三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか

2021年10月26日 | 海南島近現代史研究会
■【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか■                                    
                                      佐藤正人                                                                                                

 2021年5月1日付けで「事実と異なる虚偽の「歴史記述」、非論理的で悪質な虚論・空論で満たされている『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会 紀州鉱山の真実を明らかにする会 海南島近現代史研究会総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」(18頁)が出されました。
 その「冊子」には、2020年11月7日夜に「総会で選出された運営委員」は、「下記の9人」(竹本昇、久保井規夫、斉藤日出治ら」)だと書かれていました。
 久保井規夫さんは、かつて、海南島近現代史研究会創立時からの副会長であり、斉藤日出治さんは、かつて、海南島近現代史研究会創立時からの事務局長でした。斉藤日出治さんと竹本昇さんは、かつて、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の創立期からの会員でした。
 国民国家日本の他地域他国植民地支配責任を問い、歴史的責任とるべきものにとらせようとしてきた民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」という「会」の実体を明かにするとともに、このような「会」が現われてきた原因をはっきりさせるための作業の一環として、「改組三会」発生に至る経過、および「改組三会」発生後、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会の展示用パネル盗奪に至る経過を年表形式で報告します。

(一)「改組三会」発生に至る経過
 2014年春 斉藤日出治さん、近畿大学日本文化研究所編『日本文化の明と暗』(2014年3月20日発行)に、「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」を発表。
 斉藤日出治さんの虚偽の「歴史叙述」は、2014年春から(あるいは、それ以前から)開始されていた。◆注記①
 2019年10月12日 当時海南島近現代史研究会の事務局長であった斉藤日出治さんに、佐藤正人が、「海南島近現代史研究会の研究の本質にかかわる悪質な発言、および実質的な剽窃問題について」送信。斉藤日出治さんが実質的な自覚的剽窃作業をおこなっていた事実を指摘し、質問開始。
 2020年2月11日 斉藤日出治さんが「海南島近現代史研究会の研究の本質にかかわる悪質な発言、および実質的な剽窃問題について」に、いつまでたっても答えないので、佐藤正人、4か月後に再送。
 斉藤日出治さんは、かれの「歴史叙述」で、剽窃をくり返し、かつ、日本の侵略犯罪史にかかわって「物書きとして」虚偽をくり返していた。
 斉藤日出治さんは、史・資料に基づかず、自分が実際に正確に読んでいない資料名をあいまいなかたちで示して、史実ではないことを(すなわち、虚偽を)書いて発表していた。
 2020年2月18日 斉藤日出治さん、「脱会の通知」送信。
 2020年2月29日 斉藤日出治さん、自分の剽窃行為を「引用や模倣」に置き換えてごまかし、「私的所有権の侵害」などという用語まで非科学的に使用してごまかしの弁明を重ねたうえで、斉藤が剽窃をしたということは、この会から斎藤は出て行け、という意味なのですと「解説」し、「だから、ぼくは退会するのです」、「ぼくは佐藤さんが投げかけた「剽窃」の言葉に応じて,佐藤さんの求めに応じて、この会を退会します」、「今後は、意思疎通のなりたたないメールのやりとりをやめることにします」と発言。
 2020年3月14日 佐藤正人、「斉藤日出治さんの歴史叙述について 1」送信。その後、斉藤日出治さんの歴史叙述の方法と内容とその質について、佐藤正人は、分析し、批判し、くり返し質問し続けた。
 2020年4月29日 斉藤日出治さん、「退会のあいさつ」という件名のメールに表題を「この会のありかたについて-わたしはなぜ退会するのか」という文書を添付して送信。◆注記②
 2020年8月9日 「退会」(あるいは「脱会」した斉藤日出治さん、「Re: 「原則に会の運営」をはかるため、みんなで議論する場を設けましょう」とい う件名のメールで
 「キムチョンミさんが、会を止めたことを理由にして、やめたひとが会議の提案はできないか ら、会議を開かないと言っていますので、わたしは会のあり方を議論するために会に戻ることにします。会のメンバーとして、この会のあり方について議論する場を設けることを提案します」と、「会に戻ることにします」と「通知」。
 ◆「脱会の通知」を送信し脱会するのは自由だが、脱会したものが「通知」をだすだけで再入会することはできない。
 2020年10月3日 斉藤日出治さん、「会員が、会のありかたについて、会の内外で公に議論をするべくその機会をつくるために名簿を使うのです」というメール(件名:Re: 住所録)を送信。
 2020年10月18日 『会報』編集・印刷・郵送を担当している金靜美さん、斉藤日出治さんに『会報』65号・20号郵送用の封筒返却を要求。
 2020年10月後半 斉藤日出治さんは、竹本昇さんと共謀して、『会報』65号・20号郵送用の封筒を盗用して、「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会のご案内」・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会のご案内」を『会報』65号・20号の読者に、差出人を「竹本昇」として『会報』の読者に郵送した。封筒盗用は、同時に住所録・会員名簿の盗奪であった。
 その「ご案内」で、斉藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会が2019年秋に作成して郵送した「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会のご案内」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」の案内の数字を26から27に、12から13に変え、構成・文章をそのまま使い、あたかも2019年の追悼集会に続く集会の案内であるかのように細工し、「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」の主催者が三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会であるかのように読者を欺こうとした。
 その「ご案内」で、斉藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会が作成してきた追悼集会の案内の構成・文章をほぼそのまま使い、デザインを盗用し、写真を盗用していた。
 2020年11月1日 佐藤正人、斉藤日出治さんにメール(件名:斉藤日出治さんの歴史叙述について 16   特に斉藤日出治さんの剽窃行為について)送信。
 そのメールで、佐藤正人は、「斉藤日出治さんの剽窃行為とデタラメな叙述の実態  斉藤日出治『アジアの植民地支配と戦後日本の歴史認識』の場合(抄)」と「斉藤日出治さんのデタラメな「歴史叙述」の実態  斉藤日出治「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」の場合(抄)」を示した。
 2020年11月4日 斉藤日出治さんが、佐藤正人に、「封筒が盗用なのかどうか、追悼集会を偽造したのかどうか、斉藤の歴史次述が剽窃なのかどうか、について7日に討論します」というメールを送信。
 2020年11月4日 佐藤正人、「斉藤日出治さんの歴史叙述について 17  特に斉藤日出治さんの剽窃行為と封筒盗用について」)を送信。
 2020年11月5日 斉藤日出治さんが、佐藤正人に、次のようなというメールを送信。
 「佐藤さんは、11月7日の追悼集会をどうしても求めたくないようですね。この集会は、封筒の「盗み」にも、「斎籐の剽窃」にも、還元することができない、集会参加者の共同意思です。佐藤さんはその集会にまともに向き合うことが出来ないから、封筒問題、剽窃問題を理由にして、集会そのものを否定しようとしているのではありませんか。これまでの会の在り方が問われているのです」。
 2020年11月6日  佐藤正人、次のような要請文を斉藤日出治さんに送信(件名:再送:斉藤日出治さんの歴史叙述について 17 特に斉藤日出治さんの剽窃行為と封筒盗用について)。
 あなたの剽窃行為、非科学的な「歴史叙述」についいての、少なくても一年以上まえからのわたしの指摘と質問に答えてください。
 「佐藤さんは、11月7日の追悼集会をどうしても求めたくないようですね」というのは、どういう意味なのですか。
 「この集会は、封筒の「盗み」にも、「斎籐の剽窃」にも、還元することができない、集会参加者の共同意思です」と、あいかわらずオカシナ文章を書いてますが、「この集会は、……集会参加者の共同意思です」というのは、どういう意味なのですか。……
 2020年11月7日昼 偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」が開催された。

(二)「改組三会」発生後現在までの経過
 2020年11月7日夜 「改組三会」、「会としてはじめての会の運営規約を採択(2021年5月1日付けで出され た『総称改組三会 会報第1号』に記載)。
 2020年11月7日夜 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働物(李基允・裵相度)を追悼する会」が、突然でてきた。◆注記③
 2020年11月15日 佐藤正人、「斉藤日出治さんの歴史叙述について18」送信。この18回目の「斉藤日出治さんの歴史叙述について」の副題は、「特に斉藤日出治さんの虚偽の歴史叙述と封筒盗用について」。2020年11月24日に再々送。
 2021年4月30日  三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会代表であり紀州鉱山の真実を明らかにする会事務局長である金靜美さんが、竹本昇さんが一時的にあずかっている三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会の展示用パネルについて「わたしがすべて保管することにします。取りに行きますので、いつがいいですか?」と竹本昇さんに問い合わせた。◆注記④
 2021年5月1日 竹本昇さんは、「金静美さんのこの申し出をお断りします」と返信した。
 2021年9月19日 展示用パネルを盗み続けている竹本昇さんが、「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです」というメール送信(件名:RE: 竹本昇問題と斉藤日出治問題と小久保浩問題 15(特に、竹本昇のパネル横領問題))。
 2021年9月22日 竹本昇さん、「木本事件の追悼碑の土地は、5人の共有になっており、竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」というメール送信(件名:RE: 竹本昇問題と斉藤日出治問題と小久保浩問題 18(竹本昇のパネル横領問題))。
 2021年9月23日  竹本昇さん、「紀州鉱山の追悼碑の土地のことでした」と訂正(「紀州鉱山の追悼碑の土地は、5人の共有になっており、竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」と主張)。

現在
 斉藤日出治さんは、公表している、虚偽の「歴史叙述」や剽窃作文を放置し続けている。
 斉藤日出治さんと竹本昇さんは、『会報』郵送用封筒盗用を、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会に、いまだに、謝罪しておらず、封筒返済を実行していない。
 斉藤日出治さんは、歴史叙述における剽窃問題、虚偽記述、封筒盗用などについての質問に、いまだに、まともに答えていない。
 「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです」という2021年9月19日の竹本昇さんの空言・虚言を、久保井規夫さんを含む「改組三会」の「運営委員」は、放置=追認し続けている。
 「竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」という「竹本昇」の2021年9月22日・23日のおぞましくひれつで悪質な空言・虚言を、久保井規夫さんを含む「改組三会」の「運営委員」は、放置=追認し続けている。◆注記⑤

(三)斉藤日出治さんと竹本昇さんが「改組三会」という「会」を作成した原因
 (一) 個人的原因(思想性、感性、人間性、正義感の欠如)
 (二) 社会的原因
 竹本昇問題と斉藤日出治問題は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会という民衆組織のなかで「発達」していた問題である。
 李基允氏と裵相度氏を追悼する碑が除幕1994年11月20日、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑が除幕されたのは2010年3月28日であった。竹本昇問題と斉藤日出治問題が顕在化したのは、その後である。
 この問題は、顕在化する以前に発生していたと考えられる。
 問題を解決するためには、問題発生の社会的・思想的原因を解明しなければならない。
                                 
                                  2021年10月20日記
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