萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

バンの雛、また孵る。

2007年07月31日 | 散歩

<葦?の密生する中にバンの巣が・・・>

昨日夜半、雷雨。屋根にあたる雨音が心地よく、熟睡できた。その雨は朝方まで残っていたが、8時頃には上がっていた。もう、ぼちぼち梅雨があけてもいいのでは。梅雨明けを「19日」と予想してしまったので、早く明けないと決まりが悪い。

雨が上がったので、今朝は久々に公園によってきた。葦の密生する地点に黒い水鳥がせっせと動いている。バンだ、と思って近づくと、巣を作っている。出来た巣には雛が3羽チョコンと座って(?)いる。7月初旬に見た雛は大きくなっている(写真下)ので、また雛が孵ったのだ。まだ、完全に巣は完成していないと見えて、二羽の親鳥はせわしなく働いている。

成長した兄さん雛は水面下の木に足をのせ、親を弟妹たちにとられたためか、さびしそうにたたずむ。



この段階のバンは親鳥や弟妹たちに似ていない。猛禽類を思わすような精悍なカッコよさがある。やがて、親達のようにトットットと動き回るようになるかと思うと、少々、気の毒ではある。
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自民大敗す!

2007年07月30日 | 日々の記録


国民の審判が下った。

各紙「自民歴史的大敗」「自民惨敗」などと白抜きの大見出しで報じた。各紙のホームページで見る記事よりも、新聞の見出しの方が迫力がある。この存在感はデジタルにはない。電車の中でも目をひいた。今日は“新聞”の効果を見直した日でもある。



与党の議席は自民が64から37、公明12から8へと減らし、野党第一党の民主が32から60議席を獲得し、大躍進。年金記録漏れ問題や閣僚らの不祥事への国民の反発が民主党に有利に働いたと見られている。

また、今回の投票率は58%後半、2004年の前回参院選を2ポイント上回った。与党内からは「事前予想より投票率が高かったことが響いた」(自民党幹部)などと、投票率の影響を指摘する声が相次いだ、そうだ。

かつて、自民党の森首相は「有権者は寝ていてくれた方がいい」と発言したが、今回有権者は寝ていられなかったのだろう。お上に従順な日本人も政治家のあまりの無能や税金の無駄使いに「ふざけんのもいい加減にしろ」と立上ったのだ。寝る子は覚めた。自分達の生活が脅かされ、“うるさい”国民にならざるを得なくなったのだ。

古代ギリシャの格言に

「政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される」

というのがあるそうだが、今の日本そのものだ。ここで目を覚まし、政治家達にプレッシャーをかけていくべきだろう。

安倍首相の“続投宣言”には賛否両論あるようだが、しばらくは政局の動揺は避けられないだろう。いずれにしろ、今回の参院選を契機に“良い”方向に向かって行くことを切に望む。

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熱闘、大宮公園!浦和学院、2年連続制覇!

2007年07月29日 | 野球

<優勝の瞬間。ベンチから飛び出す、浦学ナイン。>

終わってみれば、今年も浦学だ。2年連続9回目だそうだ。昨日の準決勝、富士見対浦学はぜひとも見たい試合であったが、仕事で行けず。富士見が決勝に残ったら県営球場に見に行く、と決めていた。今日午前中は小生の会社の野球チームの練習日であったが、富士見が勝ったら、サボって応援に行こうと思っていた。

昨日の試合は緊迫した投手戦だったらしいが、延長10回2-3で浦学がサヨナラ勝ちした。(観たかったな~)

ということで、本日午前中は蒸し暑い中、きっちり二時間半汗を流してきた。12時半に家に戻って、シャワーを浴びてビール片手に「浦和学院 対 本庄第一」の決勝戦をTV観戦した。終盤雨の為、1時間半の中断があったが、浦学が危なげなく勝った。昨日の試合が事実上の決勝戦だったかもしれない。(やっぱ、観たかったな~)ただ、本庄第一は一年生が代打や代走含めると6人ぐらい出ていたので、今後、一二年間は間違いなく優勝圏内の強豪となるだろう。

さて、全国大会。浦和学院は過去8回出場したが、初出場の時にベスト4まで行ったが、後の7回はいい成績を残していない。埼玉県は春の選抜では昭和43年に大宮工業が優勝しているが、夏の甲子園で優勝したことが無い。準優勝は二回ある。昭和26年の熊谷高校と平成5年の春日部共栄だ。

今年こそ、埼玉県163校の代表として、真紅の大優勝旗をさいたま市に持ってきて欲しい。(たのんまっせ)
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夏は暑いのだ!

2007年07月28日 | 日々の記録


今週のgooブログトラックバック練習版のお題は「夏は暑いのがいいか、涼しいのがいいか」であるが、この質問は何か変だ。そもそも、夏は暑いから夏なのだ。涼しい夏、というのがあったろうか。小生の記憶では夏はいつでも暑いのが当たり前。曇りの多い夏であっても、蒸し暑いのが普通だ。“涼しさ”は暑いからこそ求められるもので、真冬に“涼しさ”は求めない。

今でこそ、何処へ行っても冷房が効いているので“涼”をとるのは簡単だが、昔はどうやって涼をとって過ごすかということが、夏の風物詩であり、楽しみでもあった。

小生の子供の頃(昭和40年台前半)は、家の窓という窓は開放し、網戸や簾をかけて外の風を取り入れた。葡萄棚を作って日陰を作ったり、庭に水を撒いたりして涼をとった。風鈴の音を聞くことで暑さを紛らわす、なんてこともした。昼になると子供達は必ず昼寝をさせられた。クーラーなんてものは無く、扇風機だって一家に一機。扇風機の風が届かない所ではウチワを使った。

夕方になると、蚊取り線香をつけた。陽が落ちて漸く涼しくなった部屋で父はモロキューや根生姜で麒麟ビールを呑みながら巨人戦のナイター中継を観戦。その横で小生は麦茶がなんかで一緒に観ていた。父がうまそうに呑むビールをちょっとだけ口にすると、とても苦く、よくこんなものが呑めるな、と思ったものだ。

夜は蚊帳を吊った。蚊帳の中は少し黴臭いのだが、妙にヒンヤリとして気持ちも落ち着いた。夜も窓は開放だ。今では想像もできないくらい日本は安全だった。昭和45年のベストセラー『日本人とユダヤ人』の中で「日本では安全と水はタダ」と謳っても異を唱えるものは誰もいなかった。

今は安全にも水にも金と神経を使う時代になってしまった。

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MLBの近況

2007年07月27日 | 野球


 非常に喜ばしいことだが、7月に入ってからヤンキース松井がよく打っている。21日のタンパベイ・デビルレイズ戦から3試合連続でホームランを放つと、25日のカンザスシティー・ロイヤルズ戦では18号ソロをライトフェンス後方にたたき込み、自身初の月間10本塁打を記録。チームの6連勝に貢献した。また、節目のメジャー通算100号にもあと4本と迫った。

 井川先発の今日の試合は0-7で負けたが、松井はヒットを打ち7試合連続となっている。好調、松井に比べ井川は3敗目を喫し、相変わらずピリッとしない。2勝3敗 防御率6.79。ライバル“レッドソックス”松坂の12勝7敗 防御率3.79と比べると大きく見劣りする。全米の熱きヤンキースファンをイライラさせていることだろう。球団側としても総額55億円を支払って獲得した井川を遊ばせて置くわけにいかないので使っているようだが、このままだとどうなることやら。

 マリナーズも調子が落ちて7連敗中。一時はアリーグ西地区首位のエンゼルスに1ゲーム差まで迫っていたのに、現在は4ゲーム差だ。イチローも調子を落としているようで3割5分台だった打率が344になっている。

 まだ、2ヶ月あるが10月からのポストシーズンに、ヤンキース、マリナーズ、レッドソックスの内少なくとも2チームは残って欲しいと思っている。
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熱闘、大宮公園!(第89回高校野球埼玉大会)

2007年07月26日 | 野球

<熱闘、大宮公園!>

連日、熱戦が繰り広げられている夏の高校野球埼玉大会のベスト8は、春日部東、花咲徳栄、本庄第一、昌平、富士見、立教新座、埼玉栄、浦和学園の8校だ。

この中で、地元(県内)の中学出身者のみ(以下「ジモチュウ」)でチームが構成されているのは、春日部東と富士見の2校、共に公立高校だ。後、6校はすべて他県からの、いわゆる越境入学生がチームにいる私立高校である。ベスト16の段階では半分、つまり8校はジモチュウ軍団が残っていたのだが、ファイナルに近づくにつれ、やはりというべきか、こういう結果になっていく。

そして、昨日、春日部東が花咲徳栄に敗れた。富士見は春の準優勝校だけに立教を相手にコールド勝ちしている。ベスト4に残った。

小生は越境入学に反対しているわけではない。むしろ“野球”というスポーツの“厚み”と“高さ”を増す為には必要なことだと思っている。ただ、人材から確保できる強い私立高校にジモチュウ軍団が勝つ、ということに胸のすく思いを感じるのである。

1974年春の甲子園大会。蔦監督擁する「さわやかイレブン」池田高校が、野球部員わずか11人で、はつらつとプレイし準優勝する、という痛快事があった。当時、小生も高校球児。部員は確か15、6人。人数だけなら池田に勝ってる、と思ったものだ。

例が古くて恐縮であるが、高校野球にはこういう痛快な出来事があるから面白い。

今夏の埼玉大会では「富士見」に大いに期待している。
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インドを走る!part2 第16話 「タンセンからポカラへ」

2007年07月25日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<ネパール山中のドライブイン、というか茶店。>

 ネパールの山の町タンセンで連泊することにした。昨日の登りで皆疲れたからだ。標高千数百メートルともなるとさすがに寒い。日中の陽射しもヒンドスタンよりは淡い。雨の中を走ったのが災いしたか、少々風邪気味。外を眺めれば山また山。とんでもない所に来たと三人口にする。山影すら見えなかったヒンドスタン平原から自転車でわずか一日の行程でいきなりこの山の中である。インド亜大陸、さすがに中庸の精神なし。

 夕方、買物がてら散策に出る。タンセンの街、百人ぐらいしか住んでいないと思いきや、さにあらず。結構、沢山家がある。道々でかわいい子供達が「鬼ごっこ」で遊んでいる。日本とよく似ていて鬼の子供が逃げる子供達を背にして手で顔を蓋い、数を数える。その子供、顔を覆いつつ逃げる子供たちの方へ反転、指の隙間から見ている様子。数の後半を早口に言い抜けるのも日本と同じだ。

角をひとつ曲がると女の子達が何かやっている。東アジア的なかわいい娘が何人か居る。また、インド(アーリア)的なカワイイ娘も何人かいる。それだけで複雑そうな社会に思える。

ホテルの裏手に出て、ちょっと小高い所を登ると一面の平地でグランドになっており、遠くの山々なども見え、眺望すこぶるよし。観念の中のインカとダブル。そこでも子供達が遊んでいる。サッカーやゴムマリを使った風変わりな遊びに熱中していた。どこに行っても子供だらけだ。この土地では大人たちは何を生業として糊口を凌いでいるのだろうか。

(子供の数が多くて成人の数が少ない。)

ということは子供が他の土地に奉公に出されるか、病気などで死んでしまうかだ。いずれにしても、この子達を待っている未来は厳しい。

 翌日、晴れ。三人共、体調は万全ではないが、また、懲りずに出発である。タンセンとポカラの中間地点あたりに泊まるということにして、宿で弁当(ゆで卵、コフキイモ、パン)を用意してもらって旅立つ。

一昨日の分岐点まで一旦下る。そこからタラタラ登り。子どもたち、「バイバイ」とか「サイケレ」とかいって近づくが、さすがに朝は気だるいのか、背後から追って来ることはない。(達者でナ)と心で祈って別れる。

しばらく行くと道は緩やかな下りとなる。快適だ。景色を観る余裕ができる。所々、山桜らしき木が薄桃色の花を咲かせており、この辺一体の茶褐色の景色に映えて目立つ。日本でもそろそろ桜の咲く頃かと懐かしむ。大きめの村落で小休止。冷たいコーラを売っていたので一息いれて、また、走る。先頭を行くM君の奇声一発。

「山だ!」

前を仰げば、前衛の山々の稜線の間から、真っ白な鋭鋒が屹立している。神々が宿るか、と思うぐらいに神々しい姿が我々の前に現われた。ヒマラヤだ!アンナプルナだ!興奮がこみ上げてくる。

(ついにやってきた)

という思いが募る。もともと、今日の旅程のどこかでこういう景色に出会うはずだ、とは三人で話してはいた。が、実際に見てみると感動はひとしおである。しばし、撮影会となる。

 その場所からラミディという集落までは一挙に下りである。英語を話す賢き子供の店で一時間ほど休憩。その子ども十四歳。中にいた彼の姉さん十七歳。鄙にはまれな、きれいな娘であった。そこからは、また、タラタラと登りが続く。過労気味の一行は「5キロ走っては一服」のパターンで少しずつ、少しずつ進む。

 途中、中国の水墨画にでも出てくるような景色のところで休む。V字谷の山間。段々畑が谷底から山のてっぺんまで隙間無く作られている。岩肌が露出している部分が人間の手を加えられない唯一の箇所のようで、そこだけが荒々しい。山の中ではあるが、どこへ行くのか、大きな布製ショルダーバックのヒモをオデコにかけ、子どもを肩に抱いて歩く若い婦人。その脇を大勢乗せた騒々しいバスが土煙を上げて走り去る。

 宿のありそうな町ワリングまでともかく行くことにする。下りが多く、楽しめる。街に近づくと再びヒマラヤが夕陽にあたって、その荘厳な姿をあらわす。ひときわ高い山、あれがマチャプチャレ、英名フィッシュテールであるという。なるほど魚の尾のようだ。

ワリングにホテルあり。助かる。日本語を少々と英語を話せる人がそのホテルにいて、二ヶ月前にも一人の日本のサイクリストが泊ったという。

 夜、狭く肌寒い部屋で眠りにつく。おかしな夢を見た。日本で同窓会が行われ、女は振袖、男はインド服。小中高の友人がごちゃ混ぜになっての泊りがけの同窓会である。それが終ってから親しい友人に、「俺は、同窓会の為に一旦ネパールから帰ってきたが、これからアメリカにサイクリングに行かねばならない。」と語り、いつまで経っても終わりのない自転車地獄を嘆くという、なんとも嫌な夢だった。

朝、ニワトリの唐突なコケコッコーという鳴き声で目が覚める。まだ、ネパールか。うつつに戻り、複雑な心持ちになる。

 9時にワリングの宿を出る。

 ネパールの山には匂いが無い。日本の山々には花や木が多く、独特の山の香を醸し出すが、ネパールの山にはそれがない。なんとも無味乾燥だ。その代わりと言っては変だが、小さい子供達が沢山いる。こんな山道に、と思う所にも沢山いてバイバイと手を振ってくる。時々道路の脇で不思議そうに我々を見守る一団もいる。M君、その子ども達を驚かすように近寄る。自転車に慣れていない子供たち、びびって必要以上に遠くに逃げる。M君、それが面白いらしいが、どうも大人気ない。

 時々アンナプルナ山群を見ながらの今日の行程は思っていたよりも楽ではあったが、過労気味の我々にはやはりこたえた。ただ、ポカラ、ポカラと時に口に出し、時に胸中に刻み込みながらひたすらこいだ。

 本日最後の峠からの下りは、マチャプチャリの鋭鋒をはじめとするヒマラヤの山々とポカラ盆地を見ながらの下りで実に爽快であった。登りの苦労から解放された身体に風が心地よく当たり、心身癒される感じはなんとも言えない幸福感がある。しかも、景色が豪快だ。自転車旅の真髄ここに極まれり、だ。

長い下りが終わると、そこはポカラ。アンナプルナ山群を眼の前にした、湖のある美しい町だ。

 やっと辿り着いた。

                    つづく
※「インドを走る!」について



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ペットボトル考その2

2007年07月24日 | おすすめモノ
環境問題はなぜウソがまかり通るのか
武田 邦彦
洋泉社

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先日のブログ「ペットボトル考」で紹介した著書です。

この著者は「錦の御旗と化した『地球にやさしい』環境活動が、往々にして科学的な議論を斥け、人々を欺き、むしろ環境を悪化させている」と冒頭に言い、さらに「国民が望んでいる環境の改善という問題を私物化し、それによって収益を得ようとする日本社会の構造こそが問題」と唱えている。そして、「ペットボトルのリサイクル」「ダイオキシン」「地球温暖化」などを例に取り上げ、それらが、特定の人間達の利権に利用されている実態を暴いている。

「環境問題」になにか胡散臭ささを感じていた人、ゴミの分別に嫌気がさしている人、役人達に疑問を感じている人などにお勧めの一冊です。


さて、「ペットボトルのリサイクル」についてである。

1年間に販売されるペットボトルは51万トン(2004年)を超える。500mlのペットボトルで換算すると国民一人当たり2日に1本の割合になるそうだ。その内、分別回収量が24万トン、残り27万トンがゴミとして捨てられている。分別回収したものは全てリサイクルしているかというと、そうではない。その内の3万トンに過ぎない。後は焼却しているのが実態だそうだ。中身を洗って、地域によってはラベルまで剥がして分別しているのにその程度のリサイクルである。

なぜ、こんな現象が起きているかと言うと、

①リサイクルと言わないとお金が来ない。
②リサイクルと言って法律まで作り、国民に分別をさせているのに、今更、リサイクルはダメだったとはいえない。
③リサイクルすると言って国民に分別させて、業者に渡しさえすれば、その後、捨てても「産業廃棄物」になるからお役所の責任ではない。

つまり、自治体は助かり、業者は潤う一方で、国民だけが分別し、税金を払っている。

と言うことらしい。

家電リサイクルなども含めてだが、「リサイクル関連」の国家予算は年1兆円強かかっていると著者は推定する。もちろん、全て我々の税金で賄われる。これがホントなら、税金の無駄遣いも甚だしいし、国民に対する詐欺行為でもある。こういう愚行を止める手立てはないのだろうか。住民達がボイコットするとか、署名運動するとかしない限り放置されたままなのか。

日本人はお上に従順である。分別して、洗浄して、ラベルを剥がして、決められた曜日と時間に、決められた場所に出せ。と言われれば、大抵の人はキチンと守る。「お上の考えることはどうもおかしい?」と思っても多くの人は我慢する。さしあたっての生活に影響なければ、それで良しとしてしまう。そんな、従順さがアコギな業者や政治家をのさばらせてしまっているのだろう。

ここ数年、次々と起こる「偽装○○事件」は従順な国民をだまして、政治家や業者や企業家が巨万の富を得る、という図式だ。どこかで歯止めをかけないと日本はめちゃくちゃになるのではないか。もう少し“うるさい”国民にならないと自らが住みやすい環境は作れないだろう。

が、ここに来てさすがに従順な国民も堪忍袋の緒が切れた感がある。今度の参院選が、どうなるか見ものである。


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高校野球埼玉大会いよいよ大詰め

2007年07月23日 | 野球

<強い高校は応援団も華やか。>

先週末、土日とも野球場へ足を運び高校野球を観てきた。その折、昨年から今春までの県内トーナメントの戦績や今大会の出場選手情報が載っている小冊子を500円で購入した。表紙の写真など暗くて質が悪い。500円も取るなら、もう少し何とかなりそうなものだが・・・。

その小冊子で選手の出身中学を見ていると、強豪私立高校の選手の出身は県外が目立つ。特待生問題はやや沈静化しているが、やはりそうかと思う。しかし、気になるのは、例えば大宮にあるS高校のエースの出身地が新潟県の新発田である。能力の秀でた投手なら、そのまま新潟の高校に入った方が甲子園に出やすいのではないか。新潟県の出場校は96、埼玉県のそれは163校である。

大阪出身の選手が少しでも甲子園に出やすいようにと埼玉県に留学する、というのなら理解しやすいのだが。単純には考えられないモノがあるのかもしれない。そういえば、早実から早稲田に進んだ斉藤佑樹も出身は群馬だ。甲子園に行くだけなら、群馬県の高校に入った方が良かったはずだ。(群馬県は67校、西東京は117校)

ま、いろんな事情があるとは思うが、地方から人材を集めた強豪校に地元中学出身の生徒だけのチームが勝つこともあるから、野球というスポーツは面白い。今週、埼玉大会は大詰めだ。地元対地方、公立対私立強豪という切り口で観てみようと思う。決勝は29日、日曜日だ。
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第89回 全国高等学校野球選手権 埼玉大会

2007年07月22日 | 野球

<出場校じつに163校!>

今、大宮公園では高校野球の埼玉県予選が行われている。正式名称は「第89回 全国高等学校野球選手権 埼玉大会」というのだそうだ。出場校数はじつに163。神奈川、大阪、愛知、千葉などに次いで全国でも5本の指に入る激戦区である。1回戦のクジを引いた学校が甲子園行きの切符を手にする為には8連勝しなければならないのだ。

連日、熱戦が繰り広げられているが、ベスト32が出揃い、昨日と今日は4回戦が行われた。昨日は小生の甥が出ている試合を見に市営球場へ、今日は公園内の県営球場で試合を観戦してきた。ベスト32ともなるとさすがに、どのチームも良く纏まっていて、つまらないエラーというのが極端に少ない。

同程度のチーム同士の戦いの場合は「いかにミスを少なくするか」が勝敗の分かれ目となる。ミスは「エラー」ばかりではない。監督の采配ミスももちろん含む。

昨日観た、甥のいるO高校は延長12回まで戦って、結局負けてしまったのだが、勝機は8回裏にあったと思っている。8回裏3-2で勝っていたO高校はこの回先頭の3番打者がヒット。4番四球で無死一二塁。ここでバッターは5番の甥。

彼のここまでの成績は一打席目四球、二打席目はいい当りのライトライナー、三打席目は同点のタイムリーツーベース。(セカンドベース上でのガッツポーズが印象的だった。)監督はよく振れているとみて、そのまま打たせてくれる。親族としては大変ありがたいが、負ければおしまいのトーナメント戦。ここはセオリー通り、送りバンドであったと小生は思う。

結局、甥は三振。次打者はレフトフライ、その次の打者は三振でスリーアウトチェンジ。結果論ではあるが、甥が送って1死2、3塁としておけば、レフトフライで1点入ったかもしれない。9回土壇場で追いつかれ、そして12回表に二点勝ち越されて負けてしまう。

本日は甲子園経験もあるS高校の試合を観てきた。0対0の4回裏無死1、2塁の場面で4番打者に躊躇せずに送りバントを命じている。結果的に得点には結びつかなかったが、これがセオリーだと思う。0対0の6回裏、無死1塁でまたも4番に送りバント。これには、5番以降が続き、この回3点をあげる。3-0の7回裏無死1塁で3番打者にまたもバントを命じている。恐らく、この学校の監督は過去にセオリー通りやらなかったことで少なからず、辛酸をなめたのだろう。執拗なまでに次の1点を狙っている。これが「負ければおしまいのトーナメント戦」を勝ち続けるコツだと思う。

昨日の試合の12回表、二死二塁で強烈な打球がショートの正面に飛ぶ。丁度、三塁へ駆けるランナーと交錯したこともありショートが捕球できず、ボールは左中間を抜けてランニングホームランになってしまう。それまで好守備を見せていたショートF選手は泣き出す。小生の鼻もツンとしてきた。

「あの打球を捕るのは難しい。ヤンキースのジーターだって捕れない。泣くなF。君は名ショートだ。」

と励ましてやりたかった。

負けてしまったが、試合内容はこれぞ“高校野球”といったもので久しぶりに感動した。素晴らしい試合でした。

3年生には最後の夏だ。高校に入って2年半、野球に明け暮れてきたのは彼らの動きやプレイをみればわかる。望むべき結果はともなわなくとも、その過程が血となり肉となる。これからの人生に活かせ、球児諸君!

追伸・・・小生の甥はまだ二年生。後一年活躍する時間がある。悔いの無い一年をすごすよう願ってやまない。
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夏休みは中欧旅行

2007年07月21日 | 日々の記録

<ヴルタヴァ川にかかるカレル橋>

今年の夏休みは8月12日から19日までの8日間。ここ数年はタイ在住の友人ドラゴン氏(仮名)の元に遊びに行くのが、通例となっていた。今年はそのドラゴン氏が航空会社の世界一周旅行券を利用して、アメリカからヨーロッパを旅行中である。氏の旅程は6月30日にサンフランシスコに入り、サンディエゴ~ロサンジェルス~デンバー~シカゴ~トロントの各市をMLB観戦をしながら回るそうだ。7月下旬にシチリアのパレルモに飛んで、8月初旬から東欧を巡り10日にチェコの首都プラハに入る。というものだ。 

小生は12日の夜にプラハでドラゴン氏と合流し、プラハで4日間、ウィーンで3日間過ごそうという計画だ。以前にプラハの街並みの素晴らしさを人に聞いた時から、一度は行ってみたいと思っていた所だ。日々、バタバタと生きている勤め人ではあるが、年に一度ぐらいは“日常”から離れて、異郷の空気に触れたい。異郷の文化を知るとともに、“日本”を外から見ることができるからだ。

旅立ちまでもう1ヶ月はきったのだが、日々多忙で、未だ“プラハモード”になっていない。徐々に気分をプラハに向けて盛り上げようと思い、ガイドブックを買ってきた。プラハのページを開いたら、いきなり

  「何はともあれまずビール」

のコピーが。プラハはビールが有名らしいが、このセリフは思いっきり“日常”なんですけど・・・。
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ペットボトル考

2007年07月20日 | 日々の記録

<通勤途中のペットボトル回収状況。皆、言われた通りに分別してるが・・・>

子どもの頃、水はタダ(無料)だった。家や学校でノドが乾くと水道の蛇口から出る水をグビグビと飲んだものだ。いつの間にか、水道の水はまずくて危険とされ、市場にはペットボトル入りミネラルウォーターが蔓延している。最初の頃(1990年代だったと思う)は、水に金を払うのに抵抗があり、お茶などを買っていた。それが今では躊躇無くペットボトル入りの水を500mlあたり120円で買っている。

以前、数人の小学生が駅のホームの水道水を呑めるかどうか“肝試し”をやっているのに出会ったが、それ程、水道水は嫌われている。本当に水道水は危険なのか。企業やマスコミに踊らされて、タダだったものに金を払わされているのではないか、と疑いたくなる今日この頃である。


気がついてみると我々の生活の中に「ペットボトル」は欠かせないものとなっている。分別して週に一回出しているが、ご近所もかなりの量の空きペットボトルをゴミ集積場に出している。回収は週一であるから、それまでは自分の家のどこかに置いておかなくてはならない。結構なスペースを取ってるだろうと想像する。また、見た目も清潔感がないので家の中では邪魔者扱いだろう。

通勤途上の練馬区ではペットボトルの中身を洗って、外側のフィルムを剥がして決めれたケースに収めている。(写真参照)専用ケースは早朝、区の清掃担当者が決められた場所に置いておくらしい。何時間後かにまた回収に来るのだそうだ。住民も区の職員もともに手間が掛かっている。住民はタダ働きだが、区の職員の手間には税金が使われる。

前から気になっていたのだが、全国4000万世帯から出るペットボトルはどう処理されるのだろうか。本当にリサイクルされているのだろうか。

そんなことが気になっていたので、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本を読んでみた。近いうちにご紹介しようと思っている。

「ペットボトル考その2」につづく

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行ったり、きたり

2007年07月19日 | 日々の記録


仙台出張の帰り、18:26分の新幹線「こまち」に乗る。先輩社員K氏と缶ビール、缶チューハイで今日の会議の反省会を開く。K氏の住まいは春日部なので共に大宮で降りる。大宮着は19:42分。まだ早い。当然ながら一杯行きましょう、ということになり、居酒屋へ。生ビール、日本酒、芋焼酎と呑みつぎ、気分上々。もう一軒行きましょう!ということになり、小生、馴染みのスナックへ。嫌いではないK氏も歌って呑んで大はしゃぎ。

結局、11時前、最終バスに間に合うタイミングでお開き。駅でK氏と別れ小生は小走りでバス停へ。間一髪間に合う。しかも座れた。が、これが行けなかった。気がつくと降りるべき停留所を乗り越しており、あわてて降りる。「停留所を3つほど乗り越したが、歩いて帰れる距離」と判断して歩き出すが、どうも景色が違う。次の停留所について見ると、家までは5~6キロはある。ちょっとの間まどろんだだけ、と思っていたが、かなり寝ていたことになる。しゃんとしていれば歩いて行けない距離ではないが、いかんせんヨロヨロだ。

幸い深夜バスが5分後に来たのでそれに乗る。乗客はまばら。当然、座る。が、これも行けなかった。降りるべき停留所を3つ程乗り越して、起きた。今度は間違いなく、歩いて行ける距離だった。しかし、足運びが思うように行かない。ヨロヨロとジグザクにしか歩けない。なんと、家まで遠かったことか!

仙台から大宮までは「こまち」で1時間14分しかかからなかったが、大宮駅に降りてから我が家に辿り着くまでが長かった。実に5時間!「こまち」車内の“反省会”で始まった酒だが、大いに反省するべし!
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「インドを走る!part2」のネタ

2007年07月18日 | 自転車の旅「インドを走る!」

上の写真は27年前、インド・ネパールを走った時の旅行記である。A5のノートにボールペンで縦書きで書いていた。やはり、日本語は手書きの場合“縦”が書きやすい。今、「インドを走る!part�」を書くにあたって、この旅行記をパソコンにデータ入力する作業をしている。(前にも書きましたが)面倒であるが、暇つぶしにはもってこいの作業である。また、この作業をすることで当時の気分を思い出せるので、ある意味若返ったような気にもなる。怪しい楽しみとも言える。

旅行記をほぼそのまま載せてもいい部分と、できない部分はやはりある。社内報で書いた中では、「大和撫子」の話の一部はそのまま載せている。下の画像がそうだ。



以下は社内報の文章。

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 M君が息を弾ませてやってきて語るには、今しがたナデシコ達が帰ってきてシャワーを浴びたという。彼、ついにインドに来てゾウになりし。

 「おまえもみればよかったのに。」

と言うが終ってから来てそれは無いヨ。

 夜、ベッドに転がって考える事も無くうつらうつらしていると、ブザーが鳴る。EM両君寝ているので私が出るとナデシコ達である。インスタント味噌汁と「小梅ちゃん」のアメを一袋ずつくれる。親切な日本女性なり。トランプか花札を持っているかと聞かれ、無いと答える。

 (チキショー。持っていれば一緒に遊べたかもしれない。)

『作るか!?』と半ば本気で考えた時、自分で自分が可笑しくなった。E君が風邪で今日は発てなかったと言うと心配してくれる。M君、話し声に起き出したのか、ベッドからしきりに「ありがとうございます」を連発している。数分前の味噌汁と小梅ちゃんに対する礼か、はたまた数時間前の裸身に対する礼かは定かでない。

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(読みづらくて申し訳ありませんが)手書き画像の文と比べてみると、ほぼそのまま使っていることが判る。

27年後にブログに載せることになるとは、当時はもちろん思っていなかったが、誰かに語りたい、という気持ちは確かにあった。そういう意図が成功している部分はそのまま載せても面白い部分なのかもしれない。


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温泉酒呑みツアーその2

2007年07月17日 | 山と温泉

<台風一過の影響か。稜線の上には透きとおる青空が・・・>

昨晩、宿の夕食を食べて部屋に戻ると気持ちよさそうに布団が敷いてある。泥酔状態の我々は、その上にゴロンとなってテレビを見るが、8時には寝入ってしまう。その所為で、午前3時に目が覚める。さっそく、風呂に入る。この後、朝飯前後にも一回づつ入る。昨日から都合5度温泉に浸かったことになる。このぐらい入るのが「温泉酒呑みツアー」のルールでもある。

10時前には宿を出る。雨も上がり、天気が回復したので裏磐梯の五色沼に行く事にした。五色沼の散策路を歩きはじめた時に仲間の一人の携帯電話に新潟地震の一報が入る。この辺も揺れたのだろうが、クルマに乗っていた為か気づかなかった。かなり、大きな地震だということで新潟の事業所や知り合いの安否が気遣われた。(二時間後、皆無事との情報が入り安心する。)


<磐梯山の大噴火でできた湖沼群>

五色沼を一時間ほど散策する。明治21年に磐梯山が大噴火を起こした時に堰きとめられた湖沼群である。自然の力に人間は勝てない、という証拠がここにもあった。

五色沼を後にして会津若松に行き、蕎麦を食べる。「すず勘」という店だ。腰のある細麺でつゆは辛め。蕎麦の量もしっかりある。ミニ天重がついて1050円はリーズナブルな値段だ。ここで腹ごしらえして、帰路に着く。帰りは道路も乾いていて、100キロ平均で走れる。

寄り道せずにまっしぐらに帰る。19時からのアジア杯予選リーグ「日本VSベトナム」戦を観るためだ。皆を順々に送ってから帰ったので時間がかかったが、なんとか間に合う。スーパーで買ってきた肴をアテに、呑みながら観戦した。

最初ひやりとしたが、後は安心して観ていられた。W杯本戦でもあのぐらいやってくれたらどんなに楽しかろう、と思って観戦した。試合の終わる頃は結構出来上がってしまい、旅の疲れも手伝って早々に寝た。

思えば今日は午前3時から起きていたのだ。無理もない。
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