![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/be/f64543254b04023c3b78575101081c06.jpg)
<春日部付近の古利根川>
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<旧街道らしく、旧家が残る>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/4a/dc040b0ccde1d1b6f4a008ae79d96e6a.jpg)
<日光街道。東京からの距離が1km毎にある>
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<芭蕉の句碑 もの言えば 唇寒し 秋の風 ~人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ~>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a5/d0dab21dd6c91269d0715450e2345778.jpg)
<JR栗橋駅>
平成25年1月13日(日) 晴れ
「おくのほそ道」を辿る旅を(昨年1月28日以来であるから)ほぼ一年ぶりに再開。記録によれば松尾芭蕉は深川の芭蕉庵を出て、その日は粕壁(春日部)に泊まっている。小生はこの芭蕉の一日の行程をすでに4回に分けて歩いているが、いまだに春日部に到達できずにいる。前回は春日部の手前約6kmの「せんげん台」という東武伊勢崎線の駅までで終わっている。
ということで、今回はこのせんげん台駅からの出発となった。目標は栗橋までの7里(28km)だ。前4回とは違い、ここ最近はアスリートらしく、登山、ジョギングなどをしており、体重も昨年の同時期よりは4kgほど絞れているので、歩けるはずだと思い、計画を立てた。
せんげん台駅を午前10時に出発。国道4号線をひたすら北へと歩く。芭蕉の「おくのほそ道」にはこの辺りはまったく出てこない。草加を出た後の記述はいきなり「室の八島に詣す」となる。「室の八島」とは栃木県の壬生の地で、草加から室の八島まではざっと20里(80km)ある。この間の記述は一切ない。同行の曾良の「随行日記」に、かろうじて「カスカベニ泊ル」とか「栗橋」「間々田」「小山」の地名が出てくるのみである。
「おくのほそ道」全行程から見れば面白みのない土地だったのかもしれない。江戸からも近いし、特に記すほどのことはなく、さっさと通り過ぎて行ったと思える。三百数十年後に跡を辿る小生にとってもこの辺りは退屈で、もくもくと歩くしかない道であった。ただ、今回は今までと違って、28kmを歩くという目標があったので、モチベーションは高かった。
2里(8km)程歩いて、春日部を過ぎたあたりの国道沿いのガストで小休止。昼から生ビールをたのむ。あまり腹は減ってなかったのでフライドポテトをツマミに呑んだ。30分程休んで再び歩き始める。杉戸を過ぎたあたりで昼食とする。やはり国道沿いの「とんかつ屋」にした。ここでも当然ビールだ。こういう国道沿いの店は大半の人はクルマで来るはずなので、(歩いてくる人はホントの近所の人ぐらいだろう)アルコール類をオーダーするとなにかうるさい事を言われるのではないかと覚悟していた。「お客様は運転なさらないのですよね」とか「クルマでいらっしゃってませんよね」とか念を押されると思っていたのだ。
ところがだ。先のガストでもそうだったが、何も言われなかった。一方でコンビ二でアルコールを買うと小生のようなあきらかなオッサンにも関わらず、年齢確認ボタンを押させられる。なにか変な気がした。もちろん、小生は正真正銘の歩き旅だ。自転車ですらない。大手を振って呑めるのであるが…。
とんかつでパワーをもらってまた歩き出す。ここから、目的地の栗橋までは10kmちょっとの道のりだ。二時間一気に歩いて目的を達してしまおうと先を急いだ。幸手を通り過ぎる時に思い出したことがある。学生時代の友人がこの東武伊勢崎線の走る地名をもじってシャレていたのを思い出したのだ。この幸手を起点に北千住まで上り方向に向かって、よくこんなダジャレを口ずさんでいたのだ。
幸手を去って、杉戸を過ぎて、春日部かすって、越谷越して、そうかそうか(草加)と、来た(北)千住
当時、うまいことを言うと思って記憶していたものが、ふと言葉に出た。こんなしょうもないことを思い出し、口ずさみながらニヤニヤしながら、すたすたと歩く。もうあと2~3kmというあたりでさすがに足が棒のようになってきた。足の裏もマメまではいかないがなんとなく痛くなってきた。栗橋までたどり着ければ、JR宇都宮線で大宮まで帰れる。前回までは帰路は東武線であったが、ようやく、JR線にたどり着くのだ。「それが、どうした」と言われてしまえば元も子もないが、小生としてはこだわりたいのである。
薄暗く、そして気温も低くなってきた午後4時半。なんとか、JR栗橋駅に着いた。約7里(28km)を歩き通した。江戸人は一日9里から10里は歩いたというから、まだまだではあるが、9里、10里を歩ける自信はできた。次回は栗橋~室の八島(壬生)までの約9里(36km)に挑戦してみようと思って、今回の旅を終えたのであった。