<会社同期の友人ホセ氏撮影。皆既となっても赤黒い月だった。7時の位置に天王星を観ることができる。左は20:32時点、右は20:42時点とのこと。右の写真はまさに「天王星食」寸前の映像である。>
令和4年(2022年) 11月08日 (火) 晴れ 総歩数 4,932
今晩は皆既月食という天体ショーを堪能した。iPhoneで撮ろうとしたが、全くダメ。目に焼きつける方針に変更。ところが、一眼レフを持っていてテクニックのある、会社同期のホセ氏が上の天体ショーの映像を送ってくれた。誠にありがたし。
国立天文台によると、前回、日本で皆既月食と惑星食が同時に見られたのは、今から442年前、織田信長が活躍した安土桃山時代の天正8年(西暦1580年)6月15日だったとのこと。
徳川家康の家臣、松平家忠が記した「家忠日記」の天正8年6月15日に「月しよくいぬゐの時かいけん」と読める記述があり、『いぬい』とは午後7時から11時の時刻を指し、計算からは天正8年6月15日の皆既月食は午後7時32分ごろに始まり、午後8時44分ごろに終わったとみられ、「月食」の記述がある時刻と一致するとのこと。
「家忠日記」をまとめた書籍「松平家忠日記(角川選書)」という本を持っていたので、早速覗いてみたが、月食の記述は見当たらなかったが、天正8年(西暦1580年)といえば、織田信長が武田を滅ぼす準備をしていた時期で、同盟者の家康の家臣だった家忠も武田を攻めるために静岡県の「牧野原城」につめていた頃だ。
当時は夜になれば、真っ暗闇。その時、家忠25歳。信長の天下統一目前、煌々と照る月の皆既食、どんな気持ちで眺めていたのだろう。この二年後本能寺の変。家忠は徳川家康の天下取り目前の西暦1600年、天下分け目の「関ヶ原」の時に伏見城で戦死。45歳だった。
殺伐としてはいたが、充実していたであろう戦国武士の家忠の観た「皆既月食」と、今晩隠居人の小生が観たそれと、違いがあったのか、無かったのか。樹齢500年以上の樹々にしかわからんか。
この次、観られるのは322年後だそうだ。現代人で観ることができる人はいない。不公平なことの多い人の世であるが、これほど公平なことはない。