萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

仙台大荒れ

2009年01月31日 | 日々の記録
本日、仙台地方は大荒れの天気。雪が横殴りに降っている。気温は日中でも2℃より上がらず、秒速10m前後の北西の風が吹き荒れている。昼間、コンビ二に弁当を買いにいったが、傘をさしていると飛ばされそうになる。この雪は夜になって益々降るそうだ。

月末の節目だし、同僚と一杯やる約束をしていたのであるが、中止にした。こんな時は大人しく家に篭っているに限る。ましてや明早朝、法事で宇都宮方面に出かけなければならない予定もある。

ということで大人しく(?)家で呑むことにした。帰宅途中にスーパーで買出しをしてきた。プラスチック容器のまま肴として食べるのも味気ないので、手持ちの皿に盛ってみたのが下の写真。



扇形の皿に乗っているのは蛸刺し298円。四角い皿に乗っている焼き魚は左がニシン、右がサバ。ともに100円だ。右上の黄色いのはカボチャのクリームサラダ、148円だ。冷奴は絹、78円。〆て724円。どれも、値段の割りには美味しかった。724円という値段は居酒屋では安いところでも、一品か一品半の値段であるが、スーパーで買って、家で呑めば5品揃う。酒の肴としての量としては十分だ。酒代も自宅で呑む分にはしれている。

やはり、“節約”ブーム下では、外食業界は厳しくなるだろう。もっとも、悪天候でさえなければ、小生は外食業界に貢献する“覚悟”はあるのだが・・・。
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本日は「萬蔵庵」開設記念日なのだ

2009年01月30日 | 日々の記録

<津軽海峡。晴れのち曇りのち嵐。いろいろありました。>

本日は「萬蔵庵」開設記念日である。2007年1月30日に「インドを走る!連載開始」というタイトルで全世界に投じた日から丸2年経ったのだ。最初はどんな反応があるのだろうかと、ヒヤヒヤであったが、底無し井戸の闇に投げた石のごとく、なんの音も聞こえない日々が続いた。

ま、こんなもんだろうと思いつつ、閲覧数や訪問者数が増えないものかとやきもきしたこともあった。他の人のブログを覗いている内に、「やはり、毎日なにがしかを書こう」と思い立ち、2月25日からは毎日書くことにした。以来、何度か通信できない環境や呑んでバタンQなどで失敬した日もあるが、ほぼ毎日なにがしかを書いている。(失敬したのは5~6日程度だと思う。)

昨日までの通算記事は707話。そのカテゴリ別内訳は多い順に記すと以下の通りになる。

 1. 日々の記録(264)
 2. 散歩(93)
 3. 野球(77)
 4. 自転車関連(67)
 5. 酒食・グルメ(47)
 6. 大宮アルディージャ(30)
 7. 自転車の旅「インドを走る!」(26)
 8. その他旅行(25)
 9. 中欧の旅(23)
 10.健康、ダイエット(21)
 11.おすすめモノ(17)
 12.山と温泉(14)
 13.呑機会(2)
 14.はじめに(1)

「日々の記録」は分類不能な場合に選ぶ“その他”的なカテゴリでもあるので、多いのは当然であるが、2位は散歩の93だ。練馬の事業所に通っているころは毎朝訪れる石神井公園ネタが多かったから、さもありなんである。もっとも、2、4、7、8、9、12は“旅的”なカテゴリと言ってもよく、これらの合計は248になる。「萬蔵庵」は旅的要素の濃いブログで、野球や大宮アルディージャの情報がそこそこあり、健康・ダイエット、おすすめモノが時々ある、といったところか。昨年7月からの仙台異動でますます“旅的要素”は濃くなると思う。小生の望むところでもあり、嬉しくてしょうがないのであるが・・・。

当面はこの流れで行くと思うが、もう少し、本を中心とした「おすすめモノ」を増やしたいと思っている。また、「自転車の旅」というカテゴリを作って、まだ完結していない「讃岐・阿波」を始め、「旧中仙道」「津軽」「江差」「三浦半島」などの自転車の旅紀行をすべてこの中に入れるようと思っている。(「インドを走る!」だけは別格。)

ま、ともかくも明日から三年目に突入である。“さらなる充実”を目指して頑張る所存です。

乞うご期待!
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イルミネーション

2009年01月29日 | 日々の記録

<六本木ヒルズ前のイルミネーション>

上の写真は、先日、六本木ヒルズに行った時に撮ったイルミネーション。遠景の赤く光る鉄塔は「東京タワー」。白い光をベースに所々紫や青の光もあり、さすがに“こじゃれ”た飾り付けであった。ただ、寒い国からきている小生としてはあの光景は“氷”をイメージしているようで、寒々しい。遠景の東京タワーの“赤”にほっとする思いがした。東京だから許されるが、仙台や札幌では「余計、寒くなるじゃねーか」と怒られそうなイルミネーションだ。

下の写真は年末に撮った、仙台は定禅寺通りのもの。光に温かみがある。飾りつけている元のケヤキの大きさが違うので迫力はコチラの方が上だ。また、12月一杯でキッパリとやめている。六本木の方は未だに点灯している。有限のエネルギーの効果的活用という意味でも褒められることではない。

金さえ払えば何をやってもいい。

という文化が六本木ヒルズ界隈には未だ濃厚に漂っているのかもしれない。


<仙台定禅寺通りのイルミネーション>
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器のかたち

2009年01月28日 | 酒食・グルメ?

<紅茶を飲もうと思ったが・・・>

ビジネスホテルでお茶でも飲もうと湯を沸かした。普通、こういうビジネスホテルには日本茶しかないのであるが、ここには紅茶もある。珍しいので紅茶を選んだ。湯が沸いたのでカップに紅茶パックを入れて、いざ呑もうとしたら、カップが熱くて持てない。あわてて、手を離す。

良く見たら、カップのデザインは日本茶でも紅茶でも呑めるようなものになっている。“取っ手”は無い。取っ手は紅茶には合うが、日本茶には合わないからであろう。むしろ、白い安物のカップから、日本茶のために“取っ手”をとったデザイン、といった方が分かりやすい形だ。

ここでハタと思った。なぜ、西洋のカップには取っ手があって、日本の茶器には無いのだろうか、と。考えてみれば、熱い湯を器にそそげば、器の外側も当然熱くなる。いくら、昔の人の指の皮が厚くても、熱さは感じたろう。それを、避ける為に西洋ではカップに取っ手をつけた。これは合理的な対応であったと思う。

何故、日本では付けなかったのか?

・そもそも、お茶は熱々を飲むものではない。
・茶器に異物を付けるなんて、自然美に反する。
・熱さ対策なら取っ手を付けるより、器に厚みを持たせればいい。
・温暖な気候なので、取っ手をつけてまで熱々のものを飲む必要がなかった。
・熱いなら冷めるまで待とうホトトギス、もとい、飲み茶碗。

などが思いつくまま考えられる。はたして、真相やいかに。

なんてことを書いている内に、紅茶は飲み頃をとっくに過ぎて、冷めてしまった。
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足寄「芽登温泉」

2009年01月27日 | 山と温泉

<「露天風呂」の看板の下にフクロウが・・・>


<宿の夕飯>

この前、北海道は帯広へ出張した折、味気ないビジネスホテルに泊まるのもなんだしということで、同行の地方座長T氏と足寄にある芽登(めとう)温泉に泊まった。「日本秘湯を守る会」の会員宿である。

ここは、露天風呂がいい。広いし、湯の底に大き目の石がゴロゴロしているので、暖まったら、そこに腰掛けてノボセを冷ますことができる。長い時間、湯にいられる工夫がされていて、浸かり心地が実にいい。

男女各々に内風呂があるが、露天風呂は混浴である。幸いと言うか残念というか、当日の泊まり客は我々二人の他も男性のみであった。ま、その方が気楽に入れるのではあるが・・・。

それにしても、この露天風呂は置物のフクロウが本物であっても、不思議ではないほどの自然の中にある。ここいらには鹿が多いと聞くに及び、鹿が浸かることもあるのではないか、と本気で思った。

出発の日に、勘定を済ませて出ようとすると、芸能人の写真とサインが貼ってあるのに気づく。みれば勝谷誠彦氏のものもあるではないか。

 風花や 鹿と入りたる 露天風呂

という素直な句入りのサインだ。マルチで活躍している氏の肩書きはなんだろうと思ってウィキぺディアでチェックすると「コラムニスト、写真家、コメンテーター」とあった。まだ、読んだことはないが、氏の著書に「朝湯、昼酒、ローカル線」というのがある。この温泉も載っているのかもしれない。今度読んでみるか。


<多くの著名人も訪れている>
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旧道庁の鴨たち

2009年01月26日 | 散歩


昨日の日曜日の朝、大宮の家を出て仙台に戻り、今日一日仙台で仕事をして、夜は再び大宮の家に帰ってきている。よく考えたら先週水曜日から今週にかけて、仙台~大宮間を2.5往復している。こういうのもさすがに珍しいが、出席せにゃならぬ会議やイベントや会食が輻輳するとこんなスケジュールになってしまう。

こんなにバタバタしていると、ブログを一日の内の何時投稿するか、というのは結構な悩みごとである。一日外に出ていて夜は宴会などという時は、その日の朝、出かける前にやってしまっておくに限る。前の日に呑み過ぎたりして、朝に余裕がない時は電車の中などで携帯から書き込んでいる。ただ、やはり写真無しだと面白みに欠けるので、なるべくパソコンから投稿したいと思っている。

もっとも、写真の方もかならず記事とは一致していない。今日の写真も先々週の日曜日に札幌駅周辺を散歩していた時に撮ったもの。旧道庁の池の端で鴨や鳩にエサをやっている人がいて、鳥たちが群がってきた時の一コマ。

雪面の反射する光が鳥たちをくっきりと際だたせているのが、妙に美しく見えた。絵心があれば絵にしたいところだが、生憎と“腕”も“暇”もない。“暇”さえあれば、ヘタでもいいから挑戦したいとは思うのだが・・・。
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大宮公園散歩

2009年01月25日 | 散歩


一昨日は非常に温かい日であったが、昨日は一転、時折ほんの微量ではあるが雪がちらつく寒い一日であった。実際、「仙台よりも寒いじゃないか」と思ったぐらいである。そんな中、氷川神社に正月の松飾を納めに行ってきた。

姪と甥の大学受験の合格祈願を含めたお参りをすませ、ボート池の方に足を伸ばすと、全体が冬景色の中点々とした赤い花が目に飛び込んだ。紅梅がほころびはじめていたのだ。白梅の方はまだまだ小さな蕾のままであったが、後半月もすれば紅と白の花が咲き、春の訪れを伝えてくれることであろう。

公園駅前の「まえ田」で蕎麦を食べてから、電車で大宮駅へ。会社の同期入社の連中との会合だ。二時集合でボーリングでもやってから夕方から呑む、という酒肴、おっと趣向だ。

ということで、二十数年ぶりにボーリングをやった。久々のボーリング場はパチンコ屋かと思うぐらいに喧しいところだった。若者が多いのであるが、彼等の傍若無人ぶりにあきれた。ストライクを取った時の奇声。ファールラインを1メートルもピン側に踏み込んで投げる、ルール無視のプレイ。帰る時に、呑んだモノもそのまま、ボールも片付けずにいなくなる。館内禁煙なのに、灰皿持ち込んで吸いながらやっている奴等もいた。注意する店員はいない。

とんだ無法地帯に足を運んでしまったものだと思った。二十数年ぶりのボーリング場は小生に日本の“荒廃ぶり”を教えてくれた。
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仙台~大宮クルマ移動

2009年01月24日 | 日々の記録




この前、仙台から大宮までクルマで移動した。330キロを3時間40分で走破した。新幹線「はやて」なら1時間15分で着く。費用は今のガソリン代リッター100円前後であれば、高速代含めてほぼイコールだ。二人以上で行くならクルマの方が安あがりだ。

小生は当然、新幹線派である。時間は三分の一、乗ってる間、呑もうが、寝ようが、本を読もうが好きにできる。クルマだと時間がかかる上に、呑めない、寝れない、読めないという損な事ばかりである。

だが、久々に運転して思ったのは、自分でクルマを操縦する楽しさ、みたいのはある。新幹線だと運ばれるだけだが、クルマには自分で“動かす”楽しみがあるのだ。電車は受動的だが、クルマは能動的である。その辺が面白いといえば面白い。ま、環境のことなどを考え合わせると、やはり、新幹線の方に軍配はあがるが・・・。

安達太良SAで休憩した時に変わった牛の像があった。実物大の牛に田園風景が描かれている。左前足が川になっていて、麦畑から子供が顔出している。やたらと目が大きい子だ。木に生っている実はリンゴだろうか。牛の目が水溜りを表しているのか、水色なのが異様である。面白いのだが、全体的に“不気味”な印象だ。ドライバー達の眠気を覚ます仕掛けなのかもしれない。
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東京は暖かい

2009年01月23日 | 日々の記録
今日は社用で都内に出てきているが、こっちは気温が高い。日中は17度前後あったようだ。
持ってきたマフラー、手袋はもちろん、コートもいらないぐらいだ。さすがにこっちでも異常気象のようだが、気味が悪いぐらいの陽気である。

今日はこれから会議の打ち上げで高田馬場あたりに飲みに行くが、さぞや、ビールが旨いことであろう!
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久々、都心に足を運ぶ

2009年01月22日 | 日々の記録

<六本木ヒルズ>

昨日、社用で六本木ヒルズに行ってきた。都心に足を運ぶのは久しぶりだ。高層ビルの上から眺める景色は、ビル、ビル、ビル、ビル、ビルのビルだらけ。「東京砂漠」というより「東京ジャングル」だ。よくぞ、こんだけ造ったものだと思う。あのひとつ、ひとつの部屋に人が働いていたり、住んでいたりするのかと思うと、ゾッとする。

仙台に住んで、田舎回りをしている今日この頃の目で久しぶりに“東京”を見ると、“異常”に見えてしまう。なんでもかんでも“東京”という、一極集中主義、現象の成れの果てだ。もっと、地方分散型にすれば、東京も住みやすくなるし、地方の財政も豊かになるはずだ。

もっとも、東京から人が流れてきて、仙台が300万都市、札幌が500万都市になってしまうのも困るが・・・。いや、そうなると地方都心への集中化であるから、仙台、札幌は今のままで、盛岡や山形、旭川や函館が100万都市、というイメージの方が地方分散というにはふさわしい。人が100万人集まれば、仕事も増える。東京は今の半分、600万都市ぐらいにして、公園や森を増やす。交通渋滞や満員電車も緩和されて住みやすくなるだろう。

日本全体に活気がみなぎるような気がする。
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建設中なり、札幌雪まつり!

2009年01月21日 | 散歩

<大通公園では「雪まつり」に向けて準備がすすんでいる>


<最初はビル建設だと思って眺めていた。よくみると足場の内側には白い雪が・・・>


<何が出来るのかわからないが、ジャンプ台のようなものを建設中だ。>

先の日曜日。札幌駅周辺を散策している時に大通公園にも行ってみた。「雪まつり」の準備をしているのではないかと思ったからだ。雪まつりは2月5日~11日の七日間である。もうそろそろ、何かやっているだろうと思って行ってきたのであるが、驚いた。

5~6階建ての建物を建てるような足場がアチコチに組まれており、大きなクレーン車が雪を運んだりしている。セメントや砂が雪に変わっただけの、本格的な“建設”作業を目のあたりにしたのだ。

1950年に大通公園の雪捨て場の雪を使って、地元の中高校生たちが作った6体の雪像がことの始まりだという。以来、今年で60回目の「雪まつり」になるそうだ。半世紀以上の歴史をもつ伝統あるイベントなのだった。その頃の中・高生も今や、70歳代後半の年齢になる。今でも集まって呑めば自慢話に花が咲くことであろう。今ほど巨大でなくとも、“創始者”というのは尊敬に値するものだ。

もっとも、1950年の「初雪まつり」に5万人の人が観に来たと言うから、中高校生の手になる雪像も、かなり本格的なものであったに違いない。1955年から、自衛隊が参加するようになって、益々大きな雪像が作られるようになったという。今や毎年、7日間に200万の人が見に来る一大イベントになっている。

自衛隊の人たちが「Dreams」という雪像を作っていた。なにやら、形になってきている。2月5日のオープンに向けて一所懸命の様子であるが、巨人ガリバーに群がる小人達の絵を思い出した。まさに“夢”をみるような思いで眺めさせてもらった。

関係者一同大真面目に取り組んでいるのを感じた。決して遊びではない。全国から200万人の人が札幌にやってくるのである。手を抜けない観光資源である。出来上がった雪像はさぞや素晴らしいものに違いない。観てみたいものだ。

「2月5日から11日かぁ。こっちでなんか仕事をつくるか。」

と悪魔が小生に囁くのであった。


<“Dreams”は着々と形になってきていた>


<そもそもは、こんなかわいい雪への落書きのようなものから始まったのかもしれない。>
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開発の爪痕!?

2009年01月20日 | 日々の記録

 仙台市の南にあたる長町周辺は現在「副都心」と称して大々的に区画整理をしている地区である。広々とした車道に広い歩道が敷かれ、大きな街になる準備は整いつつあるが、まだ、広大な敷地に立つ建物は少ない。急激な不況下で予定通りの街づくりができるのかどうか。関係者はさぞ首筋が寒かろうと想像する。

そんな中で前から気になっている建物と言うか、旧道の残骸がある。小生はこれを“開発の爪痕”と密かに呼んでいる。着々と駅前を中心に開発がすすみ、綺麗な道路や駅舎や駐輪場が整備されているのに、なぜか、この旧道の残骸、恐らく鉄道を越えるために作られた旧陸橋の一部が百メートルぐらい、両端を削られたまま残っているのである。

なぜ、さっさと取り壊してしまわないのか不思議である。子供達や小生のような物好きが入りこんで間違いを起さぬよう、柵で囲ってある。よく見ると上の方には標識やガードレールもそのままだ。ここまで開発して来てが財源がなくなり、急にストップがかかったのだろうか。数年来このままのようだ。

無理な開発をした行政が孫子の代まで反省するように、このままにしておくのかもしれない。



<鉄道を越える為の旧道がここで削られている。上の方には標識も見える>


<反対側も削られている。脇にはガードレールが残っている。入り込まれないように青い柵で囲っている。>
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帰ってきた!「武蔵丸」

2009年01月19日 | 自転車関連

<交番から会社の途中で撮影。仙台、長町駅近く。>

盗まれた「武蔵丸」が帰ってきた!

朗報は先週金曜日の朝、宿泊していた札幌のホテルの部屋を出ようとした時であった。朝の8時前から私用の携帯電話が鳴った。出てみると、仙台の交番からだ。この前、一緒に呑んだ同僚が近所を歩いていたら、小生の盗まれた自転車を発見し、交番に連絡があったという。さっそく、出かけて防犯ナンバーと照合したが、間違いなく小生の自転車だという。交番で預かっているとのこと。昨日まで札幌出張だったので、今朝方、交番に自転車を取りに行った。

お巡りさんが言う。犯人捜査のため、自転車についた指紋を取らせてもらった。ついては小生の指紋と区別するために、小生の指紋を取らせてくれという。以前、大宮の自宅に空き巣に入られた時も指紋を取られた。その時思った。「これで、俺も大宮や埼玉では悪いことはできないな。」と。今回も、両手の指から手のひらまで念入りに取られた。これで、仙台や宮城県でも悪いことはできなくなってしまったのだ。悪いのは盗んだ奴なのに、なんで念入りに指紋を取られにゃあかんのだ。という疑問と不満は残った。

ま、何はともあれ、1月5日以来、二週間ぶりの武蔵丸との対面は嬉しかった。盗まれた場所からそう遠くはないところにあったそうだ。思うに、終電の無くなった酔っ払いが失敬しようとして、現場から離れた場所まで運んで、鍵を壊そうとしたが、堅牢な鍵なのであきらめて捨てていったのではないか。また、内装8段、ベルト装備でステンレスリムの武蔵丸(BS製プレスティーノ8)は結構重量がある。後輪を持ち上げて運ぶのも疲れたことだろう。

交番から会社まで走ってみたが、どこもおかしくはない。これからは、気をつけよう。呑む時はちゃんとした駐輪所に預けるべきだと思った。

ま、何にしても、メデタシ。メデタシ。
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札幌駅周辺散歩

2009年01月18日 | 散歩

<札幌駅前。30年前とは隔世の感。全国、どこでもそうであろうが・・・>


<旧道庁のテッペンに北海道の旗がはためく>


<札幌の象徴>

札幌から夕方戻った。仙台―札幌間の便はJALでいうと、8:05、10:45、16:00、18:05の4便しかない。8時、10時で帰るのは忙しい。16時というのはあきすぎだが、仙台に戻って暇つぶしをしようが、札幌で暇をつぶそうが、どちらでもいい身分であるので、16時の便を予約しておいた。ということで、今日はゆっくりとホテルを出て、札幌駅界隈を散策してから、帰ってきた。

駅前の様子は小生が30年前、初めて札幌に来た時に比べれば格段に垢抜けている。最近では駅に大丸ができたこともあり、買い物の中心は大通りやすすきのよりも駅周辺に移ったそうだ。地下街も大通り~すすきの間しかなかったのだが、札幌駅から大通りまで現在建設中だ。これが完成すれば、駅からすすきのまで地下街を通って行ける。雪国の札幌にとってこれはどれだけありがたいことか。北都札幌は着々と開発が進んでいる。

雪の旧道庁も見てきた。小生の革靴は山形で買った雪道仕様で靴底はすべらないようなパターンになっているのであるが、日陰のツルツル道では歯が、もとい、パターンがたたない。何度かスッテンコロリンの危うき目にあいそうになるも、こらえた。振り返ると道産子たちは同じ道でも平気で歩いている。携帯電話をかけながらでも小生のような危なっかしい歩き方はしていない。この差はなんなんだろう。長年の慣れなのか、靴なのか。山形で買った靴などでは札幌では通用しないのかも知れぬ。

時計台も見てきた。札幌と言えば時計台とみそラーメン。小生の頭の中の札幌だ。30年前にもきた。自転車で来て、友達と時計台をバックに撮影しようとしたが、一眼レフの50mmレンズでは地べたに這いつくばるようにしてもうまく入らなかった記憶がある。当時と比して、建物自体は変わっていないのだろうが、周りにこんなに高いビルはなかったような気がする。

いずれにしても、札幌というのはいつ来ても、本州の都市とはどこか違う、西洋的なイメージのする街だ。そう思わせるのは歴史なのか、冷たく澄んだ空気の所為なのか。いずれにしても、大好きな街のひとつである。
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札幌、帯広往復

2009年01月17日 | 日々の記録


昨日は午後になってから、札幌から帯広へと向かった。札幌、帯広間は感覚的には近いように思っていたのだが、とんでもなかった。250kmはある。しかも、高速道路は夕張で一度降りて、山を越えなければならない。晴れてはいるが、所々路面は凍っているので、スピードは出せない。ということで、帯広に着くのに三時間半を要した。もっとも、クルマの運転は同行の道産子の地方座長がしてくれた。

座用は1時間程で終わり、その後は予約していた最寄の温泉旅館へ行く。最寄と行っても50キロはある。道産子の運転手なので安心していたのだが、彼はナビを過信。中々着かないなと思っていたら、高速道路を使った100キロ弱の遠回りコースを走っていた。

途中、鹿、飛び出し注意の看板が頻繁に出る。ただの脅かしかと思ったら、さにあらず。同行の道産子氏が言うに、自分もぶつかりそうになった経験があるし、友人は買ったばかりの新車で鹿の群れに突入、4頭を仕留めたが、クルマもお陀仏。3年経つがまだ、新車のローンを払っているという。また、彼の叔父さんは二度ほど鹿とぶつかり、二台ともお釈迦。二度目は手首を骨折したとのこと。

というぐらいであるから、いつ鹿が飛び出してきてもおかしくないのが北海道の道だ。慎重な運転で凍った夜道を行くことになる。

宿には6時半に着いた。この温泉旅館についての詳細はまた後日にでも。明けて、本日。朝の冷え込みはあったものの、天気はすこぶるよし。帯広経由で札幌に戻る。途中、上士幌あたりで、青空に気球が2個3個。何かの宣伝だと思うが、白く広い大地の青空に浮かぶカラフルな気球は絵になる。雄大な北海道らしい景色だ。クルマを止めてもらって、写真を撮る。

途中昼食をして、札幌には15時に着いた。
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