萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第30話「ラジギールの日本寺(その1)」

2009年09月09日 | 自転車の旅「インドを走る!」


1980年4月25日(金)

朝、マルケットで食事してから、愛車にまたがってサンティストーパ(日本寺)へ向かう。途中、アカヌケただけの店による。ファンタをたのんだが冷えていない。まずし。昨日約束していたフィルムを買いたいと言っていた赤シャツアンチャンと交渉。三本を100RSで買うと言っていたのだが、キャッシュ50RSと50RS分の買い物にしてくれ、という。全部キャッシュを要求したが、なかなか譲らない。しかたないので、言う通りにする。この辺が私の甘いところだと思ったが、面倒なのであきらめた。

サンティストーパの麓のリフト乗り場まで行く。時間より早く着いてしまったのかリフトは動いていない。30~40人はいるだろうか。大勢の身奇麗なインド人の観光客が列をなしている。チケット買って最後尾に並ぶ。30分ぐらいしてようやくリフトは動き出す。と、日本人は最優先なのか、係員が私を行列があったにもかかわらず、先頭に連れて行ってくれ、すぐに乗れた。嬉しいことなり。リフトに乗るのは日本のスキー場以来だ。荒れ果てた山肌、強烈な日差しと熱気がスキー場とは正反対の環境ではあるが・・・。十五分ぐらいで上に着く。

日本寺というだけあって、色彩豊かなヒンドゥ寺院よりは落ち着いた佇まいである。一通りお寺をみてから、お坊さんが大太鼓を叩いている建物に入ってみる。堂内はさすがに涼しい。坊さん、一しきりお勤めが終わると私をみて、

「いらっしゃい、どうぞゆっくりして下さい。すぐに来ますから。」

といって立ち去る。このお坊さんの顔は、とても優しく、凛々しい。剃った青い頭はあたりを漂うくそ暑い熱気と反して清々しい。また、体つきもがっちりしていて足も太い。立ち居振る舞いも立派であった。うーむ。宗教とはかくのごとく凄いものか。難行、苦行の賜物であるか。とほとほと感心した。

それから、涼しい堂内を手持ち無沙汰でウロウロしていると、もう一人の先輩格の坊さんが手に持った小太鼓叩きながら歩いてきて、私に「10分ぐらい待ってくれ」と言って、今度は座って大太鼓を叩く。このお勤めが終わってっから、別室へ招かれる。

先の坊さんと三人で菓子をつまみながら、いろいろと話をした。初対面の印象とは違い、二人とも人間臭いところのある人たちであった。お経を読んでいたり、タイコを叩いたり仏事に専念している時は崇高に見えるが、世間話になると普通の人間に戻るのかもしれない。

先輩格の坊さんはインド国内をあちこち放浪した後、このラジギールへきて半年ほど、この日本寺の飯を食わせてもらっている内に出家を志したとのことである。その後も袈裟を着て、タイコを叩きながらあちこちの国を回って歩き、実に五十カ国は行ったろうと言っておられた。

また、ヨーロッパの話をしているうちに、あそこは日本人を蔑視しているといわれた。“修行の賜物”の坊さんの方が、でもドイツは違うでしょ。と言うと

「ああ、あそこは日本びいきだよ。『今度はイタリア抜きでやろうや』というのは有名なセリフだ。」

という。私がダマン峠の上でドイツのサイクリストに会ったことを話すと先輩格の坊さんは、

「ああ、ドイツの若者はでかいことをやるのが好きだ。日本の若者とちょっと似ている。しかし、ドイツの奴等の方が論理的だ。日本の若者は、なんか精神力でこなそうとするが、ドイツ人たちは自分なりによく考え、言葉も英語、フランス語と堪能だ」

と言われ、まったく、その通りだと思った。

後半はというか、大半はインド人たちの話で持ちきりだった。インド人を肴に話をしていると幾日でも話していられると、嬉しそうに語るこの坊さんに好感が持てた。この坊さんは山を下った所の建築中の寺に住んでいた。これから、そこへ行くから一緒に来ないかと誘われた。躊躇していると「飯も食わせるから」というので行くことにした。

リフトはもう動いていない。坊さんはタイコを叩きながら下る。荒い山道なり。そしてジリジリと暑い。強い日差しが首筋やら腕を射す。もう十二時である。途中、仏跡が見えた。あれが、釈迦が民衆や弟子に教えを説いていた建物だと教わる。ここら一帯、山に囲まれた盆地になっており、当時はマガタ国の都であったという。山が自然の城壁になっていたため、この盆地に都が築かれたとのこと。稜線には所々人工の城壁も残っている。現存する最古の城壁だそうである。

今はこの盆地は一面の潅木にてひとつの家もない。聞けば、ここは千数百年誰も住むことを許されていないそうである。当時はいろいろな草花も生え、気温も5~6度低かったらしい。「気候が変われば人の考え方も変わる。」と坊さんは呟いた。インドにおける仏教の退廃を意味した言葉であったろうか。

二人で暑いさかり自転車で帰る。坊さんのはインド製の実用車である。私の自転車を見ていう。

「いや~。私も自転車で世界一周というのに憧れていましてねぇ。いいですねぇ。ほとんど荷物も持たず、カメラも持っていないようですが、そのシンプルさがいいですね。ありがたいことです。」

と褒められてしまう。褒められることに慣れていない私は「いや、まあ。」と中途半端な返事を返すのがやっとであった。
 ・カメラは持ってきていたが、盗まれてしまったこと。
 ・荷物は沢山あったが、もう旅も終わりなので半分ほどはパトナから日本に送り返したこと。

はついつい言いそびれてしまった。40℃を超える灼熱の埃っぽい道を二つの自転車は建築中のお寺へと急いだのだった。

(つづく)

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コメント (2)
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