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<白馬駅前>
大学のサイクリングクラブに入部以来、自転車を旅の手段に使いだして35年になるが、幾たびやっても家を出るまでは不安なものである。「事故に会わないだろうか」「自転車はちゃんと走るだろうか」「峠の下りでブレーキは効くだろうか」「駅での分解は電車の発車時間までにできるだろうか」などなど。不思議と「体力は持つか」というのは旅の直前では不安材料には入らない。
実際、旅に出ると最初に挙げた不安はほとんど解消され、直前には思い浮かばなかった「体力不足」がネックになったりするのだが…。今回も家を出て実際に路面を走り出した途端、最初に挙げた不安はすべてふっとんだ。大宮駅に着いて何年振りかに行った分解作業も多少手間取ったが、20分程度で完了。列車の発車時刻には十分間に合った。
大型連休中であったが、長野までの新幹線、松本までの特急とも思っていたより空いていた。松本から白馬までのJR大糸線鈍行がもっとも乗車時間が長く、ベンチ座席なのだが、それでもなんとか座れたので助かった。
白馬駅には11時着。大宮駅を7時に出たので総所要時間は約4時間。便利と言えば便利だ。天気は午後から悪くなる予報であったが、雲は多めであったが晴れていた。さっそく、愛車「氷川丸」を組み立てる。水筒に水を入れるなど準備して白馬駅を出たのは11時25分。さあ、自転車の旅の始まりだ。
学生時代、白馬に自転車で来たのは1978年9月17日のことだ。当時21歳と1ケ月。この夏7月22日に我が家を出発して60日間かけて西日本を一周したことは「第二話」で書いた。9月17日というのはこの“西日本制覇の旅”と名付けた60日間の旅の58日目であった。
以下、当時の旅行記をちょっと引用してみる。
九月十七日 (日) 朝のうち雨残るが、のち晴れ
朝方、雨が降っていたが、出発する頃には秋晴れとも言える上天気になる。今日からの一漕ぎ一漕ぎが我が家である。久々の信州はこれまた久々の晴天のおかげで、とても綺麗に見えた。しかしながら、外気は冷たく道端のススキは穂を開き、もう秋の景色となっていた。<中略>
白馬まで行き、ここから長野方面へ。峠の手前で一休み。傍らの小学校では運動会をやっていた。
当時の旅行記には、白馬の記事はほとんどない。ただ、ここから東に進路をとることで、我が家が見えてきたことは確かである。58/60ということで二日後にはこの旅も終わる、という段階であり、我が家の飯や布団が恋しい半面、この旅も終わりかという寂しさがあったの覚えている。
関東よりは秋の訪れが早いこの辺りでは、もうリンゴが売られ、ススキが穂を開き、小学校では運動会、と、秋の風情が色濃かった。延々と強力な陽射しの下を走ってきたわが身には、初秋の寂しさがことさらに応えたのかもしれない。
大分県湯布院から小生の自転車の旅に付き合ってくれたアニキ氏(アニキ=あだ名)にとっても、この日は12日目にあたり、自転車の旅が板についてきた頃だったと思う。翌年も氏とは北海道などを一緒に走ったりした。現在は湯布院の由緒ある古刹の住職をしておられる。卒業後、会社に入ってからも何度か湯布院ではお世話になった。
<つづく>