萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

バリ島へ行ってきます!

2007年12月31日 | その他旅行


 日本は寒い。寒波が来てる。ここを抜け出し、南国の島へ今日旅立つ。昔から、寒い時には暖かい所でのんびりした方が身体にはいい、と思っていた。芸能人たちが正月にハワイに行くのもうなづけた。ただし、一般庶民には贅沢なことだと若いころは思っていた。だから、いざわが身に同じような旅が、いとも簡単に実現してしまうと、「ホンマかいな」と思ってしまう。

とにかく、行ってみようではないか。よければ、毎年の恒例行事にするし、つまんなかったら、嗜好を帰ればいい。家でくすぶっているよりは、きっと面白いことがあるはずだ。

ということで、これから、バリ島へ行ってきます。ネット環境がいまいち不安。もしかしたら、投稿できないかもしれない。その時は帰ってきてまとめて投稿します。

んじゃ、行ってきま~す!よいお年を!


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年末のお飾り

2007年12月30日 | 日々の記録


例年、お正月を迎える真似事だけはやっている。昨今、クリスマスを意識してか、年末になるとイルミネーションが光っている家は多いが、門松を飾っている家は反比例するように年々少なくなっている。

日本の家屋と自然には、イルミネーションよりも門松の方が余程似合っていると思うのだが、どういう分けか、門松はなくなってきている。いい加減な小生でも一応29日を避けて、年始を迎える飾りはやる。

後日紹介するが、神棚の飾りもそのひとつである。何分、年末は忙しいので、毎年十分なことはできないのだが、今は亡き父に教わったことは、律儀に再現しているつもりだ。父に見られたら、“あまい”と言うだろうが・・・。
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年賀状終了

2007年12月29日 | 日々の記録


本日、朝から年賀状に取り組む。例年、仕事納めの翌日だ。もっと前からやろうと思いつつ、結局このタイミングになってしまう。ま、なにはともあれ一応書いた。あとはポストに入れるだけ。今晩は今年最後の忘年会がある。もう出かけないとやばい。年賀状もって、出かけよう!
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2007年仕事収め

2007年12月28日 | 日々の記録


 本日仕事収め。いつものことながらアッという間の一年でした。しばし、この席ともおさらばだ。それにしても今年の年末年始休暇は9日間もある。趣味多き勤め人なので長い休暇は嬉しい限り。例年、年末年始はおとなしく家で過ごすのだが、今回は休みが長い。急遽、暖かい島にでも行こうと思いつき、バリ島を手配した。あいにく、飛行機はキャンセル待ち状態であったが、今月始め切符が取れた。

ということで、年末年始、大寒波が迫る日本を抜け出し、4泊6日でバリ島バカンスだ。一年間でくたびれた心身を南国の島で癒す。休息は活力の母。新たな年に備え、活力ある心身にリフレッシュしておくのだ。と、気張って行くのもいいし、何にも考えずに酒でも呑んでボーっと過ごすのもいい。ハンモッグを吊って本でも読みながら、呑む。いいねぇー。段々その気になってきた。

ともかくも、仕事は今日で終わり。明日から“休み”だ!

上の写真の左のディスプレイの下に写っているのは松井秀喜のミニフィギアだ。拡大したのが下の写真。このフィギアともしばしのお別れ。来年は松井にも頑張って欲しいネ。
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公園はすっかり冬枯れ、と思いきや・・・

2007年12月27日 | 散歩


大分冷え込んできた。それは、布団から這い出る時や家から一歩出た時に吐く息の白さで実感する。電車の時間は間に合うのに、つい駅まで小走りしてしまう。

長い連休に入る。今年は曜日の関係もあり、休みの少ない当社でも9連休ある。明日が仕事納めであるが、朝、公園によっている時間がない。その為、公園散歩は今日が本年最後となる。見納めだ。

落葉樹のほとんどが葉を落とし、広場と小道の境を覆ってしまい、広々とした空間を造っている。色は違えどどこか雪景色に似ている。こんな寒い朝でも、カラスをはじめとした鳥たちは活発に活動している。エサが少なくなってきて、焦っている様にも見える。そういえば、一ヶ月ほど前は鈴なりに生っていた柿も全て落ちてしまって、ひとつもない。「これからは、どんどん冬になる。」と思って歩いていると、

まだ、紅葉(もみじ)の残党が鮮烈な紅を主張していた。




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“哀しき”クリスマス

2007年12月26日 | 日々の記録

<大宮駅西口のイルミネーション。世間はX'mas。>

24日のイブの晩は昭和30年代前半生まれの男4人で呑んだ。このこと自体、哀しい気もするが、“哀しさ”は他にある。メンバーを紹介すると、まず、タイ在住で今月半ばから戻ってきているドラゴン氏、今月いっぱいで25年勤めた会社をやめて久留米に帰るS田氏、来月いっぱいで26年勤めた会社をやめて故郷の滋賀に帰るK杉氏と小生の4人である。

ドラゴン氏は学生時代からの小生の友人だ。K杉、S田両氏は会社に入ってからの友人である。入社以来、四半世紀、野球、山、山スキー、温泉、酒とよく遊びまわった仲間である。ドラゴン氏も時々この仲間に加わった。この日は28日に久留米に帰るS田氏の送別会、ということで集まった。その日がたまたまイブだったというわけである。

いつもと同じように呑み、話して、したたか酔って解散した。が、別れてから考えた。「このメンバーで“呑む”ことは、今後はめったに無いのではないか。もしかしたら、二度とないかもしれない。」と。

ご存知(?)の通り、ドラゴン氏はタイその他を遊びまわっている、“若隠居”である。S田氏も故郷にもどってからは“若隠居”の身分になって好きなことをやるそうだ。K杉氏は転職という形で滋賀に帰る。小生は相変わらずの生活だ。

ようは、皆、バラバラになる。今度会うのはいつの日か。と考えた時に、ろくに別れの言葉も言わず、いつものように「んじゃ」といって解散してしまったことに軽い後悔を覚えた。また、そのことを考えると“哀しい”気持ちにもなった。

K杉氏が面白いことを言っていた。普通の日本地図を出して「大宮」と「久留米」に直線を引くと丁度その線は琵琶湖の南側を走る。そこはまさしくK杉氏の故郷八日市周辺なのだ。何かの縁はまだある。考えようによっては、滋賀と久留米に拠点が出来た、と思えばいい。かの地に行った時にはお世話になりがてら、酒を酌み交わそう。関東に来た時は“萬蔵庵”で酒を呑もう。結局、「今後とも宜しく」なのだ。

家に帰って、考えた。もしかしたら、と思って普通の世界地図を出した。大宮、久留米間に引いた直線を延長して行けばタイに通じるのではないか、と思ったのだ。定規をあててみたが、これにはさすがに無理があった。その線はタイの北を通過しミャンマーを通ってインドの南を通過した。
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60回目の一日断食日

2007年12月25日 | 健康、ダイエット

<年間で達成目標のあるもの全てをクリアした自分の影にVサインを贈る。>

 本日は今年60回目の一日断食日だ。何事も(断りきれない呑みの誘いとか、うっかりお土産の饅頭を食べてしまったとかが)無く、夜を過ごせれば、これで年間目標達成だ。月平均5回のペースだと、週二回やらなければならない月もあり、結構きつかった。そんな時は「来年は週一回ペースの52回にしよう。」と思ったものだった。だが、大抵のモノに言えることであるが「終わってみれば“楽勝”」だ。

“断食”という、足枷があった方が“呑み”の回数も抑制できるし、健康にいい。小生の日常生活において内臓部隊を休ませてやることは欠かせなくなってきている。今は来年度も60回(12ヶ月×5回)、もしくは思い切って72回(12ヶ月×6回)を目標にしてみるか、などと考えている。

23日には“読書、年100冊、3万ページ以上”も達成したし、後は大掃除の続きと年賀状を出せば、来年を快く迎えることが出来る。例年、年末年始だけは家で落ち着くことにしていたのだが、今年はちょっと出かけることにした。場所等、詳細はまた後日。
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師走の夜

2007年12月24日 | 日々の記録

<コカコーラのトレーラーがクリスマス色に飾られている>

昨日、日曜日は大掃除メイン日。心配していた通り、土曜の晩に呑みすぎて朝なかなか起きられない。しかも、ノートPCがウィルスに侵され、動きが鈍い。こういう時の為に「ウィルスバスター」なるソフトを有料で入れているのに「隔離できませんでした。手動で処理する必要があります。」というコメントを出すのみだ。

手動でやれったって、そんなことができるのか。一応、画面の指示にしたがって、やってみるがなかなか捗らない。結局、半日かかっても解決できず。とりあえずうっちゃる。

ということで掃除にとりかかったのは12時すぎだ。二階の各部屋と階段はざっと掃く程度にとどめ、一階のトイレと食堂のテーブル回りの片付けをする。二時頃助っ人登場。キッチン周りと浴室の掃除を受け持ってもらう。一番面倒なところだが、夕飯付きなので、文句も言わずにやってくれる。ありがたし。

その間、小生は一番散らかっていて足の踏み場もない書斎の片付けに取りかかった。とって置いたチラシやDM、カード明細、給与明細、レシート、新聞の切り抜き、旅先のパンフレットや地図、雑誌、引っ張り出してそのままの本などたまりにたまって収拾がつかない混沌とした部屋だ。毎年、この部屋を片付けるのに時間がかかる。

昨日までは書斎の混乱状況を写真に撮ってから片付けて、きれいになったところでもう一枚、と思っていたのだが完全に忘れた。終わる頃になって、思い出したが、また散らかすわけにも行かず諦めた。

夕方までかかったが、想定の8割のできだ。後は明日以降、こまめに片付けて、30日に仕上げて完了だ。先が見えてきた。そうだ、読書年間100冊、3万ページ以上の目標も本日達成した。まずは一安心。

夜はお約束通り、助っ人氏と大宮駅西口に繰り出した。人通りの多い、狭い駅前の交差点を巨大な赤いコンテナが横切る。よくみるとコカコーラのコンテナがXマスの装いで走っている。しかも電飾を施して。運搬+宣伝カーの役目を負っているようだ。道行く人の何人かが携帯で写真を撮る。すかさず小生も一枚。
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天皇陛下の誕生日

2007年12月23日 | 日々の記録

<皇居二重橋>

本日は普通の日曜日ではない。また、明日はクリスマスイブだから休日なのではない。今日は今上天皇の74歳の御誕生日である。明日は本日が日曜日なのでその振替休日である。言わずもがなのことであるが、勘違いしている人が多いのではと思ってあえて書いた。

ついでに言うと先代の昭和天皇の誕生日は4月29日であった。今は何故か「みどりの日」と呼ばれて休日として残っている。素直に「昭和の日」という名にして、その日は昭和という時代を偲ぶ日にした方がいいのではと思う。平成も来年で20年目だ。すでに昭和は遠い過去になりつつある。昭和32年生まれの小生としては30年余りを昭和で生きていたので、やはり、昭和は懐かしい。“平成”というのは未だに馴染みが薄い。

 降る雪や明治は遠くなりにけり

と中村草田男が歌ったのは昭和11年の頃だそうだ。明治が終わって25~6年経っている。今、「昭和も遠くなりにけり」と過ぎ去りし一時代に郷愁の思いを抱いても不思議ではないだろう。来年4月29日は「昭和の日」と書いておこう。そして、その日には何か特別な催しを企画してみよう。
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年末大掃除大作戦

2007年12月22日 | 日々の記録

<掃除用具一式>

一応、作戦という程のものではないが、考えた。小生の家は一戸建てである。わずかながら庭もある。まずは掃除をする場所のおおよそを以下記す。

二階に寝室を含め3部屋あり、洗面所、トイレ、シャワー室がある。洗濯物を乾す為のベランダもある。一階は食堂、書斎を含め3部屋。書斎の奥には物置がある。洗面所、トイレ、浴室もある。それと玄関回りと階段、庭。これだけある。

毎年、年末の休みに入ってからアタフタと始めるので時間無く、タイムアウトで中途半端のまま、正月を迎えてしまうのが常であった。今年は、計画的にやるため、以下の通り作戦を立ててみた。


◇作戦その1:掃除する日のメインを23~24日の連休とする。名付けて“前倒し作戦”。特に23日を大掃除の日とし、そこで出来なかった部分を24日及び翌週の平日にやる。29日からの連休は松飾など仕上げ程度をやるにとどめ、余裕で大晦日を迎える、という作戦だ。

◇作戦その2:「夕食を奢る」という条件で、助っ人を一人確保した。ひとりでやっていると気合が入らないのと、途中で逃げ出したり、妥協したりしてしまうので、23日にあらかた目処を付ける為にも助っ人は必要だ。

◇作戦その3:掃除の順番をちゃんと決める。無駄のないよう掃除する順番をしっかりと決める。基本は上から、奥からだ。二階奥のトイレ、シャワー室から始め、各部屋とベランダを片付けて、階段を掃除して一階へ行く。一階も奥のトイレ、浴室から始める。最後は玄関回りで終了。庭は天気のいい日を選んでやる。

ま、大体以上のような作戦を立てた。しかし、仕事を持つ勤め人である。忘年会もある。本当にうまくいくかどうか。いささか心もとない。明日23日にどれくらいできるかがカギだ。さしあたっては今晩行なわれる忘年会で呑みすぎないことだ。翌朝に響くようではその時点で大きく出遅れる。

“酒”はアスリートだけでなく、大掃除にも天敵となるようだ。
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師走もいよいよ下旬

2007年12月21日 | 散歩

<さすがに、こういう景色は見納めだ。>

 今年もいよいよ残すところ後10日だ。いよいよ押し迫った。公園に残る紅葉も少なくなってきた。これからは冬枯れの景色になっていく。寂び厳しい(「寂しく厳しい」の今風略語)冬に突入だ。

「年間目標のあるもの」も大詰め。「旧中仙道を走る!」は京都三条大橋まで達したのでクリア。「一日断食60日以上」は一昨日59回目を実施。リーチをかけた。「読書100冊、3万ページ以上」は98冊、29,821ページまできた。イーシャンテンだ。なんとか、目標はすべてクリアできそうだ。

07年の残り10日でやらねばならないことは、大掃除と年賀状書き。毎日のブログのことを思えば年賀状など楽勝だ。(と思っている)やっぱり、大変なのは苦手な大掃除だ。毎年、適当に終わらせてしまう。今年こそは段取りよくやろうと思っている。そうだ。ブログに「小生の年末大掃除大作戦」なるものを記載し、その通りにできたかどうかを報告する、というのはどうか。計画的大掃除とブログネタの一石二鳥ではないか。これはいい企画かも。明日はこの「大作戦」を披露しよう。(まだ、なんにも考えていないが・・・・)

追記・・・インドを走る!partⅡ17話を昨日アップした。7月25日の16話から、5ヶ月ぶりの投稿だ。途中、中欧の旅などが入って中断してしまったが、今後は毎週1話づつ投稿して行こうと考えている。
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インドを走る!part2 第17話「ポカラ(その1)」

2007年12月20日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<遠景にマチャプチャリやアンプルナ山群があるのだが、いかんせん写真が古い>

 ポカラはネパール第2の都市で皇室の保養所もある観光地だ。ペワ湖とアンナプルナ山群を間近にみられる景勝地である。その為か欧米からも大勢の観光客が来る。彼ら向けにレストランもあり、食べ物も今までの所よりは、我々の口に合うものが多い。

そんな保養地であるので、我々一行はこの地にて大休止をすることにした。4~5日はのんびりしようという計画だ。これだけのんびりするのは、ニューデリーの7日間以来である。インドを知るのにニューデリー、ネパールを知るのにポカラ、といった感じで長期滞在することにした。

***********************

 マチャプチャリとポカラの盆地を見ながらの長い下りが終わると、そこはポカラの町。アンナプルナ山群を眼の前にしたこの街にはさすがに外人旅行者多い。我々がいかに、観光地から外れたコースを走ってきたかがわかる。

宿を探していると一人のニイチャンが「ミズーミ、ミズーミ」と言って馴れ馴れしく近寄ってくる。ついて行くと、次第に湖から離れて山道に入っていくので、断って引き返す。こういう手合いが多いのが観光地の特色だ。観光地には外人慣れしている地元民が多く、「コニニチワ、ユーアーフレンド」などと勝手に決めつける。これがどうも好きではない。素朴な田舎の方がどれだけいいか。

結局、湖沿いの一人5ルピーのロッジに決める。アンナプルナ山群の見える所で、ネパリ(ネパール人の愛称。因みに日本人は“ジャパニ”)の可愛い女性がいるロッジである。夜、近くの簡易な西洋レストランでスパゲッティを喰う。チョーメンとよく似ていてうまくなし。11時頃、日本女性らしき人の数人の声。声からして若い。トランプ・花札の類を持っていないことを悔やむ。蚊が数匹いる。犬吠える。なんとか寝る。

翌朝、スズメの鳴き声うるさく、目覚める。結構早めにM君と2人で昨晩の飯屋へ行く。結局、春巻き(野菜炒めをパンで包んだようなもの)を頼む。パサパサしていて口がもつれる。M君、ヌードルをたのむが「スパゲティのお粥版だ」と口にする。うまくない朝食をすませて宿に戻る。庭に出て、屋根のあるところでゴロゴロとしながら旅行記をつける。

そこへ、おみやげの行商人来て、腕輪だの置物だのアンモナイトの化石だのをすすめる。ちょっと欲しそうな顔をすると、高くふっかけてくる。値切り続けると最初の値の1~2割まで下がる。値切るのをあきらめて7割や5割の段階で買ってしまったら大損である。自分の眼を養っておかないと損をする。

いつも思うが、人間同士の売買でふっ掛けあいだの、だましあいだのをしながら、時間かけて買わねばならぬという文化は私など、日本の定価購入になれた者からすると面倒でならない。

昼飯はペワ湖沿いのフィッシュテールロッジという一級ホテルのレストランで喰うことにする。筏があったのだが、気づかず、ボートで5ルピーも取られて行く羽目になる。また、レストランはセットのランチしかなく、一人50ルピーの食事となる。今日は金を使ってしまった日である。が、たまには浪費せねばやっていけない。

午後遅く、M君と二人でボートを乗りに行く。欧米人が多い。水面にボートを浮かべながらヒマール(ヒマラヤ)を眺めてのんびりするのは、また楽しからずやである。一緒に乗っているのがM君というのがちと面白くないが・・・。

夕方の一時間しか乗らなかったが、アグラでもあったドイツ人たちは6時間乗っていたそうな。明日はそのくらい乗っていたいと思った。一時間、一人2ルピーだ。トッピ(ネパールの帽子)を被った12歳にしては小さな、ねずみのような子供がやりくりしていた。物怖じすることなく、外国人相手に商売をしている。なんとも末恐ろしい。

夕食はサイケレで湖の方のスイス人の経営するレストランに行ってみる。安いし、結構いける。特にタマゴのサンドイッチがうまかった。明日からはここだ、と皆で決める。

夜、なんだかわけがわからんがジンマシンが出る。足の方なり。なかなか寝付かれず。玉子にあたったか?

明けてポカラ三日目。晴れてはいたが、山の辺りに雲多く、アンナプルナ山群は拝めず。残念。午前中、シャワーを浴びて久々にさっぱりしてから湿疹の出た箇所に薬を塗る。それから、3人で郵便局へ出かけ、日本の家族や友人達に葉書を出す。バザールでおみやげをみるが、特にこれといったものなし。帰りがけに茶店でヌードルスープを食う。これはマアマアいける。ヒマラヤにトレッキングに来た学校の先生らしき30歳過ぎの日本人とヒマラヤのことなどを話す。

しばらく宿で休息した後、湖へボートを乗りに行く。M君「一人乗りカヌー」を借りたが操縦難しいらしくうまくゆかず。私が代わる。最初はむずかしかったが、少し経つとコツが判り、快適に進むようになる。雄大な景色の中でカヌーを湖に滑らせる贅沢を味わう。

私一人で興に入っていると、ME両君いつのまにか陸に上がっており、雷がゴロゴロ言って、雨が降りそうだから早めに帰ろうという。カヌーのコツが分かり、楽しさがのってきたところであったが、明日また来ることにして戻る。

夕食に行く。はじめ、チャイニーズへ入ってみるが、そこのスィートアンドサワー(酢豚らしきもの)はとても食えたものではなかった。口直しにスイスレストランへ。サラダとピザがうまかった。ブラブラと宿に戻る。

ジンマシンますますひどくなる。安静を保つことによって克服しようと、なんとか眠る。朝方、目覚めると顔まで出ていたジンマシンがきれいに引く。

薬が効いたのか?精神力か? 
             
つづく

※「インドを走る!」について



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ピーヒョロロロロ・・・・

2007年12月19日 | 散歩

<ピーヒョロロロロ・・・・と鳶が鳴いている。>

 先日、京都に行った時のこと。鴨川縁を酔い覚ましに歩いていると、

 ピーヒョロロロロ・・・・

という鳥の声が聞こえた。大宮から都内往復の普段の生活では聞きなれない鳴き声だ。四方を見渡すと屋根のアンテナに犯人(?)はいた。鳶だ。普通トビだがトンビとも言う。タカ目タカ科の鳥で、日本人にはもっとも馴染みのある猛禽類だそうだ。「トンビがタカを生んだ」という諺があるが、トンビはもともとタカなのである。トンビにすれば「失礼な!」というところであろう。

そういえば、もう少し上流で鴨、鷺、ゆりかもめなどにエサを巻いている人達がいたが、上空から鳶が急降下してきて、ゆりかもめなどを蹴散らしてエサを確保していた。鳶は非常に警戒心が強い鳥なのだが、人に慣れると人の持つ食べ物を狙ってくるという。「トンビにアブラゲをさらわれた」というのは鴨川あたりでは現実らしい。もっとも、現代人はアブラゲを食べながら歩きはしない。狙われるのは肉まんやハンバーガーだそうだ。

上流でゆりかもめを蹴散らしていた鳶が屋根のアンテナで翼を休めて

 ピーヒョロロロロ・・・・

と鳴く。その音(ね)は、午後の冬の陽が鴨川の川面を輝かせる風情とともに、小生にはまことに“みやび”に感じられたのである。
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ストーブリーグ

2007年12月18日 | 野球

<ベンチが隠れる程の落葉>

公園も紅葉の季節が終わりつつある。落葉が増え、木々の枝が目立ち始めた。これから、冬景色へと変わっていくのだろう。

冬といえばMLBやプロ野球のストーブリーグも落ち着いてきたようだ。ヤンキース、主砲Aロッド、クローザーリベラは移籍の噂もあったが、破格の契約金で残留決定。松井にもトレードの噂があったが、大丈夫なのだろうか?他球団移籍は少なくともヤンキースで頂点に立ってからにして欲しいネ。

来年は福留がカブス、黒田がドジャースに決まった。両方ともナショナルリーグへの入団だ。これでアリーグにはヤンキース松井、井川、ボストンに松坂、岡島、タンパに岩村、マリナーズにイチロー、城島。ナリーグはドジャース斉藤、アストロズ松井稼、パドレス井口ぐらいか。いままで少なかったナ・リーグに福留、黒田が入ると、いろいろなチームの試合が見ることができるようになり、今から楽しみではある。それにしても、MLB日本人は増えたなァ。

プロ野球ではクルーンが巨人のクローザーとして移籍が決まった。これで上原を先発に回わせる。来年こそは日本一を狙って欲しいものだ。そうだ、来年は北京オリンピックもある。星野ジャパンの金メダル獲得という悲願もある。

野球観戦には事欠かない年になりそうだ。
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一歩も外に出ない日曜日。クラブW杯を観戦。

2007年12月17日 | 日々の記録

<週末、呑みすぎた>

昨日は週末の呑みすぎが祟って、午前中ベッドから出られず。午後は木枯らしの音が止まず家の中にいても底冷えがするので、とても外には出る気がしない。折角の休みを棒に振った感があるが、転んでもただは起きない。

どうせ、食欲がないのだからと58回目の一日断食を実施。また、ベッドに転がっている間に読書を推進。おかげで、一日断食は後二週間で二回やればクリア。読書の方も後4冊で目標の100冊を達成。4冊のうちの2冊はもう半ば以上読み進めているので、97%の達成率である。余裕でこの二週間を過ごせることになった。師走限定のお仕事「大掃除」と「年賀状」に回す時間も確保できた。

後は呑み過ぎないことだ。酒は健全な考えや行動には妨げとなる。忘年会がまだまだあるが、ほどほどにして早く帰るよう心がけよう。少なくとも「午前様」にならない内に家に戻ろう。(とブログには書いておこう。)

夕方からのクラブW杯は二試合とも観た。ワシントンっていい奴だったんだな。決勝戦のACミランとボカの試合はさすがに面白かった。世界最高峰の伝統と実力を備えたチーム同士の戦いは見ごたえがありましたナ。カカとインザーギとマルディーニが印象に残った。ボカでは9番の若いやつ。素面(シラフ)で観ていたのに名前が思いだせん。トホホホ。
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