1876年江華条約の強要からはじまる朝鮮侵略と1905年からの植民地支配の実相について、私たちは、学校教育でも社会教育でも教えられることはありませんでした。
そのため、私は、日本が朝鮮に「どんなことをしたのか、なにをしなければならないのか」を全く知らないまま、日常生活を送っていました。
そんな私が、1989年に大阪で開かれた「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会」の結成集会に参加し、1994年の追悼碑建立から今年で20回目の追悼集会を迎えることになります。
大阪での結成集会に参加する以前にも、指紋押捺拒否の運動によって、在日朝鮮人に対する日本の政府の理不尽さを知りましたが、この会の活動に参加することを通して、歴史的に日本が朝鮮に対して、本当に酷いことをしたこと知ることができました。
この活動に出会うことがなかったら、私は、今でも朝鮮に対する侵略と植民地支配についての歴史認識をもてないまま、無知・無関心な生き方を、真実とは無縁で人間的に貧しい生き方をしていたかもしれない、と思っています。
今でも、日本が朝鮮にたいする侵略と植民地支配の事実について、無知・無関心な日本人がほとんどです。それどころか、侵略と植民地支配を否定したり、それを美化したりする声が大きくなってきている今日です。
今後も、この活動を通して、木本事件は、朝鮮にたいする侵略と植民地支配を支えた民族差別と排外主義によって二人の朝鮮人を虐殺した事件であるという認識をより確かなものにして、この事件と自分とがどう関係しているのかを問い、自己の在り方を問うことによって、自己変革を図っていきたいと思います。そして、無知・無関心な人たちにも、木本事件の本質を知ってもらい、民族差別と排外主義に抗する人になってくれることを求めていきたいと思います。
竹本 昇
そのため、私は、日本が朝鮮に「どんなことをしたのか、なにをしなければならないのか」を全く知らないまま、日常生活を送っていました。
そんな私が、1989年に大阪で開かれた「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会」の結成集会に参加し、1994年の追悼碑建立から今年で20回目の追悼集会を迎えることになります。
大阪での結成集会に参加する以前にも、指紋押捺拒否の運動によって、在日朝鮮人に対する日本の政府の理不尽さを知りましたが、この会の活動に参加することを通して、歴史的に日本が朝鮮に対して、本当に酷いことをしたこと知ることができました。
この活動に出会うことがなかったら、私は、今でも朝鮮に対する侵略と植民地支配についての歴史認識をもてないまま、無知・無関心な生き方を、真実とは無縁で人間的に貧しい生き方をしていたかもしれない、と思っています。
今でも、日本が朝鮮にたいする侵略と植民地支配の事実について、無知・無関心な日本人がほとんどです。それどころか、侵略と植民地支配を否定したり、それを美化したりする声が大きくなってきている今日です。
今後も、この活動を通して、木本事件は、朝鮮にたいする侵略と植民地支配を支えた民族差別と排外主義によって二人の朝鮮人を虐殺した事件であるという認識をより確かなものにして、この事件と自分とがどう関係しているのかを問い、自己の在り方を問うことによって、自己変革を図っていきたいと思います。そして、無知・無関心な人たちにも、木本事件の本質を知ってもらい、民族差別と排外主義に抗する人になってくれることを求めていきたいと思います。
竹本 昇