萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

円とユーロ

2007年09月13日 | 中欧の旅


 ウィーンに行って久々に“ユーロ”なるお金を使った(2003年のアムステルダム以来)。とりあえず、一万円換金してみたが、物足りなさに唖然とした。57ユーロしかこない。50ユーロ札の貧相なのにも少なからず驚く。子供の頃やった「人生ゲーム」のお札を思いだした。でかいのはでかいが、デザインがようろっぱ、もとい、大雑把だ。それに比べると、一万円札のなんと精緻なことか。“いい仕事”をしてますヨ。単純に見比べても、とても等価のものとは思えない。

57ユーロということは1ユーロ175円である。手数料なども含まれた換金率であるから、通常レート(8月10日時点1ユーロ=163円)よりは10円ぐらい高い設定である。感覚的には“10ユーロ”と聞くと安いようだが、実は1750円もするのである。

支払いはカードを使っているのでこの感覚で使っていると、後で明細をみて驚くことになるだろう。そういう意味では換金しながら、現金で支払った方が、使いすぎないですむ。今頃気づいてももう遅いが。ユーロに対し円が弱いからかもしれないが、ユーロ圏は物価が高い気がする。チェコはまだユーロに加盟していないため、コルナという通貨であったが、物価は安く感じた。ドラゴン氏によるとイタリアなどもユーロに加盟してから、何につけ高くなったようだ、という。

東京は世界一物価が高い、などと威張っていた時代はどうやら過去のもののようだ。
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TAX FREEは難儀やナァ~

2007年09月12日 | 中欧の旅


昨日のブログでクリスタルグラスを購入した話を書いた。海外で買物をするのはいいのだが、外国人はTAX FREE、いわゆるその国の消費税分は国を出る時に払い戻してあげるよ、というルールが適用される。ありがたいし、そのタイミングで払い戻ししないと免税商品が国内で流通してしまうことになるし、分からないでもない。

しかし、海外旅行慣れした人にはなんでもない手続きが、小生のような語学力の無い人間には厄介な仕組みである。「こんなに苦労するぐらいなら還付金なんぞはいらねえ。」と開き直ってもいいのだが、能力がある人間の啖呵なら格好いいが、能力の無い人間のそれは負け犬の遠吠えでしかない。

それでも、プラハで買った商品の免税手続きをプラハの空港でやる、というのならまだ、簡単であった。鉄道でチェコからオーストリアへ出国して、ウィーンの空港を出る時に手続きする、というので話がややこしくなったのである。


さて、ウィーンの空港。

手順としては、

①税関で現物とTAX FREE書類を見せスタンプを押してもらう。
②その書類をもって、キャッシュ・リファンド・デスクにて払戻しをしてもらう。

というだけのことなので、そんなに厄介がることは無いはずだ、と自分に言い聞かせた。しかも偶然、空港で案内書(上記写真)を見つけ、それぞれの場所も地図に書いてある。ホ~、こりゃ幸先がいいわい、これなら、楽勝だ。とここまでは良かった。しかし、①の“税関”がどこだか分からぬ。小生はウイーンからヘルシンキ経由で成田、という経路なのだが、ヘルシンキ行きの便に乗るには税関を通らなくていいのだ。だったら、どこでスタンプをもらえばいいんだ?アン?

地図を頼りにウィーンの空港をくまなく歩き、よく分からないので三度インフォメーションのフロイラインに質問した。(この間の世界陸上女子棒高跳びで優勝したイシンバエワのような白皙の美貌で灰色の瞳をしたフロイライン)この瞳に吸い込まれないように注意しながら、彼女のまくしたてる英語を理解しようというのだから、小生にとっては超難題である。

「スタンプは何処へ行けば押してくれるのか」これが分からない。チェックイン時にもらう場合は、預ける手荷物の中にあるなら、その荷物を持ってNO35か36の窓口に行けば押して貰えるらしい。小生の場合、機内に持ち込むため、この方法は取れない。もっとも、これを知ったのは荷物を預けた後であるから、どっちにしろだめではあった。

ではどこでスタンプを押してもらえばいいのか?灰色の瞳を持つ“お嬢”の話と貰ったパンフレットを見ながら分かったことは、どうやら、ユーロ圏内はいわゆる一つの国とみなしており、税関を通らずに移動できる。したがって、ユーロ圏の最後の空港でもらうしかないようだ。小生の場合はヘルシンキだ。一旦入国手続きをしてから、また出国する、その時にスタンプを押してもらうしかないうようだ。その後でキャッシュリファンドデスクにて払い戻ししてもらう、というようなのだ。

話はヘルシンキへ持ち越された。これらがうまくいくのかが不安だ。暇つぶしにはいいが。

ヘルシンキに着く。まず、乗り換えで迷った。一度出て、よくわからんのでまた、チェックインカウンターの長蛇の列にならぶ。漸く順番が来て航空券を見せると、担当が何か言っている。どうやら、ウィーンで手続きしているし、荷物を預けるわけでもないので、ここに並ぶ必要はなくそのまま審査して出国すればよかったのだ、と言っているようだ。だが、ここでTAX FREEのことを聞いておかないと、二度と換金はできない、と思ったので聞いてみる。

どこで買った?と聞くのでプラハだと答える。ちょっと困った顔をしていたが、引き出しからスタンプを出して「バン!」と押してくれる。(やった!)「入国審査を受けた後、右手に行くとNO25のところに換金場所がある。」とも教えてくれる。その通りに行ってみるとはたして換金場所はあった。結局17.5ユーロ戻ってきた。約3千円だ。

貰ってみれば楽勝な話だ。ただし、やたらと時間がかかった。ウィーンでもヘルシンキでも。もっとも、空港での待ち時間の“暇つぶし”にはなった。それにしてももう少し要領よくできなかったものか、反省は必要だ。語学力か、段取りか、冷静さか。すべてにおいて欠けていた、というしかない。この辺を改善して、もっと、カッコよく旅をしたいものだ。トホホホ。
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プラハ、ボヘミアンクリスタルグラス

2007年09月11日 | 中欧の旅


 プラハの最後の夕方であったか、「黄金の虎」でビールを呑んだ後、記念にボヘミアンクリスタルグラスでも買おう、ということになり、ドラゴン氏と旧市街にある「ロットクリスタル」という店に入った。アレコレ迷ったが結局写真のグラスを購入。

黄金の虎を出てきたばかりだからという訳でもないが、金の縁取りのあるグラスを求めた。金の部分は24金だそうだ。ガラスに描いてある模様も職人の手彫りであるので、世界に二つと同じ物はない。酔った勢いもあり、あまりこういうものには金を使わない小生にしては結構奮発した。

二つあるが、一つはドラゴン氏のものだ。小生の寝室に簡易バーがあるのだが、氏が小生宅に来たときのマイグラスとするので、二つとも我が家に置くことになった。購入してからぼちぼち一ヶ月になるが、まだ使用していない。ドラゴン氏が来てから乾杯しようと思っているのだが、氏は今タイに居る。若隠居の身分の氏は今度いつ日本に帰ってくるかまだ聞いていない。そろそろ、先に一杯やるかと思うが、何を呑むかが問題だ。

一応カウンタバーなのでかつてはいろいろな酒を取り揃えていたのであるが、ベッドと隣接しているため、ここで呑むとつい呑みすぎてしまい、健康にも有効な時間活用にも悪影響がある。したがって、最近はあまり酒を置かずにいた。しかし、ボヘミアンクリスタルグラスを買ってしまったのである。何本かは揃えないと恰好がつかない。

シングルモルトでピートの効いた「ラフロイグ」や「ボウモア」は買わねばなるまい。もう少し口当たりがいい「マッカラン」も買おう。ドラゴン氏の好きな「ハーパー12年」も揃えておかねば。ドラゴン氏が来る前にそれらで予行練習(?)をしておこう。音楽はプラハとウィーンにちなんでスメタナ、ドボルザーク、モーツァルト、ベートーベン。酔いが回ってきたらジャズとビートルズだ。

「予行練習」といっても休みの半日は潰れることを覚悟しておかねばならない。



<カウンターにグラスを乗せてみた。若き日のビートルズがバックだ。>

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プラハの絵本

2007年09月08日 | 中欧の旅


 「漫画好きの友人に」と思ってプラハで絵本を買ってきた(写真右)。そもそもプラハの漫画に興味をもったのは、友人から借りた浦沢直樹の「MONSTER」に出てくる「なまえのないかいぶつ」が印象的であったからだ。それは作中に出てくるプラハの絵本で、「MONSTER」の不気味な展開に欠かせないものであった。というわけで今回プラハに行くにあたり、同じような絵本がないか、本屋で探してみたのだ。そのものズバリは見当たらなかったが、上の絵本に出合った。

<ページを開くとこんな感じ・・・>




モスラのような怪物に連れ去られた友達を捜しに行く、冒険活劇。横文字でいうところのアドベンチャーものだ。この絵本はハッピーエンドでおわるようだ。“ようだ”というのはチェコ語がわからず、“絵”だけで判断しているからだ。



もう一冊は自分用に買ってきた。店頭でプラハのフロイラインが手に取って真剣な表情で見ていたのが、この絵本だ。この本は「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈が小学生だった頃を思わせる孤独な少年がひとつの鍵を拾ったことで、一日が豊かな気持ちになった、という小品だ。“ジョー”だけに“錠”が話の“カギ”になったのだ。(失礼!)



「この鍵はなんの鍵だろう?」と疑問に思ったこの孤独な少年が様々に想像し、ストーリーが展開していく。ステキな遊び場を見つける鍵だったり、海底を探検する潜水艦の鍵だったり、宝物を捜すための地図がしまってある鍵だったり、と想像を膨らませる。孤独だった少年がだんだん、幸せになっていく様子がチェコ語を理解できない小生でも、絵本をめくるたびに解る。

宝を発見した後、海賊との格闘シーンもある。(下の絵)結末は大事にポケットにしまったはずの鍵を落としてしまい、ショボくれて学校を出る少年。その鍵を拾った別の少年が、また、その鍵で夢を見始める、というシーンで終わっている。



言葉が解らなくても絵だけで伝わるものだな、と感じ入った。日本のアニメは世界でも有名であるが、絵本はどうなのだろう?捜せば、こんな完成度の高いものもあるのだろうか。今度書店にいったら絵本コーナーにも寄ってみよっと。
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プラハっ子の遊びごころ

2007年08月29日 | 中欧の旅

<ダンシング・ビル>
ヴルタヴァ川沿いに立つこのビルは古い建物が多いプラハには珍しいモダン建築だ。女性を思わせるビルが隣の男性ビルに腰をくねらせて、寄りかかっているように見える。遊び心満点。チェコの自由化を機に新生チェコの象徴として、この建設プロジェクトにハヴェル大統領も一役かかわったそうだ。彼はこのビルに「ガラスのおてんば娘」と命名した。もっともプラハ市民には不評で「プラハの汚点」「環境破壊」の声もあるとか。


<テレビ塔。よく見るとあれ?>

テレビ塔。日本で言えば東京タワー。単なる鉄骨の組み合わせではない、モダンな建築物だ。ところが、この建物の設計者はそれだけでは飽き足らず、塔の外壁にハイハイして登る赤ちゃんを散りばめた。このアイデアは突飛。最初見た時には笑ってしまった。黒かったので蟻かな?と思ったがよく見たら「赤ちゃん」。このユニークな発想は、どっから来たのか。建設中の作業員をしたから、見上げていた設計者が突如思いついて後から付け足したのかもしれん。いずれにしろ、この“赤ちゃん”のおかげで、このプラハの郊外ともいえる土地に建つ、単なるテレビ塔が観光名所に昇格したようだ。


<赤ちゃんのハイハイ。まっすぐ上を見ている。>


<目指すはテッペン。頑張れ!まだ道は半ばだ。>

ガイドに載ってるレストランを探しているうちに道に迷い、来た道を戻ろうときびすを返し、何気に上空を見てどきっ!とした。来る時は下を見てたので気が付かなかったが、人がぶら下がっているではないか!

よく見れば、実物大の造り物である。しかし、普通、こんなものを作るだろうか。非常に遊び心というか茶目っ気のある仕業である。どのくらい重いのかわからないが、あの物体が落下することは無いのだろうか。造り物とはいえ、右手一本でぶら下がっているのである、いつかは限界がきて落下するのではないか。
限界が近づいたら、落下地点にそれを抱きとめる銅像を建てておく、という案はどうか。結構いいかも。


<ゲッ!>


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プラハの珠玉“黄金の虎”

2007年08月26日 | 中欧の旅

<U zlateho tygra ウ・ズラテーホ・ティグラ。日本語で「黄金の虎」の意。15時開店。15分前に行くとすでに何人か並んでいた。>

チェコは現在世界で一番飲まれている泡立ちのいい黄金色のビール、いわゆる「ピルスナー・ラガービール」の発祥の地だ。また、チェコ人の一人当たりのビール消費量は世界一だそうだ。それ位であるから、気軽で手頃な価格で呑めるビヤホールも沢山ある。この辺りの知識はプラハに行く前からつかんでいた。後は実地で確かめるのみであった。

まず、プラハ到着の夜はホテルで休む間もなく、ドラゴン氏が見つけておいてくれたビヤホールへ直行。長旅の果てに呑んだチェコビールは「来てよかった!」と思えるほど、旨かった。次の日は「ビールと古本のプラハ」という本で推薦する、プラハ一美味しいビヤホール「黄金の虎」に行くことにした。

15時から23時とあったので、14時45分ごろ行ってみると、すでに5~6名並んでいる。開店して中に入るとシンプルで落ち着いた雰囲気。本には「地元の人の指定席があるので座る場合は店の指示にしたがうこと」と書いてあったので、指で示された席に忠実に座る。何もオーダーしなくても、生ビールをウエイターが勝手に持って来る。「ビール呑みに言葉はいらない。国境もない。」と言ってるようで、実にいい。この店の売りはピルゼンの「ブラズドロイ」というこのビールだけなのだ。なにもたのまなくても無くなればこれをもってくる。ふと「わんこそば」を思い出す。


<これが、ビール!卑しいかな、一口呑んでから撮ったため量が減っている>
 
ともかくも、出されたビールをドラゴン氏と乾杯して喉に流し込む。コクがあってキレがある。冷え方もちょうどいい。ホップのものであろうか、ほんのりとここちよい香りがする。なるほど、プラハ一といわれるだけのことはある。じつに旨いビールだ。これで一杯(500cc)約180円である。2リットル呑んで720円。これなら、毎晩来たって、田畑を売るようなことをしなくてもすむ。小原庄助氏もプラハに生まれていれば身上を潰さずにすんだろう。

二杯も呑んで落ち着いたところで、店内を見回して見ると虎の置物や絵があちこちにある。今度来る時は「タイガーマスク」のフィギアか、阪神タイガースグッズでも持って来ようかとドラゴン氏と話す。初日は一人4杯ほど呑んで二人とも満足して店を出た。ビールの旨さもさることながら、チェコ人気質みたいなものの一片を垣間見た気がしたからだ。


<店内にはトラグッズが飾ってある>


<専用コースターとレシート?。右下の線の本数がビールの数。この時点で4杯目。>


翌日は18時頃に来たが、立ち呑みの人もいてとても入れる状態ではなかった。わんわんと店に鳴り響く喧騒もただならぬものがあった。何を話しているのかわからないが、みな熱く大声でビールを呑みながらやっている。一旦他の店で食事してから、22時頃また来たが、立ち呑み席が辛うじて空いていたのみ。そこで3杯程呑んでいると閉店の23時。片付けが始まったので、帰る。

次の日。前日の反省から15時前には行かないと座れないと思い、早めに行くが15分ほど15時を過ぎてしまう。中を覗くともう満員である。昨日と同じ立ち呑みのスペースがやっと空いていたので、この日もそこで呑んだ。平日の昼間になんでもう満員なんだ。この人たちは仕事しているのか。それとも、仕事の合間にきているのだろうか。日本ではありえない光景である。そういえば、プラハでは杖を突いてビッコを引いている人を多く見かけたが、あれはみんな「痛風」患者ではないか。ビールの呑みすぎで尿酸値の高い人が、沢山いるのではないか。と、勘ぐってしまうのだった。

実は、この立ち呑みというのも悪くはない。バーテンがグラスに次から次へとビールを注ぐのを見ながら呑むのもオツなもの。それにしても休みなしに注ぐ。15時から23時までの8時間で10秒に1杯注ぐと2880杯である。恐るべき数字である。それでもバーテンは馴染み客が来ると親しげに挨拶を交わし、握手をしたり、抱き合ったりと忙しい。

その間も新手の客が来ては、入れないのを確認して不満たらたら、店を出て行く。ふと、壁をみるとクリントン大統領が訪れた時の写真が飾ってある。当時のチェコの大統領ハヴェルがチェコらしいビヤホールということで、ここに招待したらしい。“黄金の虎”は名実ともにチェコを代表するビヤホールだったのだ。

プラハがもっと近く、もっと安く行けたら、毎年行きたい店である。


<地元の人が所狭しと集まってビールを飲みながら議論を戦わせている>


<壁にはクリントン米大統領が訪れた時の写真が飾ってある。左から、チェコの作家フラバル、ハヴェル・チェコ大統領、クリントン>
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「広場」と「プラハの春」

2007年08月24日 | 中欧の旅
日本では“広場”というと、駅前広場とかちょっとした公園の子供の遊び場、夏ならラジオ体操をやるところ。というぐらいのイメージしか湧かないが、西洋の“広場”の概念は少し違うようだ。

(【 】内、Wikipediaからの引用)

【ヨーロッパにおいては、古代ギリシアの時代から都市に計画的に配置された広場があった。歴史的に都市住居が密集化しているため、教会や宮殿、市場などの前に一定の空地を確保し、政治的に重要な儀式を行ったり、コミュニティの中心機能を持たせた事例が見られ、現在でも祭事のほか、民間の各種イベントにも使われている。】

ということだそうだ。

プラハでもあちこちに広場はあるが、特に有名なのは旧市街の中心にあり、カレル橋にも近い「旧市街広場」である。この広場のシンボルはヤン・フスの銅像だ。フスはカトリック教会の腐敗を指摘した宗教改革者である。ボヘミアの人々の指示を得、全土に広まっていく事態を時の教会は反乱とみなし、1415年に焚刑に処せられる。

“腐敗”に対する“改革”という意味では1968年の“プラハの春”と呼ばれる自由化運動にも通じる。「人間の顔をした社会主義」をスローガンに自由化路線を推進していくチェコスロバキア共産党に対し、自由化を警戒したソ連は、この“プラハの春”を軍事介入で潰してしまう。以後ソ連をバックとした保守共産党の支配は1989年のビロード革命(民主化革命)まで続く。

日本の小説「プラハの春」もこの68年のプラハを舞台に書かれた、事実に基づいたフィクションである。ヒロインのカテリーナは「旧市街広場」で行なわれたソ連を糾弾する青年集会に参加している時に、ヤン・フスの銅像の前で凶弾に倒れる。また、ヤン・パラフという学生(実在の人物)もラストでは、「バーツラフ広場」で反ソ声明を掲げ、焼身自殺を遂げる。このヤンの追悼集会でバーツラフ広場は十万人の市民で埋め尽くされたという。

西洋にとって“広場”とは政治と密接に結びついている場所であり、市民の意思を大きな塊りとして、時の支配者に示威する場所なのではないか。こういう“しくみ”があれば、支配者側はおいそれと愚行はできない。民主主義とはこういうことか。



<朝の旧市街広場。右端はヤン・フスの銅像なのだが修復中で青いベールが・・・。その奥の白亜の建物は聖ミクラーシュ教会。音響効果に優れていて、夏にはコンサートが開かれるらしい。>


<同じく朝の旧市街広場。塔は旧市庁舎。この左側面に天文時計がある。>


<日中は毎正時近くになると天文時計のパファーマンスを見ようと黒山の人だかり。“金”や“茶”の頭もあるが。>



<天文時計のアップ。皆が期待して観るほどのパフォーマンスではない。>


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カレル橋とヴルタヴァ川

2007年08月21日 | 中欧の旅

<王城から見たカレル橋とヴルタヴァ川>


<カレル橋、朝の風景>


<ヴルタヴァは市内の中心をゆったりと流れていく。スメタナの「我が祖国」が聴こえてきそう。>

カレル橋は王城とならんでプラハの名所である。プラハと言うと必ず出てくるから、城より有名かもしれない。カレル橋は、カレル4世の命によって1357年から約60年の歳月をかけて造られたとのこと。

また、この橋の欄干には30体の聖人像がある。日本人になじみが深いのはなんといっても「フランシスコ・ザビエル」だ。ご存知、日本史の教科書にも出てくる宣教師だ。1549年、日本に初めてキリスト教を伝えた人として有名である。その為か、この像のザビエルを支える人たちの一人にチョン髷を結った日本人らしき人物が居る。

ザビエルは直接、プラハには縁がなかったようだが、日本の他、インド・中国などでも宣教し、聖パウロを超えるほどの多くの人々をキリスト教信仰に導いた大聖人だそうだ。その為、神聖ローマ帝国の首都であったプラハに聖人像が建立されたのであろう。

後の石造彫刻29体が馴染みのない人たちばかりであったので、ことのほかザビエルに親近感を覚えた。



<フランシスコ・ザビエル像。下で支えている真ん中の像が日本人のようだ。>
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プラハ城にて

2007年08月20日 | 中欧の旅

<カレル橋から観たプラハ城>

 プラハといえばプラハ城とカレル橋。時の権力者や強国に支配、占領を繰り返された街にしては破壊される事も無く、街並みを維持している。日本は先の戦争で東京を始め、めぼしい都市は空襲で壊滅的にやられた。京都と奈良だけは免除されたそうだが、米軍の非情さは徹底していた。それでも降伏しない日本についに原爆を投下。広島、長崎が犠牲になった。

明治維新以来、欧米の脅威に対し、「武力には武力で」という富国強兵策のなれの果てであった。武力で抵抗しなかったチェコの歴史がプラハの街並みを守った、とも言えるのではないか。

 王城も立派であったが、城内に聳える聖ヴィート大聖堂とその室内のステンドグラスは見もの。色彩が鮮やかで宝石を見るよう。もっとも、室内装飾ではあるが晴天と雲天では輝きに大きな差があるのだろう。幸いこの日は好天で見事に輝いていた。

 聖書に出てくる物語を絵にしたものが多い。これは、字の読み書きが出来ない人に“教え”を伝える為のものだったそうだ。映画やテレビの無い時代、このステンドグラスを指し示しながら、神父が教徒に、親が子に人の道を伝えてきたのだろう。教わる側の美的感覚、想像力が発達したに違いない。


<聳える聖ヴィート大聖堂>


<物語を描いているものが多い>


<モーゼかな?この人物の表現は見事であった>


<こういう幾何学模様も美しく配列している>
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帰国

2007年08月19日 | 中欧の旅

<フィンランド ヘルシンキ。雨上がりの空港。>

 帰国。一週間の旅は瞬く間に終わってしまった。予想していたことではあるが、家に着いてみると、この一週間まるで何事もなかったかの様にさえ錯覚してしまう。特に時差ぼけの頭で考えると、そう思ってしまう。

だがしかし、行ったのは事実であり、写真も沢山撮ってきた。書きたいことも結構ある。ちょっと整理すると、

◇プラハ城、大聖堂の見事なステンドグラス
◇カレル橋とヴルタヴァ川
◇「プラハの春」と広場
◇プラハの珠玉「黄金の虎」
◇プラハ魂のお遊び?楽しい建造物など
◇ボヘミアンクリスタルグラスと漫画
◇ウィーン。ハプスブルグ家とは?
◇ブリューゲルの本物を観た!
◇極められず、ホイリゲ

などなど。

明日から徐々にご披露しようと思う。今日は疲れているし、とりあえず何か日本食でも喰いに行くことにする。最近いい蕎麦屋を見つけた。幸い日曜日もやってる。家から2kmあるが、自転車で行けばすぐだ。ウィーンからヘルシンキ経由で10,000km近くを帰ってきた身であれば、2kmなど屁でもないさ
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ウィーン二日目

2007年08月18日 | 中欧の旅

<ハプスブルグ家の夏の離宮、シェーンブルン宮殿>

明日は朝から帰国の旅なので、観光は事実上は今日が最終日である。8月初旬から自己を盛上げてきた旅ももう終焉だ。早いものである。ただ、帰国後もしばらくは、この“中欧の旅モード”は続くと思う。

さて、本日は朝の散歩でハプスブルグ家640年間の居城「ホーフブルク」を見学。朝食を摂ってから、「美術史博物館」で主に絵画を観に行く。とくに小生贔屓の「ブリューゲル」のコレクションが沢山あり、見ごたえがあった。フラッシュをたかなければ、写真もOKなので何枚か撮ってきた。(後日ご紹介します)

市内でウィーン料理を食べる。シュニッツェルという肉を揚げたものが代表的な食べ物らしい。日本のトンカツとテンプラの間の子のようなものだ。取り立ててうまいものではないが、なにせ量が多い。日本の標準の盛り付けの倍はある。“大盛”を超えた“倍盛”だ。“憎憎(肉肉)しい”とはこのことだ。西洋料理の場合、日本人の胃袋だとあれもこれも食べられない。一品頼めばそれを食べあげるので精一杯だ。寿司だの懐石だのの、はかなくも可愛らしい食べ物が懐かしくなってきた。

食事の後は、王家の夏の離宮「シェーンブルン宮殿」を観に行く。宮殿内の贅をつくした数々の部屋も立派だが、庭も立派である。とにかく規模が大きい。森が庭の中にあり、狩猟ができる規模だ。このハプスブルグ家の“富”はどうやって集めたものなのだろうか。最後のフランス王妃マリー・アントワネットの母であるマリア・テレジアの時代が絶頂期と言われているが、どのようにして集めた財でこの宮殿は建てられたのだろうか。

今、日本でよく“格差の時代”などというが、この宮殿は洋の東西を問わず、古より人間社会には富むものと貧しいものの“格差”があるのだと言っているようだ。貧乏人のひがみか。

夕方、シュテファン寺院の脇にあるホテルロイヤルに一旦もどる。夜になって、ホテルから歩いて5分のホイリゲに行ってみる。なかなか雰囲気のいい店である。510CC入りのデカンタで白2、赤1を呑む。料理は適当(日本語メニューではないから本当にテキトー)に頼む。これまた、量が多い。呑むより食べる方が忙しい。後半はウトウトしてきたので、宿に戻る。またもやバタンQ。

最終日の本日が一番観光らしい観光ができた。
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プラハからウィーンへ

2007年08月17日 | 中欧の旅

<移動中の列車からのボヘミア平原>

本日は移動日。8:26プラハ発のエクスプレスでオーストリアの首都ウィーンへ向かう。到着予定は12時半。約4時間の電車の旅である。ファーストクラスの席だったのでゆったり出来た。コーヒー、パン、ケーキなどの社内サービスもあった。コーヒーを飲み干したカップでプラハで買った「ベヘロフカ」(チェコの食前酒。38度。)を注ぎチビチビと呑む。多くの薬草を漬け込んであるので、薬のような香りがする。日本で言えば養命酒のような感じだ。最初は違和感があるが、酔うにつれ呑みやすくなってくる。結局、ウィーンに着くまでに空いてしまう。

電車は遅れ、13時に着く。ホームに降りると暑い。30度は超えているだろう。涼しいプラハから来たためか、非常に暑く感じる。おまけに、この鉄道の駅から地下鉄の駅までが500~600mもあり、アクセスが悪い。ゴロゴロ荷物を転がしていくうちに「ベヘロフカ」の酔いが回ってきたのか気分が悪くなる。

ようやく、宿についてシャワーを浴びて人心地つく。しばし、体調を整えてから、ホイリゲ目指して4時に宿を出る。少し、迷ったが目指す店を何とか見つける。料理を三皿と白ワインのボトルを1本入れる。ワインは口当たりがよくのど越しもいい。さすがに本場だけあってウインナーソーセージはうまい。

ドラゴン氏曰く、ボトル一本入れてしまうのでは無く、一杯づつ違う銘柄を味わった方がいいのでは。なるほど、そうしよう。ということで他の店に場を代え、ワインを呑む。この一帯にはホイリゲが十数軒あるので、一杯づつ呑んでまわることもできるが、本日はここで切り上げることにした。

市街地に戻ってきて、日本料理「天満屋」による。ドラゴン氏によると、こういう日本料理店で情報収集するのが海外旅行を成功させる秘訣だそうだ。旅なれている人はさすがである。


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プラハ四日目

2007年08月16日 | 中欧の旅
携帯から速報。

午前中はマラーストラナの丘にケーブルカーで上がり、そこに聳えるタワーに登って西側の高みからプラハ市街を眺望した。

午後は東側にある、テレビ塔に上がってプラハ市街を観る。東西の高みから市街を眺望した日であった。

テレビ塔のカフェで簡単に昼をすませてから、再び市街へ繰り出す。

目的地は当然、黄金の虎だ。開店時間の三時に合わせて行くが、着いたのは三時を十五分すぎる。すでに超満員。恐るべし、黄金の虎!目ざとく、立ち呑みの隙間をみつけ、そこへ滑り込む。間一髪セーフ!

黄金の虎については帰国後、詳細をレボートしようと思っているがプラハで最も印象に残った店であり、出来事だった。

店を出て、記念にボヘミアクリスタルグラスでも買おう、ということになる。旧市街のロットクリスタルに入り、購入。家でロックを楽しむ時用に、あまりこういうモノには金を使わない小生にしては結構奮発した。酔った勢いという奴かも。(笑)

その後、二、三買い物してから簡単に夕食を食べて宿に戻った。プラハ最後の夜、もう一杯、黄金の虎のビールを呑みに行こうとドラゴン氏と言っていたのだが、ベッドに倒れるとそのまま吸い込まれるように眠ってしまった。
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プラハ三日目

2007年08月15日 | 中欧の旅
今日も携帯からの速報。

宿を移動。旧市街広場に近い場所だ。荷物預けて早速、散策。旧市街広場のフス像は修復中で見られず。時計塔は毎正時に仕掛けが動くのでその時間が近づくと黒山の人だかりとなる。が、仕掛けは皆の期待に反し大したことはない。いつのまにか終わってしまう。皆、物足りない表情でその場を離れていく。

プラハは欧米人の団体の多い観光地だ。異様な程である。中世の面影を残しているところがいいのか。中欧という位置付けが足を運びやすい、ということもあるだろう。とにかく圧倒される。言い方は悪いが白人の見本市である。

夕方、昨日行った黄金の虎に行くが、満員ではいれず。さすがに人気店。近くの店で夕食をすましてから、覗いてみるが、益々、盛況。あきらめて、教会で行なわれるパイプオルガンのクラシック演奏を聴き、カレル橋からプラハ城の夜景を観る。

午後十時すぎ、三度、黄金の虎に行く。ようやく、立ち呑みができる。ここのビールはやはり、うまい。尿酸値のことはすっかり忘れられる。いや、むしろ値は改善されている気さえする。
そんなはずはないのは百も承知だが・・・。
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プラハ2日目

2007年08月14日 | 中欧の旅
時差惚けで午前二時に目が覚める。ガサゴソしているうちに、ドラゴン氏も起こしてしまう。悪いことをした。朝方までビールを呑みながら旅の話を聞く。氏は欧米を一ヵ月半も歩いているのだ。小生のように昨日今日出てきたオノボリとは違う。いろいろな話を聞けた。

二日目はとりあえず、プラハ城、カレル橋、そしてプラハ一の呼び声の高いホスポダ(ビヤホール)“黄金の虎”へ足を運んだ。

本日もインターネットつなげず。詳細は別途報告します。
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