萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

穂高岳縦走(3)「上高地~涸沢」

2012年07月31日 | 山と温泉

<上高地、雨の「河童橋」>


<梓川。晴れていれば川上方向に穂高連峰が見えるのだが…>

今回の山行はただ登るだけでなく、隠し味として節目節目には酒を呑もう!というのも織り込んでいる。ということで、新宿に21時頃着いた我々はバスの発車時刻23時まで、近くの居酒屋で呑んだ。会社を抜け出し、猛暑の都会を抜け出せることへまず乾杯。前途山行の安全を祈ってまた乾杯。一時間ちょっとの酒宴を開いた後、夜行バスに乗り込む。程よい酔いで結構眠れた。

予定通り翌朝6時に上高地に着く。あいにくの雨模様で、さっそくレインウエアを着込む。準備でき次第まずは明神目指して出発。皆、体調はよさそうだ。3時間の平地行なので、まずは散歩気分だ。雨は途中強く降ったり、小雨になったりを繰り返す。徳沢園で休憩していたら、豪雨のように雨が強くなった。横尾まで行くと少し雨が上がったように見えた。S二郎氏の「雨は上がった」を信じて、レインウエアを一度ザックにしまう。横尾から1時間程行った、ここから本格的な登りとなる「本谷橋」でまた大雨となる。S二郎氏曰く「こういうこともある」だと。

雨にも負けず、我ら老男若女一行は涸沢へと一歩一歩登って行く。例年の夏より残雪が多く、途中から雪道を歩く。こちらの方が直線的に登れるので結果として早く着く。雨の日にはありがたい。涸沢ヒュッテ近くになると、スコップで階段を刻んでくれていた。結局、最後まで雨がやむことは無かったが、予定よりは2時間早い14時に着いた。雨の中の初日としては上出来だ。初心者たちもよく頑張った。


<テラスから明日登る奥穂高岳方面を眺める>

雨具等を乾燥室に入れて自分たちの部屋というかスペースに荷物を置いて、ヒュッテのテラスに出てみるが、雨が降っているので長居はできない。屋根のあるところで、初涸沢を祝して生ビールで乾杯!この時ばかりは皆元気だ。小生も久々(8~9年ぶり)なので、感激はしたが、晴れてればもっといいのに、という気持ちは常にあった。

山の夕食は早い。17時から18時の間で終らせる。もちろん、我々はビール、ワインなどを呑みながらいただいた。消灯の9時までまだ間があったので、下界から運び上げたウイスキーを雲上でストレートで呑んで語りあう、という山の夜を過ごした。「明日の天気に期待しょう!」と何回も同じことを言いつつ小生はいつの間にかバタンQであった。ようだ。

                             つづく
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禁酒Week中の断食日。

2012年07月30日 | 健康、ダイエット
先週金曜日から一週間の禁酒を初めた。本日中日の4日目は、一日断食だ。今年32回目である。目標は年52回なので残り20回。8月から12月までの5ヶ月間で、月平均4回やれば目標達成である。まずまず順調な進捗だ。禁酒Weekの方も4日目となると大分楽である。むしろ、呑まないことのメリットばかりに行き当る。

まずは、昨日の野球の打撃練習ではボールがよく見え、バットコントロールがバッチリであった。禁酒は運動神経に大きく影響する。食事がうまい(もっとも、今日は断食日だが)。よく眠れる。睡眠時間は短いが眠りが深い。体重が減る。呑まないと余計なカロリーを摂らないので順調に減量ができる。総じて、身体にいいこと間違い無し。会社の帰りにどこも寄らずに家に帰れる。また、酔って最終電車に間に合わず、タクシーで帰ることもないので、金は使わずにすむ。呑んでる時間と酔ってる時間を有効に使える。

などなど、禁酒するたびに思うことが今回も出て来た。酒は呑まぬにこしたことはない。が、きっと禁酒明け以降は呑むだろう。喜んで…。

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穂高岳縦走(2)「メンバー」と「計画」

2012年07月29日 | 山と温泉

<やっと着いた北穂高岳山頂>

先年北海道の斜里岳下山中に膝を裂傷した。傷は治ったがその時の打撲の後遺症か、いまだに時々痛むことがある。いつか膝がダメになって、厳しい山には登れなくなるかもしれん、という不安がある。折も折、昔は健脚だった先輩が膝痛で山に登れなくなったという話を聞いた。元気な内に登れるだけ登ろう、と思うと共に、若者達にも継承しておきたいと思うようになった。本当に山好きになる者はわずかかもしれないが、とにかく、標高3000mの世界を観せてやりたい。

そこで6月中旬、若者男女十数人に声をかけた。前の週の両神山日帰り登山の参加者は多かったが、この連休の北アルプス山行の方は、既に予定が入ってる者もあり、手を挙げたのは3人だけ。しかも、いずれも20代の女性ばかり。経験はほとんどない。さすがに、小生ひとりでは不安だ。こういう時にありがたいのが呑み同志S二郎氏。氏とは「呑み」だけではなく「山」でも同志である。小生の要請に快く乗ってくれた。これでひとまず安心だ。

ということで、メンバーは50半ばのオヤジ二人と20代半ばの女性三人という、親子のような道連れとなった。「老若男女」ならず「老男若女」の組み合わせとなったのだった。

計画を大まかに言うと、週末金曜日、仕事を終えてから新宿発23時の上高地行き高速バスに乗って、翌早朝、上高地から登り始めその日の午後早くに涸沢に着く。登山2日目は涸沢からザイテングラート経由で穂高岳山荘まで行く。天気がよければ、その日の内に奥穂高岳を登っておく。三日目は涸沢岳を超えてヤセ尾根を北穂高岳まで縦走し、涸沢へ下山。四日目は涸沢から上高地まで昼までに下山し、新宿行きのバスに乗って夕刻新宿着。

というものだ。三日目の涸沢岳から北穂高岳までの縦走路は結構難度が高い。行くかどうかは、天候とメンバーの体調、技術などを見極めてから決めることにして、準備万端整えて、金曜日を待ったのだった。

                         つづく


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穂高岳縦走(1)「北アルプス」

2012年07月28日 | 山と温泉

<奥穂高岳山頂から槍ヶ岳を望む>

あれは、出向先の関西からこっちへ戻ってきた初めての夏(たぶん、1990年)。野球部のS田氏を中心とした7~8人のグループで北アルプスへ行こう、ということになり、初めて本格登山に挑戦した。とても暑い夏だった。山はまったくの初心者であったが、いきなりテント泊で荷物も均等配分されたので随分重かったのを覚えている。しかも今から思えば、かなり“山”をなめていた。上高地からのアプローチでは休む度にビールを呑み、暑さと重さと酔いで本谷橋から涸沢までの本格的な登りではかなりバテた。

しかし、そうやって苦労して上がった涸沢は素晴らしかった。既に、自転車で日本中を見て回ったと思っていたが、日本にこんな所があったのかと、新鮮な感動を覚えた。この景色を観ながら、ヒュッテのテラスで呑むビールは格別だった。いつのまにか、疲れもどこかへふっとんでいた。翌日も天気はよく、北穂高岳~涸沢岳~奥穂高岳(今回の逆コース)を登り、穂高岳山荘に泊まった。スリルはあったが、山の楽しさ、清々しさを十分味わえた。また、大自然の中ではちっぽけな存在でしかない自分を自覚し、素直な気分になれた。

以来、山の虜となり、登った百名山は70座。北アルプスに限って言えば、白馬岳、五竜岳、鹿島槍岳、剣岳、立山、薬師岳、黒部五郎岳、黒岳、鷲羽岳、槍ヶ岳、穂高岳、常念岳、燕岳、笠ヶ岳、乗鞍岳と焼岳以外はすべて登っており、その他に表銀座縦走、立山~笠ヶ岳縦走や雲の平から裏銀座縦走など、かなり親しんだ。

ただ、ここ8~9年はご無沙汰していた。久々に行ってみたい、というのと、昨年と今年入社の若者たちに北アルプス登山の素晴らしさを伝えたい、という二つの思いで今回企画したのだった。

                 つづく
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本日より禁酒Week!

2012年07月27日 | 健康、ダイエット

<伏せた愛用の酒器たち>

本日から一週間禁酒である。8月3日(金)は父の命日。父母の命日前一週間は禁酒し、今は亡き両親を偲ぶことにしている。初日の今日は早めに家に帰り、小松菜と油揚げの煮浸しとキリンのフリーで夕食とした。この週間はダイエットも兼ねている。先週の穂高縦走の四日間は運動もしたが、バテてはいけないという不安から、かなり食べたり、呑んだりした。おかげで、帰って来たら1キロ増えていた。ということもあり、禁酒することで摂取カロリーを抑え、この一週間で2~3キロは痩せようという魂胆である。

しかし、巨人は好調だし、オリンピックは始まるし、明日は埼玉県高校野球の決勝戦だし、ビール片手に観戦したいものばかりで誘惑が多い。ここ2~3日は呑みたくなったら、フリーで堪えてやり過ごそうと思っている。3日我慢できればしめたもの。後はなんとかなる。禁酒明けの来週末にどこで何を呑むか、を楽しみに頑張るとするかい
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穂高岳縦走!

2012年07月25日 | 山と温泉

<涸沢ヒュッテからみた涸沢カール>

写真の左端が奥穂高岳。そこから、中央の涸沢岳経由で右端の北穂高岳までの高度三千メートルの縦走が今回のメインであった。このコースは結構スリルがある。小生が初めて涸沢に来た時はここを右から左。つまり、北穂高岳~涸沢岳~奥穂高岳のコースを通った。ヒヤリとする難所もあったが、なんとか行けた。そして、登山の醍醐味みたいなものを刷り込まれた。

今回は会社の仲間5人で登って来た。一日目、二日目は雨にやられたが三日目は見事晴れた。おかげで、充実した登山が出来たし、同行の3人の「初穂高」組も感動、感激したようだ。詳細は何回かに分けて紹介しようと思う。
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久々の北アルプス、完登せり。

2012年07月24日 | 日々の記録
21日、雨の中上高地から入って涸沢ヒュッテまで約六時間かけて行く。2日目も雨。とりあえず、ザイテングラートを登って穂高岳山荘まで行って様子を見るが、雨の上がる気配なし。仕方ない?ので昼前から、呑みだす。夕方にはわけがわからんほど、呑んで何時の間にか寝てしまう。

三日目も雨かと諦めていたが、奇跡的に晴れた。奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳を制覇し、下山。予定通りの山行ができた。

まずは、メデタシなのだが、いろいろと問題もあった。詳細、写真は明日以降報告します。
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しばらく、山籠もり

2012年07月20日 | 山と温泉
本日、夜行バスで上高地まで行って、明日から4日間、北アルプスで過ごす予定。まず、電波は届かないところへ行くので、しばし、ブログはお休みとなる。帰ってくるのは25日。詳細はその時にでも。

それでは、行ってまいります。
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両神山登山

2012年07月19日 | 山と温泉

<こんな新緑の中を歩く>


<頂上の碑>

昨夏8月の盆休み。北海道は斜里岳の下りで転んで、左膝3針を縫う裂傷を負ってからほぼ一年経つ。今年も夏山シーズンが到来した。今夏は「久々、北アルプス」「リベンジ北海道」など大きなイベントを予定している。その足慣らしを兼ねて「海の日」に山に行って来た。

小生の山暦は30代前半からである。小学校~高校までは野球一辺倒で、大学時代はサイクリング。登山は遠足の他は馴染みがなかった。30歳を過ぎてから、山好きの友に勧められるままに、北アルプスは涸沢に行った。その時の感動、感激が小生を山の虜にした。以来、毎月のように登るようになり、山スキーも趣味のひとつになった。だが、一緒に遊んでくれた仲間が結婚、退社などでいなくなってしまった。しかたがないので、最近では単独行を楽しんでいた。

昨今、またまた山ブームで、しかも、「山ガール」などと言う言葉も出て来て若い人たちの興味に「山」も取り上げられるようになった。ということもあり、若手中心の山登りの会を小生が声をかけて結成してみた。その第一回企画として組んだ日帰り登山が「両神山日帰り登山」であった。総勢8人で登って来た。男女4人づつ、計8人の山行である。小生と小生の呑み同志S次郎氏以外は全員20代前半の若者たちである。本格登山は初めてという人がほとんどだ。途中で足をツルもの、膝が笑って、やっと降りて来たもの、鎖場を怖がるものなどなど続出。それでも、やっぱり若さだなぁ。なんとか、順応して見事全員頂上を極め、無事下山。もう二度と山には行かない、というのがいるかと思ったが、全員百名山の一座を堪能できたようだ。また、いきましょうとの声多し。

明日からはこの会の企画第二弾で新宿から夜行バスに乗って上高地に行く。梅雨は明けたが、天気はイマイチのようだ。晴れんかなぁ。
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久々、登山の翌日は一日断食日。

2012年07月17日 | 健康、ダイエット

<夕空>

久々に登山した場合、翌朝は膝の上辺りの筋肉が痛む。普段の生活では使わないこの筋肉に山を下る時に負荷がかかるからである。ところが、今朝はそれほど痛く無かった。身体が鍛えられてるからとほくそ笑んでいたが、夜、仕事を終えて帰ろうと立ち上がった時に痛みを感じた。朝は平気だった駅の階段の下りも帰りは降りるのに苦労した。どうやら「歳をとると若い時と比べて、筋肉疲労が1~2日遅れてくる」という現象のようだ。いままで、はっきりとした自覚したことは無かったのであるが、今回初めて実感した。よる年波には勝てんか。

幸いにして本日は今年30回目の一日断食日なので、酒は呑まない。したがって、筋肉の回復も早いだろう。早めに寝るのも回復にはいいはず。本日はもう寝よっと
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本日、久々登山。

2012年07月16日 | 山と温泉
昨夏の斜里岳以来の登山を本日実施。場所は両神山。参加メンバーは新たに会社でチームを作った面々と行く。まあ、初心者が多くいろいろあったが、無事皆頂上を極めることができた。詳細は明日にでも。
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白馬~浜松 列島縦断! 第六話「松本城」

2012年07月15日 | 自転車の旅




松本までは追い風もあり、思っていた以上に快適に走れた。雲行きが怪しくなってきていたので、ついついペダリングも早回しになったのがよかったのかもしれない。休憩は松本城でしようと思っていたので、まっすぐに城を目指した。ここは最近では2011年1月に鉄道を使って訪れた。であるから、入場料払って天守閣の中に入るつもりはなく、今回は休息兼ねて外から眺めるだけにとどめた。

松本城は文禄(1593~1594)時代に建てられ、天守閣は日本最古のものである。四百余年の風雪に耐え戦国時代そのままの天守が保存されている。昭和11年に国宝に指定され、姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつとなっている。

もともとこの地は信濃の守護小笠原氏が治めていたが、甲斐の武田信玄が、この地を占拠し信濃支配の拠点とした。その後、天正10年(1582年)、本能寺の変のドサクサに小笠原氏が奪還した。秀吉が天下を統一すると、徳川家康を関東に移封(1590年)。徳川方の小笠原氏も下総へ移り、石川数正が代わって松本城に入った。数正とその子康長によって、この城と城下町は整備され、近世城郭として現在の松本城の基礎が固まった。

石川数正といえば、徳川家康の譜代にして筆頭家老まで勤めていたが、小牧長久手の戦い(1584年)後、一族百余名で出奔、秀吉に仕える、という大どんでん返しをしでかした武将である。なぜ、長年仕えた家康から秀吉に奔ったかは、今なお不明である。諸説あるが、

『徳川家内の派閥争い、三河武士の無骨さに嫌気がさしていた上に、秀吉に内通しているとの疑いもでてきて、このまま、徳川方にいては粛清されかねないと思っているところへ、秀吉から好条件の引き抜き提案があり、出奔を決意した』

というあたりが妥当ではないだろうか。実際、秀吉は小牧長久手の戦いで家康に勝てず、徳川軍団をかなり手ごわい相手と思っており、数正引き抜きには金に糸目をつけなかったに違いない。

数正はすぐに和泉8万石の大名に取りたてられ、家康が関東に移った後は松本10万石に加増され、それなりに出世をしている。数正自身は秀吉の死(1598年)より早い1593年に亡くなっており、秀吉側に奔ってよかったなあ、と思ったまま他界したと思うが、後がいけない。

長男康長、次男康勝は関が原の戦い(1600年)では徳川方についたため、松本藩の所領は安堵されたが、1613年に起きた「大久保長安事件」に連座、大久保長安と姻戚関係があるという理由で改易され、肥後(大分県)佐伯に流されてしまう。この処置の裏には、数正の時代に徳川を裏切ったことがまだ禍根として残っていたと思う。この時期、大阪冬の陣の前で、家康はまだ健在だった。長男康長は配所で大人しくしていたのか、長命を得、89歳(1643年)まで生きた。次男康勝は大阪冬の陣、夏の陣に大阪方で参戦し、夏の陣(1615年)で真田幸村らとともに討死した。







戦国時代の終わりの頃に建てられた松本城。その姿は黒い甲冑に身をまとった戦国武将のようであり、四百有余年を経た今でも、猛々しき気魂が伝わってきそうである。

幕藩体制が崩壊し明治維新となり、明治6年の廃城令以降、多くの城が壊された。城下町の多かった江戸時代では城はシンボルであり、その町の個性や伝統をささえていたに違いなく、それなりの情緒があったことを思うと残念である。廃城令後に残った城は43城と1城塞で、128城と68陣屋,11城塞が廃城となったそうである。

今となっては沢山の城が残っていた方が観光資源にもなるし、なぜ壊してしまったのだろうと思うが、できたばかりの明治新政府にとっては、城を残すことは死活問題だったのだろう。城は即要塞となるため、全国の不満分子があちこちの城に立て籠もって反旗を翻されたら、産声を上げたばかりの新政府はひとたまりもなかったろう。現に明治10年の西南戦争では政府側は熊本城のおかげで西郷軍を遮ることができた。ヒステリックに廃城令をかざして、城を潰していったのもやむを得なかったかもしれない。

わずかに残った城であるが、太平洋戦争の空襲の標的にされ、さらに数は減ってしまった。原爆で広島城の天守閣は一瞬で吹っ飛んだそうだ。昔の戦の城塞も現代の高性能爆弾ではひとたまりもない。明治政府の武力が強大であったら、たとえば、高性能ミサイルなどを持っていたら、廃城令はださなかっただろう。

松本城を後にすると、いよいよ黒い雲が目立ってきた。雨が降りだす前に本日の宿(ビジネスホテル)目指して結構なスピードで走ったのだった。



                                    <つづく>
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13日の金曜日。

2012年07月13日 | 日々の記録

<昨晩の店の豪華なカルパッチョ。うまかった。>

今日は13日の金曜日、というやつだ。とくに今のところ、不吉なことや不幸もなく、過ごせている。たまには早く家に帰って、巨人対中日戦の首位攻防戦を観ながら一杯やろうと思い、会社は5時半に出た。途中、スーパーで買い出しをして帰って来て、どんぶりサラダ、冷奴、マッシュルームと生ハムのオリーブ油煮を肴として用意し、ビール、冷酒、ワインを呑みながら、巨人対中日戦を観た。今、9:45であるが、1-1のまま10回表を終った。3時間半を過ぎているので、これ以上はやらない。これで、巨人の勝ちはなくなった。観ていて負けたら悔しいのでチャンネルを変えた、

昨日の晩、結構いい店をみつけた。かつて1~2度は来たことのある所なのだが、ツマミの美味しさと日本酒の種類の多さに感心した。日本酒が豊富だった覚えはあるが、肴が旨っかた、という記憶は無い。「かつて」というのは15年ぐらい前の話だ。経営者も代替わりしているようだし、店の方針が変わったのかもしれない。お値段もそんなに高くは無い。これから、日本酒好きの人間とはここに来るといいかも、と思ったのだった。
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今晩から明日にかけて大雨

2012年07月12日 | 日々の記録
九州では記録的な豪雨になっているようであるが、関東地方も今晩から明日にかけて大雨になるようだ。

こんな時は、さっさと家に帰ればいいのだが、今夜も呑まにゃあかん用事があり、まっすぐには家に帰れない。

ま、そうは言ってもホドホドで引き上げようとはおもっいる。今のところは…
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白馬~浜松 列島縦断! 第五話「安曇野」

2012年07月10日 | 自転車の旅

<安曇野。空も雲もなんと鮮やかなのだろう。>


<菜の花の黄色が眩しい。


<川が豊かさを語る>

小生にとって安曇野はあこがれの土地である。もし、老後の暮らしに余裕があって、別荘を一つ買ってもいいよ、と言われれば(誰も言わないが)、真っ先に思いつくのがこの安曇野だ。一時期、この土地に住む人に新聞に入る不動産のチラシを送ってもらったこともある。100坪で温泉が引けて500万円程度の物件はないかと探したものだ。そんなに安い所はなかったが、もう少し頑張ればなんとかなる物件もあった。

ここに別荘を建てたい理由はいくつかある。

その第一、北アルプスの麓である。常念岳に毎日でも登れる位置にある。数日間山に籠るつもりなら、常念から大天井岳経由で素晴らしき尾根伝いに槍ヶ岳へも行ける。春先は山スキー、クロカンスキーを楽しんでもいい。朝起きて天気見てから、準備を始めても遅くはない。晴れたら登って、雨が降ったら読書。小生の究極の愉しみ“晴登雨読”が可能となるのだ。

その第二、温泉地帯なので、自分の別荘にひくのが夢ではあるが、それがだめでも温泉にはことかかない。登山で疲れた体を温泉で癒す。そして、湯上りの生ビール。うーむ天国じゃ。

その第三、山以外にも自然が豊かで川あり、谷あり、野ありで、散歩、ジョギング、自転車、カヌー、釣り、凧揚げ、ラジコン等々、何で遊んでも大自然の中でおおらかに楽しめる環境だ。

その第四、食べ物が旨い。好物の蕎麦、酒、ワイン、水が旨い。わさび、高原野菜をはじめ野菜・果物類も豊富で新鮮だ。馬刺し、牛肉をはじめ肉もある。空気がうまいのでバーベキューや芋煮も一味違うだろう。また、日本海にも近いので魚の鮮度も決して悪くはない。

その第五、地方都市松本にも近いので、空港、鉄道などの飛び道具も使えるし、大きな病院もあり、いざという時にも安心である。

その第六、ここを拠点としてクルマを使えば、上高地、大町、白馬などの北アルプスへの拠点にも容易に行けるし、南アルプスの拠点だって遠くはない。また、糸魚川までも百キロ程度なので日本海の恵みにもありつきやすい。

その第七、美術館などが多く、文化的にも発達している地である。隠居生活の退屈しのぎに絵を描くというのも面白いだろう。

と、ことほど左様に小生にとっては夢のような土地なのである。別荘を建てる余裕がなければ、賃貸マンションみたいなところを半年ぐらい借りて住んでみる、という手もある。うーむ。元気なうちに実現したいなぁ。会社を辞めても食っていける手段を真剣に考えたくなるナ。

さて、自転車の旅。この安曇野を快適に走り抜ける。あいにくと雲が多く常念岳をはじめとした北アルプスのいただきは拝めなかったが、広々としたここの景色を眺めながらの走りは心地よかった。途中、大王わさび農園のところは田舎道にもかかわらず(だからかもしれないが)、クルマの渋滞がひどかった。そこを縫うようにして抜ける。雲行きが怪しくなてきたので、少々焦り気味に松本を目指した。

                         <つづく>
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