萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第23話「ダマン峠にて(その2)」 ~ドイツのサイクリストに会う~

2008年04月30日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<休息>

1980年4月13日(日)晴れ

 朝、四時半。アラームにて目覚める。ベッドから東方を見るに天気よくなし。ガネーシュやマナスル辺りも何も見えぬ。あきらめて、また寝る。6時半頃朝食をすませ、コーヒーを飲んでると、西洋人が一人「ハロー」と言いながら登ってくる。ヒマラヤの眺望を期待してきたらしい。

今日は曇っていて何も見えぬとループ氏がいうと少しがっかりした様子。それでも、ループ氏と何やら話しているうちに、サイクリストだということがわかる。ループ氏が私を指して、彼もサイクリストだというと、彼、私を見てすぐ、日本人か?と聞く。そうだ、と答えると、彼はドイツから来たウエルナーだと名乗る。

このダマン峠でカトマンドゥ側から来た日本の自転車乗りとインド側から登ってきたドイツのサイクリストが会う、ということに劇的な出会いを感じた。惜しむらくはヒマラヤ山脈が遠望できなかったことだ。一緒にヒマラヤを見ながら、サイクリングの苦労を分かち合えればどんなによかったか。

彼はドイツからずーっと自転車で走ってきたという。ユーラシア大陸が陸続きだということを改めて思い知らされる。なんと七ヶ月も走っているのだそうだ。走行距離は約七千キロ。イランとアフガニスタンは危険なので避けて、サウジアラビアから船でボンベイまできて、そこからさらに一度、ゴアあたりまで南下し、Uターンしてアグラまで走り、ラクノー、ゴラクプールを経てビルガンジからこのダマン峠まできたという。

非常に根性のある人だ。カトマンドゥに二三ヶ月いた後、ダージリンを経てバングラディシュに入り、カルカッタに抜け、さらにインド亜大陸のベンガル湾側の海岸線を南下し、スリランカまで行くという。

リスン、リスン、(「聞いて、聞いて」の意。ループ氏の口癖)さらにだ。彼は船にてマニラに向かい、フィリピンを走るという。フィリピンまで来たら、日本によるか。と聞いたが、その予定はない、フィリピンからは船でドイツに帰るという。

「西遊記」真っ青の大冒険である。四年前にはアフリカ(エジプト、コンゴ)を走ったこともあるそうだ。彼に比べれば、私のサイクリングなどホンノお遊びだ。嫌になるぜ。

お互いの自転車を見せあう。私の自転車を見ると「グッド!」と言ってくれた。あまり日本では聞かない私の自転車に対する評価だ。続いて、彼の自転車を見させてもらう。プジョーと聞いてびっびっていたが、私の自転車を見てかっこいいと褒めるぐらいだから、見た目は大したことは無い。しかし、ドイツの合理主義が随所に施されていた。

まず、ハンドル。普通のドロップハンドルを二つ組み合わせて、走り方により、いろいろなところを持てるように工夫してあるのには驚いた。自分で作ったそうだ。タイヤはスポルティーフ、パターンはさすがに無くなって、ツルツルだ。これでも7千キロ走って、パンクしたのは5回だけだという。

ポンプも私の半分ぐらいの長さで、バッグに入れておくと盗まれないでいい、と言っていた。また、ベルの変わりにインドで買ったホーンをつけていた。インド人はベルを鳴らしたぐらいでは反応しない、と言いたげだ。

又、ダウンチューブのところには棒切れが取り付けてあって、これは何だと聞くと、犬に追われた時にぶん殴ってやるのだ、と誇らしげに語った。

荷物は非常に少ない。動きやすいわけだ。私の荷物と比較したら、私の方がリアにぶら下げている二つのサイドバック分ぐらい余計だ。用心しすぎて大荷物で旅をしていたことになる。

また、彼のナイフは片面がナイフで背の部分がノコギリになっている。柄のところが大ぶりの巻貝のようなデザインで、握りやすくなっている。これも自分で作ったという。完全にサイクリングと生活と一体化させている。さすがに、何ヶ月も走り続けていることはある。大したもんだ。

私も日本ではそれなりに経験もあるし、サイクリングの合理化が好きではあるが、彼のような自分なりの工夫というものに欠けていたようだ。独自の発想と言うものは大事だし、見ていて気持ちいい。彼を見習おうと思った。なんのかんのと言ってもやはり、私も日本人。中央との均一化に賛同してしまうのだろう。知らず知らずのうちに・・・。

彼は、西洋人ではあるがそれほど大きくはない。170cmぐらい。小生の体格とさほど変わらない。また、本格的サイクリストというのは洋の東西を問わず、“こ汚い”という点でも共通している。最小限の荷物と資金で毎日土ボコリの中、大汗かいているのだから、これはやむをえない。

ウエルナーのカメラはニコンの小型の一眼レフだ。日本では市販されていないタイプのものだ。(後に日本でも発売されたニコンEMという機種)35mmの広角レンズも持っていた。タワーから写真を撮りたいというので一緒に上へ上がる。

私が昨日はアンナプルナもマナスルもガネーシュもランタンもエベレストもみんな見えたというと、彼がつぶやいた。「我、一日来るのが遅かりし」と。悔しそうだった。日本に帰ってから、できた写真を家に送ってくれということで住所を教えあった。

ウエルナーとループ氏と三人で写真を撮った。ループ氏曰く、この仕事を始めて5年になるが、サイクリスト同志がこの峠であったのはこれで四度目だといった。意外に多いのだなと思った。又、ループ氏はバイクの旅行者は大抵何人かのグループで来るのに、サイクリストはいつも一人だと言った。

それに答えて、ウェルナー曰く「サイクリストは一人が好きだし、一人が一番いい。いつもサイクリストはアローン、アローン、アローン!」なるほど名言である。特に、最後の「アローン、アローン、アローン!」には感動した。

私は一人で走り出して2日しか経っていないが、一人で走るサイクリングがやはりベストだと思う。走りやすいし、休みたい時に休める。少し淋しいがその間にいろいろ考え事ができる。

ウェルナー氏、ダマンをカトマンドゥ側へ降りてゆく。バイバイを言いながら、Vサインを出して。さらば、ジャーマン!グッドラック!

私も荷物をくくり、峠のボードの前で写真を撮り、ループ氏にわかれの挨拶をする。

シー ユー アゲイン!

本当にまた会いに来たいと思って挨拶した。ループ氏ふと非常に淋しげな表情をする。峠という場所の宿のオヤジさんの職業的宿命が「別れ」であろう。ならば、慣れているはずなのに、何故そんなに淋しそうな顔をするのか?人情味あふれた人であった。別れづらかった。

自転車の旅がまた始まる。ダマン峠の最高地点までは後三キロほど登らなければならない。タラタラ登った。タワーからループ氏がテレスコープで見ているかもしれないと思い、時々、手を振った。30分程で峠に着いた。2488mと表示されていた。今回の全旅程の中の最高地点に到達したのだ。後はインドに向かって下っていくだけだ。

つづく

※「インドを走る!」について
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奥武蔵顔振峠ランで“昭和”を偲ぶ

2008年04月29日 | 自転車関連

<峠の茶屋前。ここからの眺めは昭和の時代から変わっていない、いい眺めだ。>


<季節柄、見事な鯉のぼりが飾ってあった。時折吹く風で激しく泳いでいた。>

小生、恥ずかしながら今年の初めまで、4月29日は「みどりの日」だと勘違いしていました。2007年から「みどりの日」は5月4日に移り、29日は「昭和の日」となっていたのですね。そうとは知らず昨年の12月23日のブログに、「昭和の日」と呼ぶべきだ、みたいなことを書きこんでいました。(恥の上塗り・・・

 ま、ということで、今日は何か昭和を偲ぶ特別なことをやろう、と考えていたのだが、思いついたのが最近ヤミツキ気味になっている“自転車”。学生時代(もちろん昭和時代)、仲間とよく行った、奥武蔵の顔振峠にサイクリングに行くことにしたのだ。学生の時と同じように大宮の自宅から出て、顔振峠を登って、家まで帰ってくる、というもの。ざっと100キロのコースだ。

学生時代、最後に行ったのは3年の秋だったと思う。29年前、22歳の時だ。その頃は普段は何もしておらず、ヘビースモーカーで体重も今よりはあった。であるから、顔振峠を足を着かず最後まで登りきれなかった記憶がある。また、10年程前にも登ったことがある。その時も途中、自転車を降りて、押して登った記憶がある。22歳、40歳の時でさえ登りきらなかった峠を50歳になった小生が登れるのか。

確かに年齢的には不安はあるが、自分では登りきれる自信はあった。その根拠は3つ。

ひとつは、22歳、40歳の時より体重が軽いこと。自転車は、特に峠登りは自分の体重が大きなハンデとなる。根拠その2は、最近よく自転車に乗っていることだ。これは強みだ。その3は自転車だ。22歳の時はボロボロのランドナー、40歳の時はギア比の重いロード。今回は、2005年に新調したアルプス製のパスハンターだ。峠を登る為に作られた優れものだ。

以上、三つの根拠でまず大丈夫、と思っていた。結果は予想通り、途中辛い場所もあったが、見事、足を着かず完走。登りきりました。

一時間半ほどゆっくり休憩して帰ってきた。かかった時間は休憩含んでざっと8時間。いい運動になった。

走っていて感じた“昭和”の時代との違いは、なんといってもクルマの交通量。猫も杓子もクルマの時代であるから、無理も無い。また、地方ではクルマがないと生活できない環境にあるようだ。とにかく、何処を走ってもクルマだらけだった。それなりに、新しくて広い道路も作られているが、昔のままのところも結構あった。車道も歩道も走りにくいところが随所にあった。

峠の上で休憩していると登山者が話しかけてきて、大宮からずーと走ってきた、というとビックリしていた。青森産の塩粒だとか、豆をくれた。こういう、旅先での“人情”は昭和の時代と同じだ。まだまだ、世の中捨てたもんでもない、と感じ入った次第。
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大宮アルディージャ、“進化”す

2008年04月28日 | 大宮アルディージャ&サッカー



<75分。慶行のヘッドがゴールネットを揺らすの図。矢印の先にボールがあります。>

午前中の野球の試合に勝って祝杯を挙げてから「NAC5スタジアム大宮」に行った。席に着く早々ビールを呑みながらの観戦。夢心地(いい気分)の中で行なわれた「王者鹿島」との戦いは、ひとことで言えば“非常に楽しかった”だ。

前半に先制されたものの、後半は力負けせず攻め込み多くのチャンスを作り、試合を優勢に進めた。そして、75分。慶行のヘッドが相手ゴールのネットを揺らす。その後も押せ押せで、逆転勝ちしてもおかしくない展開であった。結果的にシュート数は鹿島7本に対し、18本。J1昇格後、対鹿嶋戦は1分5敗。小生の記憶でもボロ負けのイメージが強かった。その相手に互角以上の戦いをしたのだ。

昨年に比べ役者が増えた感じがする。デニス、ペドロ、レアンドロのブラジル勢の活躍もすばらしいし、大悟、慶行の両小林の動きもいい。戻ってきた金澤の動きもシャープだ。ニュー守護神江角も安心して見ていられる。

後半藤本が一ヶ月半ぶりに出場したが、昨年までなら“待望の復帰”と表現したろうが、今季においては普通の交代としか見えなかった。

スタジアムで“ナマ”の動きをみて「ホントに強くなったんだ」と痛感した。試合後の監督、選手のコメントも頼もしい。

「前節(浦和戦)に続いて勝ちきれなかったということを我々は認識しないといけません。しっかりと勝ち切れるチームにならないと、今シーズンを戦っていく上で厳しい日々は続くと思います。」

とは樋口監督のコメントだ。

選手達も「勝たなきゃ意味がない」「勝ち点2を取り損なった」等、“勝利”にこだわったコメントがほとんどだ。観衆の大半は昨日の引き分けを“ヨシ”としたと思うが、選手達は多いに不満を持っている。彼らにこの気持ちがある以上は、当分面白い試合を、おっと、“勝ち切れる試合”をしてくれるはずだ。大いに期待して応援し続けようと思う。
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大宮、鹿島戦

2008年04月27日 | 大宮アルディージャ&サッカー


鹿島戦を観て来た。恥ずかしながら、新大宮サッカー場初見参だ。昨年11月から、なんだかんだで行けなかった。情けなし。

久々に大宮アルディージャのサッカーを目の当りにして思った。

強くなったなあ。

である。先日の浦和戦でも感じたが、今日の鹿島戦もたいしたもんだ。前半に一点先制されたものの、試合のほとんどは大宮が支配していた。後半の同点弾も当然の如くだ。逆転勝ちしなかったのが不思議なぐらいだ。“鹿島”相手にですよ。いいじゃないですか。ホント今年はいい。期待できます。

午前中、地元大宮の野球チームのリーグ戦では、強豪相手に3-2の接戦をものにした。小生、捕手5番で先発。3打数2安打、二塁打1、2得点と勝利に貢献できた。

めでたい一日で酒量も増え、かなり酩酊状態。いずれも詳細は後日。この辺で筆をおく。
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弁当の話

2008年04月26日 | 酒食・グルメ?

<昨年夏。プラハからウィーンへ行く特急列車の中で出された弁当?>

昼は大体市販の弁当を食べている。会社の近くに「セブン・イレブン」「オリジン弁当」「吉野家」がある。この3つを使い分けて買っていたのだが、昨年の夏、「オリジン弁当」で弁当+小中華ソバを注文した。一緒に行った同僚達はそれぞれの弁当を持って社に戻っていったのに小生の頼んだものはなかなか出てこない。散々待たされた(15分ぐらい)揚句、「中華ソバの麺がないのでできません」と言う。

(なんだと!?そんなことは最初に言え。もっと早くわからなかったのか!貴重な昼休み時間をつぶしやがって。)

と声には出さないが、無性に腹がたった。その店で新たに注文する気には到底ならず、返金してもらって、吉野家にとんだ。その事件以来約1年経つがその弁当屋には一度も足を踏み入れていない。

で、今は弁当といえば、セブン・イレブンか吉野家だ。種類の豊富さからいうと、セブンがいい。弁当もヘルシーで少量のものもある。味も結構いい。この時期になると、冷たい麺類もいろいろ選べる。吉野家も最近は種類が増えて、カレー弁当などもある。

時々、趣向を変えて駅周辺のパン屋でパンを買って持ってくることもある。パンはポテトサラダパンが好物だ。カレーパンも嫌いではないが、カロリーが気になってあまり買わなくなった。

ごくたまに、自分で弁当を作ってもって行くことがある。朝、冷凍保存しておいた玄米ご飯を解凍し、小さめのお握りを二個作る。おかずはその時冷蔵庫にある、漬物やちりめんなどを適当に付け合せる。時間がある時はウィンナーを炒めて醤油と胡椒で味付けた奴を持っていく。「味付き海苔」を添えて、新聞紙に包んで鞄に入れる。

会社で食べ終わったら、そのままゴミとして捨てられるので面倒がなくていい。玄米は腹持ちがいいので、小さめのお握り二つでも十分夜まで持つ。ダイエットには最適だ。ただ、独り者の小生が弁当作って昼に食べていると、周りが怪しがる。特に女子社員の目が気になる。そんなこともあって、弁当の包装は新聞紙にしている。
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古い地球儀

2008年04月25日 | 日々の記録

<捨ててあった古い地球儀。北米大陸が見える。人類の大量生産大量消費が祟って「地球はゴミによって滅びる」という神の啓示だったかも。>

通勤途上のゴミ集積場に地球儀が捨ててあった。おそらく、それを使っていた人が社会人になるかして、もう見ることもなく邪魔な存在になった為のなりの果てだろう。だが、捨てる前にもう一度よくその地球儀を見て欲しかった、と思う。地球儀が古ければ古いほど、国々の名が変わっているはずだ。

例えば、その地球儀が1980年代に作られたものだったとすれば、ユーラシア大陸の北半分の大半を占める国には「ソビエト社会主義連邦共和国」と記されているだろう。バルカン半島の北、アドリア海の東の一帯は「ユーゴスラビア」と記されている筈だ。

現在は「ソ連」がロシア、ウクライナ、カザフスタンなど十数国に分かれている。「ユーゴ」はスロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、コソボなど7ヶ国に分かれている。チェコスロバキアも今は「チェコ」と「スロバキア」の2つに分かれた。逆に「ドイツ」は東西二つの国に分かれているはずだ。そして、実際の分割、統合には戦争、紛争がつきものだ。旧ソ連領のチェチェンや旧ユーゴ領のコソボは今も紛争中だ。

小生も80年代の地球儀を持っている。82年、社会人二年目に大きめの地球儀を買った。それまでのものは中学生時代に買ってもらった小さなものであったので、自分の稼いだ金で大きいのを買ったのだ。今も時々これを見る。

地球儀は製作された時点では“地理”に属するが、古くなると“歴史”に変わる。当時の世界の状況と現在の違いを視覚的に見ることができる。しかも、地図と違って立体なので臨場感がある。眺めだすと思わぬ時間がたってしまう。ゴミとして出した人もそのことに気づけば、おいそれとは捨てられなかったはずなのだが・・・。

2008年製の地球儀を買ってみようかとも思っているが、それよりも、1944年ごろ日本で製作された地球儀があれば、それが欲しい。そこには日本の領土が史上最大に描かれているはずだ。また、チベットなども中国とは独立して描かれているのではないか。ヨーロッパ、アフリカ、東南アジアなどの姿も、また違って描かれているに違いない。

などなど、興味がつきない。ヒマがあったら、古道具屋をあたってみるか。
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呑み処徘徊 第二回 「斉藤酒場」

2008年04月24日 | 呑み処徘徊

<暖簾が風ではためく。ぶらり、と入りやすい雰囲気の“酒場”だ>

通勤で池袋駅を利用している小生にとっては、十条駅北口すぐにあるこの店は行きやすい。暖簾に「創業昭和三年」とある。いかにも昔ながらの“酒場”だ。店を覗くと満員でワンワン、ヤーヤーの喧騒状態だ。小生のような酒好きのオヤジの集まりかと思いきや、女性客も何人かいる。スーツ姿も多い。複数で来ている人が大半だが、小生のように一人できている人も結構いた。

ケヤキの一枚板のテーブルは四角四面ではなく、いびつだ。空席がポツン、ポツンとある。比較的広そうな空席を見つけて滑り込ませてもらう。オーダーは何人かいる女性の店員に手を上げて注文すればいい。但し、店の中が騒がしいのか、耳が遠いのか(失礼!)、必ず聞き返される。

肴はポテトサラダで始まって、もつ煮、串かつ、ハスのキンピラを頼む。どれも量は多くないが、酒の肴として十分な味だ。呑む方は生ビール(中)、たる酒(コップ)、熱燗、泡盛を各1もらう。どれも旨いが、特に熱燗が気に入った。しかも、一合160円だ。周りを見ても、熱燗を頼む人が多かった。もつ煮も人気があった。

これだけ、呑んで食べて1600円ほどですんだ。雰囲気といい、味といい、値段の安さといい、これがホントの“大衆酒場”だ。池袋から埼京線に乗って混んでいたら、十条で降りてここで一杯ひっかける。程よく酔ったら、各駅の大宮行きでのんびり帰る。というパターンが定着しそうで恐い。
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いい、メーター

2008年04月23日 | 自転車関連

<これがemetersだ!>

ブリヂストンサイクルが4月に発売した自転車用スピードメーターを購入した。emeters(イーメーターズ)という名だ。メーターの機能としては目新しいものはないが、走ったデータをサイトに取り込め、走行データの管理及び登録メンバーとの情報交換ができるのが“売り”だ。

“お友達”登録すると相手の走行データなども覗ける。適当なライバルをみつけておくと、日々“走る”ためのモチベーションがあがる。クルマを廃車して“人力生活”に切り替えた小生にとってはもってこいの商品だ。ここのところ、やたらと自転車関係の話しが出てくるのもこのメーター購入が大きな要因である。

まだ、登録者は千人ぐらいのようだが、全国の自転車通勤者や自転車好きがひとつのサイトに集まりつつある状況を眺めているのは楽しい。健康や環境にいい自転車でつながるサイトに入っているだけでなんとなく「いいこと」をしている気にさせてくれる。

どんな自転車にも装着可能だが、emetersを買わないとサイトには参加できない。
興味のある方は是非購入をご検討してみてください。商品内容はブリヂストンサイクルのHPでみることができます。
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政治とオリンピックは無縁ではない

2008年04月22日 | 日々の記録

<紅葉もこの時期は新緑だ>

長野の聖火リレーが近づいてきている。善光寺の聖火リレー拒否でどういう展開になるか注目を集めている。そんな中、善光寺側の警備をすり抜け「スプレーによる落書き事件」なども発生した。週末、無事に終わってくれればいいが。

オリンピックは政治と無縁ではない。そのことを思い知らされたのが、1980年のモスクワ五輪出場辞退だった。確かソ連のアフガニスタン進攻に反対した米国が出場辞退したのに続いて西側諸国が辞退。日本もその中にいた。その頃、メダルが有力視されていたマラソンの瀬古や柔道の山下らの活躍が観られないことへの憤りが、まだ学生だった小生にはあった。

しかしながら、今の見解は違う。政治と民族の祭典「オリンピック」は切り離して考えられないものだ。ソ連のアフガン進攻に反対した米国が今はアフガンに駐留軍を置き、“ソ連”は消滅している。世界はめまぐるしく変化しており、戦争、紛争は絶えない。いわば、その合間に四年に一度、スポーツの祭典「オリンピック」は開かれる。なんのしがらみも無く、無事に開催できる方が珍しいと考えた方がいい、と思っている。
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新緑の季節到来 ~大宮アルディージャの調子も上々~

2008年04月21日 | 大宮アルディージャ&サッカー

<新緑がきれいな季節となりました>


<チューリップも満開、鮮やかだね>

休み明けなので早めに家を出たが、電車は混んでいた。この時期は新入社員や新入生が加わるので、都内へ行く電車が混むのはやむを得ない。荒川サイクリングロードを自転車で走った爽快さを思い出しながら、満員電車に揺られて行く。

久々に公園散歩をしてきた。満員電車に揺られても、この公園で気が晴れる。園内は新緑の季節。チューリップも満開だ。

プロスポーツの贔屓筋は「ヤンキース」「巨人」はもうひとつ調子があがらあないが、「大宮アルディージャ」はいいね。昨日のダービー、後半をTV観戦したが、完全に試合を支配していた。勝ち点3取れてもおかしくない展開であった。横綱相手に小気味のいい試合ができた。今年は安心して見ていられる。

次節はホームで“鹿島”破って上位に喰いこむぞ!(見に行けるといいのだが・・・)
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今日も大負け

2008年04月20日 | 野球


本日は旧大宮市地区の春の大会初戦。相手が強すぎて(当方が弱すぎともいえるが)大敗を喫す。1-12で敗退。小生は5番キャッチャーで先発。二打数無安打。相手失策で出塁し、ワイルドピッチなどで生還。唯一の得点をあげる。

本年度、公式戦3試合終了時点で、いまだ快音なし。ちょっとあせってきた。来週はリーグ戦初戦。結果を残さんといかん。
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朝の支度

2008年04月19日 | 日々の記録


朝の支度にかける時間。いくつかパターンがある。もっとも多いのが、5時半ごろ起きて6時55分(電車の関係で決まっている)に家を出る、というもの。これだと一時間半ぐらい支度している時間があるのだが、自分では結構忙しい。前に、池波正太郎が何かに「家を出る2時間前から準備しないとだめだ」と書いていたが、最近その気持ちがよくわかるようになった。若い頃ならパッパとやれることが、歳を取るとどうも動きが緩慢になる。だから、早く目が覚めるようになるのかもしれないが・・・。

この一時間半をどう使うか?まずは完全に覚醒するまで、寝床で本を読む。大体15分前後。起きて洗面をすませてから、湯を沸かしお茶を入れる。神棚に水とお灯明。仏壇にお茶と水とお線香を上げ、昨日のお礼と本日の無事などをお願いする。この儀式が20分ほど。

新聞取ってきてお茶を呑みながら、目を通す。これは10分ほど。二杯目のお茶はパソコンを見ながら呑む。eメールと自分のブログをチェック。天気予報や鉄道の運行状況もあわせてチェックし、カバンに持ち物をキチンと入れて、ゴミがあればそれを持って家を出る。朝飯は食わない。

これが平均的な支度時間と内容である。

「目覚めの読書」と「パソコンのチェック」。これに熱中すると、思わず時間を食ってしまい、出発があわただしくなることが多い。「一日断食」明けはお粥を作って食べる、という仕事が加わるので一時間早く起きる。4時半起床だ。これは、腹が減っているのでまずちゃんと起きる。3時半に目が覚めてしまうこともあるので、起きれない心配は無い。

出張で家を出る時間が遅い時はありがたい。洗濯や掃除ができる。もっと朝、時間があれば、仏壇での祈祷(瞑想)の時間を増やしてみたい、などと思っているがその時間を作るのは当面難しそう。
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雨と自転車

2008年04月18日 | 自転車関連

<雨雲>

最近雨がよく降る。

4月ってこんなに降ったっけ!?

Yahoo天気情報の「過去の天気」で検索してみたら、2007年は一ヶ月で3日、2006年は2日、2005年は3日であった。今年は先週だけで3日降って、今週も昨日の午後から降りだし、今日は朝から強い風とともにしっかり降っている。明日も午前中は雨の予報。やはり、今年は異常なのだ。

個人的には雨は嫌いではない。なんとなく心が落ち着くし、雨上がりの景色を見るのが好きだ。また、この季節は花粉の沈静作用もあるので歓迎だ。

ただ、今年は先月末にクルマを廃車し、“人力生活”を始めたばかり。特に主力の移動手段である「自転車」が雨とは相性が悪いので困るのだ。「降ったら、乗るな!」で他の交通機関で移動しているが、毎日身体を動かしていないとなんとなく気分がすっきりしない。「降っても、乗るか。」という気になりつつある。

傘差して片手運転はやはり、危険だ。カッパ着て走ってみっか。
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その数“52”

2008年04月17日 | 自転車関連

<ダイソーで売っていた「カウント君」>

池袋駅から練馬の会社まで9.5kmあるのだが、時々自転車で通勤している。メインは新青梅街道を走るのだが、やたらと信号の数が多い。一体何機あるんだ?数えようと思ったが、走りながら小生の頭で数えるのはとても難しい。そこで、メジャーリーグのピッチングコーチが使っている「カウンター」を思い出した。

さっそく、事務所にある文具のカタログで調べるとこれがなかなか見つからない。このカタログには無いのか、とあきらめかけた時にようやく見つかった。正式名称は「数取器」というのだそうだ。なんで漢字なんだろうね。「カウンター」で調べてもなかなか見つからなかった訳だ。

載っていた商品は「サイズ:W39、D46、H51mm」「重量70g」「標準価格1,550円」とある。自転車に乗りながらカウントするには大きすぎるし、価格もそこまで投資するには高すぎる。

そこで今度はインターネットで調べてみた。ダイソーにありましたよ。簡単に見つかりました。便利な世の中だ。その名も「カウント君」。大きさといい、軽さといい見た目は申し分ない。もちろん値段は百円(税抜)だ。「数取器」買う気なら、15個買える。日曜日。さっそく、近所の「ダイソー」に行って2個買ってきた。

そして本日。懸案の通勤路の信号機をカウントしてみた。

右手は変速器をシフトするので、「左手に『カウント君』を包むように軽く持ち、薬指から小指までの3本をリアブレーキレバーに添え、カウントボタンは親指で押す」という、自転車の運転操作に支障なくカウントできる体勢をとった。これで、信号機の度にカチッ、カチッとやる。なんか、軽い快感がある。次の信号が待ち遠しくなるぐらいだ。(ホンマかいな)

会社までの9.5kmでなんと「52」箇所も信号機があった。183mに一箇所の割合だ。とんでもない数ですな。道理で距離のわりに時間がかかるわけだ。

次回は赤信号で止まった数をカウントしてみようと思った。その数を52で割って「信号捕まり率」を出す。そのデータと、到着時間を比較して相関関係を明らかにする。案外、「捕まりまくっても到着時間は5分と違わない」などという結果が出るかも。そうなれば、信号の“赤”に目くじら立てることもなく安全運転をすればよい。何事も科学的データによる検証は必要だ。

とまあ、これから「カウント君」を使っていろいろ分析してみようと思っている。今、カウント候補にあげているのは、

「歩道、車道を逆走してくる奴の数」
「夜、逆走&無灯火の奴の数」
「車道に停車、駐車しているクルマの数」
「すれ違う女子高生の数」
「すれ違うOLの数」

などだ。
(え、それを知ってどうする?というのも候補にあがってるって。ご愛嬌ですヨ。)

「カウント君」は決まった通勤路の退屈を紛らわすのにはもってこいのオモチャだ。
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大宮~練馬自転車通勤

2008年04月16日 | 自転車関連

<ゴルフ場だが、インドの平原のようにも見える>


<いつも歩きで来ていた公園に自分の自転車で来る不思議。>

今朝は天気もいいし、気分転換を兼ねて会社まで自転車通勤をした。荒川のサイクリングロード経由で1時間45分。34キロの旅だ。家は早めに出た。クルマの交通量の多い道路から荒川のサイクリングロードに入るとホッとする。信号もなく景色も開けていて気分がいい。途中、ゴルフ場が左手にあるが、広々とした景色はインドの平原を走っているような気分だ。

8キロほどはこのサイクリングロードを行くが、また、クルマが行き交う狭い道に入る。ここが、このコースの中では一番危険な場所かもしれない。東京外環自動車道の下は整備された広い歩道があり、自転車が安心して走れる。大泉インターのところからは裏道を通って、石神井公園へ出る。

小生が通勤途上による“いつもの公園”だ。ここに“自転車で来る”というのはつい一ヶ月前には想像だにできなかった。なんか不思議である。ここから会社までは自転車で5分ほどだ(歩けば15分)。今日は早めに着いたので、30分ほど寛ぐ。

花壇には黄と濃い赤のチューリップが見事に咲いていた。柳の緑も紅葉の若葉も鮮やかだ。新緑の季節が始まっている。

20分ぐらい読書をする。暑くもなく、寒くもないこの季節に今朝のような通勤方法は“大あり”だと思った。
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