1993年7月 佐藤正人「侵略・強制連行・公害――紀和町の紀州鉱山と四日市市の石
原産業のこと――」、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允、
相度)の追悼碑を建立する会『会報』18号。
1994年11月20日 李基允氏と相度氏の追悼碑、除幕。
1995年11月18日 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允氏・相度氏)の追
悼碑を建立する会編刊『熊野・紀州鉱山・新宮「現地調査」資料集』発行。
1995年11月19日 第1回紀州鉱山「現地調査」。
1996年夏 「石原産業紀州鉱山1946年報告書」入手。
1996年10月 江原道麟蹄郡麟蹄邑、瑞和面、北面、麒麟面で、紀州鉱山に強制連行
された人たちに話を聞かせてもらう。
1996年11月14日 許圭氏から話しを聞く。
1996年11月16日 『紀州鉱山「現地調査』資料Ⅱ』発行。
1996年11月17日 第2回紀州鉱山「現地調査」。
1996年12月15日 「戦時中の紀州鉱山 朝鮮人労働者延べ875人」、『中日新聞』朝
刊(三重版)。
1996年12月18日~21日 江原道旌善郡(旌善邑、新東邑、舎北邑、古汗邑、東面、
北面、臨渓面、南面、北坪面)に。
1996年11月22日 「旧紀州鉱山で聞き取りや資料集め強制連行の実態旧鉱山に尋ね
る」、『朝日新聞』朝刊(三重版)。
1997年1月 佐藤正人「三重県紀和町の紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の跡をたず
ねて “支払われなかった退職手当” 明らかになった紀州鉱山の
嘘」、『パトローネ』28号。
1997年1月20日 「紀州鉱山“陰の歴史”に光 来月9日、調査会設立」、『中日新
聞』朝刊(三重版)。
1997年2月5日 「旧石原産業紀州鉱山の朝鮮人連行 実態解明へ」、『朝日新聞』朝
刊(三重版)。
1997年2月9日 紀州鉱山の真実を明らかにする会、創立。
1997年3月1日 韓国『東亜日報』に、紀州鉱山の真実を明らかにする会結成の記事。
1997年3月 佐藤正人「麟蹄で」、キム チョンミ「旌善で」、竹内康人「紀州鉱山への朝
鮮人強制連行状況」、『会報』25号。
1997年4月 斎藤日出治「発足 紀州鉱山の真実を明らかにする会 紀州鉱山の強
制連行の実態を調査!」『パトローネ』29号。
1997年5月1日~5月5日 江原道麟蹄郡各地へ。
1997年5月18日 許圭氏から話しを聞く。
1997年6月 佐藤正人「熊野市の木本トンネルと紀和町の紀州鉱山」、『キョレ通
信』5号、梅軒研究会。
1997年7月下旬 第8回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会(松
江)。佐藤正人報告(「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷をたずねて」)。
1997年8月3日~8月16日 江原道平昌郡(平昌邑、美灘面、芳林面、大和面、珍富
面、龍坪面、道岩面)、堤川へ。8月9日 『江原道民日報』、8月15日『ソ
ウル新聞』で報道。
1997年9月 紀州鉱山の真実を明らかにする会「紀州鉱山への朝鮮人強制連行――な
ぜ事実を解明するか、事実を解明してどうするのか――」、『在日朝鮮人
史研究』27号。
1997年10月 キム チョンミ「強制連行された朝鮮人の故郷と朝鮮人が強制労働させ
られた地域を結ぶ民衆のきずなを!」、『パトローネ』31号。
佐藤正人「麟蹄と平昌で」、斎藤日出治「江原道平昌を訪れて」、崔文
子「私の聞きとり体験――紀州鉱山に連行された人々の聞き取り調査に参
加して」、『会報』26号
1997年11月16日 第3回紀州鉱山「現地調査」。
1997年11月17日 韓国からの参加者とともに、紀和町に抗議・要請。
1997年11月22日 橋本市に住む朴斗萬氏(紀州鉱山で働いていた)を訪ねる。
1997年12月 竹内康人「紀州鉱山への朝鮮人強制連行について」、『熊野誌』第43号。
1998年2月 斎藤日出治「木本トンネルと紀州鉱山 日本の地域史における国家と
企業の役割について」、『大阪産業大学論集 社会科学編』108号。
1998年4月1日 中浦敏夫紀和町長、久保幸一紀和町教育委員会教育長に、はじめて
の文書要請。
一、紀和町と紀和町教育委員会は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の歴
史的事実を積極的に急いで調査し、『紀和町史』にその事実を明記
すること。
二、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の事実を示す展示がない鉱山資料館
の展示内容を変更し、解説を書きかえること。
三、紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする資料を探索し開示すること。
四、紀州鉱山に強制連行され、強制労働させられて亡くなった朝鮮人
の追悼碑を建て、定期的に追悼式をおこない、また追悼碑の維持・
管理に責任をもつこと。追悼式に、遺族および紀州鉱山に強制連行
された朝鮮人の参加を保証すること。
1998年6月 石原産業が鉄鋼資源を略奪していた海南島の田独鉱山で最初の「現地調査」。
1998年8月12日 韓国KBS『紀州鉱山への朝鮮人強制連行』放映。
1998年8月18日~22日 紀州鉱山の真実を明らかにする会、第3回韓国「現地調査(慶
尚北道安東郡・軍威郡)」。韓国安東MBC、同行取材。
1998年8月29日~9月3日 安東MBC、『紀伊半島に隠された真実』制作のため訪
日取材。
1998年9月20日 「戦時中の紀州鉱山で“逃亡”の男性 韓国の戸籍で“死亡”の
記述 市民団体の調査で判明」、『中日新聞』朝刊(牟婁版)。
1998年10月 「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷安東・軍威と紀和町で」、
『パトローネ』35号。
1998年10月15日 韓国安東MBC『紀伊半島に隠された真実』放映。
1998年11月15日 熊野市極楽寺で、『紀伊半島に隠された真実』上映。
1998年11月16日 第4回紀州鉱山「現地調査」。
紀和町教育委員会、鉱山資料館での紀州鉱山の真実を明らかにす
る会の資料展示合意。紀和町の助役と教育長に口頭で、千炳台氏の
埋火葬許認可書の閲覧を求める。
1999年3月25日 鉱山資料館展示用として「紀州鉱山関係資料」(13種)を紀和町教育
委員会に送る。
1999年11月21日 第5回紀州鉱山「現地調査」。
2003年7月21日 紀和町役場で再度口頭で、千炳台氏の埋火葬許認可書の閲覧を求める。
2003年11月22日 紀和町に、公文書公開条例にもとづき、千炳台氏の埋火葬許認
可書の閲覧を求める文書を送る。
2006年1月16日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人と考えられる39人について、熊野市
に、埋火葬許認可書の閲覧を求める文書を送る。
2006年2月15日 「紀州鉱山 石原産業60年前の“暗部” 記録にない朝鮮人殉職
市民団体が調査要請」、『中日新聞』夕刊。
2007年11月24日 第13回紀州鉱山「現地調査」。
2008年3月8日 第14回紀州鉱山「現地調査」。
2008年3月9日 第1回追悼集会。
原産業のこと――」、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允、
相度)の追悼碑を建立する会『会報』18号。
1994年11月20日 李基允氏と相度氏の追悼碑、除幕。
1995年11月18日 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允氏・相度氏)の追
悼碑を建立する会編刊『熊野・紀州鉱山・新宮「現地調査」資料集』発行。
1995年11月19日 第1回紀州鉱山「現地調査」。
1996年夏 「石原産業紀州鉱山1946年報告書」入手。
1996年10月 江原道麟蹄郡麟蹄邑、瑞和面、北面、麒麟面で、紀州鉱山に強制連行
された人たちに話を聞かせてもらう。
1996年11月14日 許圭氏から話しを聞く。
1996年11月16日 『紀州鉱山「現地調査』資料Ⅱ』発行。
1996年11月17日 第2回紀州鉱山「現地調査」。
1996年12月15日 「戦時中の紀州鉱山 朝鮮人労働者延べ875人」、『中日新聞』朝
刊(三重版)。
1996年12月18日~21日 江原道旌善郡(旌善邑、新東邑、舎北邑、古汗邑、東面、
北面、臨渓面、南面、北坪面)に。
1996年11月22日 「旧紀州鉱山で聞き取りや資料集め強制連行の実態旧鉱山に尋ね
る」、『朝日新聞』朝刊(三重版)。
1997年1月 佐藤正人「三重県紀和町の紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の跡をたず
ねて “支払われなかった退職手当” 明らかになった紀州鉱山の
嘘」、『パトローネ』28号。
1997年1月20日 「紀州鉱山“陰の歴史”に光 来月9日、調査会設立」、『中日新
聞』朝刊(三重版)。
1997年2月5日 「旧石原産業紀州鉱山の朝鮮人連行 実態解明へ」、『朝日新聞』朝
刊(三重版)。
1997年2月9日 紀州鉱山の真実を明らかにする会、創立。
1997年3月1日 韓国『東亜日報』に、紀州鉱山の真実を明らかにする会結成の記事。
1997年3月 佐藤正人「麟蹄で」、キム チョンミ「旌善で」、竹内康人「紀州鉱山への朝
鮮人強制連行状況」、『会報』25号。
1997年4月 斎藤日出治「発足 紀州鉱山の真実を明らかにする会 紀州鉱山の強
制連行の実態を調査!」『パトローネ』29号。
1997年5月1日~5月5日 江原道麟蹄郡各地へ。
1997年5月18日 許圭氏から話しを聞く。
1997年6月 佐藤正人「熊野市の木本トンネルと紀和町の紀州鉱山」、『キョレ通
信』5号、梅軒研究会。
1997年7月下旬 第8回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会(松
江)。佐藤正人報告(「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷をたずねて」)。
1997年8月3日~8月16日 江原道平昌郡(平昌邑、美灘面、芳林面、大和面、珍富
面、龍坪面、道岩面)、堤川へ。8月9日 『江原道民日報』、8月15日『ソ
ウル新聞』で報道。
1997年9月 紀州鉱山の真実を明らかにする会「紀州鉱山への朝鮮人強制連行――な
ぜ事実を解明するか、事実を解明してどうするのか――」、『在日朝鮮人
史研究』27号。
1997年10月 キム チョンミ「強制連行された朝鮮人の故郷と朝鮮人が強制労働させ
られた地域を結ぶ民衆のきずなを!」、『パトローネ』31号。
佐藤正人「麟蹄と平昌で」、斎藤日出治「江原道平昌を訪れて」、崔文
子「私の聞きとり体験――紀州鉱山に連行された人々の聞き取り調査に参
加して」、『会報』26号
1997年11月16日 第3回紀州鉱山「現地調査」。
1997年11月17日 韓国からの参加者とともに、紀和町に抗議・要請。
1997年11月22日 橋本市に住む朴斗萬氏(紀州鉱山で働いていた)を訪ねる。
1997年12月 竹内康人「紀州鉱山への朝鮮人強制連行について」、『熊野誌』第43号。
1998年2月 斎藤日出治「木本トンネルと紀州鉱山 日本の地域史における国家と
企業の役割について」、『大阪産業大学論集 社会科学編』108号。
1998年4月1日 中浦敏夫紀和町長、久保幸一紀和町教育委員会教育長に、はじめて
の文書要請。
一、紀和町と紀和町教育委員会は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の歴
史的事実を積極的に急いで調査し、『紀和町史』にその事実を明記
すること。
二、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の事実を示す展示がない鉱山資料館
の展示内容を変更し、解説を書きかえること。
三、紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする資料を探索し開示すること。
四、紀州鉱山に強制連行され、強制労働させられて亡くなった朝鮮人
の追悼碑を建て、定期的に追悼式をおこない、また追悼碑の維持・
管理に責任をもつこと。追悼式に、遺族および紀州鉱山に強制連行
された朝鮮人の参加を保証すること。
1998年6月 石原産業が鉄鋼資源を略奪していた海南島の田独鉱山で最初の「現地調査」。
1998年8月12日 韓国KBS『紀州鉱山への朝鮮人強制連行』放映。
1998年8月18日~22日 紀州鉱山の真実を明らかにする会、第3回韓国「現地調査(慶
尚北道安東郡・軍威郡)」。韓国安東MBC、同行取材。
1998年8月29日~9月3日 安東MBC、『紀伊半島に隠された真実』制作のため訪
日取材。
1998年9月20日 「戦時中の紀州鉱山で“逃亡”の男性 韓国の戸籍で“死亡”の
記述 市民団体の調査で判明」、『中日新聞』朝刊(牟婁版)。
1998年10月 「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷安東・軍威と紀和町で」、
『パトローネ』35号。
1998年10月15日 韓国安東MBC『紀伊半島に隠された真実』放映。
1998年11月15日 熊野市極楽寺で、『紀伊半島に隠された真実』上映。
1998年11月16日 第4回紀州鉱山「現地調査」。
紀和町教育委員会、鉱山資料館での紀州鉱山の真実を明らかにす
る会の資料展示合意。紀和町の助役と教育長に口頭で、千炳台氏の
埋火葬許認可書の閲覧を求める。
1999年3月25日 鉱山資料館展示用として「紀州鉱山関係資料」(13種)を紀和町教育
委員会に送る。
1999年11月21日 第5回紀州鉱山「現地調査」。
2003年7月21日 紀和町役場で再度口頭で、千炳台氏の埋火葬許認可書の閲覧を求める。
2003年11月22日 紀和町に、公文書公開条例にもとづき、千炳台氏の埋火葬許認
可書の閲覧を求める文書を送る。
2006年1月16日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人と考えられる39人について、熊野市
に、埋火葬許認可書の閲覧を求める文書を送る。
2006年2月15日 「紀州鉱山 石原産業60年前の“暗部” 記録にない朝鮮人殉職
市民団体が調査要請」、『中日新聞』夕刊。
2007年11月24日 第13回紀州鉱山「現地調査」。
2008年3月8日 第14回紀州鉱山「現地調査」。
2008年3月9日 第1回追悼集会。