三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島近現代史研究会第5回総会・第8回定例研究会報告 3

2011年09月03日 | 海南島近現代史研究会
 杉浦ひとみ弁護士の報告のあと、神戸・南京をむすぶ会と兵庫在日外国人教育研究協議会が8月中旬におこなった海南島でのフィールドワークについて報告が、団長の宮内陽子さんら4名の方からありました。500人碑、八所港、「朝鮮村」、日本軍が建設した南渡江鉄橋跡、佐世保第8特別陸戦隊の司令部跡、特攻艇「震洋」格納トンネル跡などを見た、という報告でした。パトカーが先導するなどの規制のもとであったため、当初予定していたところに行けなかったところが多かった、とのことでした。
 つぎに、今年の2月25日から3月9日まで、紀州鉱山の真実を明らかにする会として19回目、海南島近現代史会として6回目の海南島「現地調査」について、竹本昇さんが報告しました。
 今回訪問したのは、東山鎮、月塘村、「朝鮮村」、佛老村、金鶏嶺、黒眉村、板橋鎮、新龍鎮新村、八所、沙土、長流などで、島を1周して「聞き取り」を行いました。とくに新龍鎮新村では、1945年3月2日に日本軍に追われて地下室に逃げ込んだ4人の戦士が、地下室をでて日本軍とたたかった場合に日本軍が村人を虐殺するのを回避するため、自爆したことを知りました。その日はそれから66年後の2011年3月2日でした。自爆した湯主良さんの夫人の張亜香さんから自爆に至った詳しい経緯を聴き、村と村民を守るために闘った抗日闘争の実情を知ることができました。竹本昇さんは、証言する張亜香さんをビデオカメラで撮影させてもらっているとき、撮影している自分のありかたを問い、事実を伝達するためには、撮影を続けなければならないと考えていたと報告しました。

 最後に、「日本政府・日本企業に侵略犯罪の責任をどうとらせていくか」を主軸として、参加者ひとりひとりから発言を受けました。
参加者がみずからの日常の取り組みや家族の関わりの中で、海南島の侵略犯罪という事実とどう向かい合うかという姿勢が明確にうちだされた貴重な発言が印象的でした。
 韓国の「朝鮮報国隊」の遺族の方々、海南島戦時性暴力被害訴訟にはじめからかかわってきた弁護士、「慰安婦」問題に向き合ってきた花こころのメンバー、「海南島フィールドワーク」に参加したみなさん、海南島でともに調査・研究をすすめている海南民間抗戦研究会準備会の方々など、海南島近現代史研究会の運動が多層のネットワークをつくりあげ、そのネットワークが社会のうちに着実に根づいてきているということを実感することのできた総会・定例研究会でした。
                                        斉藤日出治
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