萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2第21話「ダマン峠へ ~単独行開始~」

2008年04月02日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<M君(右)と分かれて単独行の旅へ>

カトマンドゥでE,M両君と別れて再びインドに向かって走り始めた。これから先は単独行だ。いままで、英語が堪能なM君にいろいろな交渉事を丸投げしていた我が身なれば、不安がないというと嘘になる。ただし、彼らと共にした約一ヶ月半の経験はこれから先の旅に役立つことは間違いない。インド人やネパリの食糧事情や物品の相場、習慣など、いろいろと分かってきてからの単独行なので、それ程心配はしていない。

ただ、この時期インドは真夏なので、相当気温は高いという。暑さ対策をしっかりとやらないといけないが、その辺は単独行だと自分のペースで走ったり、休んだりできるから、気は楽だ。いろいろ不安もあるが、「当たって砕けろ!」だ。

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1980年4月11日(金)晴れ

一人旅初日。今日も上天気である。朝、M君にコーヒーを奢ってもらってしばしの別れの挨拶を交わす。M君、例の寺まで送りに来てくれる。餞別だといってチョコキャラメルを沢山くれる。ありがたし。寺で写真と8mmを撮った後、それじゃ、ということで旅立つ。

市街地を抜けて、階段状のタラタラ登りに入る。結構登りでがあって疲れる。一時間ぐらいかかって数日前に越えた峠へ着く。3人のヤギ飼いの子供たちの写真を撮る。シガレットをくれというが、いくら異国でも子供にやるわけにはいかず、かわりにチョコをやる。

さて、数日前によじ登ってきた、あの凸凹道を1時間かかって下る。埃だらけとなる。ナウビセでパンとタマゴを栄養補給し、いよいよダマン峠に向けて出発。

登りだしは勾配もなく、タラタラ登りで、これなら楽に行けそうだと早合点。しかるに十時をすぎると日差しが強く、勾配もきつくなり、我が脚力萎える。四、五キロで一服入れるというペース。この分だと今日中にダマン峠にはつかないのじゃないかと不安になる。

チャイ屋で一息いれていると少し英語のしゃべれるマスターがいたので、E君に聞いていた正月のことを尋ねてみる。(注:E君の情報だとネパール暦の正月は本日か明日だそうだ。)氏曰く、正月は今日の朝6時からという。ダマン峠からの初日の出は無理だったかと思ったが、よく考えると日の出は6時より前のはずであるから、明日の朝が初日の出となるではないか。また、気合が入り、ダマンを目指す。

ナウビセから約30キロ地点にティンスングという街あり。そこが峠になっていて標高2030mであった。時に三時半。この調子で後18km登りが続けば、今日中のダマン行きはもはや断念せねばなるまい、と思っているとこの街から8kmは下りで10kmが登りという。ありがたし。これでなんとか目処がつく。

8km下って一服する。旅行記を書いていると、小さな子供達が私の書いているのを珍しがって五、六人ほどが覗き込んでいる。いくら、理解できないと思っていても少し書きづらい。

長めに休んで、ダマン峠に向けてラストアタックだ。頂上に展望台を仰ぎながら走り出す。しかし、昨晩のすき焼きパワーももはや使い果たし、体力が限界に近づく。ヨロヨロ登りで残り10kmを、始め3km、次2km、後はほとんど1kmづつ、一息いれ、最後の方は休憩の度に縁石に転がって、タバコも吸えぬというありさま。陽は落ちてゆく。あたりはだんだん暗くなる。後1、2kmだというのに動けない。

しかし、なんとか。本当にナントカたどり着く。ロッヂのありかを聞くと、ずっと下から見えていたタワーがロッヂだという。行ってみるが、人のいる気配なし。マネージャーは何処?近くのレストランに入り食事をし、居合わせたネパリのトラックドライバーを通じて、そこに泊めてもらうよう交渉する。

彼氏、後でわかったのだが、私の飲み食いした分、すべて払っていってくれたそうな。ありがたいことである。近所の十六歳の若者とお互いカタコト同士の英語で話をした。彼はインドの人たちは悪い奴らだと嫌っていた。なかには親切な人もいるのに、なぜ彼らは嫌うか。彼はインドのダンプのドライバーしかみていないからか。それとも、インドのネパールに対する政策が悪いのであろうか。

その内、タワーのマネージャーきてタワーの部屋を貸切と言う形で借りることになる。氏の名はループ。ループさん曰く、明朝、日の出前にエベレストが見えるという。夜は星も見えるという。いろいろと説明してくれ、感動を新たにする。

明日は是が非でも四時半にアラームをセットして起きてやろうと思った。今年、二度目の初日の出なのだから。ループさんに一通り、宿や山の説明を受けた後、ベッドから星を眺めることができる部屋で眠りに着く。涼しいというより、寒いぐらいだった。さすがに、標高2,322mである。

今日は通算標高差約2,000、距離78kmでおそらく、この旅の最難度コースであったろう。

                             つづく
※「インドを走る!」について
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