三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「慰安婦運動を語る」

2020年06月05日 | 日本軍隊性奴隷
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/36852.html
「The Hankyoreh」 2020-06-05 13:47
■[寄稿]新しいスタートラインに立った30年の運動、市民と共に歩む方向を考えよう
 「慰安婦運動を語る」専門家リレー寄稿(3)  パク・レグン|人権財団「サラム」所長
 
 “一緒に雨に打たれる気持ちで” 
 「この機会に民間団体の実情に合った 
 標準会計基準を作って支援しよう 
 市民社会が萎縮すれば、市民の頼れるところが 
 一つずつと崩れるのが怖いからだ」

 京畿道広州市(クァンジュシ)の「ナヌムの家」事件がテレビの有名な探査番組で放映されるという話を聞いた時、私は「ついに起こるべきことが起こった」と思った。そしてふと心配が先に立った。人々はナヌムの家と「正義記憶連帯」(正義連)をあまり区分できない。正義連事件が起きた状況で、またナヌムの家の不正が暴露されたので、今までせっかく築き上げてきた日本軍「慰安婦」問題を中心とした世界的な戦時性暴力告発運動に払拭できない否定的なイメージがさらにかぶせられてしまわないか、心配になったのだ。
 しかし、正義連に対しては、ない事実まで悪魔の編集技術を動員して攻撃していたマスコミと極右勢力が、非常にたやすく把握できる「ナヌムの家」の会計不正には注目していない。なぜだろうか。持続的で原則的な立場で日本政府の責任認定と謝罪を要求する正義連の運動、そして国際社会で戦時性暴力と性搾取問題を公論化し、国際連帯を繰り広げてきたこの運動を、この機会に消したいからだと考えるのはあんまりだろうか? 実際「慰安婦」問題が解決しない一次的な責任は、責任を否定し続ける日本政府にある。そして韓国政府も、国会も積極的な解決努力をしていないというところに責任がある。にもかかわらず、すべての責任を正義連にかぶせている。
 被害者から生存者に、そして人権活動家に生まれ変わり、日本軍「慰安婦」問題を提起してきた当事者のイ・ヨンスさんは、正義連を真っ向から否定し、「ハルモニを売った、利用された」という記者会見を二回も行った。極右勢力が「慰安婦」運動に致命的な打撃を加えるこのような絶好のチャンスを逃すわけがない。そうして、この女性人権平和運動は絶体絶命の危機を迎えている。
 会計不正があったとすれば、そしてユン・ミヒャン議員が不正な方法で公金を流用したなら、明確に責任を問わなければならない。しかし、今のようなやり方であってはならない。あまりに性急で行き過ぎだ。その性急さと行き過ぎの中で、この運動を率いてきた被害者であり生存者である「慰安婦」当事者、研究者、専門家たちは払拭できない傷を負っている。活動家たちは疲労していくと同時に恐怖に震えている。何よりも2015年12月28日の韓日政府の密室合意の責任までユン議員と正義連になすりつけようとする術策は、正義連の活動家たちを途方もないストレスに追い込んでいる。以前からこのような状況に耐えられなかった活動家たちは、一人二人と運動から離れもした。彼らにはこのような問題提起が、30年間この運動を続けてきた過程で受けたどの侮辱と非難よりも痛く苦しいだろう。
 会計不正疑惑は検察にボールが渡ったので、捜査結果を見守ろう。そして、これを機に民間法人と民間団体の実情に合った標準会計基準を作り、専門性不足でこれをちゃんと処理できない民間法人と民間団体の会計整理を支援する方案を設けよう。先進国ではそうしている。市民社会が萎縮すれば、市民の頼れるところが一つずつ崩れてしまう結果に帰結するのが怖いからだ。
 今はこれからの「慰安婦」運動、戦時性暴力問題解決に向けた運動をどのようにしなければならないか考える時だ。ユン議員はこの運動の中心に立ち、この運動を代表してきた。この運動において彼女の存在はても大きい。そのような人が十分な準備もなく慌ただしく活動の場を移した。ユン議員がいくつかの疑惑に対する潔白を主張するだけでこの状況が簡単には終わらないのは、30年間この運動を率いてきた者としてユン議員が背負わなければならない宿命のようなものだ。ユン議員が記者会見で述べたように、最後まで疑惑解消のために責任ある姿勢を堅持することを望む。
 イ・ヨンスさんも、自分が人権活動家であることを自覚するなら、それに伴う責任の問題も一緒に感じなければならない。被害生存者として、そして人権活動家として、発する言葉は重みが違う。正義連運動を改善するためなら、違う方法と形を選ぶべきだった。
 正義連は、30年の運動を客観的に振り返る機会を持たなければならない。運動の原則と方向性を点検し、その方向性を実現していく人と組織が市民とともに進めるための方法を考えてみてほしい。被害者の民族主義、少女像に代表される固定化されたイメージと被害者の聖域化、女性主義的観点の不足、運動の独占現象などに対する批判に耳を傾け、謙虚に省察しなければならない。外部からの攻撃に立ち向かう過程で、結果的に内部に抑圧として作用した組織文化はなかったのかも振り返らなければならない。
 じつに30年という年月だ。革新しようとするもがきのない慣性に任せてきた運動なら、その運動の未来はない。この運動を責任を持って率いていく人を育てることから、徹底して点検しなければならない。
 私は「慰安婦」運動を30年間リードしてきた正義連なら、新たに生まれ変わる解決策も見つけることができると思う。挺対協-正義連の運動は、新しいスタートラインに立たされている。この運動の新たな出発のためなら、私は正義連と一緒に雨に打たれる気持ちでそばに立とう。
パク・レグン|人権財団「サラム」所長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/947301.html
韓国語原文入力:2020-06-01 107:18


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/36840.html
「The Hankyoreh」 2020-06-04 15:15
■[寄稿]巣を立った鳥:独立した「被害者」の声
 「慰安婦運動を語る」専門家リレー寄稿(2)  ハン・ヘイン|アジア平和と歴史研究所研究委員

 被害者から「問題解決の主体」に 
 イ・ヨンスさんの今回の証言は 
 婦人運動史における重要な出来事

【写真】日本軍「慰安婦」被害者のイ・ヨンスさんが25日午後、大邱寿城区のインターバーゴホテルで二度目の記者会見を開き、立場発表を行っている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 <女性人権運動家のイ・ヨンスさんが、長い間自分が耐えてきた苦痛をあらわにして市民社会と政府に投げかけたメッセージは、全ての人々の心を重くする。イさんの訴えをきっかけにハンギョレは、私たちが何を省察し、残された問題をどのように解決すれば被害者の苦痛と傷が本当に癒されるのかを模索するリレー寄稿を掲載する。日本軍「慰安婦」関連記録物のユネスコ世界記録遺産共同登録に向けた国際連帯委員会事務団総括チーム長を務めているハン・ヘイン「アジア平和と歴史研究所」研究委員が2番目の文を寄せた。>

 5月に二度にわたって行われたイ・ヨンスさんの記者会見(公開証言)をどう受け止めるべきか。結論から言って、日本軍「慰安婦」問題を歴史の深淵から初めて引き上げた1991年8月14日のキム・ハクスンさんの初の証言と同じくらい、イ・ヨンスさんの今回の証言を女性運動史で非常に重要な事件として受け入れなければならないと判断する。
 これまで私たちは、慰安婦被害当事者の声を聞くとき、彼女たちが証言する「被害事実」と悲劇的な人生の話に集中した。これを通じて彼らの「痛み」、そしてそれを克服した「勇気」を称えてきた。話をするのは彼女たちだったが、問題解決の主体は支援団体や政府であり、そのような意味で被害当時者たちは受動的な存在だった。
 今回のイ・ヨンスさんの証言は、それとは大きく異なる。正義記憶連帯(正義連。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協の後身)が主導的に導いてきた従来の運動方式を批判し、自ら慰安婦問題を定義し、運動の方向を定めようとする主体的な意志を表現している。私たちが望む姿であれどうであれ、彼女が私たちの前に主体として立つと決心したという事実だけは認めなければならない。過去30年間、挺対協・正義連を中心に続いてきた運動が「被害当事者」イ・ヨンスとどれだけ問題意識を共有し、実際にどれだけ被害者の治癒と回復に貢献したのかを振り返る機会でもある。
 イ・ヨンスさんはこれまで、挺身隊、性奴隷という規定を避けて「私はイ・ヨンスです」という言葉で自分を紹介することが多かった。しかし、今回の公開証言では激昂した声で、私は(勤労)挺身隊ではなく、「命をかけて連行された」、「汚く、聞くのも嫌な慰安婦」と自分を規定し、女性たちに「恥ずかしく、すまない」ことだと述べた。イ・ヨンスさんにとって慰安婦被害は依然として「汚く、聞くのも嫌で、恥ずかしく、すまない」という現在進行形の被害であるばかりだ。この30年の運動は被害者たちに対して、慰安婦被害は恥ずかしく汚いことではなく、あなたの過ちではなく、すまないと思うことではないと慰めてきたが、その慰めはまだ彼女には届いていなかった。
 イ・ヨンスさんは、慰安婦問題について、日本政府の謝罪と賠償が必要だという原則的な立場を固守している。それが切実である理由は、彼女自ら25日の会見で明らかにしたように、そうしてこそ自分が「慰安婦という汚名」を晴らすことができるからだ。そしてイ・ヨンスさんはとても興味深い発言をする。「日本と韓国は隣りの国です。この学生たちは、何のために謝罪と賠償をしなければならないのか知るべきじゃないですか。お互いに行き来しながら親しくなり、お互いに学ばなければなりません」と語る。問題が何かを「知らない」若い学生たちが叫ぶ「謝罪せよ、賠償せよ」が、単に反日スローガンにばかり聞こえる「水曜デモ」では、この問題を解決できないと主張しているのだ。教育と交流を挺対協・正義研がやってこなかったわけではないが、1441回まで続いた水曜デモで際立つ声は、日本政府の「公式謝罪」と「法的賠償」だった。イ・ヨンスさんもこの主張の正当性には共感するが、この主張をこれ以上水曜デモのような方式ではなく他の方式にしようと、運動方針の大きな転換を訴えているのだ。自分に残った時間がそれほど長くないこと、また日本が簡単に「真の謝罪と反省」をしないことを、経験的に悟っているのではないか。

 正義連が主導的に率いた 
 既存の運動方式を批判し、 
 自ら慰安婦問題を定義して、 
 運動方向を定めようとする主体的意志を表現している

 イ・ヨンスさんは、他のハルモニたちとは違い支援団体に属さず独立的に活動してきた。この問題を解決するために大学院に通い、国会議員になろうともした。しかし公的地位は得られなかった。過去30年間の運動は、イ・ヨンスさんに人権運動家という「望ましい」被害者として残ることを望んだ。そしてイ・ヨンスさんは、その「望ましい」被害者に与えられた最高の権威がキム・ボクトンセンターに収れんされるのを見た。自分の歴史がどのように記憶されるかについて焦りがあったと思われる。
 私たちがイ・ヨンスさんの証言に大きな衝撃を受けたのは、彼女が発した言葉の凄絶さのためだった。彼女は慰安婦運動を自分とともにしてきた正義連のユン・ミヒャン前理事長が、自分の得られなかった公的地位を得ることになったことを、運動に対する「裏切り」という言葉で表現した。イ・ヨンスさんは、本人が支援を受ける被害者である限り、トランプ大統領も、文在寅(ムン・ジェイン)大統領も、朴槿恵(パク・クネ)前大統領も、どんなに偉大な政治家でも、この問題を解決できないということを経験的に知っている。そして、長年の同志だったユン・ミヒャン前理事長までもが自分のそばを離れることを確認した。
 こうした袋小路に追い込まれた「女性人権運動家イ・ヨンス」が下せる結論は何だっただろうか。「汚く、恥ずかしい」慰安婦としての時間を送ったイ・ヨンスさんは、生の最後の瞬間を眺める時期に若い日本の学生たちに苦心しながら和解の手を差し伸べた。彼女の結論は、挺対協・正義連が行ってきた努力は続けながら、日本が責任を持って賠償するまで自国の歴史を正しく知らせる「韓日青少年教育」をすることで、日本と「和解」をしようという意味に読み取れる。これは被害当事者本人が、今目の前の「歴史の正義」を猶予しても、真の「歴史の正義」へと向かう和解の道を模索しようと提案したものと考えられる。
 イ・ヨンスさんが提案した「和解」の方法について、日本と踏み込んだ対話をする必要がある。今年検定を通過した日本の中学校社会科の教科書をみると、独島についての記述は悪化した反面、日本軍慰安婦に対する内容が以前に比べて少しはより具体的に表現され、「強制性」を帯びているという点も記述された。根本的な変化ではないが、このような点で、慰安婦問題に対する対話の実現の可能性を探ることができないだろうか。被害者自身の歴史を所有し記録しようとするイ・ヨンスさんの提案をどのように受け入れ、私たちの公共の歴史と「対話」すべきかを深く考える責任が私たち皆にある。
ハン・ヘイン研究委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/947006.html
韓国語原文入力:2020-05-29 09:16


http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/36817.html
「The Hankyoreh」 2020-06-02 17:18
■[寄稿]被害者を代弁するということーあの多くの「ハルモニたち」はどこへ
 「慰安婦運動を語る」専門家リレー寄稿(1) ヤン・ヒョナ|ソウル大学法学専門大学院教授

 女性人権運動家のイ・ヨンスさんが、長い間自分が耐えてきた苦痛をあらわにして市民社会と政府に投げかけたメッセージは、全ての人々の心を重くさせた。イさんの訴えをきっかけにハンギョレは、私たちが何を省察し、残された問題をどのように解決すれば被害者の苦痛と傷が本当に癒されるのかを模索するリレー寄稿を掲載する。日本軍「慰安婦」被害者の証言の調査研究を進め、現在日本軍「慰安婦」研究会の会長を務めているヤン・ヒョナ・ソウル大学法学専門大学院教授が最初の文を寄せた。

 5月7日に続き、5月25日、「慰安婦」被害生存者であり人権運動家であるイ・ヨンスさんの記者会見があった。最初の記者会見で「もう水曜デモはいらない。ユン・ミヒャンは国会に行ってはならない」などの激しい言葉が飛び出した。25日の記者会見では「30年の挺対協の運動が被害者たちを利用した。私たちの証言を聞いたこともない」など、いろいろな言葉を述べられた。慰安婦証言と被害者に関心を持った研究者として、このような言葉に接し、なんと言えばよいか分からなかった。一歩間違った解釈をすれば、イさんの証言を無視したり曲解したとされるだろうし、彼女の言葉をそのまま受け入れようとしても、この証言だけでは意味の解釈が難しい部分が多かった。あるテレビ報道のコメントのように、「韓国国民が『慰安婦』問題と被害者の証言にこれほど関心を持って聴取したことがあっただろうか」と思う。キム・ハクスンさんの登場後、韓国では被害者の証言が数え切れないほど行われたにもかかわらず、なぜよりによってこの「証言」を多くの市民たちが一緒に聞くことになったのか、今のこの状況に胸が塞がる思いだ。
 イ・ヨンスさんの記者会見を大きく正義記憶連帯(以下、正義連:旧韓国挺身隊問題対策協議会、以下、挺対協)の会計不透明疑惑と、正義連の運動方式に対する問題提起に分けるなら、前者は現在進行中の正義連に対する調査で明らかになると信じる。筆者にとって注目される部分は、正義連が「ハルモニ(おばあさん)たちを売った」「ハルモニたちを利用した」「自分たちの意向に合うハルモニたちだけで活動した」という、運動方式に対するイ・ヨンスさんの発言の部分だ。筆者は正義連とともに被害生存者をサポートするなどの活動はしなかったが、挺対協の傘下で被害生存者の証言研究を行ったため、本稿ではイ・ヨンスさんのこのような指摘が正しいのか、それが何を意味するのかを考えてみたい。
 筆者は1998年から2001年まで「2000年日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」の準備の一環として被害者たちに会い、証言調査研究を行なった。この証言研究を行なった「証言チーム」は、聞く(尋ねる)ことから「聴くこと」へ、証言者が記憶する方法と比重による証言の再現、すなわち被害者の「記憶の地図」の再現、ため息や笑いのような表情と表現、投射と倒置のような口語的テキストの作成法など、方法論的原理を立てていった。私たちは何度も被害者に会い、深い各人の揺ぎない真実を発見することができた。この過程で様々な悩みがあったが、その一つに、研究者たちの知っている「慰安婦」像にふさわしい証言だけを「慰安婦」の証言としなければならないかという問題があった。私たちの知っている「民族の被害者」、あるいは性暴力被害者としての彼女たちと、実際私たちが会った彼女たちが打ち明けた話の構造と焦点はかなり違った。自分の母に対する思い出、貧困と空腹、帰国後の朝鮮戦争や暮らしを生き抜いた話などで口を開いていき、「慰安所」での体験はこれらの話と糸のように絡み合って影響を与えていた。私たちは研究者の質問を中心とするのではなく、証言者の記憶を中心にしつつ、当時の社会的脈絡と構造を見逃さない質問と聴取を通じて「証言者中心主義」の証言方法論を作り上げていった。この過程で彼女たちはもはや無力で悲しいだけの被害者ではなく、その多くの困難と苦痛を乗り越えて生き抜いた「生存者」になった。証言チームは被害者女性たちを気軽に「ハルモニ」とは呼ばなかった。彼女らは被害者、生存者、または名を持つ個人、さらにはハルモニとも呼ばれる複合的で躍動的な主体性の存在として再現されるようになった。なので、被害者たちはみな同じ被害者ではありえず、個性を持った魂になっていた。ハルモニたちの間にも多くの違いがあった。一人ひとりの違いと微視的な個人史に注目するからといって、「慰安婦」の被害とは何かという大きな絵を描けないわけではなかった。一人ひとりの被害の中で家父長制植民主義の大きな構造的問題が消えるわけでもなかった。むしろ子どもと病気、孤独と願望のディテールに植民主義と男性中心の社会構造は体液のように染み込んでおり、粉塵のように積み重なっていた。証言チームはこの証言の方法論を被害者中心主義だと理解した。

 正義連の支援行為を「売った」と表現… 
 自分の望んだ通りに問題が解決されず 
 むしろ市民団体組織のために活用されたと思ったときに 
 使いうる表現かもしれない。 
 しかし、あまりにも胸の痛む表現だ

【写真】1991年に日本軍「慰安婦」問題を本格的に公論化した故金学順さんの公開証言以降、元慰安婦被害者女性たちは国内外で戦時性暴力問題を人権問題に引き上げる様々な活動を行ってきた。左から金学順、姜徳景、黄錦周、アン・ボプスン、ハン・オクソンさん=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 しかし、被害者中心主義が被害者の言葉ひとことひとことをそのまま書き取る「被害者の聖域化」を意味するのではない。被害者中心主義は、被害者だけが「慰安婦」被害について語ることができる唯一の話者であり、彼女の言うことがまるで絶対真理のように聖化することを意味しない。彼女は「私と同じように」生きている存在だ。多くの被害者の中から生き残り、私たちの前で証言してくれる大切な存在、亡くなった多くの人々に代わって話を伝える、彼女たちもまた多くの困難のおかげで生きてきた存在なのであって、英雄として接しはしなかった。彼女たちを英雄化することは、むしろ被害者としてだけ彼女たちに対する態度の裏面ではないかと思う。被害者中心主義は、被害者を対象化するのではなく、主体化することだ。主体化するからといって彼女の脆弱さや不完全さを隠すわけではない。被害者の言葉は大切なものだが、その中の迷い、言説で表現しがたい体験、沈黙、不明確な記憶、感情と欲望の地帯など様々な屈曲が存在する。この非言語的地帯、情動(affect)の地帯を言語の行間に表現するということは、当然多くの悩みと責任を負うことだ。何よりも、被害者「そのひと」を深く理解しなければならないことであり、彼女を愛さなければならないことである。これが(慰安婦被害者だけでなく)被害者を再現するということの持つ複合性と責任、そしてその不完全性を表すのではないかと思う。イ・ヨンスさんは正義連の支援行為を「売った」と表現した。自分の望んだ通りに問題が解決されず、むしろ市民団体のために自分が活用されたと思いながら使った表現であろう。しかし、あまりにも胸の痛む表現だ。
 研究者(または活動家)が被害者と人間的な関係を数十年間持続し彼女らの面倒を見るということは、途方もない労働であり、倫理的な課題である。告白すると、証言チームの研究者たちは証言者との関係を持続したケースがほとんどなかった。証言研究が終わると、私たちはそれぞれ生活が忙しく、ハルモニたちとの関係が疎遠になったのだ。私たちが証言を聞いた一人の証言者は、あまりに寂しくて生きる理由がなくなり、一人で命を絶った。これが「被害者中心主義」を追求したという私たち研究チームの実像だ。筆者は、挺対協の被害者の待遇が完全に公正で温かいだけではなかっただろうと考える。被害者間には多くの意見と個性の違いがあっただろうとも思う。にもかかわらず、高齢の被害者たちを、それも数十年間持続的に世話をし、人権運動家として共にしてきた正義連と全国の「慰安婦」関連市民団体に対して、韓国社会と国家は深い敬意を示さなければならないと考える。
 イ・ヨンスさんは、挺対協が問題解決をしてくれなかったと言ったが、問題解決の中心主体は市民団体ではなく政府だ。日本政府と1965年に韓日基本条約を結んだ主体は韓国政府であり、個人(被害者)が日本政府に対する請求権を実現できるよう橋渡しをするのにも政府の役割が重要だからだ。被害者一人ひとりが日本政府と日本の裁判所に「謝罪し、賠償せよ」という変わらぬ硬直した声ををどれだけ叫べばいいのか。市民団体の活動家、法律家、研究者らが、不十分ながら彼女らの請求を媒介する代理者の役割を果たしてきたのだ。団体活動家たちが荷造りをして日本や世界を飛び回るとき、古びた宿で身を丸めて眠るとき、大韓民国の外交部、女性家族部など政府省庁と法・政策を立案しなければならない国会はどこにいたのか。イ・ヨンスさんが記者会見で、正義連ではなく韓国政府に、無関心な国会と市民に「証言」してくれたならどんなに良かっただろうと考えたりする。

 1993年に出版された「強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」 
 証言第1集から証言第6集(2004)まで 
 挺対協は「韓国挺身隊研究所」と共に証言集を 
 共同出版、または単独で出版した 
 つまり「強制連行」シリーズで、挺対協が 
 出版の主体から外れたことはなかった

 参考までに、証言の研究は挺対協の地道な役割だった。1993年に出版された『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』証言第1集から証言第6秀(2004)まで、挺対協は「韓国挺身隊研究所」とともに証言集を共同出版あるいは単独で出版した。つまり、『強制連行』シリーズで挺対協が出版の主体から外れたことはなかった。イ・ヨンスさんの証言は1993年の証言第1集に掲載されている。私は無条件に正義連をかばうつもりはないが、これは動かない事実だ。この機会に生存者100人余りの証言を収録した韓国の各証言集を、小中高校や大学で教材として採択し、市民たちも読んでみることを強く勧める。その中でハルモニたちの絶叫と響きを聞くことができ、思いがけない笑いや悟りも味わえるはずだ。筆者はイ・ヨンスさんの記者会見を聞きながら、多くの「ハルモニたち」を思い浮かべずにはいられなかった。キム・ハクスン、カン・ドクキョン、ファン・クムジュ、ムン・オクチュ、ソク・ボクスン、キム・ボクトン、チェ・ガプスン、ハン・オクソン、アン・ボプスン、カン・イルチュル、キル・ウォノクさんといった、星のような名前たち。あの多くのハルモニたちは皆、どこに行かれたのだろうか。これまで韓国政府に届け出た韓国の被害者は、2019年現在240人だが、今日の生存者は17人だ。さらに重要なのは、生きて母国に帰還できなかった被害者が、8万人から20万人と推算される朝鮮人被害者の大多数を占めるという点だ。彼らは他国でディアスポラとなり、または亡くなったであろう。さらにこの多くの被害者の親やきょうだい、子ども、隣人や友人も被害の間接体験、その転移と継承の中で生きてきた。そして「慰安婦」被害者は、朝鮮を越えてアジアや太平洋の群島で生きた多くの被害者たちを含む。
 被害者中心主義は、このように同心円的で歴史的に構築された被害者性に基づかなければならず、被害者の回復とは、今生きている個人たちに慰労金では決して可能ではない真実究明と法的解決の方向性の上でのみ実現できる。2005年、国連では「被害者のための救済と補償措置を受ける権利についての基本原則及びガイドライン」を採択している。この原則によると、被害者の救済のために司法手続きのアクセス、適切かつ効果的で迅速な補償措置、情報へのアクセス、原状復帰、賠償、リハビリ措置、再発防止保証などを規定しており、様々な下位要素を提示している。韓国政府は「2015年韓日外交長官『慰安婦』合意」で、このような国際基準とはあまりにもかけ離れた内容を「最終的かつ不可逆的な」ものとして合意してしまった。にもかかわらず、イ・ヨンスさんの記者会見後、マスコミ報道を見ると、政府関係者たちは正義連に合意内容を被害者に伝えなかった責任を転嫁するようだ。
 もしかしたら韓国政府、国会、市民団体、そして私たちのような研究者と市民たちすべてが、植民主義の遺産を法的に清算できない「ポストコロニアル」社会の中の「居留者たち」なのかも知れない。市民団体を責める前に、自分自身を振り返り、各自の場所で問題解決のために謙虚かつ真摯に努力しなければならないのではないか。それが、この名もない多くの被害者たちに応えることではないか。彼らの魂を悼むために、彼らが楽に横になる場を設けるために、今日私たちは何をすべきか、私たち自身のこの分かりえない悲しみのために、今日私たちは何をすべきなのか。市民団体に恨みと叱責を向けるイ・ヨンスさんの指の後ろに隠された、より大きな正義と真実の月を見つめよう。それが、イ・ヨンスさんと正義連、そして「あの多くのハルモニたち」とこのポストコロニアル社会を、すべて回復させる道ではないかと思う。
ヤン・ヒョナ|ソウル大学法学専門大学院教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/obituary/946634.html
韓国語原文入力:2020-05-27 17:00
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