萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

氷川丸メンテ。

2019年11月19日 | 自転車関連

<氷川丸と木曽山脈>

先日久々に氷川丸を引っ張り出して信州に自転車旅に出かけた。その際、フロントブレーキとリア変速機の調子が悪かった。来年春までは氷川丸に乗ることは無いと思ったのだが、ひと冬過ぎると忘れてしまうので「直すなら今でしょ」と思い、昔からこういう時には頼りになる、自転車メカ、オーディオ、ミシン縫、その他小細工の権威M村氏に相談してみた。

するとなんと!お忙しい時間を割いて、本日、工具を持って我が家に来てくれた。

で早速、氷川丸(ランドナー)を診てもらって、前後カンチブレーキ・リア変速機の調整、チェーン・フリーの洗浄、フレーム傷のタッチアップ等々を施してもらい、氷川丸がキレイかつ走りやすくなったのだった。

ありがとうございました、M村大先生!

<我が家の玄関にて。前後ブレーキ、リア変速機の調整はもとより、変速機及びチェーン周りはピカピカ。フレームのあちこちにあった傷もタッチアップでスッキリ。M村大先生に大感謝なのだ。>

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創部55周年記念

2017年11月27日 | 自転車関連

<総勢150人超えのOBと現役諸君が集合>

昨日は大学時代のサイクリングクラブの創部55周年記念パーティーに参加してきた。総勢150名を超えるOB達が集まった。例によって女人禁制を守り続けているクラブなので、全てが男。と言いたいところであるが、今年は亡くなった15期のFさんの奥様が参加したので、まさに紅一点だった。“一点”ではあったが、雰囲気が華々しくなった。

この記念パーティーは5年毎の節目に行われるので、前回は2012年11月に行われた。5年ぶりにお会いした旧知の皆様においては特にお変わりの様子はなかったが、小生の方はこの5年間で少しばかり変わった。まず、2014年に会社を辞めて隠居生活を始めた。時間ができたので、自転車での旅も頻繁に行っている。

また、会社との付き合いがほぼ無くなった分、このクラブのOBの何人かとおつきあいするようになった。同期(17期)の連中とはもちろんだが、15期のY村さんとも良く遊んでもらっている。また、1期のレジェンドS原さんを通じて、後輩にあたる、F田、O間、I蘇君などともお近づきになれた。さらに、同期のM村君の勧めもあってこの1年間はOB会事務局にも顔を出すようになり、幅広いOBたちと交流を持つようになったのである。

ということで、前回までのパーティーでは自分の知っている代(14期〜20期)ぐらいまでの人たちと挨拶を交わすだけだったが、今回はいろんな人に挨拶したり、お話することができ、より楽しかった。

そんな幅広い交流があるようになったためか、次回2022年の「60周年記念」では実行委員の一人に選ばれた。60周年記念パーティも楽しい会になるよう努力させていただく所存であります。

随分先のことのような気もするが、ここまで生きてきた経験から察するに、きっとあっという間であろう。小生の生活自体がどうなってるかわからないが、健康な状態で次回を迎えたいものである。
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自転車仲間と信州小諸へ。

2016年03月13日 | 自転車関連

<訪れた自転車店「浅麓」の猫好き店主のご自宅には猫専用の玄関があった>

一昨日の23時に奄美大島から大宮の自宅に戻ってきて、昨日は落ち着く間も無く、朝から長野県は小諸まで行ってきた。大学時代のサイクリングクラブの同期M村氏と2年先輩のY村氏からのお誘いで、コアな自転車店「浅麓(さんろく)」(浅間山の麓にあるのでこの名がある)に同行させてもらったのだ。この店は自転車趣味カテゴリーの“ランドナー”というジャンルの完成車、フレーム、パーツなどを新旧ともに数多く揃えていて、数十年前の傷つき、錆び付いた“愛車”も見事にレストアしてくれる、全国でも希少なお店なのだ。

都内に住むM村氏と小生はJR高崎線で高崎駅へ行き、そこで待ち受けてくれたY村氏のクルマで碓氷を超えて、信州は小諸まで連れて行ってもらった。Y村先輩と会うのは実に35年ぶりぐらいだと思うが、駅でお会いした瞬間から、その長い年月の垣根は取り払われ、往時の“先輩後輩”の関係に戻れた。たった2歳しか違わないのであるが、大学時代のサークルでの「1年生の時の3年生」というのは未来永劫“大先輩”だと改めて思ったのであった。

「浅麓」まで行く途中でよった美味しいおそば屋さんで食べた昼食代も、夕方高崎駅界隈でいただいた旨い日本酒、肴もすべてY村氏にごちそうになった上に、地元で有名なコーヒー豆とお菓子も手土産にいただき、至れり尽くせりの待遇に、ただただ感激したのでありました。この先、Y村先輩が80歳、100歳になろうとも、その後輩78歳、98歳の小生とは永遠に“先輩後輩”の間柄なのだ。世の中に「年金」は無くなろうとも、この関係だけは無くならないのだと、妙に安心したのでありました。

冗談はともかく、Y村さん、本当にお世話になりました。


<お昼には美味しいお蕎麦を>


<夜にはこんな肴で、めったに呑めない以下お酒を仕込み水と一緒にいただいた>


<新政6>


<而今>


<十四代>


<町田>


<山本>


<鳳凰聖徳>

高崎駅から上野行き21時半の列車に乗って帰った。同行のM村氏のおかげで乗り過ごすことなく宮原駅で降りて、23時には我が家に辿りつけた。

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人力生活の相棒たち【3.1】『あぐり丸』

2015年05月09日 | 自転車関連

<「ぐりる丸」改め「あぐり丸」登場!フロントバスケットにクワ、リアキャリアにスコップ。結構カッコいいのだ。>

2008年4月にクルマを廃して人力生活を始めた。この7年間特に不便は感じなかったが、菜園を借りて農作業をやるにあたり、スコップ、クワ、ジョーロ、肥料、苗、必要資材等をどうやって運ぶか、という事態になって少々困った。ということで、最近乗らずに放置していたぐりる丸の積載能力をアップしてみた。改造点はリアキャリアを取り付けたぐらいだが、いらいろ試すしてみるとクワはフロントバスケットの編み目にさすことで固定できたし、もともと大型バスケットをつけていたので肥料や小道具を運ぶ積載能力は有していた。シャベルなどの長尺もの、あるいは大きな収穫があった場合はリアキャリアに積めばなんとかなるだろう。

◆愛称:あぐり丸 

 1.命名由来:この際なので、名前を変えることにした。
   そもそも「ぐりる丸」という命名は野球に行く為の専用車としてつけた
  (「野球に行く」→「やきーにく」→「焼肉」→「grill」→「ぐりる」)。
   これからは、農耕用で活躍してもらうので「農業=Agriculture」と「ぐりる」に
   近い発音ということで「あぐり丸』と命名。

 2.ベース車:ブリヂストンサイクル製「サブナードスポーツ エアハブ」
 3.主な役割:農耕用自転車。畑に行く迄の足はもちろん、道具や資材も運べる。
  
 4.こだわり:
        ◇生活の足としての機能満載。荷物も積め、機動力もある
         “スポーティー実用車”をローコストで実現。「ぐりる丸」との
         違いは「リアキャリア」のみ。

        ◇こだわりのパーツ

         ・自動空気充填ハブ(AIR HUB)搭載。ハブが回転する度に
          チューブに空気を送り込むことで、一定の空気圧を保ち、
          常に快適に走れる。空気入れ不要のメカ。
          忙しいお出かけ時にも空気を入れる必要は無い。
          丸10年愛用しているが、故障は一回もないし、一度もバルブ
          から空気を入れたことは無い。
          常に適正な空気圧なので、チューブ、タイヤも長持ち。
          欠点は見た目が点滴の管のようでイマイチなところ。
         (写真A:フロントハブ、B:リアハブと管)

         ・農作業の小道具、資材はもちろん、一升瓶もラクに入る大型バスケット。
          大収穫でも不安無し。(写真C)。
 
         ・フロント部に重い荷物を載せると片足スタンドでは
          不安定になる為、両足スタンドに変更。安定感抜群。
          実用優先。(写真D)
          
         ・夜の安全確保の為、前方に2つのバッテリーランプ搭載。
          ハンドル部のランプがメインだが、大きな荷物をバスケット
          に載せると光を遮ってしまうので、バスケットの前面にも
          小さなバッテリーランプを付けた。(写真E)

          後方にはバックステーにソーラー電池式のテールランプを
          搭載。後方からのクルマに対する視認性を確保。(写真F)

         ・サドルは長距離を走ることもあるのでスポーティなものに
          変更。(写真G)

         ・ペダルは雨の日などに滑りにくいノンスリップタイプに
          変更。(写真H)     
                
AB

CD

EF

GH

 5.誕生年月:2004年4月 

 6.改名時期:2015年4月

 7.総コスト:約四万円(変更パーツ代含む)

  
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サイクルパーツ購入

2014年10月31日 | 自転車関連
夏に道東自転車の旅をした際、後輪のタイヤをすり減らせてパンクしてしまった。ろくにタイヤのパターンの状態も診ずにリアキャリアを装備し重い荷物を積んで走った報いである。パンクしたのが、山道を降りきり、厚岸まで後10kmという地点だったので、タイヤの裏にパッチを張って応急処置をし、比較的加重のかからない前輪へこのタイヤをハメて、前輪で使っていた為、まだパターンが残っていたタイヤを後輪に履き替え、ダマシダマシ、おっかなびっくり厚岸の街まで走ったのだった。


<完全にパターンがなくなって、繊維がむき出しとなった>


<裏に大きめのパッチを張って、応急処置し、空気を入れておっかなびっくり厚岸の街まで走った>

このタイヤはランドナー用の650Aという特殊なサイズなので、そのものズバリは地方都市では手に入れられない。ただし、通常のママチャリ用26インチタイヤで代用できると聞いていたので、厚岸のホームセンターで一本購入し、付け替えた。一安心と思いきや、災難はつづく。2005年購入以来9年間パンク修理などしなかったのだが、交換の刺激からかバルブの根元あたりから、微量に空気が漏れてしまうという現象が生じた。

最初は何が原因か分からず、空気が抜ける度にチューブを取りだして点検し、異常が無いので空気を入れて走る、とう行為を繰り返した。ホテルについて、洗面に水を溜めて点検したら、バルブの根元から小さな泡が出ていた。後で知ったのだがチューブが古くなるとこういうことはよく起きるらしい。このチューブも地方都市では手に入りにくい。これまた、時々空気を入れながら、ダマシダマシ走ったのであった。

一ヶ月後に「沖縄自転車の旅」を予定しており、上記のようなトラブルは避けたいので、足回りを中心とした整備をしておこうと思い、本日、赤羽の「Bicycle Shop 玄」さんに行って専用タイヤ、チューブを二本づつ購入してきた。このお店は赤羽駅から徒歩15分の閑静な住宅街の中にあるマニアックな店である。小生のランドナー「氷川丸」のリアキャリアとサイドバックもここで購入した。

昼飯時だったので、(というか、ここに寄るのは朝から決めていたのだが・・・)「すしざんまい 赤羽店」で鮨と生ビールと冷酒をいただいた。スペインから帰って来たばかりなので、鮨が食べたかったのだ。もちろん、旨かった。


<すしざんまい赤羽店のランチサービスの鮨だ>
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先輩のお宅訪問

2014年05月25日 | 自転車関連

<左からY先輩、D君、M村氏>

昨日から本日午前中まで学生時代のサイクリングクラブのY先輩の新築祝いを兼ねてクラブ同期の4人(インドに一緒に行ったM君、E君、とサポートしてくれたM村君、我らの代の主将ゴンジ氏)でお邪魔した。Y氏のお宅は青梅市にある。この度、ご自宅の土地に生えていた杉を始めとした大木を伐って、ログハウス風のすてきな家を建てた。Y氏はトレイルランでは著名な「ハリ天」で知られる「緑風堂」という鍼灸院の院長でもある。(氏のブログ⇒http://haritengu.no-blog.jp/hibihunsen/)

Y氏は小生が大学のサイクリングクラブに入った時の主将であり、いろいろな面で影響を受けた尊敬する人物である。お宅に伺ったのは学生時代の19歳の時以来であるから、37年ぶりである。以前来た時は林の中の古風な一軒家であったのだが、今は周りに住宅地も増え、広い庭にあった木々は伐採され、その代わりに信州の観光地にでもあるような素晴らしいログハウス風の家が建っていた。

Y先輩に家の中を案内してもらった後、奥さんの手の混んだ料理で酒宴となる。3月に我が家でやった「インドを走る!DVD」の放映やら、M村氏の持ち込んだ零戦戦闘服の披露と今回初披露だった少年合唱団の聖歌服?などで大いに盛り上がった。帰宅したY氏のご子息D君(18歳)が零戦の戦闘服を着てポーズを取ってくれたが、50代半ばのM君やM村氏が着るより、若々しいD君の方が本物の特攻隊員のようであった。

一夜明けても、話は途切れず、お昼近くまでワイガヤ状態。素晴らしいお宅での素晴らしいひと時であった。「また、来いよ」と仰っておられたが、真夏にテラスでBBQ、冬には薪ストーブを囲んで一献、など、お言葉に甘えて何度もお邪魔しそうで自分が恐い。

ともかくも、お世話になりました。
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創部五十周年記念

2012年11月26日 | 自転車関連

<老いも若きもみんなで肩組んで、応援歌や校歌を大合唱>

三連休中日の土曜日に大学時代のサイクリングクラブの創部50周年記念パーティーに行って来た。総勢約200名のOB達が集まった。我がクラブは何故か女人禁制のクラブで、しかも未だにそれを守っている。ということで、200人全部男である。これはこれで圧巻というか、不気味というか、大した景色であった。クラブが出来て50年なので、今年入部した18歳前後の学生が第50代である。初代の人は70歳弱。小生は17期なので、年上の部類である。このクラブに属したのは学生時代の4年間。55年間から見ればほんの4年だが、20歳前後の“4年”は今の“4年”とは“4年”が違う。小生のその後の人生に与えた影響は当然ながら大きい。

特に自転車の旅。1ヶ月も2ヶ月も野宿しながら行く自転車の旅は、旅の面白さ、大変さを教えてくれた。そして、3年から4年の春に行ったインド・ネパール。一緒に行ったM君、E君ともこのパーティで再会した。彼等とインド人を肴に話しだすと一晩ぐらいはあっという間に過ぎてしまう。仕事を終えて隠居生活に入ったら、また、3人で行ってみるか、という話も出た。

二次会は我々17期を中心に前後2期、つまり、15期から19期までのOBで呑んだ。多少、老けた人、全然変わらない人、いろいろいるが、クラス会と一緒で酔って話し込んでいる内に、当時の姿に見えてくるから不思議である。二年前に天国に召されたドラゴン氏もこのクラブの同期であった。当然、彼の話題もでたが、彼の話をしていると今でも胸が詰まる瞬間がある。

楽しい時間はあっという間である。翌日曜日に「やるほう」の野球の今期最終戦があったので、前の晩は記念パーティといえども、呑まないか、呑んでも少量にとどめよう、などと考えていたのであるが、やっぱり、無理ですな。彼等と会って呑まずにいられるか。野球は二日酔いでも、まぐれで活躍できるかもしれぬが、この先輩や後輩たちとは今度いつ会えるか分からない。堅いこと言わずに、今宵は大いに呑もうぞ!

ということで、大酒呑んでしまったのだった
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自転車通勤。

2011年02月16日 | 自転車関連
身体が寒さに慣れてきたので、最近は晴れたら自転車で通勤している。今日も片道9kmの道のりを自転車で行って、帰ってきた。多少、耳などがかじかんで痛くなるが、気分はいい。

今日は行きも帰りも風が弱かったので助かったが、この季節、北風が強いのが難である。朝は北に向かって行くのであまりに強風の場合は、晴れていても自転車は使わないことにしている。それ以外は雨さえ降らなければ乗っていく。片道30分なので丁度いい。

健康にも経済的にもいい。但し、自転車といえども車両なので呑んだら乗らない、乗れない。その辺がちょっと残念なところではある。
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自転車は空気が大事

2010年11月25日 | 自転車関連
いつも、通勤に使っている「武蔵丸」のタイヤの空気があまかったが、面倒なのでそのまま乗っていたが、昨日の帰り、あまりに足回りが重かったので、今朝、遂に空気を入れた。入れてみて驚いた。よく走るのである。9km弱の道のりであったが、普段より5分短縮できた。こんなことなら、さっさと空気を入れればよかったと思った。

もとより、子供の頃から自転車には慣れ親しんでいて、普通の人よりは自転車に対する知識、経験は豊富な方の小生でさえ、感激したのだ。

皆さん、自転車には空気をいれましょう!
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新職場へ自転車通勤!

2010年07月16日 | 自転車関連


今日は自転車通勤をしてみた。大宮の小生宅から、今度の新しい職場までは9km弱の道のり。自転車で30分ぐらいの場所にある。自転車通勤には丁度いい距離だ。で、本日、試しに走った。確かに、頬に風を受けながら走るのは気分がよかった。但し、会社に着いたらこの蒸し暑さであるから、大量に汗はかく。着替えを持っていっていたのでよかったが、この季節の自転車通勤はやはり覚悟がいる。

もちろん、帰りも走って帰るつもりでいたが、前の勤め先の座員が2名、出張に来ていた。ちょっと、飯でも食うか。ということで、自転車は会社に置き去りにして、呑みに出かけた。二人とも後輩なので、支払いはどうしても小生が中心だ
。みんなが気持ちよく呑めればそれでいい。カネは天下の回りものだ。

10時過ぎにお開きにしてバスで帰ったが、3停車場ほど乗り越してから気がついた。いつも、“酔ったら座るな”と言い聞かせているのであるが、空いているバスだとつい座ってしまう。その罰で今夜も1キロ近く余計に歩くハメに・・・。

ま、健康にはいいのでヨシとするか
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55555555づくし

2010年05月11日 | 自転車関連


自転車に付けているブリヂストンサイクル製のメーターemetersの総距離表示が5555.5kmに達した。5月8日の朝の通勤時に5555.1kmであった。「5555.5」になったら、写真を撮ろうと思っていたのだが、帰りは夜になってしまったので、とりあえず「5555.5」になったところでメーターを外した。

翌日昼頃、思い出して写真を撮ろうとしたが、「まてよ、どうせなら、時間も5:55の時に撮れば、5が並ぶではないか。」ということで、次の日の朝、つまり、昨日の朝撮ることにしたのだ。(時刻が24時表示のため)

そして昨日の早朝。5:52分の時点でカメラを用意し、待ち構えていたのだが、まだ、ちょっと時間がある、ということで読みかけの推理小説を読んだ。が、これがまずかった。物語が丁度佳境に入ったところだったので、思わずのめりこんでしまったのだ。ハッと我に返って、メーターをみると、「5:55」ではないか。あわてて、カメラを構えてシャッターを切る。間に合ったか、と思った瞬間「5:55」は「5:56」に変わっていた。おお、なんと。撮影は24時間後に持ち越されることとなったのであった

そして、本日、ようやく無事撮り終えた。それでも、「5:54」から「5:55」になった瞬間から、「5:56」まではあまり時間がなく、あっという間のような気がした。であるから、写真にも満足はしていないのであるが、もう24時間待つ気にはなれない。また、ここまでくると、5月5日に気がつけばなぁ、と悔やまれるが、1年待つ気もないので、ここに掲載した。

もっとも、「“5”が八つ。それが、どうした。」と言われてしまえば、足掛け4日の努力は水泡に帰すのであるが・・・。

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久々に自転車三昧の連休を過ごした

2010年05月06日 | 自転車関連

<象潟駅前で芭蕉の句碑と氷川丸

今年のゴールデンウィークは5月1日から5日までの5日間あった。5日間とも自転車(氷川丸)で旅をした。よく考えたら、こんなことは実に久しぶりのことだ。5日間も自転車で旅を続けたのは入社二年目の五月の連休に一日有給休暇をもらって、5泊6日で東海道を走った時以来だ。1982年のことだから、28年前か。もっとも、2泊3日熊野、3泊3日讃岐・阿波など2~3日の旅なら何回かやっている。5日以上というのは本当に久しぶりであった。

走っていて感じたが、最初の1~2日が一番ぎこちなく妙に疲れた。慣れるほど走りは楽になる。三日目に下痢で体調を崩したにもかかわらず、四日目、五日目の方が走りは楽であった。もう一週間ぐらいはぶっ続けて走れるぞ、などと大胆にも思ったものだ。

ま、今だから強気で発言できるが、走っている最中は、向かい風、体調不良、ケツ痛など、なんどもめげそうになった。ただ、不思議なもので走っていると次へ次へという気持ちが生まれる。また、思いもかけない風景に出会う時は辛さを忘れてしまう。

そういえば学生時代、何ヶ月も日本やインドを走った時もそうっだったな、と思い出した。自転車で走るというのは“辛い”ことが多いのだ。なのに、なぜ走るのか。そこに道があるから。まだ見たことのない道があるから、先へ先へと進めるのだ。もう少し、休みがあって、あと一週間も走ったとしたら、燻ぶっている小生の放浪癖に火がついたかもしれない。クワバラ、クワバラだ。

今回の秋田県象潟から新潟県糸魚川までの自転車の旅では、いろいろと収穫はあったのだが、5日間の旅を終えて日常に戻ったばかりで整理ができていない。おいおい書いていくつもりだ。
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接待サイクリングなのだ!

2009年10月15日 | 自転車関連

<左がスリムなK部長のアンカー。右は御免丸。>

実は昨日から今日にかけて軽井沢に行っていた。取引先との接待ゴルフという奴だ。が、小生は30歳の頃にゴルフはやめた。理由はいくつかあった。

◇その頃、小生より若いモンでゴルフをやっているのがおらず、会社のコンペに行くと、いつも小間使いのパシリをやらされた。

◇その割りには会費はしっかり払わされた。当時のゴルフは安月給に比して高くつく遊びであった。

◇30歳ぐらいから、野球に加えて、山登りをはじめた。ゴルフにまわす遊び時間がなくなった。

◇練習もせず、年に数回程度いくだけでは、上達しない。したがって、面白くない。

◇大体、昔から、ボーリング、マージャン、ゴルフ等々、場代を必要とするレジャーは性に合わない。同じ理由から自転車での楽しみ方もレースではなくサイクリングを選ぶ。レースは参加費(場代)を払わなければならないからだ。

ということでゴルフはしない。夜の会食だけ参加しようと思っていたのだが、どこにも同じような人はいるものだ。某社のK部長はゴルフはせず、自転車が趣味だという。軽井沢の宿までは自転車で行くというのだ。ならば、お供いたしましょう。ということで、ここに「接待サイクリング」なるものが成立したのであった。

吾妻線の群馬原町という駅で待ち合わせた。K部長は同年輩であるが、自転車が趣味と言うだけあって、体型はスリムだ。ヘルメットにサングラス、レーサージャージ&パンツ姿がキマってる。自転車もブリヂストンのロードレーサー「アンカー」である。こちとらは、御免丸
にNYマーク入りの帽子に山シャツと山登り用のダブついたパンツというイデタチ。カッコですでに負けている。

K部長は地元群馬出身なので先導をお願いする。小生は後をついて行くだけだ。まずは、吾妻渓谷沿いを長野原まで走る。途中、今話題の八ツ場(やんば)ダムの脇も通った。確かに巨大な鉄骨の骨組みが出来上がりつつあった。この辺まではなんとかついて行けた。

長野原からは南に折れて、いよいよ本格的登りだ。ダラダラ登りなのであるが、ここのところ太り気味の小生にはきつかった。K部長との差はみるみる広がっていき、やがて見えなくなってしまう。途中、途中でK部長は待っていてくれた。北軽井沢あたりの紅葉はもうひとつであったが、目の保養にはなった。息も絶え絶えに、なんとか、最高地点まで登りきれた。

ここから、旧軽井沢までは一挙に下りである。実に爽快だった。小生の走行距離は60キロ程。K部長は自宅から走ってきたので、120キロ走ったとのこと。宿で一風呂浴びると、ちょうどゴルフ組みが到着。午後6時からの会食に参加した。ゴルフの話で盛り上がる中、片隅でK部長と自転車の話で盛り上がろうとしたが、K部長は酒が呑めない。道理でスリムなわけだ。

ということで、ゴルフ組みの中に割り込んで、ゴルフ以外の話題で盛り上げた。9時過ぎまで楽しく呑んでお開き。結構充実した一日を送れたが、これも、れっきとした仕事なのであった


<今話題の建設途中の八ツ場ダムだ>


<紅葉は“見頃”とまではいかなかったが、“軽井沢っ”て感じであった。>
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白河~宇都宮 自転車走破

2009年10月11日 | 自転車関連

<宇都宮の手前、鬼怒川と御免丸。>

本日は仙台~新白河間を新幹線で行き、白河からは自転車で宇都宮まで走った。お供は御免丸だ。国道4号線をひたすら走った。新白河を出たのは9時ちょっと前。アップダウンはあったが、全体に下り基調の上、追い風だったので快調に走れた。途中、手打ち蕎麦などを食べたりして順調に約90キロの道のりをこなした。天気も暑くなく寒くなく自転車には最適の季節で気分よく走れた。宇都宮駅に着いたのは午後2時半。さっそく輪行して大宮まで帰ってきた。

これで「列島攻略!関東攻略編の①宇都宮~白河」をクリアしたことになる。いろいろと攻略せにゃならんとこがまだまだ沢山あるんだが、なかなか捗りませんナ。やっぱ、勤め人では無理か。定年退職後だと体力が心配だし、寿命も残りわずかかもしれない。早めに勤め人を辞めてしまうと経済的に窮する。もうからんでもいいから、コツコツと自由業で稼ぎながら、遊ぶ。という手もあるが、世の中そんなに甘くなさそうだ。どこらへんでどう決断するか。それが問題だ。


<午後二時半。宇都宮駅にゴール。>

追伸・・・海の向こうのMLB。ナ・リーグ地区シリーズはドジャースがカージナルスに3連勝して、勝ち抜けた。イーシア、ラミレス、ブロックストン。いい選手も沢山いる。ぜひ、ワールドシリーズまで勝ち抜いて来て、ヤンキースと戦って欲しい。
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人力生活の相棒たち【2.1】 『御免丸・改』

2009年05月15日 | 自転車関連


<これが「御免丸・改」だ!遠景は岩手山>

1.命名由来:中学生の頃、好きだったNHKの「天下御免」に出てくる「御免丸」から。以前、輪行して混んでる電車に乗った時に「皆の衆、ごめん!」って思ったことからもこう名づけた。

2.ベース車:ブリヂストンサイクル製「トランジットスポーツ2016」(現在廃盤)

3.主な役割:舗装道路ではロードに及ばぬがMTBよりは早い。折りたたみ構造も簡単なので、日帰りや1~2日の自転車の旅に最適。但し、舗装道路のみ。悪路は不可。

4.今回(2009年5月)の改造ポイント

  • 変速機を変更。フロントは「シマノ105」52-39(写真a)リヤメカは奢ってDURA-ACE。スプロケットは12-23T(写真b)ストレスを感じないシフトチェンジは最高だ!
  • ペダルはSPDに変更。(写真c.d)やはり、トゥークリップ&ストラップだと力が入りにくい。
    リフレクターもつけた。夜間走行時のクルマからの視認性アップと普通の靴でも乗れる構造は実用的だ。
  • ハンドルまわり。(写真e「小径車に長いハンドルは不要(Dr.モールトン思想)」に基づき、短いものに変更した。(BSモールトン仕様のもの)また、グリップシフトからラピットファイヤーに変更。DURAとの相性もよく、使い勝手は非常に小気味よい。ランプはじゃまにならない、スッキリとしたものに変更。
  • サドルもよりスポーティーなものに変えた。(写真f)

    a.b.

    c.d.

    e.f.

5.改造後の乗り心地:ほぼ、狙い通りに仕上がって満足している。但し、リアのスプロケットがハブの問題で当初予定の「9-26T」が装着できず、物足りなさを感じている。この点は二期工事として、現在検討中である。           
  
6.総コスト:購入したものもあるが、いただきものや、ありものを使わせてもらった。また、改造作業は某元レーサーに丸投げであり、まだ、その人物への礼もしていない。したがって、改造費用は判然としないのであるが、ざっと5~6万円ってとこでしょうか。ご協力いただいた皆様、誠に感謝しています

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