http://news.line.me/articles/oa-afpbb/f54cd9dde456
「AFPBB News」 2018.09.14 13:06
■マクロン大統領、アルジェリア独立戦争中の拷問で仏政府の関与認める
【AFP】フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は13日、アルジェリア独立戦争(1954~62年)の最中、拷問を行う「システム」をフランス政府が後押ししたことを認めた。
【関連写真】1957年にアルジェで失踪したモーリス・オーダン氏
アルジェリア独立戦争後生まれの初の仏大統領であるマクロン氏は、これまでのどの仏大統領よりも踏み込んで、アルジェリア独立戦争中にフランス軍兵士らが行ったとされる虐待の規模の大きさを認めた。
マクロン氏は、1957年にアルジェ(Algiers)で失踪した共産党員で独立運動家の数学者モーリス・オーダン(Maurice Audin)氏の妻を訪ね、同氏の拷問と殺害にフランス政府が関与していたことを認めた。さらに、独立戦争中に失踪した大勢のフランスとアルジェリアの民間人と兵士に関するフランス当局の資料を公開する意向を示した。
仏大統領府が発表した声明は、独立戦争中にアルジェリアの治安維持のため仏政府が軍に特別な権限を与えたことが「拷問を含む数々の恐ろしい行為を許す地盤をつくった」としている。
アルジェリア人約150万人の命を奪い、約130年続いた植民地支配を終わりに導いた激しい戦争の中でフランス軍は民族解放運動の戦闘員とその支持者らを弾圧した。
ジャーナリストのジャンシャルル・ドゥニオー(Jean-Charles Deniau)氏は、2014年の著書でジャック・マシュ(Jacques Massu)大将の命令を受けた仏軍の士官らがオーダン氏を殺害したと主張。その命令があったことはポール・オサレス(Paul Aussaresses)大将(2013年に死去)も認めた。オサレス氏は数十人の非拘束者を拷問して死亡させたことも認めた。
ゲリラ戦が繰り広げられた複雑な戦争の中で行われた虐待は国民感情に深い傷を残した。一方、フランス政府は戦時中に仏軍の拷問に言及した新聞、書籍、映画を検問し、仏軍による残虐行為はその後もおおむねタブー視され続けてきた。しかし、仏政府は13日、「真実の追求なくして自由・平等・博愛を得ることはできない」と明言した。
アルジェリア独立戦争後60年が近づいている今でも、フランスでこの戦争は扱いに注意を要する問題となっており、仏政府がこの戦争当時の拷問について関与を認めたことには画期的な意義がある。
http://www.sankei.com/world/news/180916/wor1809160013-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/180916/wor1809160013-n2.html
「産経ニュース」 2018.9.16 16:31
■仏大統領、旧植民地独立派の拷問「国家責任」認める 「汚い戦争」の事実解明は「歴史家に」懸念も
【パリ=三井美奈】フランスのマクロン大統領は、旧植民地アルジェリアの独立戦争(1954~62年)中、仏政府が拷問を容認していたと認め、当時死亡した独立運動家の妻に謝罪した。歴代大統領で初めて、植民地の「汚い戦争」で組織的な国家責任に踏み込んだことで、波紋を広げている。
この運動家は57年、仏軍に拷問され、失跡した数学者のモーリス・オーダン氏。アルジェリア共産党員で、当時25歳だった。マクロン氏は13日の声明で、オーダン氏は拷問中に死亡、あるいは処刑されたと発表し、背景には治安部隊による反体制派「容疑者」の逮捕・拘禁を認めた法制度があったとした。同日、パリ郊外に住むオーダン氏の妻を訪ね、「許しを請う」と述べた。
フランスでアルジェリアでの仏軍の残虐行為はタブー視されてきた。2001年には元将軍が手記で、拷問で独立派を多数殺害したことを認め、政府は黙認していたと明かしたが、当時のシラク大統領は元将軍の勲章を剥奪し、責任論議を封印した。オーダン氏の妻は07年、夫の死の真相解明を当時のサルコジ大統領に書簡で訴えたが、返事はなかった。
マクロン氏は昨年2月の大統領選中、「植民地支配は『人道に対する罪』だ。過去の蛮行にわれわれは向き合うべきだ」と発言。今回、国家責任に踏み込んだことについて、ルモンド紙は社説で、真実解明はフランスとアルジェリアの「歴史の和解につながる唯一の道」とたたえた。一方、保守系フィガロ紙は「戦争の惨事の解明は歴史家に任せるべきだ」と主張。アルジェリア系住民が仏政府への反発を強めれば、国内の対立を招くと懸念を示した。
アルジェリア独立戦争では約50万人が死亡したとされる。フランス人入植者も数万人が殺害され、今も禍根が残る。マクロン氏は13日の声明で、公文書や証言による当時の実態解明を訴えたが、オーダン氏のように行方不明になった数千人の独立派への対応や、弾圧責任者の扱いには言及しておらず、今後論議となる可能性がある。
https://ovninavi.com/480_apropo/
「Ovni」 N° 480(2001/06/01)
■将軍が45年後に拷問を告白。
1981年5月10日、今は亡きミッテランが第五共和政で左派として初の大統領に当選した日から20年。メディアはこぞって前大統領の功績をふりかえる。
一方、1956-57年ギ・モレ内閣ミッテラン法務相時代に泥沼化したアルジェリア戦争で、アルジェリア解放戦線FLNの弾圧にあたった将軍ポール・オサレス氏(82) は5月3日、Perrin社から手記「特別部隊アルジェリア1955-1957」を出した。
オサレス氏は1955年諜報員として着任。マスュ将軍下、テロ掃討を目的とした”死の中隊”と呼ばれた特別部隊隊長となる。当手記の中では彼自身がいかにFLN幹部たちを拷問し殺害したかを具体的に叙述している。殴打、電流、水責めによる拷問後、非常事態下、民事裁判にとって代わった軍事裁判 (1957-58年に1509名を死刑) にもかけずに死刑を執行。逮捕者が首吊り自殺したかのように死体を吊したり、投身自殺したようにみせたと誇らしげに述懐する。当時のミッテラン法務相は仏軍隊による組織的拷問を熟知し、軍部の独走を黙認していたと明言、45年前の “汚れた 戦争” を白日のもとにさらす。
オサレス将軍の”拷問告白”記にシラク大統領は”憤慨”し、「この証言が仏軍隊や戦った者たちを汚すようなことがあってはならない」と軍司令部が同将軍に処分を科すよう命じるとともに、彼に授与したレジオンドヌール勲章の一時剥奪を命令。ジョスパン首相も同将軍の “破廉恥さにショック” を受けたが、”権力の乱用”と個人攻撃に留まらせる。共産党は拷問調査委員会の開設を要求、人権同盟国際連盟は同将軍を反人道罪で提訴。が、パリ検察庁は、1994年施行の反人道罪は、それ以前では第2次大戦にだけ適用されアルジェリア戦争には適用されないとし、同将軍と出版社を”戦争犯罪擁護罪” の疑いで予備捜査すると発表(5/17)。人権同盟や遺族は、どこまでも反人道罪で同将軍に対し損害賠償訴訟で追及する構えだ。
ナチスに協力したヴィシー政府への国家の責任を、95年シラク大統領は元首として初めて認めた。98年には重罪院がパポン(93)元ジロンド県総務局長にナチス協力者として反人道罪共犯で10年の禁固刑を下し、第2次世界大戦が仏史上に残した汚点を象徴的とはいえ55年後につぐなおうとした。1954年から62年まで独立のために戦ったアルジェリア人への仏軍隊による組織的拷問を後世代が記憶し反人道罪として裁くか。祖父たちの過去として忘却に押しやるか。「自国の歴史について無知な国民は同じ歴史を生きる」(米哲学者サンタヤーナの言葉) というが。
今日、アルジェリア自身も独立戦争の後遺症から癒えぬまま、仏軍隊がかつてしたように、軍隊が若いカビール人たちの反体制蜂起を弾圧している。(君)
「AFPBB News」 2018.09.14 13:06
■マクロン大統領、アルジェリア独立戦争中の拷問で仏政府の関与認める
【AFP】フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は13日、アルジェリア独立戦争(1954~62年)の最中、拷問を行う「システム」をフランス政府が後押ししたことを認めた。
【関連写真】1957年にアルジェで失踪したモーリス・オーダン氏
アルジェリア独立戦争後生まれの初の仏大統領であるマクロン氏は、これまでのどの仏大統領よりも踏み込んで、アルジェリア独立戦争中にフランス軍兵士らが行ったとされる虐待の規模の大きさを認めた。
マクロン氏は、1957年にアルジェ(Algiers)で失踪した共産党員で独立運動家の数学者モーリス・オーダン(Maurice Audin)氏の妻を訪ね、同氏の拷問と殺害にフランス政府が関与していたことを認めた。さらに、独立戦争中に失踪した大勢のフランスとアルジェリアの民間人と兵士に関するフランス当局の資料を公開する意向を示した。
仏大統領府が発表した声明は、独立戦争中にアルジェリアの治安維持のため仏政府が軍に特別な権限を与えたことが「拷問を含む数々の恐ろしい行為を許す地盤をつくった」としている。
アルジェリア人約150万人の命を奪い、約130年続いた植民地支配を終わりに導いた激しい戦争の中でフランス軍は民族解放運動の戦闘員とその支持者らを弾圧した。
ジャーナリストのジャンシャルル・ドゥニオー(Jean-Charles Deniau)氏は、2014年の著書でジャック・マシュ(Jacques Massu)大将の命令を受けた仏軍の士官らがオーダン氏を殺害したと主張。その命令があったことはポール・オサレス(Paul Aussaresses)大将(2013年に死去)も認めた。オサレス氏は数十人の非拘束者を拷問して死亡させたことも認めた。
ゲリラ戦が繰り広げられた複雑な戦争の中で行われた虐待は国民感情に深い傷を残した。一方、フランス政府は戦時中に仏軍の拷問に言及した新聞、書籍、映画を検問し、仏軍による残虐行為はその後もおおむねタブー視され続けてきた。しかし、仏政府は13日、「真実の追求なくして自由・平等・博愛を得ることはできない」と明言した。
アルジェリア独立戦争後60年が近づいている今でも、フランスでこの戦争は扱いに注意を要する問題となっており、仏政府がこの戦争当時の拷問について関与を認めたことには画期的な意義がある。
http://www.sankei.com/world/news/180916/wor1809160013-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/180916/wor1809160013-n2.html
「産経ニュース」 2018.9.16 16:31
■仏大統領、旧植民地独立派の拷問「国家責任」認める 「汚い戦争」の事実解明は「歴史家に」懸念も
【パリ=三井美奈】フランスのマクロン大統領は、旧植民地アルジェリアの独立戦争(1954~62年)中、仏政府が拷問を容認していたと認め、当時死亡した独立運動家の妻に謝罪した。歴代大統領で初めて、植民地の「汚い戦争」で組織的な国家責任に踏み込んだことで、波紋を広げている。
この運動家は57年、仏軍に拷問され、失跡した数学者のモーリス・オーダン氏。アルジェリア共産党員で、当時25歳だった。マクロン氏は13日の声明で、オーダン氏は拷問中に死亡、あるいは処刑されたと発表し、背景には治安部隊による反体制派「容疑者」の逮捕・拘禁を認めた法制度があったとした。同日、パリ郊外に住むオーダン氏の妻を訪ね、「許しを請う」と述べた。
フランスでアルジェリアでの仏軍の残虐行為はタブー視されてきた。2001年には元将軍が手記で、拷問で独立派を多数殺害したことを認め、政府は黙認していたと明かしたが、当時のシラク大統領は元将軍の勲章を剥奪し、責任論議を封印した。オーダン氏の妻は07年、夫の死の真相解明を当時のサルコジ大統領に書簡で訴えたが、返事はなかった。
マクロン氏は昨年2月の大統領選中、「植民地支配は『人道に対する罪』だ。過去の蛮行にわれわれは向き合うべきだ」と発言。今回、国家責任に踏み込んだことについて、ルモンド紙は社説で、真実解明はフランスとアルジェリアの「歴史の和解につながる唯一の道」とたたえた。一方、保守系フィガロ紙は「戦争の惨事の解明は歴史家に任せるべきだ」と主張。アルジェリア系住民が仏政府への反発を強めれば、国内の対立を招くと懸念を示した。
アルジェリア独立戦争では約50万人が死亡したとされる。フランス人入植者も数万人が殺害され、今も禍根が残る。マクロン氏は13日の声明で、公文書や証言による当時の実態解明を訴えたが、オーダン氏のように行方不明になった数千人の独立派への対応や、弾圧責任者の扱いには言及しておらず、今後論議となる可能性がある。
https://ovninavi.com/480_apropo/
「Ovni」 N° 480(2001/06/01)
■将軍が45年後に拷問を告白。
1981年5月10日、今は亡きミッテランが第五共和政で左派として初の大統領に当選した日から20年。メディアはこぞって前大統領の功績をふりかえる。
一方、1956-57年ギ・モレ内閣ミッテラン法務相時代に泥沼化したアルジェリア戦争で、アルジェリア解放戦線FLNの弾圧にあたった将軍ポール・オサレス氏(82) は5月3日、Perrin社から手記「特別部隊アルジェリア1955-1957」を出した。
オサレス氏は1955年諜報員として着任。マスュ将軍下、テロ掃討を目的とした”死の中隊”と呼ばれた特別部隊隊長となる。当手記の中では彼自身がいかにFLN幹部たちを拷問し殺害したかを具体的に叙述している。殴打、電流、水責めによる拷問後、非常事態下、民事裁判にとって代わった軍事裁判 (1957-58年に1509名を死刑) にもかけずに死刑を執行。逮捕者が首吊り自殺したかのように死体を吊したり、投身自殺したようにみせたと誇らしげに述懐する。当時のミッテラン法務相は仏軍隊による組織的拷問を熟知し、軍部の独走を黙認していたと明言、45年前の “汚れた 戦争” を白日のもとにさらす。
オサレス将軍の”拷問告白”記にシラク大統領は”憤慨”し、「この証言が仏軍隊や戦った者たちを汚すようなことがあってはならない」と軍司令部が同将軍に処分を科すよう命じるとともに、彼に授与したレジオンドヌール勲章の一時剥奪を命令。ジョスパン首相も同将軍の “破廉恥さにショック” を受けたが、”権力の乱用”と個人攻撃に留まらせる。共産党は拷問調査委員会の開設を要求、人権同盟国際連盟は同将軍を反人道罪で提訴。が、パリ検察庁は、1994年施行の反人道罪は、それ以前では第2次大戦にだけ適用されアルジェリア戦争には適用されないとし、同将軍と出版社を”戦争犯罪擁護罪” の疑いで予備捜査すると発表(5/17)。人権同盟や遺族は、どこまでも反人道罪で同将軍に対し損害賠償訴訟で追及する構えだ。
ナチスに協力したヴィシー政府への国家の責任を、95年シラク大統領は元首として初めて認めた。98年には重罪院がパポン(93)元ジロンド県総務局長にナチス協力者として反人道罪共犯で10年の禁固刑を下し、第2次世界大戦が仏史上に残した汚点を象徴的とはいえ55年後につぐなおうとした。1954年から62年まで独立のために戦ったアルジェリア人への仏軍隊による組織的拷問を後世代が記憶し反人道罪として裁くか。祖父たちの過去として忘却に押しやるか。「自国の歴史について無知な国民は同じ歴史を生きる」(米哲学者サンタヤーナの言葉) というが。
今日、アルジェリア自身も独立戦争の後遺症から癒えぬまま、仏軍隊がかつてしたように、軍隊が若いカビール人たちの反体制蜂起を弾圧している。(君)