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<パトナまでの行程。パトナ直前の大河がガンガ(ガンジス川)>
1980年4月19日(土)晴れ
(カメラを盗まれた為)重い気持ちを引きずるようにして、早朝出発。パトナへと向かう。朝も早いので、空気はなんとなくすがすがしいが、心は晴れず。まったくもって、無駄以外の何物でもない一日遅れで、マザファプールの街を後にした。朝食は摂らず、道々の茶店でチャイなどを飲みつぎ、午前中を走りきる。ハジプールまでは一本道なのであるが、なかなか着かず。さては道を間違えたか、と不安がよぎるが無事着いた。どうも、疲れているらしい。
この街にはコークがあった。何本か飲んで、オムレツを喰う。スイカも食べてみる。一切れ十パイサ(約3円)。味は日本のと同じだが、いくらか淡白で種がでかい。二倍ぐらいはあった。
暑い盛り、パトナ行きの汽船の船着場に着く。ここからは船でガンガ(ガンジス川)を渡る。エメラルド色に流れるガンガに古風な造りの汽船が浮かんでいる。珍しいので、早めに乗り込み、石炭をスコップで釜に放り込む作業などを眺める。「カメラがあったらなぁ」と悔やむ。川幅もこの辺りまでくるとかなり広い。船賃は人と自転車あわせて3ルピー(90円)と安い。船は二階建て。すぐそばに茶店があって、乗客の何人かはそこで出発まで待っている。
ところが、この汽船。ポーッと汽笛が鳴ったかと思うとすぐハシケを離れてしまう。(ハシケと言っても竹作りの非常に粗末なもの)茶店からあわてて飛び出てきた人の10人くらいが、乗れずに川岸で喚きながら困り顔。乗ってる人たちは笑って見ている。
結局、一度ハシケを離れた汽船がまた戻って喚いていた人たちを乗せる。何をやってるんだか。ボーっと汽笛を鳴らしてからしばらく待って、他に客がいないのを確かめてから、ハシケを離れればいいのに。日本の常識ではそうなのだが、この国はまったく何を考えているのかよくわからん。
汽船は川をゆっくりとすべっていく。デッキからガンガを眺めていると映画「砲艦サンパブロ」を思い出す。スティーブ・マックイーン扮する主人公ホルマンが砲艦サンパブロの乗組員になって中国との紛争に巻き込まれていく映画である。この砲艦が、揚子江だったと思うが、大川を航行する、あのシーンによく似ているのだ。
対岸ではガンガで水遊びをしている子供達と牛。洗濯をするサリーを纏った婦人たちなど。なかなか趣のある風景がそこかしこにある。ここでもまた悔やむ「ああ、カメラがあったらなぁ」と。二、三分の油断のために私はこれから、何度、何日、悔やまねばならないのか。
パトナへ着く。ここはインド北東部に位置するビハール州の州都である。結構な賑わいだ。とりあえず、ステシャン(駅のこと)を目指して走った。船中で人に船着場から駅までどのくらいあるかと聞いたら、10キロと言う。ばかに遠いなと思って、着いてから街の人に聞くと今度は12キロという。そんなにあるのか、と思って走ったが、何のことはない、1~2キロであった。いい加減なことを自信をもって言いい切る人種なので気をつけにゃあかん。
二三軒ホテルをたらいまわしにされたあげく、見つけたホテルは、出来立てというより、まだ、造りかけの建物であった。建物としては完成していないが泊まれる部屋はあるので、商売を優先しているらしい。これも、日本では考えられないことだ。宿代24ルピー(約720円)なり。
夕方、チャイニーズレストランへ行くかたわらブラブラと散歩してみる。パトナの中心と思えるところに広大な広場があり、そこで、若者達がサッカーをしている。どこかのチームらしく、ちゃんとコーチがいて紅白戦みたいなものをやっている。結構マジで技術の水準も高いと見た。周りにオジサン連中の観客とフットボールのマネごとをしている子供達がいるのは日本でもよくみる光景である。
試合が終わり、PKの練習を始めたが、これがどうも先ほどの試合の水準からすると決まらない。ボールがみな上へ行く。コーチも転がして端をねらえと指導していた。何にしてもスポーツというのはいいものだ。ここでもカメラがあったらと思うがもう気にしないことにした。野球でもひとつのエラーをくよくよしていると、次のエラーに繋がる。ここは、きっぱりとあきらめるが肝心だ。
チャイニーズレストランに行く。チョーメンが非常にうまい。日本で言うなら「かたやきソバ」であるが、味・質ともここのが上だ。ヌードルスープ(約ラーメン)はメンがグニグニであまりうまくなし。スープはうまかった。明日からはここでしっかりと栄養補給だ。久々に満足な食事をして、宿に戻って寝る。
(つづく)
※「インドを走る!」について