萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part218話「ポカラ(その2)」

2008年01月10日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<ペワ湖畔>

 インドとの国境あたりで体力の限界を訴えていたE君がこの地でリタイア。ポカラで輪行(自転車を分解して専用の袋に入れること)してバスでカトマンドゥへ移動し、そのまま日本へ帰る、と言う。志し半ばでさぞかし無念とは思うが、本人の意思は固く、我々は同意せざるを得なかった。ここまで一緒に艱難辛苦を嘗めあってきた仲間がこの地で別れる、というのは残される方も寂しいものだ。

もともと、日本を出る時の計画では「我々三人はニューデリーに着いたら別行動」ということで合意していた。親達に心配させない為、インドではずーっと一緒に行動することにしていたが、それは偽装であった。ところが、ニューデリーに着いて、あまりのカルチャーの違いにたじろぎ、結局ここまで3人つるんで来た。

ただ、この一ヶ月余で環境にも慣れた。カトマンドゥに着いたら、それぞれ別行動にしようと言っていた。E君はカトマンドゥから日本へ帰国。M君は自転車の旅はそこで終了。ヒマラヤトレッキングに切り替える。私はカトマンドゥから再び単独でインドに戻って自転車の旅を続ける。

という予定をそれぞれ組んでいたのだが、E君は体調を崩した事もあり、ポカラで自転車をたたむことになった。もっとも、ここでお別れではなく、カトマンドゥで再び会う予定である。

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1980年4月4日 金曜日 晴れ

E君、私の腕時計のアラームにて5時半起床。荷物をまとめているのか、ガサゴソ音がする。一旦、気づいて目が覚めたが、蓄積している疲労の為か、瞼がとてつもなく重く、また眠りに入ってしまう。彼が仕度して旅立つ時まで目覚めず。「じゃ、いくから」という彼の声で夢からウツツにかえった。「オー。本来ならば、そこまで見送りたいのだが、眠くて仕方がないから、ここでさらば。」と半分寝言のように彼に言う。なんだがすまない気がしたが、また、眠りについてしまう。

七時前に目が覚める。E君、おつかいにいったわけでなく、本当にバスで先へ行ってしまったんだなと思うと、やはり寂しい気持ちになる。いろいろと世話になったE君。必ずカトマンドゥで会おう。ナマステ!

外に出るとアンナプルナ山群が、くっきりとその稜線を見せていた。E君いい日旅立ちである。私とM君二人で寝てはいられぬと撮影会となる。M君カメラ、私8mm。ペワ湖へ行って湖面に映るマチャプチャレでも映そうかと思いボートに乗るが、水面にさざなみが立ち、山影は綺麗に映っていない。あきらめる。撮影会終了後、飯でも食おうということになり、スイスレストランへ行く。

同年代の日本人旅行者に会う。彼、友人3人と来てる由。二人はカトマンドゥにいて彼一人のみポカラに来ているらしい。バスのストライキでトレッキングが出来なくなってしまったとか。他人事のように話していた。おおらかな性格の人のようだ。サイクリングだと田舎の方に行けていいと言う。バスに乗っていて良さそうなところがあると「ここで降ろしてくれぇ」という気持ちになるという。確かに田舎は人がいいし、のんびりしていて我々も大好きだ。しかし、自転車という乗り物のきつさ、辛さは一口に「すごいな~」「大変でしょう」と言われてもピンと来ないほど大変なのだ。

午後、ボートを漕ぎに行く。M君は得意の水泳をする。私は金槌に近いし、蕁麻疹もあるのでやめとく。ボートを漕ぎだして、湖の中ほどで昼寝をする。気持ちよし。王室の別荘があるはずだ。保養には持ってこいである。太目の欧米人が平泳ぎをしていて、顔を水面につけて上げると同時に「ぷふぉぉぉっ」と、山々にこだまするかと思えるほどの大声を上げる。癖なのか周りを笑わせる為にやっているのか。その一連の動きと雄叫びはカバを連想させ、楽しめた。

また、ボートが岸辺に近づくと、何処からともなく出てきたチベットの行商人が

「ヘイ!ジャパニ。ハッシシ、ハッシシ。ベリィグッドネ。」

(注:ハッシッシ=麻薬)と声をかけてくる。これが、一人や二人ではない。誠にやかましい。

三時間もいたろうか。一旦宿に戻る。少し洟が出るようになってしまった。ボートでの昼寝が失敗したか。M君と二人でいらぬもの(デリーで買ったガラクタ)を宿の二十二歳の若主人に売る。二十ルピー。安かったが捨てるよりはまし。ビスケットとパイナップルの缶詰に代える。ワイフ嬉しそうにしていた。聞けば彼女は18歳で一週間前に夫婦になったそうな。うらやましい限りである。

夕刻、二人の日本人が我々を見つけて話しかけてくる。一人は自称「サイクリングきちがい」だそうだ。なんでも二年前にもインドに来たらしい。その時は輪行でやってきたが、インド人の事情を知らなかったために、こいつらの前で自転車を組み立てようものなら、パーツのほとんどが無くなってしまうと思ったらしく、ボンベイからカトマンドゥまで、ご苦労なことに輪行袋を担いで回ったそうである。

(「サイクリングきちがい」というが、サイクリングをしていないではないか。)

と思ったが、気の毒なので口にはしなかった。

夜、風邪気味にて早めに寝る。M君しきりに寒い寒いと言い、晩秋の信州の峠を下る時のようなカッコで寝袋に入る。ポカラ最後の日、日本の友人達に葉書を書いて、こちらの近況を報せた。果たして、まともに届くだろうか。

日本に帰れるのはいつの日か。

つづく

※「インドを走る!」について


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