■5年間の日誌 4
2010年2月14日 海南島近現代史研究会第5回定例研究会。
報告Ⅰ 三竈島から海南島へ――もう一つの南進政策 蒲豊彦
報告Ⅱ 海南島での同仁会(研究ノート) キム チョンミ
報告Ⅲ 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 3 竹本昇
報告Ⅳ 曹靖『回顧長仙聯村“三・一”血泪史』を読んで 鐘翠雅
報告Ⅴ 「Y作戦」と住民虐殺 斉藤日出治
報告Ⅵアジア太平洋戦争開始前後の海南島侵略日本海軍の「Y5作戦」 佐藤正人
海南島三亜郊外の「朝鮮村」の現状と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
2010年3月2日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」、最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)、
上告を棄却し上告受理申立を不受理とする決定。海南島戦時性暴力被害賠償請求事
件弁護団と中国戦争被害賠償請求事件弁護団、抗議声明。
2010年4月 1943年ころ「朝鮮報国隊」に入れられ海南島に連行され1944年2月17日に
陵水で死亡した韓錫さんの妻の李康姫さんと息子の韓光洙さんに、ソウルで話しを
聞かせてもらう。
日本海軍海南警備府横須賀第4特別陸戦隊に入れられていた鍾明出さんに、慶州
市内南面の自宅で話しを聞かせてもらう(6月に再訪)。
2010年5月 第5回海南島「現地調査」。
5月23日 符如来さん(許如梅さんの娘さん)と定安県雷鳴鎮梅種村を訪問。村の入り
口に許如梅さん(1918年生。1943年に日本兵に殺害された)の墓。
5月24日 『国際旅游島商報』に、「12年間18次来瓊取証日本学者調査日軍暴行」
(王巍記者)掲載。 http://www.sobao.cc/Sub.aspx?id=4229
5月25日 澄邁県大豊鎮美桃村訪問。
5月27日 昌江黎族自治県海尾村、十月田鎮保平村訪問。保平村は、石碌鉱山と日本
海軍横須賀鎮守府第4陸戦隊司令本部のある北黎を結ぶ日本侵略期の幹線道
路の中間に位置。
5月29日 海口市雲龍鎮玉仙村など訪問。
5月30日~31日 広東省三灶島(三竈島)に行く。「三灶島三・一三死難同胞紀念碑」
の碑文に、日本軍は占領期に「同胞二千八百九十一人」を殺害したと刻まれていた。
2010年5月31日 『国際旅游島商報』に「日本厚生公司曾在海南強迫村民种鸦片敛财」
(王巍記者)掲載。
2010年7年12日 『경향신문』(『京郷新聞))に、사토 쇼진「형무소서 끌려가 노예처럼
일하다 학살 ‘한 맺힌 유골들’ 중국 해남도 ‘조선촌’이 증언하는 일제의 만행」
掲載。http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201007111734425&code=210000&s_code=af092
2010年7月30日~8月1日 大阪人権博物館でドキュメンタリー『日本が占領した海南島で
60年まえは昨日のこと』、『「朝鮮報国隊」』、『海南島月塘村虐殺』上映会。
2010年8月21日 海南島近現代史研究会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、太平洋戦争
被害者補償推進協議会が「“韓国併合”から100年 遺族の証言を聞く集い」を共催。