萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第34話「パトナで帰国の準備」

2010年03月23日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<インドの街並み>

パトナでは一週間前と同じホテルに泊まる。ここで最終的な帰国の準備をする。一週間前にインドの民族衣装サリーなどを買ったが、まだ友人の為にいくつかお土産を買い揃えないといけない。また、なるべく身軽で帰りたいので、お土産や荷物を日本へ発送してしまいたい。同じ理由からこっちで売れるものは売って、金に換えてしまう予定だ。そして、いよいよ、自転車を分解して、輪行袋にしまわなければならない時がきた。

1980年4月29日(火)

もう、五時前に目が醒める習慣になってしまっている。目を覚ましたところでやることもなし。バルコニー出て、しばし、朝の涼しさを味わう。今日、こまごまとした帰国準備を一日かけて行い、明日はいよいよ帰国の途に着く。

2月23日に日本を発って以来70日弱、M、E両君と下痢や発熱に悩ませられながら、ヒンドスタン平原をひたすら走ってネパールはカトマンドゥに達し、そこで皆と別れ、再びインドへ来た。日本食が食べたいと思ったことは何度もあったし、安全、安心に眠れる我が家の寝床に憧れたこともあった。だがしかし、この旅ももう終わりかと思うと、何故か悲しい。まだ、帰りたくない。もっと、走り続けたいという気持ちが強い。サイクリングクラブの仲間でよく言い交わす、

「終わってしまえば楽勝よ。」

というフレーズが脳裏をよぎる。辛いと思った峠道も苦しかったクラブ合宿も、終わってしまえば楽勝だった。今度もそうだ。もがき苦しみながら、走り続けた。食中毒にもかかったし、大事なカメラも盗まれてしまった。いろんな目にあったが、思い描いていた行程は走り終えたのだ。もう、大腕振って、帰っていいのだ。もっと、喜んでいい筈なのだ。が、どうもしっくりこない。

バルコニーから往来を眺める。早朝であるが、埃っぽくて汚い街並みにも動きはある。牛やイノシシがのそのそと歩き回っている。鶏が路上を啄ばんでいる。アバラが浮き出ている痩せ犬も残飯にでもありつけないかと彷徨っている。

軒下に毛布に包(くる)まって寝ていたカーストの低い大人や子供達も起きだす。朝食の準備をしていたのだろうか、カリー屋の肥えた女主人が、大鍋を抱えて出てきて、往来の牛に鍋底に残っていたヨーグルトを舐めさせている。犬も寄ってきたが、犬は頭を叩かれ追っ払われていた。動物にもカーストがあるらしい。

こんな眺めも明日からはおさらばである、と思うと、また、切なくなる。70日滞在しているうちに、知らず知らずにインドに愛着がわいていたのだ。そういえば、この一週間はインドカリーも旨いと感じていた。

インドというところは人を引きつける魅力というか魔力のようなものが確かにある。それに絡め取られると、一切を捨て、この地で修行をしてみたい、などと思ってしまうのだろう。それは法螺や誇張ではなく、現実のことであると今なら言える。

一旦、日本に帰るが、いずれまた、この地に戻ってこよう。この次、来る時は“アラウンド ザ ワールド”の途中で来てやる、と強く思ったのであった。


ホテルで簡単な朝食をとって、まずはポストオフィスへ行く。帰国日時を報せるハガキを日本に速達で出そうとしたが、「速達は無い」と一週間前に「シーメール(船便)は無い」と言ったオヤジが言う。ほんとかね。なんだか騙されているみたいだ。そうだとすると、このハガキは私が日本に着いた後に、家なり、友人なりに届く公算が高い。馬鹿らしいとも思ったが、いくらもしないし、帰国後の話のタネにもなるので、出しておいた。

一週間前サリーを買った店へ行き、「インディアンスーツ」(頭からすっぽり被るパジャマみたいなもの)を買いたいが何処に行けば買えるか、と店主に聞くと「俺が縫ってやる」と調子のいいことを言う。値段は5枚で100ルピー。一着20ルピーならまあよかろうということでオーダーしたが、何のことはない。金を払う段になって、縫い代は別だといいやがる。さらに35ルピー取られる。やっぱりね。また、ペテンにあった。夕方にはできる、とのこと。

ホテルに戻ってきていよいよ自転車をバラす。悲しい儀式だ。猛暑の中やるのは大変だと思っていたのだが、結構すんなりと輪行できた。輪行袋に自転車やバッグの他に土産ものなどもなんとか入った。郵便で荷物を送ろうかと思っていたが、この程度なら担いで帰えっても大丈夫だろう。

夕方、涼しくなってから「インディアンスーツ」を取りに行く。5着とも出来上がっていた。ポケットがいやに多かったが、自転車仲間の夏場のユニホームするつもりなので、かえって都合がいい。

シークの店主「今度はいつインドに来るのだ」とうるさい。私との別れを惜しんで言ってるのかと思いきや、さにあらず。三年後に来るというと、「その時はモーターサイケレ(オートバイ)で来い。そして、電気時計を沢山持ってこのパトナに来れば、俺が買ってやる」と抜かす。商取引の話であった。さすがはインド人である。「グッドバイ」と言って去る。

腹が減ったのでチャイニーズレストランへゆく。ここで夕飯を摂った後、この店の女主人に余っているフィルムとカセットテープを55ルピーで売った。彼女はヤシカ・ミノルタ・ニコンFEのカメラを持っていて、35mmやズームレンズも持っているとか。カメラはインド、いや、日本でも少し前まではそうだったが、金持ちの象徴のようなところがある。それらを集めるのが趣味なのだろう。

宿へ戻り、最後の荷物整理をして眠りにつく。

         (つづく)

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コメント (3)
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