三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

あの地のムグンファが、すでに20年、祖父のそばで見守っていたとは

2013年10月08日 | 木本事件
 以下は、20回目の李基允さんと相度さんを追悼する集会をまえにして、相度さんの孫の哲庸さんから送られてきたものです。


■그곳의 무궁화는 벌써 20년을 할아버지 곁을 지키고 있었다니
                                  배철용
 회사 근무중 어디선가 전화가 왔다 반가운 목소리 정미 누나 였다.
 일본에 있는 정미 누나 목소리는 한번 들으면 잊혀 지지않는 그런 목소리다.
 할아버지 추모제가 벌써 20주년 이란다.
 벌써 세월이 그렇게 흐르다니.
 난 추도비를 건립 했다는 소식을 듣고 일본에가서 회원들과 무궁화도 심고 첫 추모제 지낸것 밖게 없는데 그곳의 무궁화는 벌써 20년을 할아버지 곁을 지키고 있었다니.
 아니 모든 회원님들께서 20년을 지켜 주고 있다니 손자라는 놈이 찿아 뵙지도 못하고 세월이 흘러 흘러 20년이 흘러 버렸다.
 추도비가 이곳 한국에 있었다면 왜 찿지 않았을까?
 왜 그들은 할아버지를 먼곳에서 돌아가시게 만들어 찾아보기 힘들게 만들었으까 원망도 해본다.
 추도모임을 이끌고 계신 모든분들께 감사할 따름이다.
 그들의 만행으로 죄없이 돌아 가신분과 정신대 할머님들 징용으로 끌려가 죽도록 고생하신분들께 그들은 정말 진심으로 사죄 하여야 한다.
 그들은 정말 솔직해져야 하며 다시 한번 진심으로 사죄 하기를 바래본다.

 끝으로 김 봉수 삼촌의 빠른 쾌유와 김 창렬 삼촌의 명복을 뵙니다.
 회원님들의 가정에 만복과 행복이 가득 하시길 뵙니다.


■あの地のムグンファが、すでに20年、祖父のそばで見守っていたとは
                                      哲庸
 会社に勤務中、どこからか電話がきた。なつかしい声。チョンミ姉さんであった。
 日本にいるチョンミ姉さんの声は、一度聞けば忘れられない、そのような声だ。
 祖父の追慕祭が、もう20周年だという。
 歳月がもうそんなに流れたとは。
 わたしは、追悼碑を建立したと聞いて日本に行き、会員たちとムグンファを植え、第1回目の追慕祭に参加しただけなのに、あそこのムグンファは、すでに20年を祖父のそばを見守っていたという。
 いや、すべての会員のひとたちが、20年を見守っていてくれたとは。
 孫たるわたしがなにもせず、歳月が流れ流れ、20年が過ぎてしまった。
 追悼碑がここ韓国にあったなら、行かないわけはなかっただろう。
 なぜ彼らは、祖父を遠い所で死ななければならないようにし、訪ねることも難しくしてしまったのか、恨みさえする。
 追悼会を続けてきた人たちに感謝する。
 彼らの蛮行により、罪なく亡くなった方たち、挺身隊ハルモニムたち、徴用で連行さ死ぬほ どの苦労をされた方がたに、彼らは本当に心から謝罪しなければならない。
 彼らは本当に正直になるべきで、もう一度、心からの謝罪を願う。

 最後に金蓬洙叔父のはやい快癒と金唱律叔父の冥福を祈ります。
 会員のみなさんの家庭が、万福と幸福で満たされることを祈ります。
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