萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第35話「さらば、ヒンドスタン!」

2010年05月10日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<聖なる河ガンガと>

1980年4月30日(水)

早朝、目が覚めて、まずはバルコニーに出て眼下の往来を眺める。見納めだ。今日はパトナ空港からカルカッタへ飛び、そこからバンコック経由で日本に帰る。もうこの旅も終わりだ。ホテルを出てパトナ空港へ行きさえすれば、後は文明の利器「航空機」がほとんど自動的に、私と輪行袋をカルカッタ~バンコク~成田へと運ぶ。

もう、ペダルを漕くこともない。また、三度の飯や今夜の宿などを心配する必要もない。機内食を食べ、飛行機の座席に座ってさえいれば、成田まで着くのである。自転車の旅に比べたら、ベルトコンベアに乗っていくようなもんだ。

輪行袋など大荷物があるので、ホテルからパトナ空港へはタクシーを使う。30ルピーかかる。タクシーは高いね。空港について手続をすます。国内線なので手続は簡単であったが、荷物の重量超過料金16ルピー取られる。そんなに高くないので助かった。

飛行機は小さめのボーイング737。結構揺れた。生まれて三回目のフライトだ。揺れるとやはり恐い。機内食にはサンドイッチが出た。清潔な食べ物は久しぶりだ。安心して食べられる、というのはありがたいものだ。カルカッタには丁度昼に着いた。重い輪行袋を引きずるようにして、空港内の預かり所まで運んだ。

さて、バンコク行きの出発まではやることも無く、ロビーで昼寝したり、本を読んだりして暇を潰す。十六時ごろ出発便の確認をしたら、予定のフライトはキャンセルだという。何んだと。あわてて、オフィスへ行って見ると、明日の十四時発の便に変更してくれる。何でも同じ航空会社の飛行機が墜落事故を起こしたらしく、機の予定がつかなくなったのだと言う。

しかし、明日の昼過ぎの便なら、今晩はどこに泊まればいいのだ?「ベルトコンベア」だと思って気を抜いていたので、俄かに焦りだす。カウンターで聞くと、航空会社がエアポートホテルを手配してくれるだろう。宿代も飯代もタダで泊まれるはずだという。

確認の為、また航空会社のオフィスへ行ってみるが、要領を得ない。どうしたものかとウロウロしていると、日本人旅行者に出合ったので聞いてみた。彼曰く、こういう時は良いホテルにタダで泊まれるから待っていた方がいいと教えてくれる。

いくらか安心して一旦、預かり所に行くと、そこに、なんとM君の輪行袋あるではないか。確か、彼はスケジュール通りなら、今頃は日本に帰っているはずだ、と思い何度も確かめてみるが、どう見ても彼の輪行袋である。間違いない。まだ、インドにいたのか。驚くと共に懐かしさがこみ上げる。彼は荷物を預け、市内へ買物にでも出かけているようだ。

彼も明日の14時の同じ飛行機だったので、夜、再会できた。さらに痩せていた。いろいろと大変だったらしい。結局、帰国も同時となる。こういうトラブルがあった時には頗る頼もしいM君である。

宿はやはり、航空会社がエアポートホテルを手配してくれた。宿泊代は無料である。高級ホテルに泊まることができ、思わぬ幸運が飛び込んできたと大いに喜ぶ。M君と同じ部屋であったので再会を祝して乾杯をする。もう、帰るだけなので、結構呑んだ。

私からはカトマンドゥで別れた後のサイクリングの話をした。彼からはヒマラヤトレッキングの話を聞いた。シェルパを雇って登ったことや高山病で苦しんだ話などを聞きながら、夜中まで起きていた。が、さすがに心地よい酔いとエアコンが効いた快適な環境には勝てず、二時前には寝てしまった。


1980年5月1日(木)

快適だったホテルを12時には出て、空港へ行く。輪行袋に入れた自転車やバッグ類、お土産など、預ける荷物が結構重く超過重量代金750ルピー(約22,500円)払えという。思ったよりも高い。なんてこった。昨日のホテル代も含まれているのでないかと疑いたくなった。M君が交渉するも埒明かず。結局、M君はこの時点で所持金を使い果たしていたので、私が彼の分まで立て替えた。これで私の持ち金もほとんど底をついてしまった。もう、免税店で酒やタバコを買う金もない。

750ルピーあれば、インドでは何日暮らせるだろう。この2ヶ月間、5ルピー、10ルピーの金をケチって安宿に泊まり続けた努力は何だったのだ。怒りのぶつけ所もなく、ただただ憤慨していた。

機は予定通りバンコクまで飛んだ。ここで乗り換えて明日はいよいよ成田である。ここでもう一晩明かさなければならないのだが、金がない。仕方が無いので、夜は空港内の静かな冷房の効いた場所へシュラフを敷いて寝る。日本でのサイクリングを思い出す。

冷房が効きすぎて、寒いぐらいだ。なかなか寝付かれぬ。この二ヶ月余りの冷房の無い、クソ熱い安ホテルでの生活に身体の方がすっかり適応してしまったのだろう。身体が冷房を拒否しているようだ。

冷房の効きすぎた空港内の床でシュラフにくるまっていると、いろいろのことが思い出されてきた。途中、下痢だの発熱だので予定が狂ったこともあったが、思い描いていた行程の9割は実現できた。いろんな人と出会い、様々な貴重な体験もできた。

特に単独行になってから会った、ラジギールの坊さんの話は為になった。話に出てきた、森下上人のものに拘らなぬ無欲の性格にあこがれ、そういうふうになれたらなァ、と思っていた自分ではあったが、超過料金支払の如きで、これほど悔しがる自己の小ささに呆れる思いがした。

そして、無欲でモノに拘らないという性格を作り上げられそうなインドの大地と別れ、グチャグチャと人間関係の面倒くさい日本へ行き、人のしぐさや意見にいろいろ腹を立てねばならぬ生活を強いられると思った時、日本へ帰りたいという渇望(まァ、それほど強くはなくなっていたが)が、さらに希薄なものとなっていった。

インド人をなんのかんのと批判はしても、私は彼等のあの優しい眼つきを忘れることはできないし、あの広大でクソ暑い大地も良い面、悪い面ひっくるめて忘れることはできない。必ずやまた、来るであろうこの大地へ、と確信している今である。

ひとまず、さらばだ。ヒンドスタン!

                     完

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コメント (2)
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