萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る! 第10話 「一難去ってまた一難」

2007年05月30日 | 自転車の旅「インドを走る!」


※「インドを走る!」について


 M君が高熱を発する。昨晩は頭痛腹痛の為一睡もしていないという。39.6度もある。さっそく、毛布を借り、トンプクを飲ませる。E君本にて病名を探ぐる。マラリアの疑いあり。マラリアというのは初期症状において、三日に一度ぐらい高熱を発するのだそうだ。M君は三日前にカンプールで高熱を発している。これは大事である。すぐに病院へ連れて行く。ドクター、普通の風邪だという。ひとまず安心する。

 ホテルに戻ってきてM君を寝かせつけると、私もE君も何故か疲れ、麻で編んだベッドに身を横たえる。柔らかなまどろみが気だるい全身を徐々に包み込んできて、いつの間にか深い眠りに陥る。

 目を覚ますと陽が大分傾いている。M君の様子をうかがうと気分は良くなってきたというので、E君を誘って夕食を食べに街へ出る。帰りにビスケットやバナナなどを買って帰るが、M君下痢もしているようでいらんといい、ウメボシ汁を飲んだのみ。明日も走れないであろう。

 昼寝をしたので、E君と二人でかなり遅くまで話し込んだ。日本にいる友人達のこと、日本でのサイクリングの思い出、繊細な味付けの日本食への憧れ等々。日本の話になると話題が尽きない。話が一段落すると、二人とも現実に引き戻され、大変な所に来てしまっているのだという思いが思考能力を鈍らせ二の句をつげなくした。

 部屋の中は闇である。天井に付いている直径一メートルぐらいの大きなファンのガラガラという音と、すでに寝ているM君の寝息のみが闇を通して聞こえてくる。私もE君もそのまま寝入る。

 翌早朝、M君疲れているためか、いきなり寝言で

 「行けぇー!」

 とわめき、

 「チキショー、うるせえなインド人はブツブツ・・・」

 と大声で叫びやがる。この声の大きさに私とE君ハッと目が覚める。M君もまた自らの声の大きさで目を覚ます。とんだ目覚し時計である。


 ヒンドゥ教の聖地バラナシという街がこのラクノーから南へ約70キロの所にあり、自転車で行く予定であったのだが、3人の体調及び日程的な問題から、宿に自転車・荷物等を置き汽車で行ったほうが無難であろうということで、午前中E君と二人でラクノー駅へ予約切符を買いに行く。
 
 外見は非常に立派な駅である。その様相はあたかもインドの寺院の如くに大きく色彩も艶やかである。だが、ひとたび構内に入るやいなや、外見とは大違い。天国と地獄を見るようである。薄暗い構内には浮浪者や列車待ちの人達が所狭しと寝たり、座ったりしており、それらの人々に混じって何をしているのかは分からぬが何頭かの牛が頭を出しておる。構内だからといってうっかりしていると牛の糞を踏んづけてしまう。蒸し暑い人いきれの中に糞尿の臭気が充満しており、まことに汚い構内であった。

 既に指定券は売切れていたので乗車券だけを買って宿に戻る。宿のオヤジが言うには乗車券だけでも99%は座れるから大丈夫だというので安心する。3人で夕食をすませてから駅へ向かったのだが、私の食べたチキングリルがどうも臭かった。これが数時間後私をのたうちまわらせる元凶になるのだが、その時の私には判るはずもなかった。

 汚い構内で一時間程待っているとバラナシ行の列車が入線してきた。大勢のインド人たちがホームに溢れ出る。待っていた乗客が狭い列車のドアに吸い込まれるように乗り込んで行く。この光景ばかりはインドも日本も変わらない。我々も勢いよく乗り込むが座れる席無し。「99%とはよく言ったものだ。あのくそオヤジめ。」三人揃って不平を云う。運悪く1%の確率に当たった模様。床もインド人で埋め尽くされおり、空いている床は汚い便所の前だけである。三時間も揺られて行かねばならないので仕方無く、そこに座ることにする。

 M訓に体調は大丈夫かと聞くと大丈夫だという。ひとまず安心。

 (後は多少匂う場所であるが、三時間我慢していればバラナシへ着く。)

 などと膝を抱えて考えていると、急に腹の具合がおかしくなってきた。腹に内部からの圧迫を感じるや否や急激に重くなり、痛み出してきた。胃袋の中で大反乱軍が暴れだしたのである。貧血にて脂汗をかき、目眩が生じ、とても三時間も列車に揺られて行く自信は無くなった。

「だめだ、どうもさっきのチキンが当たったようだ。俺は明日にでもバスで行くから先に行っててくれ。」

と発車十分前に彼等に言い、列車を出る。E・M両君、おまえを一人にさせられるかと一緒に降りてくる。美しき友情なり。結局三人とも列車を見送ることになる。

 腹痛はますますひどくなり、ホームのベンチに転がるが意識が朦朧としてきて口も聞けなくなる。両君が私を抱えるようにして構内を出、リキシャに乗せ、24時間営業の国立病院へ連れて行く。

 病院に入ると、まずベッドに寝かされた。一人の医者が来て私の左うでを捲り上げ押えつけて置き、肘の内側を手刀で薪でも割るかのように叩いた後、手を握って力を入れろ、という。何事が始まるのかと思っていると、もう一人の医者が牛か馬にでも打つような巨大な注射器を持って私に近づいてくる。針も長く、量も多い。下準備に凄味があったので、コリャさぞかし痛かろうと思っていると案の定、針が腕を突き抜けたのではないかと思うぐらい痛かった。薬も二粒ほど飲まされたが、仰向けの状態で水無しで口に放り込まれたので食道あたりに翌朝までひっかかっていた。なんとも凄まじい治療方法で恐れ入った次第である。

 M君何やら医者と話していたが、注射が効いたのかいつの間にか寝てしまい、M君が帰ったのは分からずじまいであった。

 (インドを走るということは恐ろしく大変なことであると、またまた痛感させられた出来事でありました。)

                                つづく
コメント
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