萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

久々、カイツブリ

2008年01月31日 | 散歩

<孤高のカイツブリ、池の奥へゆく。>

 最近、朝の公園散歩で奥の方へは滅多に行かなくなった。今朝は晴れてもいたし、さほど寒くも無し。始業時間まで余裕もある。ということで、久々に奥の方まで足を運んでみた。奥に行くと、

  ケレケレケレケレケレ

というあの独特な鳴き声とともにカイツブリが現れた。妙になつかしかった。ここのところキンクロハジロを贔屓にしていたが、やはりカイツブリも魅力的だ。

池の端で餌をくれる人がいても、カイツブリはあまり寄っていかない。われ先によるのは、ユリカモメだ。奴らは飛んでくる。ハトも飛んでくる。次に来るのがカモ族。キンクロハジロやカルガモだ。彼らは泳いでくる。その分だけ到着は遅れる。

 施しを受けるのに大事な飛翔力を使ってたまるか。

という、意地があるのカモ。

カイツブリがこの仲間に加わっているのは見たことがない。

 餌さは自分で捕るもの、人から貰うものではない。

という意思が伝わってくる。彼らはひたすら潜って餌を探す。その姿に「武士は食わねど高楊枝」といった高尚な清々しさを感じる。

孤高のカイツブリがさらなる餌を求めて、池の奥に去っていく。どこか三船敏郎扮する“素浪人”めいていて頼もしい。
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ブログ始めて1周年!!

2008年01月30日 | 日々の記録

<大宮公園にもキンクロハジロの軍団がいた。小生、このシベリアから来た“ネグセ頭の貴公子”がすっかり気に入りました。>


一年前の1月30日に、このブログを立ち上げた。最初の記事は「インドを走る!連載開始」というタイトルだ。一気に4話まで紹介した。後に毎日投稿するようになってから後悔した。なぜ、一話づつ載せなかったか、と。

もっとも、当初は週2~3回も投稿すればいい、と思っていた。それが、他の人のブログを覗いている内に、面白いのは毎日更新している人のに限る、と気づいた。「どうせやるなら、毎日だ。」と決めて、毎日書き出したのは2月25日からだ。

書き始めてからのタイトルを順におっていくと

1月30日「インドを走る!連載開始」⇒自転車の旅
2月12日「はじめまして」⇒ご挨拶、当ブログの趣旨
2月15日「一日断食日」⇒健康、ダイエットネタ
2月17日「これがお粥です」⇒グルメ系
2月19日「雨上がりの白梅」⇒内容は野球ネタ
2月23日「最近ウォーキングに目覚めました」⇒散歩ネタ
2月25日「奥武蔵散策」⇒山系

そして、25日からは毎日書くことに。

こうしてみると最初の7回でこのブログの特徴が大方出ていますナ。ま、同じ人間が書いているのだから、当然といえば当然だが・・・。

一年間やってみた感想は、

◇意外と簡単に一年たった。⇒そんなに苦ではなかった。むしろ、大いに楽しめた。

◇いろいろと勉強になった。⇒本を読み返したり、辞書引いたり、Wikipediaを見たりと、ちょっとしたことでも、間違ったことを書いてはいけないと思って調べたことが勉強になった。

◇写真を撮るようになった。⇒この一年間で何枚撮ったろうか。ヘタするとそれまでの49年間よりもこの一年で切ったシャッターの方が多かったかも。今のカメラはデジカメなので、何枚でも撮れ、しかもすぐ見れる、というのがことのほか便利だ。「ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる」で、時々いいなぁと思う写真も何枚か撮れた。

◇二十数年間ほったらかしにしていた、インド・ネパールサイクリングの旅行記が日の目をみた。⇒これは、ブログをやらなかったら、永久に振り返られなかったと思う。この旅行記をブログに書き直す作業をやっていると、気分が若返るという効能もある。

◇断食や読書などのノルマをこなす原動力になる。⇒このブログで宣言することで後戻りできない、環境をつくる。

◇遠方にいる友人、知人とのコミュニケーションを図れる。⇒これも嬉しく楽しいブログのメリットだ。

とまあ、いい事尽くめで、今のところは短所は無い。あえていえば、前にも書いたが「生活の中からブログネタを探すのか、ブログネタをつくる為に生活しているのか、が分からなくなる時がある」ということぐらいか。でも、これは充実した人生を歩めるなら、どっちでもいいことかもしれない。
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バリ島 交通事情

2008年01月29日 | その他旅行
 ヒンドゥー教のバリ人はバリ島に渡って来る前はジャワ島に暮らしていた。しかし、島に入ってきたイスラム教勢力の伸張とともに、バリ島へ移住したそうだ。したがって、現在イスラム教徒が90%を占めるインドネシア共和国に属するバリ島だが、ここの宗教は未だヒンドゥー教が大半だ。ジャワ島とは最も狭いところで3kmというバリ海峡を境に宗教の自由は守ってきたのだ。

また、バリ島は食料が豊富に育つ土地で、米は二期作から三期作が可能だそうだ。農民は朝夕それぞれ2、3時間働けばよく、残りの時間は絵画、彫刻、音楽、舞踊などの芸術的創作活動に当てられ、芸術の島として世界的に知られるようになった、という。“地上の楽園”といわれる所以である。

但し、観光地化された昨今では、いい事尽くめでは無い。


<バリ島でも渋滞はすごい。>

1月20日付けの日経新聞に、インドネシアでも「渋滞・大気汚染が深刻に」なっている、という記事が載っていた。以下引用すると

****************************************

人口一千万人を超すジャカルタは東南アジア最大の街だが、都市交通網の整備の遅れが響き、渋滞は慢性化。排ガスで覆われた中心街は高層ビル群の姿が霞むほどだ。打開策として打ち出したバス専用レーンの工事で、逆に道路混雑が激しくなる皮肉な現象も起き、市民の健康被害も深刻になっている。

****************************************

高層ビルが大気汚染で霞んで見えるという体験は、小生も上海などである。雲が低いというか、特に夜景において異様にみえる。人間社会に対する“天からの警告”にふさわしい、不気味さであった。

さらに記事では渋滞について、

「ジャカルタには400万台を超えるクルマと無数のバイクがあふれている」

「首都圏の自動車保有台数はここ数年、年平均で約一割増えているが、道路の拡張は年0.01%にとどまる。」

「雨季の為に道路が冠水して、渋滞が悪化すると一時間で100mしか移動できない」

など、“渋滞ぶり”の記事が並ぶ。これにともなう大気汚染もひどく、

「ジャカルタでは06年、大気の状態が『良好』と判断された日は、わずか26日しかなかった。」

「喘息を訴える子供達が増え、呼吸器系の疾病が死亡原因のトップになった」

などの記事が続く。

昨年12月にバリ島で行われた国連関係の会議でユドヨノ大統領は「バリのような楽園を地上から失ってはならない」と訴えたそうだが、バリ島でもクタやウブドの街中の渋滞はタダならぬものに見えた。(上の写真はナマやさしい。街中ではクルマと無数のバイクでごった返していた。)

イスラム教の進攻を阻止したバリ島でもモータリーぜーションの波は防げなかった、ということかもしれない。
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本年度5回目の一日断食日

2008年01月28日 | 健康、ダイエット

<広い池だが、かなり奥の方まで凍っていた>


<ユリカモメも佇むのみ>

今朝もかなり冷え込んだようだ。公園の池も大半凍っていた。ユリカモメは池の中央にいたが、キンクロハジロやカルガモの連中は何処へいったか見当たらなかった。練馬区の今朝6時の気温はマイナス2℃。もう少し下がって、氷が厚くなれば、スケートやったり、ワカサギ釣りが出来たりするが、まさかね。

今夜から明日にかけては雨、または雪模様。寒い冬はしばらく続きそうですナ。そんな中、本日は今年5回目の一日断食日。食物を体内に入れないと、寒さはいっそう身にしみる。ものを食べる、という行為は体温を上げる役目があることを、断食をやっていると実感できる。

その上、昨晩は酒ばかり呑んで、炭水化物を摂らずに寝てしまったためか、空腹感がいつもよりある。コーヒー飲んだり、昆布茶飲んだりして何とかごまかしている。ひと月5回のペースだから、一日断食の今月のノルマは今日で達成。

しかし、今年から年40日の断酒日というのを付加した。1月の割り当ては3回なのだが、こっちの方はまだ一日しか実行していない。あと三日で二日実行しないと達成できない。これはきっと無理だ、と今から思っているが一日はやるつもり。

ひもじいから、今日は早く帰って寝てしまおう!

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久々、三兄弟妹

2008年01月27日 | 日々の記録

<大宮駅西口には今も昨年暮れと同じイルミネーションが・・・>

 京都から兄が来宅していたので、昨晩は近隣に住む妹夫婦も呼び出し、大宮駅西口の「ろばた焼き屋」で食事をした。土曜日であったが、店内は若い人中心に賑やかであった。この店は「とろ鯖焼き」や「さつま揚げ焼き」など、安くて美味しい肴があり、最近よく来る店のひとつだ。できればカウンターに座りたい店だが、今回は4人なのでテーブル席に着く。

“三兄弟妹”揃って呑むのは、2006年6月以来だ。兄は小生と違って余り呑めないし、呑まない。ビール一杯で真っ赤になる方だ。妹は多分、呑める方だ。検証したことは無いが、大抵、少々の酒では顔色も変えない。話題は兄、妹の子供達の話が中心だ。特に兄の次女はこの前のセンター試験を終えたばかり。希望の大学へはかなりの崖っぷちとのこと。滑り止めは京都の私立大だそうだ。京都単身赴任の兄としては複雑な気分のようだ。

妹の次男は今年高校3年。甲子園目指して毎日野球三昧。本年度夏の甲子園は90回記念大会で埼玉県からは二校出られる。甲子園常連高校でなくとも気合が入る。小生も密かに期待しているが、“甲子園”は甘くは無い。

兄は今日、京都へ帰った。帰る途中、次女の合格祈願に氷川神社によった。兄は7、8年ぶり、小生は今月3回目の参拝だ。大きな木々に囲まれたお社を見て、兄がつぶやく。

京都の神社より、氷川神社の方がご利益がありそうだ。

と。なるほどそうかもしれない。氷川神社周辺は観光地化されていないし、大宮公園を含めれば、かなり広大な面積を古い木々で占めている。池もある。小生からすれば珍しくもない、風景や風情だが、兄にとってはしばらくぶりの景色だ。やたらと感心していたのが、おかしかった。

お参りの後、参道、オレンジロードを通って、大宮駅まで送った。

夕刻。桂小五郎のゆかりの「幾松」という店をみつけたから、遊びに来い、と行って、兄は帰って行った。

近々、また京都に行こうと思った。
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バリ島 ガルーダ

2008年01月26日 | その他旅行

<ガルーダの石像。赤い花はミスマッチと思うのだが・・・>

 バリ島に来るとこのガルーダというのがあちこちで石像となったり、絵画となったり、あるいは踊りでも衣装をつけて出てくる。いやでも目にする存在である。ガルーダはインド神話に出てくる聖鳥だ。以下、Wikipediaから引用。

***************************

その一族はインド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。これは、インドにおいて猛禽類や孔雀は蛇を食べると解釈されていたことによるものらしい。<中略>基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。

***************************

ようはガルーダは“正義の味方”なのだ。バリ島だけでなく、インドからインドネシア、タイなども含めた広範囲に渡って人気のある聖鳥だ。イスラム教国であるインドネシアや仏教国のタイにおいても国威の象徴とされ、国章とされているし、さらにインドネシアの国営航空会社は「ガルーダ・インドネシア航空」というネーミングである。たしか、尾翼にもそれと解るデザインが施されていたと思う。また、日本においても“烏天狗”はこのガルーダの末裔と言われている。

 筋肉隆々の仁王様が空も飛べる、といった印象だ。将棋で言えば「飛車」が成って「竜王」になるが如し。その行動力は「王」より上だ。男子たるものその能力に憧れぬはずはない。子供の頃夢中になった、ゴジラやウルトラセブンに近いものがある。

もちろん、小生もひと目で気に入った。バリ島出発の際も、ガルーダの絵を利用させてもらったぐらいだ。(下図)



 惜しむらくは上記の石像以外にもあちこちにあったガルーダ像、絵画などをキッチリと写真に収めて来なかったことだ。日中から酒を呑んでボーっとする旅の効能は認めるが、ここらあたりの“甘さ”を帰国してから悔やんでしまう。上手な旅をする上での今後の課題だネ。
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「環境問題」解決の糸口が・・・

2008年01月25日 | 散歩

<ボート池も凍る。すっかり冬の風情。>

一昨日に雪が降り、昨日は晴れたが夜は大分冷え込んだ。今朝、いつもの公園に行くと池が広い範囲に渡って凍っていた。いよいよ“冬らしい冬”の到来だ。冷え込んではいるが、身も気も引き締まるこの季節は嫌いではない。

ただ、その為には健康状態を良好に保っておかねばならない、とここ一週間で改めて教えられた。先週の金曜日以来、痛かったノドもようやく落ち着いてきた。読んだり、考えたり、歩いたり、撮ったりする余裕も出てきた。


<コガモ一族の団欒>

公園の奥の小さな池にも氷が張っていた。ここは秋口辺りに北方から飛来したコガモのファミリーが棲家としている。今朝は凍った分、池の面積が減って皆で寄り添うようにしていた。

寒々とした様子に見えるが、彼らにしてみれば、北方の寒冷地よりは暖かい環境だ。小生が正月にバリ島のプールに浸かっているようなものかもしれない。だとすると、まさに一家“暖”欒の風景である。


コガモファミリーに癒された公園を出て、狭い道を会社まで歩く。今朝はやたらとクルマが多い。歩行者「そこのけ」で行き交うクルマにいつもの事ながらウンザリ。推測するに、寒さのために駅までの送り迎えが多いようだ。

雨、雪が降っているわけじゃ無し“健常者”は歩くべきだ。人は自然破壊をして生活していくうちに、“自然”に対して弱い体質になってしまったようだ。“原油高騰”は生活を見直す、いい機会だ。“自然に強い”人間になることが環境問題解決の糸口になるかもしれない。この観点から日々の生活を見直すとどうなるか。

 お酒は燗をしなくていい♪ 
 
   肴は炙らぬイカでいい♪

という歌が頭をよぎる。「燃料節約」兼「咀嚼能力と胃腸消化能力の向上」につながる。火を使わない分、呑み代も安いはずだ。頭をふとよぎっただけで一石二、三鳥の案がでてくるぜ。

ま、冗談はともかく、一度真剣に考えるに値する命題だと道々思った。

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謎の動物発見!?

2008年01月24日 | 散歩


 昨日とは打って変わって、晴れ。ノドの痛みもピーク時を100とすれば、40ぐらいまで下がった。天候回復にあわせ、気力、体力も回復基調で通勤の足取りも軽い。

いつもの公園は昨日の雪の残雪などは跡形もない。陽光に煙る水蒸気が名残(なごり)をとどめているばかりである。公園の池にはシベリアから飛来したキンクロハジロやホシハジロが水面を賑わし、水面上に目をやるとユリカモメが滑空している。水辺と木々を飛び交う小鳥など、冬季ではあるが園内は活発だ。

ひと月も前だったか。小生の前方をこげ茶色の太った猫らしきものが横切った。始めは猫だと思っていたのだが、立ち止まってこっちをじっと見ている姿が、なんとなく、タヌキのようだったので、撮ってやろうと思い、カメラを向けたが逃げられた。人に慣れた猫にはみられない警戒心。猫にしては大きな身体。こげ茶。などを考慮すると

「きっとタヌキだ。」

と小生はその時思った。

今日、また奴に出合った。今度は見事撮影に成功(写真下)。もっと、近づいて見てやろうと思ったが、脱兎の如く藪に逃げられた。写真から判断するとタヌキに見えないことも無いが、やっぱり太った猫のように見える。しかし、猫だとするとあの異常な警戒心はなんだろうか。前に人間によっぽどこっぴどい目にあったか。しかし、あれだけ太っているところをみると、食料は十分摂っているはずだ。人間に慣れていないとあんなには太れないはずだ。

依然として謎だ。


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風雪

2008年01月23日 | 日々の記録


 今冬、初めての雪らしい雪だ。かなりのボタン雪だ。わさわさふり降りてくる。積もっても直ぐ溶けるだろうが、とにかく寒い。風邪気味だからなおさらである。ノドの痛みはピーク時を100とすると70ぐらいには落ちてきたが、風邪薬を飲んでいる所為かとにかく眠い。仕事に差し支えるので、昼食後の服用は控えることにした。

午後には雪も止むようだ。今日も早く帰って寝たいがどうなることやら・・・。
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風邪薬

2008年01月22日 | 日々の記録


 ノドの痛みが引かない。昨晩も呑んだからだ。7時半から11時までしっかり呑んだ。関西派遣時代にお世話になった人との宴なので、ノドが痛いぐらいでは断れない。昨日の朝よりはいくらかマシになったものの、基本的には痛い。

ということで、本日は会社の診療所でルゴール液を塗ってもらった。小学生の頃もよく扁桃腺を腫らした。医者に行くと必ず細い鉄棒の先に脱脂綿を巻き、こげ茶色のルゴール液をつけ、

「口を大きく開けて」

とお医者さんに言われ、ノドの腫れている部分に塗られた。塗られたら、大概はゲーっと言って涙ぐむ。50歳になってもそれは同じだった。しかも、その後しばらく患部はヒリヒリしていた。写真はその時にもらった、風邪薬とトローチ。ヒリヒリを緩和させたい為、トローチはすぐ舐めた。

それでも、看護婦さんには「塗られ方がうまい」と褒められた。思えば、小学生のころは乾燥した寒い冬になると、毎年扁桃腺を腫らしていた。病院でも家でもよく塗られた経験がある。うまいはずなのだ。

「うがいするとか、水分を取るとかしてノドを乾かさないこと」と注意されて診療所を出る。今日は早めに仕事が終わるので一杯やろうと、何日か前は思っていたのだが、全然その気にならない。

義理のある呑み会の無い日ぐらいは、早く帰って寝るに限る。
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ノドが痛い!

2008年01月21日 | 日々の記録


 ここ二三日、ノドが痛い。扁桃腺が腫れているようだ。風邪をひいて寝込む、という経験はここ二十数年間無い。おかげさまで風邪には強いのだ。但し、二年に一回ぐらい、ノドを腫らしてしまう。決まって今の時期だ。熱は出ない。ただ、痛むだけだ。

分析するに、寒くなって暖房をつけっぱなしで寝てしまう時にかかる。連日呑み会が続き、寝不足で肝臓も弱っているような時は、テキメンだ。出張でホテルに泊まる時は意外と注意している。ちゃんと、暖房を切ってから寝るようにしている。むしろ、我が家に帰って安心した時の方が危ない。今回もそれでやってしまった。

傷でもそうだが、朝方が最も痛い。唾を飲み込むと激痛がはしる。起きてうがいすると少し楽になる。ノドを腫らしてみて、はじめて、普通のノドのありがたみがわかる。痛く無いノドが懐かしい。二三日続くと、もう、二度と痛く無いノドに戻ることはないのかもしれない、と不安になる。

早く治したい。二三日、酒を呑まずに早めに寝れば治ると思っているが、運悪く今日も呑み会がある。

たすけてくれー。
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今月最後の新年会

2008年01月20日 | 日々の記録

<前菜の盛り付け。非常に凝っている。おしゃれな店で新年会。>


<左端を拡大。昔話に花が咲く。>

 昨日は現役バリバリの子育て主婦二人と新年会と称して食事した。場所は北浦和の「肉懐石」を出す雰囲気のいい店。料理も上品で美味しかった。相手は3歳の男の子を育てているA子さん(○才)と1歳何ヶ月かの女の子を育てているB子さん(○-4才)だ。共に本日は旦那が子守をしているという。昔話に花が咲くが、時々、子育ての話になる。

彼女達の好き勝手なOL時代を知っている小生としては、彼女達がちゃんと子育てしているのが不思議である。親子の間でのトラブル、事件が後を断たない昨今、子育ては重要な問題である。昔、ラジオで著名な教育者が、

「子は夫婦のものではなく、社会の子であり、世界の子です。やがては自分のもとを出て、社会に出、世界に出て行くと思って育てないといけません。」

というようなことを言っていた。その通りだと思ったが、どう育てれば“社会の子”になるんだ、とも思った。現代は人によって「価値観」が違うので親も教師も何が正しく、何が悪いかをはっきりと言えなくなっている。その辺が曖昧なままで育って、「何をやってもいいんだ」という勘違いが、凶悪犯罪や不正につながっているのではないかと思う。

諸物価高騰、落ち着かない政府、株安、異常な犯罪増加と先行き不安な現代。舵取りは難しいだろうが、彼女達もたくましい“日本の母”として、献身的に家庭と子育てに集中して欲しいものだ、と思った。

なぜならば、“子”にとって“母”の力、存在はとてつもなく大きいものだから。
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バリ島 ケチャ

2008年01月19日 | その他旅行


バリ島でケチャダンスを観た。20代前半の頃、TVか何かでこのダンスの存在を知った。半裸の男達の合唱で

 チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、ケチャ、ケチャ、ケチャ

で始まる、この踊りが不思議で面白いものだと興味を持った。「いつかはバリ島にケチャを聞きに行こう!」とその時思った。二十数年を経てその夢は叶った。

大きな建物の中に、ステージがあり、ベンチのような席が設けてある。観客はざっと200人ぐらい。日本人が半分ぐらいはいたろうか。開始時間になると、まずステージの奥から、

 チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、ケチャ、ケチャ、ケチャ

という合唱が聞こえてくる。数秒の後、出てきました。白と黒のチェックの腰巻をした半裸の男性合唱団が。両手を掲げ、手のひらをヒラヒラさせ、歌いながら出てきた。小生はこの人たちが歌って踊るだけと思っていたのだが、ちゃんと物語があった。王子やお姫様が出てくる。悪い奴も出てくる。王子を助けるガルーダも出てくる。そういう物語のバックミュージックの役目をこの合唱団は担っていたのだ。一時間ほど、演じた。現地語なので意味は解らなかったが、面白かった。

ケチャが終わった後、引き続いて「サンヒャン・ドゥダリダンス」というのをやった。サンヒャン=神聖、ドゥダリ=天使という意味だそうだ。化粧をした可愛らしい二人の少女が踊るのだが、多少のこころもと無さが、まことに可愛い。特に右側で踊っていた娘は、踊る時にクビだけを左右に動かすのだが、それが機械仕掛けのように、微妙にカク、カク、カクと動くのでいっそう愛らしかった。

また、最後に、燃え上がる焚き火の上で男性が踊る、というか暴れるダンスがあったが、これも迫力があって楽しめた。

総じて、沖縄で観た太鼓の踊りと共通した明るさと楽しさを感じた。こういった“踊り”は陽気で稔り豊かな南国の島でなければ、生まれないものなのかもしれない。
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インドを走る!part2 第19話 「ポカラ~カトマンドゥ」

2008年01月18日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<この旅で一番気に入っているスナップ。子供達に小生と同じように腕を組ませようとしたが、意図が通じたのは三分の一ほど。確か、ポカラを出て一日目のことだったと思う。>


カトマンドゥに行けば「日本料理店」がある。

この言葉は我々をどれだけ奮い立たせたか。この一ヶ月半、田舎道では朝昼晩三食とも土地のカリーを食い続けてきた。大きめな街ではチャイナがあり、そしてポカラにはましなウエスタンはあった。しかし、「日本料理」にはついぞありつけなかった。一度、「YAKIMESI」なるメニューがあった店があり、試しに頼んでみたが、酸っぱいオジヤのようなのが出てきた。腹は空いていたのに、とても喰えたものではなかった。

ポカラにいた日本人からの情報だと、カトマンドゥの日本料理店で美味しいのは「串藤」と「ラーラ」だと教わった。カトマンドゥに早く着いて思う存分味わいたい、というのが我々の切なる願いであった。

我々にとっての「日本料理」は三蔵法師の「経典」、ポパイの「ホウレン草」に匹敵する行動の原動力であった。

************************

M君、はやめに起きていた由。私も目覚める。時に六時半なり。今日はカトマンドゥに向けて発つ。さっそく、自転車に荷をくくりつける。M君、昨日買った、カジュラホの彫刻を形どった男女交合像を、宿の若妻に見せる。彼女、クスクス笑いながら恥ずかしそうにする。M君、ユー アンド ユア ハズバンド というと周りの子供達もクスクス笑う。面白し。若夫婦の写真を撮る。人が数人集まってくると若妻照れて、小屋の中に隠れる。微笑まし。




ポカラをようやく発つ。天気、晴れてはいたが、それほどよくなし。ポカラの街を出るとすぐ下り。気分爽快。五日ぶりのサイクリング、まずは快調な滑り出し。二人とも冗談を言いながら走ったが、だんだん暑くなってアップダウンを繰り返す嫌な道になるにつれ口数は少なくなる。

大きめの街で昼休止。買っておいた缶詰とそこで買ったパイナップルの缶詰を食う。元気が出る。この店にいた人、自信満々の早口の英語で「飯は食わぬか。オムレツあるぞ。」という感じでしゃべりまくる。ネパリにしては随分インド的な人だと思っていると、正真正銘のデリーから来たインドのマップ商人だった。なるほど。

その人曰く、ここから先は、プレイン(平坦)だ!と豪語する。いくら、いい加減なインド人でもマップを商っている人が言うのだから間違いなかろうと、“楽勝”の気分で行くと、なんのことはない。標高差300mぐらいのちゃんとした峠があった。あのインド商人の発言はインド人の特徴のひとつだ。ようするに、他人の身になって考える、という思考がないのだ。おそらく、クルマでしかこの道を通ったことがないに違いない。クルマでは平坦に見えても、自転車ではそうはいかない。M君と二人でブーブー文句を言う。

その峠から、下って着いた町がダムリ。宿があり、そこに泊まる。そこでカトマンドゥの日本料理店「串藤」で働いていたという人に会う。「串藤では何が旨いか」と聞くと「TENPURA」「SUKIYAKI」などの答えが返ってくる。いいねぇ。ぞくぞくするね。早く喰いてぇ。が、串藤までは、まだ遠い。

夜、二人でとりとめもない、何度も話したようなことを話しながらやがて寝る。蚊なし。

翌日、八時ごろ宿を出る。終日、わりと楽な行程であったが、休み休み行く。この日は、七十五キロ走って、ガンジャリとかいう村落にたどり着くが、ここには宿がない。

しかし、運のいいことに清水建設の仕事で来ている日本人の谷口さんという人に出会え、彼のネパールの友人の部屋に泊めてもらえることになった。

夜、その人と三人プラス子供で、川の方へ散歩に行く。蛍がとても綺麗であった。日本のよりもいくらか小さめだが、光が強く、星が地上に降りてきたような美しさがあった。そこの子供達、日本人との交わりがある所為か「ニッポン」ときれいに発音したり、「日本は最初に太陽が昇る国だ」「国旗が太陽をかたちどっている」など日本通であった。

ポカラを出て三日目の朝。この日は64キロ、カトマンドゥまで。いよいよ、今晩は日本料理にありつける。自ずと力も入るし、先へ先へと急ぎ気味になる。カトマンドゥでサイクリングを終えるM君にとっては、ラストランになる。

カトマンドゥの手前の26キロ地点のナウビセまでは、登りもあまりなく、順調に進む。しかし、ちょうど暑い盛りであったのでバテた。M君も私も口数少なし。やっと辿り着いたナウビセで冷たいファンタオレンジを立て続けに二本づつ飲む。これで息を吹き返す。

休むといつもながら、どこからともなく子供が来る。十歳ぐらいの女の子が幼子をたくみに腰と肩をつかって抱きながら、寄ってくる。可愛い子なり。M君、ビスケットを一枚やろうとすると、その娘、家の方を振り返って、マミーの顔をうかがって、少し躊躇した後、手を出す。

さて、これからがゴンゴン登りの十数キロだ。はて、いかなる行程か?不安を抱えて、いざ出発!

と、そこへ以前にも会ったことのあるカリフォルニアの夫婦あらわる。彼曰く、「ここから先はダート(地道)だ!」

(我々)ガーン!

それはないよ、ここまできて。最後の最後の試練であるか。しかたなし。ヨロヨロと登る。ディレーラーの調子が悪いが、休み休み何とか登る。

峠の途中で休憩したおり、10頭ばかりのヤギの群れが我々の2~3m下にいた。面白半分に石を投げると、ビックリしたヤギたちが、一斉に逃げる。気がつかなかったがヤギ飼いのオジサンがそばにいた。急に逃げていくヤギをみて、オジサンは慌てふためいて「チェロ、チェロ」かなんか言って追い回していた。何気なく投げた石が、オジサンに余計な仕事をさせてしまった。悪いことをした。

それにしても、道がひどい。ポカラとカトマンドゥを結んでいる道なら、日本で言えば東海道にあたる大動脈だ。もう少し、なんとかならないものか。もちろん、ダンプ、バスなどの交通量も多いから、道の痛みも激しいのだろう。所々工事はしていたが。

よろよろと、やっと、峠に着く。とりあえず、安堵。次第に「ついに、ここまで来た」という達成感が湧いてきた。感動ひとしおなり。E君もおればどんなによかったか。カトマンドゥ盆地が見渡せる。振り返ると、今登ってきた谷が見える。地形的に言えば、群馬県側から登った碓氷峠と軽井沢の関係が、この峠とカトマンドゥの関係だ。登りがきつくて、下りは少ない。

しばしの休憩の後、下る。市街地までは階段状の下りにて面白し。想像していたよりもカトマンドゥは大きな都市だった。

つづく

※「インドを走る!」について


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初雪

2008年01月17日 | 日々の記録


早朝、家を出ようとしたら、わずかながら庭に雪が残っていた。昨晩のうちに降ったようだ。初雪である。

今日は仙台で一日会議。夜は仙台の社員達と新年会。ホテルに戻ってブログをやろうと思ったのが間違い。二次会まで付き合ったら、12時を過ぎる。ダラダラといつまでも居る。酔っ払いながらも、なんとか携帯で投稿したのが、以下の記事。

  仙台で呑んでいる。悪い店ではないが、長くいる。
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