萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

“適度な運動”の定着化のために

2008年05月31日 | おすすめモノ
人間も動物である以上は、動かないことには身体に変調をきたす。クルマ中心の生活で、あまり歩かず三度の飯をしっかり食べて、日中は飴やチョコレートを間食し、夜は酒を呑む。おまけに喫煙でもしていれば、身体がおかしくならない方が不思議である。

だが、周りをみているとそういう人は結構多い。考えてみれば、上記のような生活は昔は王侯貴族しかできない生活であった。今は庶民が簡単にできてしまう。しかも、子供の頃からそういう生活が当たり前とばかりに育つ。糖尿病などの若年化が進んでいるのは当然の結果だ。

身体を動かすといっても、いきなり、サッカーや野球などができるわけはないので、大体「適度な運動から」となる。但し、これを日常に取り入れて定着させるのは、結構難しい。ただ歩けといってもなかなかモチベーションは上がらない。退屈だ。小生が散歩を定着させることができたひとつの要因は、このオムロンの歩数計だ。

オムロン ヘルスカウンタ ウォーキングスタイルHJ-710IT

オムロンヘルスケア株式会社

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単なる歩数だけの表示ではなく、これはサイトに登録してデータを管理できる。順位を競ったり、同じ趣味を持つ人同士で励ましあえるコミュニティを作ることもできる。また、全国横断チャレンジなどという企画もあり、北海道から沖縄までの都道府県地図があり「現在○○県を通過中」など、“歩き”のモチベーションをあげてくれる。

最初の頃はこの歩数計を着け忘れて家を出ると、俄然、歩く気がしなくったぐらいだ。今はそれほど力んではいないが、一日一万歩以上を目標にして歩いている。


自転車を活用する人には、今春、ブリヂストンサイクル(株)から発売された「emeters(イーメーターズ)」がおすすめ。こちらもオムロンの歩数計同様、サイトに登録して、データ管理はもとより、いろいろなコミュニティに参加できる。“歩き”の世界よりも、若々しい雰囲気がある。また、自転車は通勤・通学、レース、ツーリング、買い物、子育てなど、多様な世界なので、コミュニティも活発だ。自転車に乗りたくなる仕掛けが満載だ。

もともと自転車が好きなこともあったが、今はこのメーターを購入して大いに活用している。通勤形態も“歩き”から“自転車”に変わってきた。このブログにも書いたが、JR池袋駅の駐輪場に自転車を一台デポして、池袋~会社間の片道9.5キロの自転車通勤を始めた。

別売りのセンサーコードを買えば複数の自転車に乗っても、ひとつのメーターでデータ管理できる。小生は現在4台の自転車を使い分けて活用。3月末にはクルマを廃車して、移動手段は「自転車+歩き+公共交通機関」に限定した“人力生活”を開始した。

ということで“動物”らしく、毎日の適度の運動は定着化したのであるが、“健康優良オヤジ”かというと、そうでもない。体重も減ったし、身体もよく動くようになったが、血圧は高めだし、尿酸値も高い。ひとえに“呑みすぎ”の所為だとわかっちゃいるが、“人力生活”をしてなければ、もっとどうしようもない身体になっていたはずだ。

とひらきなおってどうする!やっぱ、呑みすぎはよくないね。自重します。
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呑み屋徘徊 第四回 「北洲」

2008年05月30日 | 呑み処徘徊


5月24日、夕方。秋田市の旭川沿い、川反通りは「北洲」なる店に入る。居酒屋ではあるが、なんとなく食堂の雰囲気もある。まだ、5時半だったので他に客も無く、カウンター席に座る。椅子が広めでゆったりと座れるのがいい。土地代の高い都内ではこうはいかない。

まずは、生ビールと「のどぐろ」の刺身をもらう。のどぐろはもちっとした歯ごたえ。たちどころに、ビールではなく酒が呑みたくなる。店のおすすめの両関酒造「元(はじめ)」を冷酒でたのむ。出てきた酒はノド越しキリリとした辛目の酒。いくらでも呑めてしまいそうなので、二杯ほどでやめて、熱燗に切り替える。肴は「とんぶり」「冷やしトマト」など。どれも新鮮で風味が濃い。

肴兼食事にと思い「きりたんぽ鍋」をたのむ。目の前にコンロと小鍋をセットして作ってくれる。比内鶏でとった出汁に鶏肉、あさつきねぎ、せり、ごぼう、舞茸、シラタキ。それらに、地元「あきたこまち」では粘りが強すぎるから「ササニシキ」で作ったと言う、こだわりの「きりたんぽ」が入る。

これがまた絶品。出汁がいい。香りのいい、舞茸、せり、あさつきとも合うし、シラタキの食感とそこに微妙にからまった出汁との調和が、なんともいえず美味だ。また、焦げ目のついたきりたんぽを崩しながら出汁とともに啜りこむ。れがまた格別だ。鶏肉もむろんうまい。後から来た地元客が焼き鳥をたのんだ。「比内鶏の焼き鳥」という手があったか、と悔やむが既に満腹状態。

ここは特に小鍋がいいようだ。きりたんぽ鍋の他、「しょっつる鍋」「いか鍋」、冬になると「ニシンのひろこ鍋(生ニシンとひろこねぎと豆腐の鍋)」があるそうだ。

冬の長い雪国らしい警句がトイレに貼ってあったので紹介する。

 ・一日だけ幸せでいたければ 床屋へ行け
 ・一週間だけ幸せでいたければ 車を買え
 ・一ヶ月だけ幸せでいたければ 結婚しろ
 ・一年だけ幸せでいたければ 家を買え
 ・一生 幸せでいたければ 正直に生きろ

一番目から四番目までは具体的だが、最後は観念的だ。「正直に生きる」ということをどう捉えればいいか。「自分に正直に生きる」というのであれば捉えやすい。「不正をしない真面目な生き方」となると難しい。

冬に来て、雪の降る日に小鍋仕立てで熱燗呑んで、じっくり考えてみたい、と思った。


<トイレには人生への警句がたくさん・・・。うむー。とうなづかされるものもあり。>
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食糧危機に「一日断食」を

2008年05月29日 | 健康、ダイエット

<自然との共存が肝要かと・・・>

本日は今年25回目の一日断食日
年60回の目標であるから、一ヶ月5回、5月末で25回は目標通りの進度である。

今、原油に続いて、穀物も高騰しているという。その為、極貧国では暴動まで起きている。対岸の火事ではない。この調子で食料大国が食料輸出を拒み出したら、食料自給率40%、穀物自給率28%の日本もたちまち窮地に追い込まれる。短期的には回避できても、長期的に見たら日本の食料問題は深刻なのではないか、と思っている。

原因は個々の食生活にあるようだ。高度成長に伴い、日本人はそれまで米、野菜、魚の生活から、洋食(肉食)化、外食化が急激にすすんだ為、日本の土地でとれる食料ではまかないきれなくなり、輸出に頼った。特に肉の生産には穀物をそのまま食べる、何倍もの穀物や原料を必要とするため、日本の狭い土地では肉の消費量増加についていけなかった、という事情があった。

また、食べられる食料の廃棄率が高いのも問題になっている。生ゴミの内、食べることが可能なものの廃棄率は39%もあるそうだ。金にまかせて、大量に食料を輸入し、大量に捨てる。それだけ捨てても、メタボや太りすぎで、不健康な人間は後をたたない。世界では食べ物が安く入らない為に暴動が起きているというのにだ。

こうなると、農政の問題というようり、日本人ひとりひとりの食生活の改善が最優先になるのではないか。学校教育に“一日断食”を取り入れてみたらどうだろう。子供の時から食べ物のありがたさを身をもって体験させる。食べ物を無駄にしない心が育まれ、自ずと食料自給率も上がってくるのではないか。そして、日本人の身体にあった食べ物は昔ながらの米、魚、野菜であること、そしてそれが一番美味しいのだ、ということを教えていけば、日本の風土にあった農作物が復活し、さらに自給率は上がる。

こんなことを考えて行かないと、日本人が飢える時代は遠からずやってくるような気がしている。小生の子供の頃、よく親に言われた言葉、

「食べ物を無駄にすると罰があたる」

はそのまま、我々今の日本人にあてはまる、と思っている。
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艫作駅と不老不死温泉

2008年05月28日 | その他旅行

<五能線の車窓から。30年前自転車で走った道だ。>


<艫作駅。こんなんだったかなぁ。>


<30年前、ここで寝たような気がする。>


<不老不死温泉の露天風呂。海に呑み込まれそう。>


十二湖の主だったところを一回りして、王池のバス亭の茶店でビールを呑み呑み、さて、これからどうするかを思案。バスと五能線の時刻表やら、観光案内を眺めている内に、ハッと気がつく。十二湖をさらに北に行ったところに「不老不死温泉」がある。今朝からこの名前はあちこちで目にしていたのだか、この名前とあの有名な海に面した露天風呂の画とが、小生の頭の中で一致したのが、この瞬間だったのだ。

しかも、五能線十二湖駅からは4つ目の「艫作(へなし)駅」にある。なんと!この「艫作駅」は30年前の学生時代、先輩に連れらて行った初めての長期サイクリングで泊まった駅ではないか。こうなったら、行くしかない。とバスの時刻表を見ると11:30!あと3分しかない。めったにバスも電車もないので、これを逃すともう行けない。気が焦る。

注文した熱燗が来たばかりだったが、呑んじゃいられん。勘定してもらっているうちにバスが来た。誰も乗る人がいないので通過しようとしたバスに向かって手を振って静止しさせ、店に戻って荷物をまとめ、バスに飛び乗る。間一髪だ。何か忘れたのではないかと、財布、カメラ、携帯、傘をチェックするが、みな揃っていた。

十二湖駅に着くと30分待ちで下りの五能線に乗れる。12時24分艫作駅着。実に30年ぶりだ。なんだか狭くなった気がする。木造のイメージであったが、こんなだったかなあ?ここで学生6人が寝たのであるが、どうも狭すぎる。改築したのかもしれない。

30年前の夏の朝、近所のオバサンたちの声で目を覚まされたのであるが、津軽弁でまくし立てるおしゃべりの内容が全くわからなかったという“衝撃”を思い出す。単語ひとつわからないのだ。まだ、英語の方が理解できる、と思ったもんだ。

「不老不死温泉」からクルマの迎えが来ていた。歩くと15分はかかるという。雨も降っているので助かる。帰りも乗る電車の時刻を言ってくれれば送ってくれるという。電車の本数が少ないからできるサービスではある。

露天風呂は確かに海に面しており、雄大な眺めだ。時おり上空をウミネコが通過する。エサもくれない裸の人間には一切興味なしと見え、一顧だにせず通り過ぎる。「混浴」なので仕方が無いが、若いアベックが入ってきた。もちろん、バスタオルを巻いて入ってきたのだが、どうも目のやり場に困る。

こういう時は男の方が不利な気がする。しかたなしに、アベックに背を向け大海原を眺めて風呂に浸かっていた。温泉の色は鉄分が多いのか、赤かった。帰りの電車の時間もあるので、適当に切り上げ、食堂で湯上りの生ビールをいただく。格別であることは言うまでもない。

露天風呂の撮影は禁止であったが、この食堂から見えた風呂を撮影した。帰りも駅まで送ってもらった。五能線を能代の方へ戻る。肌寒い日ではあったが、温泉の影響か能代市についても、まだ身体がほかほかしていた。
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十二湖散策

2008年05月27日 | その他旅行

<新緑のブナ林>


<神秘の青池>


<沸壷の池。こちらも青池に負けず美しい。>

日曜日は秋田地方は生憎、雨模様。秋田発6:33の奥羽本線に乗り、東能代で五能線に乗り換える。この時点までは「白神岳登山口駅」で降りて、白神岳でも登ろうと意気込んできたのだが、薄暗い雲と日本海と雨を眺めているうちに意思を挫かれる。あっさりと予定を変更。「十二湖駅」まで行って、十二湖を散策することにした。

十二湖駅からは十二湖の中心地までバスが出ている。15分ほどで着く。雨脚が強くなってきたので、レインウエアを着て傘をさす。雨だが、ブナの原生林や青池などを撮りにきたカメラマンたちが結構いた。さすがに、この雨にたいして愚痴を言う人多し。彼らに混じって、小生も写真を撮りながら散策した。

世界遺産にも指定された白神山地のブナの原生林はさすがに見事だ。晴れていたら、その新緑の様子は息を呑むほど美しかっただろう。また、ここは紅葉の時期に来るべきだとも思った。いずれにしても、白神岳から十二湖までの縦走は成し遂げねばならない課題だ、と強く思った。今日はその為の下見だ、と自分に言い聞かせた。

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秋田市「千秋公園」

2008年05月26日 | その他旅行

<公園内に「東海林太郎」の胸像があった。>


<流れる歌は全部で6曲>

秋田駅に着いたのは10時ごろ。中途半端な時間だ。電車を使って遠出もできないし、市内観光するには時間がありすぎる。とりあえず、荷物だけ預かってもらおうとホテルまで行く。フロントで聞くと、片付けの済んだ部屋があるのでチェックインできるという。ラッキーだ。

部屋に入ってしばし、くつろいでからホテルを出る。目の前の「千秋公園」とやらを散策してみた。「千秋」は“ちあき”ではなく“せんしゅう”と読む。出羽久保田藩の城跡を公園にして市民に提供しているようだ。桜やつつじが有名らしい。つつじは一部咲き残りがあったが、桜は新緑の中にうずもれてしまっていた。

公園を入って、城跡の方へ歩いていくと、T字路の角に「東海林太郎」の碑があった。彼が秋田市出身だったのをはじめて知った。東海林太郎は亡父が好きだったので子供の頃からレコードで聞いていた関係から、親しみがある。今でも「国境の町」や「名月赤城山」は時々カラオケで歌っている。この碑はセンサーに触れるとスピーカーから東海林太郎の歌声が流れてくる仕掛けになっている。全部で6曲あるが、小生がいた時は丁度「国境の町」をやっていた。


<この城は“石垣”ではなく“土塁”で囲ってある>

奥へ行くと、城の特徴である急坂と急階段が続き、本丸跡に出る。本丸跡の北西の隅に御隅櫓(おすみやぐら)が復元されている。資料によると「櫓」とは「矢を射る座(くら)」すなわち見張り場としての役割と「矢倉」すなわち武器庫としての役割をもっていた、とのことである。100円で中に入れる。久保田城や藩主佐竹氏の歴史資料などが展示されている。また、秋田市街をここから展望できる。晴れていれば鳥海山も見えるらしいが、この日は曇っていたので見えなかった。

この城は常陸(ひたち)国54万石から転封された佐竹義宣が1604年に建てたそうだ。徳川家康の威光を恐れ、天守閣も石垣も作らなかったという。この慎重さは佐竹家のDNAなのかもしれない。佐竹氏は鎌倉時代に常陸の国で大名になって以来、明治維新まで実に740年もの間続いた大名家なのである。

城を出た後、ビール、冷酒付きの昼食を済ませ宿にもどって夜に備えて昼寝をする。

気分上々なり。
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不覚

2008年05月25日 | 日々の記録
毎日更新を目標にかがげている当ブログだが、不覚にも昨日は更新できなかった。ホテルの全室無線LAN対応というのに半ば騙されてしまったのだ。最初は繋がったのだが途中で接続不可能のメッセージが出る。フロントに問い合わせると「最初に繋がったのなら、そのうち使えるようになります。」という。

そういうことならしかたがない、とりあえず、飲みに行くか、と繁華街へ繰り出す。「呑み屋徘徊シリーズ」の対象店だ。詳細は後日書くが、ここに約一時間半。五合も呑んだろうか。そのままホテルに帰ればよかったのだが、小生の“遊びの師匠”ドラゴン氏の「地方都市の情報はスナックから仕入れるべし」という教え通り、適当な店を選んで入ってしまった。

土曜日の七時過ぎということもあり、しばらくは小生一人。一時間程で帰ろうと思っていたのだが、話しがはずんでホテルに戻ったのは11時。(とかく、情報収集には時間がかかるものだ。)

部屋に戻ってパソコンに電源を入れたのだが、どうやらそこで小生の方の電源が切れたらしい。気がついたら朝の4時であった。

***************************

以上は、奥羽本線の中で携帯から入力した。今読むと地方都市とだけ書いてあって何処にいるかわからない内容だ。昨日の分をアップした前提で書いていた。(苦笑)

今、能代のホテルに着いたのだが、このホテルはLANケーブル式。この方が確実だね。投稿日時を変更すれば、24日の日付になるんですな。やっぱり、昨日の分は昨日の日付の方がすっきりすると思って“改竄”してしまった。

今日は朝から雨。白神岳でも登ろうと意気込んできたのだがあっさり、予定変更。五能線を辿って十二湖散策と一度は行ってみたかった海岸露天風呂で有名な「不老不死温泉」に行ってきた。

詳細は明日以降レポートします。


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秋田へ

2008年05月24日 | 日々の記録

<鳥海山を鳥瞰!まだ滑れそう。>

月曜日は社用で秋田に出かけるスケジュール。どうせならこれを利用して、今日から秋田で、旅気分を味わってしまおうという魂胆。名づけて「出張利用の旅」だ。(そのまんまだが・・・)

まずは、朝7:45のJALで羽田から秋田空港へ。機内で呑むように、空港で缶ビールを買った。(朝から“旅気分”)飛行時間は50分ほどだ。離陸してシートベルト着用のサインが消えて飲み物を飲めるようになってから、着陸態勢に入るまで30分程しかない。なんとなく、缶ビールひとつ呑むにも泡、いや、慌ただしかった。

まもなく着陸態勢というあたりで、眼下を覗くと真っ白でピラミダルな山塊があらわれる。

おお、鳥海山だ!

さすがに、東北随一の名峰だ。上空から眺めてもすばらしい。小生にとって鳥海山は、「山スキー」のデビューの地でもある。山スキー覚えたての頃は、毎年5月連休には鳥海山に来ていた。もう、10年以上前の話になるが・・・。また、夏に来て頂上まで登ったこともある。過去において何度となく訪れたこともあり、ことのほか、親しみのある山である。うす曇の天候であったが、鳥海山だけは見せてくれた。ありがたし。

機は羽田での離陸が遅れたが、9時過ぎには無事秋田空港に到着。今日は夜呑みに行く店(「呑み屋徘徊」対象店)だけは決めていたのだが、後は行き当たりばったりの気ままな旅だ。
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眠いんだからしかたがねぇ。

2008年05月23日 | 日々の記録

<眠そ猫2>

基本的に睡眠時間は短い方なので、日中、特に昼食後は眠くてしかたがない。それでも若い頃は寝ないで済んだが、歳をとるにつれ、身体のメカニズムがそうさせるのか、ずうずうしさでそうなるのかわからんが、時に寝てしまう。先輩方を見ていると、小生よりも激しく寝ているので、安心してはいるが。

眠気防止に濃い目のコーヒーなどを飲んだりしているが、ホントに眠い時はあまり効果が無い。会議ならば、とにかくしゃべることにしている。「しゃべる」というのは脳を活性化していないとできない行為なので、これは効果がある。しゃべりながら、寝てしまう人はまずいないだろう。

ま、昼間はなんとか対応しても、夜酒を呑むとすぐ寝てしまうようになった。もともと、そういう傾向はあったが・・・。特に断食日明けはテキメンだ。断食はひもじいので、結構眠れないで寝不足のことが多い。翌日は飲食解禁になるので、夜はつい呑みも食も多めに摂ってしまう。そんな時は即、睡魔にやられる。仲間と呑んでいようが、上司と呑んでいようが、ひどい時はお客さんの前でも寝てしまう。「なんて奴だ!」と思われたり、言われたりするのだが、眠いのだから致し方ない。

一度、お客さんに会う前に先輩にすすめられ「ウコンの力」なる液体飲料を呑んでから、会食に臨んだことがある。その時は俄然元気で通常の分量を呑んでもへっちゃら。ガンガン呑める。勢い止らず、大ハシャギ。先輩にはハシャギ過ぎだと咎められる始末。翌日はひどい二日酔い。普段、二日酔いとは無縁の性質(たち)だったのだが、ウコンの力で二日酔いに落ち込む。自分の酒量を超えたところで寝てしまうのはそれなりに、自己防衛手段であったのだ。

薬の力に頼ってはこの後、身体を壊すもとになると、痛感した次第。何事も“自然体”がよろしいようだ。
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呑み処徘徊 第三回 「源氏」

2008年05月22日 | 呑み処徘徊

<仙台の「文化横丁」。入ってみたい店が目白押し。>


<落ち着いた雰囲気の看板が目印だ。>

仙台への日帰り出張。仕事は4時に終了。カバンに忍ばせたる一冊の呑み屋ガイドブック。そこには「仙台ならば文化横丁は源氏」とある。さっそく、帰路同行のT田嬢を誘って行ってみる。

仙台駅から青葉通りを青葉城方面へ歩いて10分ほど。仙台銀行の先を左に折れると「文化横丁」という看板あり。そこを入ってすぐ右手に「源氏」の看板もある。人ひとりがやっと通れる幅の小道を入っていくと行き止まりが縄のれんの入り口だ。

引き戸をあけて中に入ると20人ほどは座れる、古色蒼然としたコの字のカウンターがある。店の中は暗い。その分、見事に落ちついた雰囲気をかもし出している。本やガイドブックなどは読めない暗さである。ろうそくや行灯しかなかった江戸時代の居酒屋もこんな感じだったかもしれないと思った。給仕はカウンター内にいる真っ白い割烹着を着た“女将”が一人で切り盛りする。

呑みものを頼むとその都度「お通し」が出てくる。最初は「おしんこ」。生ビールを頼むと「蒸しホヤ」が出る。続いて、日本酒「新政」をたのむと「冷奴」。お替りすると「お刺身」。もう一杯!で「おでん」が出る、という具合だ。“呑み助”にとっては便利なシステムだ。入ってくる客も一見、常連を問わず、大抵一人で年配の上品な男性ばかりだ。

こういう雰囲気の店は、東京にもなかなかないのではないか。長時間いる店というのではなく、一人でぶらっと来て割烹着の女将に給仕してもらい、ほどよく酔ったところで次へ繰り出す、という店かもしれん。

小生は大いに満足して店を出たのであるが、仙台に初めてきて“牛タン”に未練があった、入社二年目のT田嬢には気の毒なことをしたかもしれない。
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讃岐・阿波を走る!第3話「崇徳院」

2008年05月21日 | 自転車の旅

<讃岐国分寺の10分の1の模型。面白し。>

 高松市街から西へ抜け、JR予讃線沿いの県道179号を南西方向にヒタ走る。30分程で讃岐国分寺跡に着いた。ここで一息入れる。

「国分寺」とは聖武天皇が741年に国状不安を鎮撫するために、各国に国分尼寺(こくぶんにじ)とともに建立を命じた寺院である。全国に70箇所ぐらいあったようだ。「国分寺」の方は比較的、存続しているものが多いが、「国分尼寺」の方はあまり遺されていない。奈良の大仏で有名な東大寺は「国分寺」の総本山だそうだ。小生の記憶に残る「国分寺」は東京の国分寺だ。40年前に起きた「3億円事件」とその逃走経路があの界隈だった。

讃岐国分寺では礎石の跡でも写真に収めてすぐ立ち去る予定だったのだが、案内板を眺めていると、この奥に模型があると言う。面白そうなので行ってみる。結構広い敷地の奥にそれはあった。実際の大きさの10分の1の石造りだ。よく出来ている。

この10倍の大きさの伽藍が、この山に囲まれた地に建っていた様子を思い浮かべてみる。8世紀半ばの庶民の家とは、竪穴式住居に毛の生えたようなものだったのではないか。だとすれば、この国分寺の伽藍は土地の者達に奈良の都の「大王」という“権力”を知らしめるのに十分な役割を果たしたかと思える。

国分寺跡を出て、昼飯を食うために「がもう」という有名な讃岐うどん店を探す。なんとか、見つけたのだが生憎「本日休業」。しかたないので昼飯抜きで「白峰寺」へ向かう。


<崇徳院の歌碑>

「白峰寺」には崇徳院陵がある。「崇徳院」とは源平合戦の前哨戦ともいえる「保元の乱」で破れ、讃岐の地に流されてこの地で亡くなった、崇徳天皇(上皇)のことである。百人一首にもある著名な歌、

  瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の
  われても末にあわんとぞおもふ

は崇徳院のものである。

話はそれるが落語の話でも「崇徳院」というのがある。

上野の清水堂にお参りにいった「若旦那」がどこぞの「お嬢さん」に一目ぼれ。そのお嬢さんが紙に書いてくれた句が「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」という崇徳院の上の句。下の句はない。これは今日は分かれてもまたいつか会いましょう、というお嬢さんの気持ちだと、若旦那は受け取り想いはつのるばかり。

ついに、この若旦那、恋わずらいで寝込んでしまう。一大事とばかりにお嬢さん探しに借り出されたのが「熊さん」。見つけたら、三軒長屋をそっくりくれるという。店子からいきなり大家になれるご褒美だ。女房にもけしかけられ、方々探すがなかなか見つからない。

人の集まる床屋に行けばなにか手がかりがあるかも。と立ち寄った床屋に、大店のお嬢さんが恋わずらいで崇徳院の歌をたよりに相手の若旦那を探しているという「頭(かしら)」に出会う。お互い褒美がもらいたいものだから、自分の店に連れて行こうとして言い争い、ついには床屋の鏡を割ってしまう。怒った床屋の親方に熊さんが言う。

「親方、心配しなさんな。割れても末に買わんとぞ思う」

というオチなのだが、色っぽい噺家、いまなら三遊亭小朝あたりが得意としている噺だ。小生は崇徳院というとこの噺をまっさきに思い出してしまう。このことから「恋の歌」だとばかり思っていた。だが、この歌の意味は歌った本人からすれば、もっと深刻なもので、後世、落語の落とし噺に使われるとは夢にも思っていなかったはずだ。

崇徳天皇は鳥羽天皇と藤原璋子(後の待賢門院璋子)の長子ということになっているが、これがどうも違ったらしい。原因は祖父の白河法皇にある。

“白河法皇”という存在がなければ、武士の台頭というものはもっと後のことになったかもしれない。白河法皇の存在が平安時代(公家政権)の終焉を早めたといっても過言では無いように思っている。この人が天皇の後見人として院政というものを考え出した。20歳の時に天皇に即位して77歳で没するまで、実に57年の長きに渡って、権力を振るっていた。

女性関係も派手だった。鳥羽天皇(自分の孫)に嫁がせた藤原璋子は法王の愛人で崇徳天皇は白河法皇の子であったようだ。鳥羽天皇は公的には自分の長子である、崇徳天皇を“叔父子”と呼んでいたそうだ。祖父の子だから鳥羽天皇にとっては叔父にあたるわけだ。また、法王は「祇園の女御」という女性に平清盛を生ませた疑いもある。

結局、この不幸な生い立ちが崇徳天皇の非業の死につながる。白河法皇亡き後、鳥羽上皇によって崇徳天皇は天皇の座を追われる。いつかは自分かまたは自分の子を天皇にしたいと思っていた崇徳院は鳥羽上皇が没すると、自分の弟(これは、鳥羽天皇と璋子の実子)後白河天皇と争うことになる。これが「保元の乱」だ。崇徳側は藤原頼長、源為義、為朝。一方、後白河側は関白藤原忠通(頼長の兄)、平清盛、源義朝(為義の子)で争う。まさに、親子兄弟、骨肉相い争う血みどろの戦いだ。

結果は崇徳側が敗れ、崇徳院は讃岐に流され、頼長は戦死、為義は実子義朝に斬られた。讃岐へ配流後の崇徳院は失意の内に亡くなった。院は暗殺された、という説もある。地元にはそんな言い伝えがあるらしい。

「瀬をはやみ」の句は天皇の位を奪われたが、やがては自分の子孫に天皇位を継がせたい、という思いから歌ったものらしい。そういう目で読んでみると崇徳院の無念が伝わってくる。一旦は“岩”に割かれた流れも、やがてはまた元の流れとひとつになる、という思いで歌ったのだ。

“白河法皇の存在が平安時代の終焉を早めた”というのは、“崇徳院”という政争の火種をこしらえ、それを鎮圧する武力の頭となる“平清盛”もこしらえたことをさす。法王没後のこととはいえ、自作自演と言えなくもない。

                       つづく
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イベント準備

2008年05月20日 | 日々の記録
今日は明日行われる会社のイベントの準備で一日浜松町の会場にいた。朝は台風の影響があり、悪天候。運転を見合わせる電車が続出。浜松町までの山手線はすし詰め状態であった。

大雨を降らせた前線も午後には去った模様。雲の間から時々晴れ間も出るぐらいに回復した。明日のイベント準備も4時半には終わり、皆で打ち上げと称して街へ繰り出す。雨上がりの浜松町界隈は湿気はあるものの、なんとなくさわやかだ。

昨晩あまり寝ていなかったので、途中ウトウトしてしまった。ここのところ疲れ気味ではある。
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「野球部」も“進化”だ!

2008年05月19日 | 野球

<こんなに可憐ではないが、野球部にも花が咲きはじめたゼ。>

 昨日は会社の野球チームの練習試合があった。昨年春の大会で2-5で負けた相手だ。秋の大会には5-2で勝っている。大体、互角の実力だと思っていたのだが、なんと14-1で大勝した。相手投手の制球が定まらなかったこともあるが、我がチームの“破壊力”も大したもんだ。

初回、いきなり新加入の0塚遊撃手の2点本塁打を含む4点を先取。相手の出鼻をくじく。先発投手は一昨年まで高校球児だった19歳の左腕S。歳に似合わず、落ち着いたマウンド捌きで相手に付け入る隙を与えない。我がチームは毎回加点、相手には失策による1点を与えたのみ。まさに完勝。小生はキャッチャー4番で途中出場。2-1安打、1四球、打点3と少しは貢献できた。

ここ数年、新人が立て続けに入ってきて、しかも皆筋がいい。チームの若返りがすすみ、どんどん強くなってきた。数年前、我々の体が動かなくなった時点でこの野球チームも解散、というか自然消滅していくのだな、と心細く思っていたのだが、なんと、なんと、こういう時代がやってくるとは思わなかった。段々、自分のポジションが無くなってくるのは恐いが、「野球部」が存続することはもっと嬉しいことだ。

そもそも小生が入社した27年前には会社に「○○部」なるものが沢山あった。バレー部、テニス部、茶道部、活け花部、囲碁部、などなど。野球チームも同好会を含めれば最高で5チームまであった。社内で対抗戦や練習試合ができた時代だった。それが、いまは「野球部」を除いてすべて廃部、廃会してしまった。皆、やる人が居なくなったり、会社の予算が少なくなったりで潰れてしまった。会社もバブルが弾けたあたりから、こういう活動に金を出さなくなった。また、若い人の入社が減ったことも影響した。

野球部だけがしぶとく、活動し続けてきた。それでも、もうこの先はないかな、とあきらめかけた矢先に、若い奴が入部してきた。今、主将を務めているS藤が積極的に部の面倒を見てくれていることもあるが、とにかく、ベテラン勢が居なくなっても、部を存続できる人材が揃った。そして、もうワンランクアップできる強いチームに進化できそうだ。

最古参の小生など、いつ引退してもいい、と言われそうだが、そこはどっこい、まだまだ、若い奴等には負けないぞ、いう意気込みで取り組んでいきたい。
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55メートル弾炸裂!大宮、川崎を逆転!

2008年05月18日 | 大宮アルディージャ&サッカー


昨日、大宮アルディージャ対川崎の試合を、大宮駅周辺のカフェで観戦した。前半終わったところで0-2。あーあ。という気分で、呑むしかねーな、と思いひたすら赤ワインを仰ぐ。

小生の知る限り、過去、川崎戦ではいい思い出なし。今までだったら、後半1、2点追加されて0-3とか0-4の野球のようなスコアで負けるのがオチ。せめて、後半1点でも取って盛り上げてよ。と、祈るばかり。

ところがだ、今年の大宮は違った。後半、怒涛の攻めに転じて、2得点で同点に追いつくと、85分、自陣で得たフリーキックを慶行が振りぬくと、ボールは前めのポジションにいたキーパーの頭を越え、相手ゴールに吸い込まれる。55メートルのロングシュートが決まった。こんなシュートは生まれて初めてみた。これで3-2の逆転。カフェバー内は大騒ぎ。

2時間近く呑んで、酩酊していた小生は「夢を見ているのかっ!」と思ったぐらいだ。VTRを何回みてもあのシュートはすごい。いやいや、いいものを見せてもらいました。これで、大宮アルディージャは堂々の7位。

昨年の残留争いの苦しみが、今年の大宮をささえている。前半2点のビハインドもなんのその。逆転しちまうんだから、頭が下がる。最後まで勝ち抜くんだ、という意気込みが選手ひとりひとりに染み付いている。サポーターやファンの想像の上を行くのが、“今年の大宮”だ。

だからこそ、面白い!
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本日、大宮アルディージャ、川崎戦。

2008年05月17日 | 大宮アルディージャ&サッカー

<勝利の女神となってくれ!ミーヤ!>

本日は大宮VS川崎戦がある。NHKBSでもやるようだが、大宮駅周辺のカフェバー応援で盛り上がりたい、と思っている。とりあえず、夜まで買い物&映画鑑賞でもしてヒマをつぶそうと画策している。映画は「紀元前10000年」か黒澤映画のリメイク「隠し砦の三悪人」。どちらかを観て、サッカーのカフェ観戦をしてのち、たぶん、今日一日を反省して呑んでから、帰宅するつもり。

おお、午後からだが、結構充実した一日が過ごせそうではないか。

ということで、大宮アルディージャが勝つ事を祈って出かけるとする。

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