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<関東の山城には珍しい「石垣」の城。山上の石垣はマチュピチュのよう。>
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<本丸跡に建つ新田神社の樹齢800年といわれる大ケヤキ>
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<城址から西方を望む。正面の山は筑波山。関東平野の”ヘリ”にあたる場所なので、関東平野が一望できる。富士山、利根川、熊谷市街などよく見えた。地平線上に都内のビル群やスカイツリーも見えた。>
令和3年(2021年) 1月19日(火) 晴れ 総歩数23,218歩
本日は「外出自粛」にも飽きてきたので、呑み同志S二郎氏と語らって、県は跨ぐが緊急事態宣言が出されていない群馬県ならよかろう、ということで太田市にある日本百名城にも指定されている「金山城跡」を含むハイキングコースを歩いた。
金山城は太田市にある金山の頂上にある山城であり、本丸跡とされている場所に新田義貞を祀る新田神社がある。「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣の城はない」という従来の定説が発掘調査で覆されたほど、多くの石垣が多用されている城である。
歴史的には1469年に新田一族であった岩松家純によって築城され、以降、1528年に由良成繁・国繁親子、1584年には北条氏と主は変わったが、上杉謙信や武田勝頼に攻められても落ちず、関東七名城のひとつとされている。そんな名城も1590年の秀吉の小田原征伐時に廃城となった。
S二郎氏と東武伊勢崎線の太田駅に降りたのは午前9時半。そこから、テクテクと歩いて山頂本丸に着いたのは11時頃。快晴だったこともあり、関東平野の”ヘリ”から眺める関東平野は素晴らしかった。この城の主(あるじ)になったつもりで、関東平野や上州三山方面を眺めた。また、復元された石垣もマチュピチュを思わせるようで、楽しかった。
風が強く、寒い思いをするのではないかと危惧していたが、概ね穏やかな晴天の中、思っていたよりも立派な城跡を見ることが出来た。たまには”外”に出なけりゃあかんと痛感したのだった。
1時間ぐらい城跡を見物してから下山。途中のあずまやで恒例の料理&酒タイム。今回、S二郎氏は「牛の焼肉」と「エビと牡蠣のアヒージョ」。小生は「餃子」と「タイカレー缶詰を使った焼きソバ」(うっかり写真に納めるのを忘れてしまった)。これらをアテにビール、焼酎お湯割、ワインなどを呑んだ。
下山して太田駅そばの居酒屋に入ったのは午後4時。テレビがあったので大相撲中継に変えてもらい、幕内力士たちの取組を見ながら飲んだ。大栄翔は北勝富士に勝って、連敗することなく9勝1敗。
相撲が終わった午後6時ごろ、店を出て帰路に着いた。なかなか、楽しく、美味しい一日でありました(^.^)v
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<太田駅の居酒屋で頼んだ「たらこ&明太子炙り」。量は少なかったが、まあまあ旨かった。>