<白地図に、今まで自転車で走った道を書き入れ、登った百名山をプロットした>
<近畿地方をクローズアップしてみると、こんな感じ>
<中部山岳地帯は百名山の宝庫なので、地図を別にしてプロット。>
白紙の日本地図(60cm×85cm)を厚さ5mmの発砲パネルに貼り付けて、今まで小生が自転車で走った道に線を引いた。赤のラインは大学4年間で走ったところ。言わずもがな圧倒的に多い。紫のラインは入社当時に走ったところ。緑のラインが氷川丸購入(2005年6月)以降走ったところである。
ところどころに緑の△印があるのは、深田久弥の日本百名山だ。緑で塗りつぶしてある▲印は登頂した山。△は未踏の山である。頂上を極めた百名山は今のところ65座。残り35。中部山岳地帯は百名山が多く、自転車で走った道と輻輳してしまうので、別枠(北海道の地図の下)にしてプロットした。
それぞれに時間的すみわけがある。
・赤い線は1977年~81年の学生時代。
・紫の線は1981年~90年頃まで。
・緑の線は2005年~現在で自転車の旅復活以降の足跡。
・▲印のほとんどは1990年代に登ったもの。
会社に入ってからは、自転車にはあまり乗らず、趣味としては野球を中心にやっていた。90年代に友人に誘われて山登りを始めてからは、しばしの間のめり込む。90年代後半には山スキーも初めた。一緒に遊ぶ友人が一人減り、二人減りしていく内に旅仲間がいなくなり、原点回帰で自転車の旅を思い立つ。2005年にランドナー(氷川丸)をオーダー。以降は機会あるごとに走るようになった。
この地図作成の目的は四つ。
一.これを眺めているだけで、いろいろな思い出が蘇る。道にしろ、峠にしろ、海にしろ、川にしろ、そして山にしろ、である。小生の四半世紀の日本列島との付き合い、ふれあいが蘇るのだ。たった一枚の地図ではあるが、詰め込まれている思い出は多い。過去へと誘(いざな)うタイムスリップボードとも言える。
二.まだ、登っていない山、自転車では行っていない場所が一目瞭然なので、次は何所へ行くか。何時、どうやって、何をやろうか、とわくわくしながら作戦を立てられる。これが“また、楽しからずや”である。この目的で眺める時は未来へと誘うタイムスリップボードとなる。
三.友人や知人に小生の自転車と山の自慢話をする時に役立つ。が、これは使い方を間違うと、嫌われる可能性が高いので扱いに注意しなければならない。
四.ブログに利用できる。この記事自体もそうだが、今後、旅行記や山行記録を載せる時にこのボードを活用して大まかな計画や過去の記録などをお伝えできる。
作ってしまえばなんてことはないが、実は構想から完成まで二年はかかっている。構想を思い立ってから、ボードに白地図を貼るのに約半年。学生時代に走った道に赤いラインを入れたのがほぼ一年前。後はしばらくほったらかし。百名山を書き入れるアイデアを思いついた時はひとり悦にいって喜んだのだが、いざ、実行しようと思うと億劫でついつい先送りとなる。
それが、だ。断酒の日々を過ごす内に、そうだこいつを完成させてしまえ、と思い立った。書斎にぶん投げてあったボードの埃を払って、入社当時走ったところに紫のラインを入れ、2005年以降、氷川丸や御免丸で走ったところに緑の線をいれた。一番、面倒と思われた百名山の書き入れも、やりだしてしまえば、せっせと書き入れ、あっという間に完成してしまった。
“酒を呑まない”と、呑んでる時間と酔ってる時間という物理的な時間の節約に加え、明晰な思考と粘り強い精神力が蘇るようだ。時間をもてあましたから、着手したのではなく、呑んでいないので着手できた、と思っている。このボードも“断酒の賜物”と言えるかもしれない。