三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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崔成翊さんと金二龍さん

2010年10月03日 | 海南島からの朝鮮人帰還
 きょう(2010年10月3日)午前、ソウル市城東区で、崔成翊さんの甥(崔成翊さんの兄の子)の崔道範さんに会いました。
 崔道範さんは、“叔父は、日本に連れていかれた。何年か前に、除籍簿に、1945年1月28日に「海南島三亜朝鮮報国隊」で死亡と書かれている除籍簿を見て、海南島で死んだことがわかった”と話しました。
 会ってから1時近くたって、海南島がどこにあるかという話になったとき、崔道範さんは、“いままで、自分は、日本は島の多い国なので、海南島は日本のどこかにある島だと思っていた”と話しました。
  
 きょう午後、京畿道城南市内で、金二龍さんの姪(金二龍さんの兄の子)の金錦珠さんに会いました。
 金錦珠さんは、“叔父は、ソウルの鐘路3街で楽器屋をやっていた。いろいろな楽器を演奏するのがうまかった。わたしは、叔父が演奏するとき、いつもいっしょに歌っていた。わたしが7歳か8歳のとき、叔父が軍服を着せられ日本につれていかれた。それから、ずっと叔父は、日本のどこかで結婚して暮らしているのだと思っていた。何年か前に、叔父が中国の海南島で9月3日に殺されていたことを知った。それからは、毎年9月3日に叔父を追悼するミサをしている”と話しました。
 金二龍さん(1916年11月2日生)の除籍簿には、朝鮮語で、“1944年9月3日午前5時に「海南島石碌朝鮮報国隊隊員病舎」で死亡した”と書かれています。
                                佐藤正人
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