なものに限られるが、今年に入って作ったのは「牛肉とゴボウのしぐれ煮」「牛筋肉のワイン煮」「ペペロンチーノ」「力士味噌」など。極最近では「力士味噌」を利用して、回鍋肉(ホイコーロー)風の炒めモノを作ってみた。これは「力士味噌」さえ作っておけば、簡単にできるので、名付けて

「ホイホイ回鍋肉」

作り方はキャベツを軽く洗って、一口大に手で千切っておく。豚バラ肉も一口大の大きさに切って、一枚一枚が重ならないようにほぐしておく。これで準備は完了。熱したフライパンにゴマ油を敷いて、強火でキャベツを炒める。しんなりしてきたら、酒をふって香りをつけて、豚バラ肉を投入。続けて「力士味噌」を適量入れて、具全体に味がつくよう炒める。タカのツメ1本も千切って投入。後は味見をしながら、力士味噌で好みの味に調整すれば出来上がり。(上の写真)

思ったよりも旨い。ビールやワインのツマミに最高。ご飯のおかずはもちろん、ラーメンの具としてもいいだろう。欠点はついつい、呑み過ぎ、食べ過ぎになってしまうことだ
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インドを走る!part2 第34話「パトナで帰国の準備」

2010年03月23日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<インドの街並み>

パトナでは一週間前と同じホテルに泊まる。ここで最終的な帰国の準備をする。一週間前にインドの民族衣装サリーなどを買ったが、まだ友人の為にいくつかお土産を買い揃えないといけない。また、なるべく身軽で帰りたいので、お土産や荷物を日本へ発送してしまいたい。同じ理由からこっちで売れるものは売って、金に換えてしまう予定だ。そして、いよいよ、自転車を分解して、輪行袋にしまわなければならない時がきた。

1980年4月29日(火)

もう、五時前に目が醒める習慣になってしまっている。目を覚ましたところでやることもなし。バルコニー出て、しばし、朝の涼しさを味わう。今日、こまごまとした帰国準備を一日かけて行い、明日はいよいよ帰国の途に着く。

2月23日に日本を発って以来70日弱、M、E両君と下痢や発熱に悩ませられながら、ヒンドスタン平原をひたすら走ってネパールはカトマンドゥに達し、そこで皆と別れ、再びインドへ来た。日本食が食べたいと思ったことは何度もあったし、安全、安心に眠れる我が家の寝床に憧れたこともあった。だがしかし、この旅ももう終わりかと思うと、何故か悲しい。まだ、帰りたくない。もっと、走り続けたいという気持ちが強い。サイクリングクラブの仲間でよく言い交わす、

「終わってしまえば楽勝よ。」

というフレーズが脳裏をよぎる。辛いと思った峠道も苦しかったクラブ合宿も、終わってしまえば楽勝だった。今度もそうだ。もがき苦しみながら、走り続けた。食中毒にもかかったし、大事なカメラも盗まれてしまった。いろんな目にあったが、思い描いていた行程は走り終えたのだ。もう、大腕振って、帰っていいのだ。もっと、喜んでいい筈なのだ。が、どうもしっくりこない。

バルコニーから往来を眺める。早朝であるが、埃っぽくて汚い街並みにも動きはある。牛やイノシシがのそのそと歩き回っている。鶏が路上を啄ばんでいる。アバラが浮き出ている痩せ犬も残飯にでもありつけないかと彷徨っている。

軒下に毛布に包(くる)まって寝ていたカーストの低い大人や子供達も起きだす。朝食の準備をしていたのだろうか、カリー屋の肥えた女主人が、大鍋を抱えて出てきて、往来の牛に鍋底に残っていたヨーグルトを舐めさせている。犬も寄ってきたが、犬は頭を叩かれ追っ払われていた。動物にもカーストがあるらしい。

こんな眺めも明日からはおさらばである、と思うと、また、切なくなる。70日滞在しているうちに、知らず知らずにインドに愛着がわいていたのだ。そういえば、この一週間はインドカリーも旨いと感じていた。

インドというところは人を引きつける魅力というか魔力のようなものが確かにある。それに絡め取られると、一切を捨て、この地で修行をしてみたい、などと思ってしまうのだろう。それは法螺や誇張ではなく、現実のことであると今なら言える。

一旦、日本に帰るが、いずれまた、この地に戻ってこよう。この次、来る時は“アラウンド ザ ワールド”の途中で来てやる、と強く思ったのであった。


ホテルで簡単な朝食をとって、まずはポストオフィスへ行く。帰国日時を報せるハガキを日本に速達で出そうとしたが、「速達は無い」と一週間前に「シーメール(船便)は無い」と言ったオヤジが言う。ほんとかね。なんだか騙されているみたいだ。そうだとすると、このハガキは私が日本に着いた後に、家なり、友人なりに届く公算が高い。馬鹿らしいとも思ったが、いくらもしないし、帰国後の話のタネにもなるので、出しておいた。

一週間前サリーを買った店へ行き、「インディアンスーツ」(頭からすっぽり被るパジャマみたいなもの)を買いたいが何処に行けば買えるか、と店主に聞くと「俺が縫ってやる」と調子のいいことを言う。値段は5枚で100ルピー。一着20ルピーならまあよかろうということでオーダーしたが、何のことはない。金を払う段になって、縫い代は別だといいやがる。さらに35ルピー取られる。やっぱりね。また、ペテンにあった。夕方にはできる、とのこと。

ホテルに戻ってきていよいよ自転車をバラす。悲しい儀式だ。猛暑の中やるのは大変だと思っていたのだが、結構すんなりと輪行できた。輪行袋に自転車やバッグの他に土産ものなどもなんとか入った。郵便で荷物を送ろうかと思っていたが、この程度なら担いで帰えっても大丈夫だろう。

夕方、涼しくなってから「インディアンスーツ」を取りに行く。5着とも出来上がっていた。ポケットがいやに多かったが、自転車仲間の夏場のユニホームするつもりなので、かえって都合がいい。

シークの店主「今度はいつインドに来るのだ」とうるさい。私との別れを惜しんで言ってるのかと思いきや、さにあらず。三年後に来るというと、「その時はモーターサイケレ(オートバイ)で来い。そして、電気時計を沢山持ってこのパトナに来れば、俺が買ってやる」と抜かす。商取引の話であった。さすがはインド人である。「グッドバイ」と言って去る。

腹が減ったのでチャイニーズレストランへゆく。ここで夕飯を摂った後、この店の女主人に余っているフィルムとカセットテープを55ルピーで売った。彼女はヤシカ・ミノルタ・ニコンFEのカメラを持っていて、35mmやズームレンズも持っているとか。カメラはインド、いや、日本でも少し前まではそうだったが、金持ちの象徴のようなところがある。それらを集めるのが趣味なのだろう。

宿へ戻り、最後の荷物整理をして眠りにつく。

         (つづく)

インドを走る!について
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2010年度、初練習試合

2010年03月22日 | 野球

<今年も、野球ができる!>

今日は会社の野球チームの2010年度初の練習試合であった。相手は我々チームの若手O君の友人達チームで平均年齢は約25歳だという。最近こそ毎年若いのが入ってきて、いくらかは若返っている我々のチームであるが、それでもスタメンを平均すると38歳だ。相手は、まだ一回り以上、下だ。

しかも、彼等は全員が野球部経験者だという。これでは試合をやる前から結果はわかっているようなものだ、と思いつつも、勝負事はやってみなければわからん、と強がって、まだ風が冷たい午前9時半、試合開始となった。

小生は7番ピッチャーで出場。先発投手である。結果的に4イニング投げて3失点(自責点は2?)であったが、その時点では7-3で勝っていたので、試合を作ってマウンドを譲ったことになる。5回からはファーストの守備についた。

我々の7得点は相手投手の四死球やエラーによるものがほとんど。4回以降は1点も取れず、結局延長8回に逆転されて、試合は7-8で負けてしまう。それでも、若くてそこそこ実力のあるチームにスコア的には互角に戦えたので、まあ、満足といったところである。

個人的には4イニングで自責点2、1四球、被安打4、三振2と若手の生きのいいアンチャンたち相手としてはマアマアの出来であったと思う。課題はカーブのコントロールが今ひとつであったこと。もう少し、低めに決まらないと、肝心なところで打たれる。足腰と上体をもっと鍛えないといかんようだ。

打つ方は、打席は4回廻ってきて、2四球、安打ゼロ。2打数ノーヒットであった。押し出しの四球を選んだので打点1。2四球とも生還したので得点は2という成績。こっちもまずまずといいたいが、ヒットが無かったのはいただけない。普段から素振りをして、もっと振りを鋭くしないと打てない、と課題は明白だ。

克服すべき課題は今日の試合で見えた。後は4月半ばの公式戦までの二週間をどう過すか、である。

今日は投げて走って、かなり身体を動かしたので特に尻から足にかけて筋肉痛である。風呂にでも入ってゆっくりしたいところであるが、明日は朝から仙台で仕事である。ビッコを引きながら、これから仙台の“止まり木”に戻らなければならない。

勤め人は辛いですナ
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春分

2010年03月21日 | 日々の記録

<菜の花畑?奥に小さなウインドミルが・・・>

今日は春分。この日を挟んで前後七日間が「彼岸」である。昼夜の長さがほぼ同じで、この後は「夏至(6月21日)」まで昼の方が長くなっていく。イラン暦では「ノウルーズ」と言って、この昼夜が同じ長さの日をもって元日とするらしい。そういう、暦が存在してもおかしくはないか。

以下はウィキペディアから。
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「ノウルーズ(nowru-z)」は、イラン暦の元日。古くはナウルーズ(nawru-z)といい、地域によってはナイルーズ、ネヴルーズなどとも言う。ペルシア語で、ナウ(naw)は「新しい」、ルーズ(ru-z)は「日」を意味する。太陽が春分点を通過する春分の日に当たり、農事暦上重要であることから、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。

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おお、今は死語の「ナウい」の語源のようでもありますナ

また、この春分ぐらいから、暖かくはなってくるが、寒の戻りや花冷えもあって油断はできない、という。現に昨日から今日にかけては暖かいんだか、寒いんだか、暴風は吹くわ、黄砂は降るわ、で春の大嵐に見舞われた。落ちてきた看板や倒れた大木の下敷きなりたくないので、あまり外にも出ず、もっぱら野球をTV観戦していた。

埼玉代表「花咲徳栄」対沖縄代表「嘉手納」は4-0で花咲の快勝であった。花咲徳栄のエース左腕・五明(ごみょう)が無四球2安打の完封で嘉手納打線を封じた投球はお見事でした

プロ野球もパリーグは昨日から開幕。楽天は岩隈、田中の二枚を使ったにも関わらず、オリックスに手痛い連敗を喫した。日ハムもソフトバンクに連敗。西武、ロッテは1勝1敗だった。

まだ、始まっていないセリーグであるが、巨人戦はチェックした。今年もベテラン、新人共選手層が厚く、ポジション争いが熾烈なようだ。4連覇に向けて戦力は充実していて頼もしい限りだ。

大宮アルディージャは第3節終了時点で11位。やっぱり、今年も“定(低)位置”のようである
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お彼岸、墓参り

2010年03月20日 | 日々の記録


本日はお彼岸ということもあり、墓参りに行ってきた。お墓は家から8kmほどのところにある。彼岸とか盆の時は日中クルマで行くと渋滞に巻き込まれる。クルマで行く時は早朝、日中行くなら自転車と決めている。もっとも、2008年春にクルマを廃車にしてからは自分のクルマでお墓に行ったことはないが・・・。

ということで、今日も自転車で行ってきた。11時ごろに行ったので、クルマの渋滞が凄かった。天気も良かったので無理も無い。墓参りだけではなく、買い物客も多かったのではないか。少しは景気もよくなってくれねば、世の中明るくならない。

午後は家にいた。大宮アルディージャの鹿島戦はパソコンを睨み見るネット裏観戦というやつでチェックしていた。風向きの加減で時々大宮公園から歓声が聴こえてきたがずっと0-0のままであった。このまま行くか、最後の最後で大宮が一点とって勝ち抜けてくれ、との願いも届かず、やはりダメだった。勝ち抜けたのは王者鹿島であった。今年も大したことはねぇのか。がっかりである。

夕方、ヤケ酒を呑みに出かけるも、楽しめず、11時前には帰ってきた。
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水仙、咲く

2010年03月19日 | 日々の記録


ほぼ10日ぶりに大宮に帰ってきたら、庭の水仙が花をつけていた。12月初旬にダメもとで植えた球根が生命力たくましく、花を咲かせたのだ。エライ!

さて、こちらは“エラクない”話。

昨日「今日はアルコールを抜く所存」などとブログで宣言しておきながら、酒を呑んでしまったのだ。帰りの新幹線の中で食べようと思って駅弁を買ったのだが、本能的にというか、駅弁買えば当然付いてくるオマケのように、というか、とにかく缶ビールに手を出してしまったのだ。

買ってしまったからには呑むしかない。ということであえなく禁酒は計画倒れとなってしまった。大宮駅に着いて、何軒かの暖簾が脳裏を横切ったが、その誘惑には負けずにまっすぐ帰ってきた(ちょっとエラかったかも)。

だが、結局、寝酒にと思い熱燗を2合、ウイスキーのロックを1杯。10日前のアルディージャ戦で余った、柿ピーと茎ワカメで頂いてしまったのである。

意志がくじけた夜であった
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連夜の呑みすぎ

2010年03月18日 | 日々の記録


一昨日はどちらかというと突発的な“呑み”であったが、昨晩は前から予定に入っていた“呑み”だった。しかしながら、結果的には二晩ともよく呑んでしまった。いずれも、“午前様”である。おまけに今朝は寝坊してしまった。なんという、だらしの無い男だ、と反省することしきりである。

明日は都内で会議なので、本日中に大宮に移動する予定であるが、アルコールは抜こうと思っている。週末の明日、明後日とまた呑むことになるので、一休みして体調を整えておく所存だ。
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通勤手段は歩きに限る

2010年03月17日 | 日々の記録

<歩く時の通勤コース。>

仙台の“止まり木”から勤め先までは2キロとちょっとの距離である。手段はクルマ、自転車、歩きの三通り。所要時間は順に7分、11分、25分といったところか。手段によって道は違う。クルマの場合は車道のみを走っていく(当たり前か)。自転車は基本は車道であるが、狭い道やクルマの通れない所でも走れるので、距離的には近くなる。クルマの交通量の多い道はできるだけ避けている。イメージ的には住宅街を縫うようなコースである。

歩きの場合はさらにクルマが通らない道を選んだ。“止まり木”から勤め先まで丁度いい具合に名取川が流れているので、そこの土手を歩いている。犬の散歩をする人、自転車に乗ってる人がまれにいるが、クルマは通らない。この土手道が全行程の5割強、1km以上ある。時々写真を撮ったりしながら歩く。基本的には会社まで歩いて行こうと思っているのであるが、雪が降ったり、雨が降ったり、風が吹いたりすると、どうしてもクルマに頼ってしまう。

今日は天気も良かったし、昨晩呑み過ぎていたこともあり、歩いた。この頃は酒酔い運転に対する処罰が厳しい。弊社でも酒気帯び運転は厳罰である。0.25mg以上の酒気帯び運転が発覚すれば、一発解雇である。個人差もあるが前の晩に呑み終わってから8時間断たないと酒気帯び運転になる可能性が高いという。午前1時まで呑んでいたら、朝9時までは酒気帯び運転になる可能性が高いのだ。まして、呑み過ぎて頭がボーっとしている状態はダメに決まっている。ということで、トボトボと土手道を歩いて来た。

歩いたら少しは頭も身体もシャキッとするかと思ったが、会社についてもまだボーっとしている。いま検査しても0.25mg以上あるのではないか。完全な酒気帯びだ。だが、椅子に座ってボーっとしている分には安全だ。内の会社は酒気帯びでも、クルマに乗っていない限りはクビにはならない。仕事の為に酒気帯びでも命がけで外回りしている社員と、ただ、椅子に座ってボーっとしている社員とどっちが生産性が高いか。

答えは歴然としているのだが、一発解雇になる可能性が高いのは断然前者の方だ。矛盾を感じるが、それほどクルマというのは危険な乗り物である、ということなのだ。酒気帯びで椅子に座っている奴は居眠りはするかもしれないが、人に危害は与えない(と思う)。クルマの方はちょっと間違えれば、人を殺めてしまう。社会的に見たら、酒気帯びに限らず、ボーっとしている人はクルマの運転という危険な行為はしてはいけないのである。

午後になってようやくシャキッとしてきた。午前中の分も取り替えずぞ!と思ったら、もう夕方だ
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