萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第16話 「タンセンからポカラへ」

2007年07月25日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<ネパール山中のドライブイン、というか茶店。>

 ネパールの山の町タンセンで連泊することにした。昨日の登りで皆疲れたからだ。標高千数百メートルともなるとさすがに寒い。日中の陽射しもヒンドスタンよりは淡い。雨の中を走ったのが災いしたか、少々風邪気味。外を眺めれば山また山。とんでもない所に来たと三人口にする。山影すら見えなかったヒンドスタン平原から自転車でわずか一日の行程でいきなりこの山の中である。インド亜大陸、さすがに中庸の精神なし。

 夕方、買物がてら散策に出る。タンセンの街、百人ぐらいしか住んでいないと思いきや、さにあらず。結構、沢山家がある。道々でかわいい子供達が「鬼ごっこ」で遊んでいる。日本とよく似ていて鬼の子供が逃げる子供達を背にして手で顔を蓋い、数を数える。その子供、顔を覆いつつ逃げる子供たちの方へ反転、指の隙間から見ている様子。数の後半を早口に言い抜けるのも日本と同じだ。

角をひとつ曲がると女の子達が何かやっている。東アジア的なかわいい娘が何人か居る。また、インド(アーリア)的なカワイイ娘も何人かいる。それだけで複雑そうな社会に思える。

ホテルの裏手に出て、ちょっと小高い所を登ると一面の平地でグランドになっており、遠くの山々なども見え、眺望すこぶるよし。観念の中のインカとダブル。そこでも子供達が遊んでいる。サッカーやゴムマリを使った風変わりな遊びに熱中していた。どこに行っても子供だらけだ。この土地では大人たちは何を生業として糊口を凌いでいるのだろうか。

(子供の数が多くて成人の数が少ない。)

ということは子供が他の土地に奉公に出されるか、病気などで死んでしまうかだ。いずれにしても、この子達を待っている未来は厳しい。

 翌日、晴れ。三人共、体調は万全ではないが、また、懲りずに出発である。タンセンとポカラの中間地点あたりに泊まるということにして、宿で弁当(ゆで卵、コフキイモ、パン)を用意してもらって旅立つ。

一昨日の分岐点まで一旦下る。そこからタラタラ登り。子どもたち、「バイバイ」とか「サイケレ」とかいって近づくが、さすがに朝は気だるいのか、背後から追って来ることはない。(達者でナ)と心で祈って別れる。

しばらく行くと道は緩やかな下りとなる。快適だ。景色を観る余裕ができる。所々、山桜らしき木が薄桃色の花を咲かせており、この辺一体の茶褐色の景色に映えて目立つ。日本でもそろそろ桜の咲く頃かと懐かしむ。大きめの村落で小休止。冷たいコーラを売っていたので一息いれて、また、走る。先頭を行くM君の奇声一発。

「山だ!」

前を仰げば、前衛の山々の稜線の間から、真っ白な鋭鋒が屹立している。神々が宿るか、と思うぐらいに神々しい姿が我々の前に現われた。ヒマラヤだ!アンナプルナだ!興奮がこみ上げてくる。

(ついにやってきた)

という思いが募る。もともと、今日の旅程のどこかでこういう景色に出会うはずだ、とは三人で話してはいた。が、実際に見てみると感動はひとしおである。しばし、撮影会となる。

 その場所からラミディという集落までは一挙に下りである。英語を話す賢き子供の店で一時間ほど休憩。その子ども十四歳。中にいた彼の姉さん十七歳。鄙にはまれな、きれいな娘であった。そこからは、また、タラタラと登りが続く。過労気味の一行は「5キロ走っては一服」のパターンで少しずつ、少しずつ進む。

 途中、中国の水墨画にでも出てくるような景色のところで休む。V字谷の山間。段々畑が谷底から山のてっぺんまで隙間無く作られている。岩肌が露出している部分が人間の手を加えられない唯一の箇所のようで、そこだけが荒々しい。山の中ではあるが、どこへ行くのか、大きな布製ショルダーバックのヒモをオデコにかけ、子どもを肩に抱いて歩く若い婦人。その脇を大勢乗せた騒々しいバスが土煙を上げて走り去る。

 宿のありそうな町ワリングまでともかく行くことにする。下りが多く、楽しめる。街に近づくと再びヒマラヤが夕陽にあたって、その荘厳な姿をあらわす。ひときわ高い山、あれがマチャプチャレ、英名フィッシュテールであるという。なるほど魚の尾のようだ。

ワリングにホテルあり。助かる。日本語を少々と英語を話せる人がそのホテルにいて、二ヶ月前にも一人の日本のサイクリストが泊ったという。

 夜、狭く肌寒い部屋で眠りにつく。おかしな夢を見た。日本で同窓会が行われ、女は振袖、男はインド服。小中高の友人がごちゃ混ぜになっての泊りがけの同窓会である。それが終ってから親しい友人に、「俺は、同窓会の為に一旦ネパールから帰ってきたが、これからアメリカにサイクリングに行かねばならない。」と語り、いつまで経っても終わりのない自転車地獄を嘆くという、なんとも嫌な夢だった。

朝、ニワトリの唐突なコケコッコーという鳴き声で目が覚める。まだ、ネパールか。うつつに戻り、複雑な心持ちになる。

 9時にワリングの宿を出る。

 ネパールの山には匂いが無い。日本の山々には花や木が多く、独特の山の香を醸し出すが、ネパールの山にはそれがない。なんとも無味乾燥だ。その代わりと言っては変だが、小さい子供達が沢山いる。こんな山道に、と思う所にも沢山いてバイバイと手を振ってくる。時々道路の脇で不思議そうに我々を見守る一団もいる。M君、その子ども達を驚かすように近寄る。自転車に慣れていない子供たち、びびって必要以上に遠くに逃げる。M君、それが面白いらしいが、どうも大人気ない。

 時々アンナプルナ山群を見ながらの今日の行程は思っていたよりも楽ではあったが、過労気味の我々にはやはりこたえた。ただ、ポカラ、ポカラと時に口に出し、時に胸中に刻み込みながらひたすらこいだ。

 本日最後の峠からの下りは、マチャプチャリの鋭鋒をはじめとするヒマラヤの山々とポカラ盆地を見ながらの下りで実に爽快であった。登りの苦労から解放された身体に風が心地よく当たり、心身癒される感じはなんとも言えない幸福感がある。しかも、景色が豪快だ。自転車旅の真髄ここに極まれり、だ。

長い下りが終わると、そこはポカラ。アンナプルナ山群を眼の前にした、湖のある美しい町だ。

 やっと辿り着いた。

                    つづく
※「インドを走る!」について



コメント (3)
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