三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島文昌市東閣鎮 2

2011年09月17日 | 海南島史研究
 わたしたちは、10月28日に海南島の海口に着き、翌日29日に日に文昌市東閣鎮流坑村に行きます。

 中共海南省委党史研究室・海南省民政庁編『瓊崖英烈伝』第二輯(三環出版社、1990年3月)の、「许如梅(1919~1943)」には、つぎのように書かれています。
    「1943年起,日军实行“三光”政策,向我抗日游击区进行疯狂的扫荡。
     一天夜里,许如梅宿于东阁流源一革命群众家里,突遭敌人包围,她参杂在群众中被一起押到村边大榕树下实行集体屠杀」。

 許如梅さんは、このとき7か所傷つけられましたが、生き延びました。
 东阁を離れた許如梅さんは、その後、文昌の羅馬、昌洒などに移動し、この年の秋、定安県雷鳴鎮梅種村で日本軍に包囲され殺害されました(海南島近現代史研究会の会誌『海南島近現代史研究』第2号・第3号の表紙に、許如梅さんの墓の写真が掲載されています。このブログの2010年5月24日、25日の「18次来瓊調査日軍暴行」1、2、および2010年6月3日、4日の「許如梅さん」1、2をみてください)。

 中共海南省委党史研究室編『瓊崖抗日英雄譜(海南出版社、1995年8月)に陳清文さんと何秀英さんが書いた「碧血丹心 记许如梅烈士」が掲載されています。そこには、つぎのように書かれています。
    「当时(1943年),琼山的树、咸来、道崇,文昌的南阳、东阁、头宛、宝芳等抗日乡村都遭受日寇灭绝人性的践踏,尸首遍野,我党我军抗日的环境越来越艰苦,许如梅奔走于各乡村之间,发动群众坚持对敌斗争。
     一天夜里,她住宿于东阁乡流坑村一位大嫂家。
     冬天的南方,屋里还是很冷,北风透过窗户呼呼吼叫,和衣而卧的许如梅到拂晓时才迷迷糊糊地合上眼。突然,被屋外一阵阵紧急、杂乱的跑步声惊醒,她猛地从床上跃了起来,叫醒了房东大嫂。外面,犬吠声、砸门声、吆喝声、哭声、哀叫声响成一片」。
 許如梅さんとともに瓊崖独立総隊に属して抗日闘争を戦っていた何秀英さんは、許如梅さんが負傷したのは、東閣郷(現、東閣鎮)流坑村だったと証言しています。
                                        佐藤正人

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