萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第23話「ダマン峠にて(その2)」 ~ドイツのサイクリストに会う~

2008年04月30日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<休息>

1980年4月13日(日)晴れ

 朝、四時半。アラームにて目覚める。ベッドから東方を見るに天気よくなし。ガネーシュやマナスル辺りも何も見えぬ。あきらめて、また寝る。6時半頃朝食をすませ、コーヒーを飲んでると、西洋人が一人「ハロー」と言いながら登ってくる。ヒマラヤの眺望を期待してきたらしい。

今日は曇っていて何も見えぬとループ氏がいうと少しがっかりした様子。それでも、ループ氏と何やら話しているうちに、サイクリストだということがわかる。ループ氏が私を指して、彼もサイクリストだというと、彼、私を見てすぐ、日本人か?と聞く。そうだ、と答えると、彼はドイツから来たウエルナーだと名乗る。

このダマン峠でカトマンドゥ側から来た日本の自転車乗りとインド側から登ってきたドイツのサイクリストが会う、ということに劇的な出会いを感じた。惜しむらくはヒマラヤ山脈が遠望できなかったことだ。一緒にヒマラヤを見ながら、サイクリングの苦労を分かち合えればどんなによかったか。

彼はドイツからずーっと自転車で走ってきたという。ユーラシア大陸が陸続きだということを改めて思い知らされる。なんと七ヶ月も走っているのだそうだ。走行距離は約七千キロ。イランとアフガニスタンは危険なので避けて、サウジアラビアから船でボンベイまできて、そこからさらに一度、ゴアあたりまで南下し、Uターンしてアグラまで走り、ラクノー、ゴラクプールを経てビルガンジからこのダマン峠まできたという。

非常に根性のある人だ。カトマンドゥに二三ヶ月いた後、ダージリンを経てバングラディシュに入り、カルカッタに抜け、さらにインド亜大陸のベンガル湾側の海岸線を南下し、スリランカまで行くという。

リスン、リスン、(「聞いて、聞いて」の意。ループ氏の口癖)さらにだ。彼は船にてマニラに向かい、フィリピンを走るという。フィリピンまで来たら、日本によるか。と聞いたが、その予定はない、フィリピンからは船でドイツに帰るという。

「西遊記」真っ青の大冒険である。四年前にはアフリカ(エジプト、コンゴ)を走ったこともあるそうだ。彼に比べれば、私のサイクリングなどホンノお遊びだ。嫌になるぜ。

お互いの自転車を見せあう。私の自転車を見ると「グッド!」と言ってくれた。あまり日本では聞かない私の自転車に対する評価だ。続いて、彼の自転車を見させてもらう。プジョーと聞いてびっびっていたが、私の自転車を見てかっこいいと褒めるぐらいだから、見た目は大したことは無い。しかし、ドイツの合理主義が随所に施されていた。

まず、ハンドル。普通のドロップハンドルを二つ組み合わせて、走り方により、いろいろなところを持てるように工夫してあるのには驚いた。自分で作ったそうだ。タイヤはスポルティーフ、パターンはさすがに無くなって、ツルツルだ。これでも7千キロ走って、パンクしたのは5回だけだという。

ポンプも私の半分ぐらいの長さで、バッグに入れておくと盗まれないでいい、と言っていた。また、ベルの変わりにインドで買ったホーンをつけていた。インド人はベルを鳴らしたぐらいでは反応しない、と言いたげだ。

又、ダウンチューブのところには棒切れが取り付けてあって、これは何だと聞くと、犬に追われた時にぶん殴ってやるのだ、と誇らしげに語った。

荷物は非常に少ない。動きやすいわけだ。私の荷物と比較したら、私の方がリアにぶら下げている二つのサイドバック分ぐらい余計だ。用心しすぎて大荷物で旅をしていたことになる。

また、彼のナイフは片面がナイフで背の部分がノコギリになっている。柄のところが大ぶりの巻貝のようなデザインで、握りやすくなっている。これも自分で作ったという。完全にサイクリングと生活と一体化させている。さすがに、何ヶ月も走り続けていることはある。大したもんだ。

私も日本ではそれなりに経験もあるし、サイクリングの合理化が好きではあるが、彼のような自分なりの工夫というものに欠けていたようだ。独自の発想と言うものは大事だし、見ていて気持ちいい。彼を見習おうと思った。なんのかんのと言ってもやはり、私も日本人。中央との均一化に賛同してしまうのだろう。知らず知らずのうちに・・・。

彼は、西洋人ではあるがそれほど大きくはない。170cmぐらい。小生の体格とさほど変わらない。また、本格的サイクリストというのは洋の東西を問わず、“こ汚い”という点でも共通している。最小限の荷物と資金で毎日土ボコリの中、大汗かいているのだから、これはやむをえない。

ウエルナーのカメラはニコンの小型の一眼レフだ。日本では市販されていないタイプのものだ。(後に日本でも発売されたニコンEMという機種)35mmの広角レンズも持っていた。タワーから写真を撮りたいというので一緒に上へ上がる。

私が昨日はアンナプルナもマナスルもガネーシュもランタンもエベレストもみんな見えたというと、彼がつぶやいた。「我、一日来るのが遅かりし」と。悔しそうだった。日本に帰ってから、できた写真を家に送ってくれということで住所を教えあった。

ウエルナーとループ氏と三人で写真を撮った。ループ氏曰く、この仕事を始めて5年になるが、サイクリスト同志がこの峠であったのはこれで四度目だといった。意外に多いのだなと思った。又、ループ氏はバイクの旅行者は大抵何人かのグループで来るのに、サイクリストはいつも一人だと言った。

それに答えて、ウェルナー曰く「サイクリストは一人が好きだし、一人が一番いい。いつもサイクリストはアローン、アローン、アローン!」なるほど名言である。特に、最後の「アローン、アローン、アローン!」には感動した。

私は一人で走り出して2日しか経っていないが、一人で走るサイクリングがやはりベストだと思う。走りやすいし、休みたい時に休める。少し淋しいがその間にいろいろ考え事ができる。

ウェルナー氏、ダマンをカトマンドゥ側へ降りてゆく。バイバイを言いながら、Vサインを出して。さらば、ジャーマン!グッドラック!

私も荷物をくくり、峠のボードの前で写真を撮り、ループ氏にわかれの挨拶をする。

シー ユー アゲイン!

本当にまた会いに来たいと思って挨拶した。ループ氏ふと非常に淋しげな表情をする。峠という場所の宿のオヤジさんの職業的宿命が「別れ」であろう。ならば、慣れているはずなのに、何故そんなに淋しそうな顔をするのか?人情味あふれた人であった。別れづらかった。

自転車の旅がまた始まる。ダマン峠の最高地点までは後三キロほど登らなければならない。タラタラ登った。タワーからループ氏がテレスコープで見ているかもしれないと思い、時々、手を振った。30分程で峠に着いた。2488mと表示されていた。今回の全旅程の中の最高地点に到達したのだ。後はインドに向かって下っていくだけだ。

つづく

※「インドを走る!」について
コメント
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