萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!第8話「カンプール」

2007年05月16日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<街の中を“リキシャ”が行きかう>

 大都市カンプールに着き、苦労してやっと一人10ルピー(当時約300円)のホテルを決め、夕食をとりに再び街へ出る。町へ出るときは歩きである。ドロップハンドルのハイカラサイケレは注目の的になり、人が群がってくるので愛車はホテルでお留守番である。

 沿道でリキシャを止める。「リキシャ」というのは自転車の後部に1~3人の人間を乗せられる荷台をもつ乗り物の事である。人力車の前部に自転車を取り付けたものと考えてもらえれば、ほぼ正解である。その名も「リキシャ」と言い、日本人には非常に覚え易いヒンディ語である。

 この音に漢字を当てれば「力車」となるのだろうか。中国から伝わったのであれば「リキシャ」とは発音しないであろう。すると、日本から伝わったものとも思えるが、単なる偶然の一致かも知れぬ。とにかくその親しみ易い名を呼んで乗り込んだ。行き先はホテルのマネージャーに聞いたチャイニーズレストランである。カンプールぐらいの都市になると中華料理を食わせる店の一軒や二軒はある。

 小さな町や村を点々と走り続ける我々の主食はカレーである。朝昼晩すべてカレーといってもよいぐらいで、これにはかなわぬ。飽きるより前に胃腸が音を上げる。酷暑の異国を走り続け、心身とも極度に疲労し、胃腸が弱っている所へ日に三度、強烈な刺激物が通過するのである。胃腸にしてみれば二十年この方経験の無い出来事でたまったものではない。

 たまらないから下痢になる。下痢になればいよいよたまらない。これを治すには絶食が一番である。絶食といっても坊主の修行ではないので、ウメボシ汁やビスケット、パンぐらいは食べる。が、体力の衰弱は避けられず、無理をすればついには発熱する。これは恐ろしいことで多種多様の病原菌の恰好の餌食にされてしまう。これを出来るだけ避ける為、大都市へ着いたら、食べやすいチャイニーズレストランを見つけ、そこで栄養をつけ体力を復帰させようと考えたわけである。

 ホテルから二十分ばかりリキシャに揺られてゆくと「富都」と漢字で書かれた看板が目に入る。

 「おい、ここだ。ここだ。」
 「ほんとだ。中華料理屋だ。漢字で書いてあらァ。」

 リキシャのオヤジに金を払い、「富都」のドアを開く。店の中は薄暗い。面積は広く、テーブルの数も多い。柔らかな椅子に座る。白に花模様のついたテーブルクロスが掛かっている。テーブルのつくりも立派なものである。BGMにはジョン・レノンの「イマジン」が流れている。

 (違う。)

 私は感じた。高級である。清潔である。繊細である。今まで走ってきた村のカレー屋とは大違いである。メニューからヤキソバと春巻を選んで注文する。ヤキソバは日本で食べるあんかけのカタヤキソバと似ていてうまい。春巻は豚肉で野菜を巻いたポークロールというのを頼んだのであるが、これがまた涙が出るほどうまい。ヤキソバも春巻も辛くないのが何よりもありがたい。

 店の主人は21歳の中国人である。今から二百年前に中国から祖先がやってきたとの事で、顔つきも我々日本人と同じモンゴリアンのものである。何となく気が休まる。非常な満足感を得てホテルへ戻る。

 翌日は休息日である。郵便局へ行き、いらない荷物などを送るかたわら、街を散策する。カンプールは大都市ではあるが、観光都市ではない。このため、デリーやアグラのような大都市とは異なる雰囲気を感じる。ここには飾り気がない。風景にも人の言動にも媚が感じられない。一般のインドの真の生活があるからだと思う。こういう風情が好きだ。美しい景色や建物やお土産やが無くてもいい。自国とは違った風土や異なった環境で生活を営んでいる人たちを眺め、接触し、考えることが私には楽しい。

 夕刻、また「富都」へゆく。M君食欲なく調子悪そう。明日もカンプールに居たいと口走る。M君の食欲不振をよそに私とE君はたらふく中華を食べる。蚊のいないホテルへ戻り深い眠りにつく。

                               つづく
コメント
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