三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

年表・紀州鉱山史(抄) 2

2008年03月19日 | 紀州鉱山
1943年 日本軍ボルネオ島占領後、石原産業、ラウト炭鉱(ラウト島)の石炭採掘開始。
1943年1月 江原道伊川郡などから75人が紀州鉱山に強制連行(「官斡旋」)。
1943年4月、三重県協和会鵜殿支部(支部長鵜殿警察署長)が紀州鉱山の紀州会館で、
     第三回総会。
1943年4月 石原産業四日市工場、軍需工場に指定。
1943年6月 海運業を日本海運株式会社に譲渡。社名を石原産業海運から石原産業に変更。
1943年7月 阿田和国民学校で、鵜殿警察署管内の朝鮮人にたいして「徴兵実施を前提
     とした錬成教育」。
1943年9月 江原道平昌郡などから99人、紀州鉱山に強制連行(「官斡旋」)。
1943年12月 江原道旌善郡から90人、紀州鉱山に強制連行(「官斡旋」)。
1943年ころから 「学徒勤労動員報国隊」が紀州鉱山で働きはじめる。
1944年4月 紀州鉱山板屋会館で協和会鵜殿支部総会。三重県警察本部長代理、鵜殿警
     察署長、紀州鉱山役員らが、朝鮮人労働者に「増産に挺身するよう訓示」。
     このころから紀州鉱山で、朝鮮人労働者の逃亡者続出。
1944年   四日市工場内に、朝鮮人労働者の宿舎「協和寮」新築。
1944年5月 慶尚北道安東郡から28人、軍威郡から29人が紀州鉱山に強制連行(「官
     斡旋」)。
1944年6月25日 入鹿村板屋の紀州鉱山敷地内に、大阪俘虜収容所第16分所開設。
   6月29日、 イギリス兵「捕虜」300人、連行。収容中に16人死亡。
1944年7月 板屋の朝鮮人宿舎「八紘寮」で、朝鮮人労働者143人、病人への待遇改善を
     要求して闘争。「送局」された8人全員が、8月15日に木本区裁判所で有罪判
     決(懲役8か月など)。
1944年8月 江原道鉄原郡から77人、紀州鉱山に強制連行(「徴用」)。
1944年8月11日 石原産業四日市工場敷地内に大阪俘虜収容所第17分所開設。「捕虜」
     600人連行。石原産業四日市工場で強制労働。1945年4月6日、名古屋俘虜収
     容所第5分所に移管。1945年6月、300人が北陸地方に。日本敗戦時、USA
     兵196人、オランダ兵75人、イギリス兵25人。収容中に600人のうち19人死亡。
1944年9月 「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」閣議決定→朝鮮人「徴用」開始。
1944年秋  紀州鉱山の坑道の入口に、「朝鮮民族は日本民族たるを喜ばず。将来の朝
     鮮民族の発展を見よ」と、カンテラの火で焼きつけられていたという(許
     圭氏証言)。
1944年11月 江原道麟蹄郡などから98人、紀州鉱山に強制連行(「徴用」)。
1944年12月末、三重県に住む朝鮮人は25160人で、そのうち鵜殿警察署管内の朝鮮人は
     2288人であったという。
1945年1月 江原道平昌郡などから98人が紀州鉱山に強制連行(「徴用」)。
1945年1月25日、協和会鵜殿支部が鵜殿興生挺身隊と改称。紀州鉱山板屋会館で結成式。
1945年4月6日 紀州鉱山のイギリス兵「捕虜」、名古屋俘虜収容所第4分所に移管。
1945年5月 江原道原州などから36人が紀州鉱山に強制連行(「徴用」)。
1945年6月26日夜 USA軍、四日市爆撃。石原産業四日市工場、操業不能となる。
1945年   紀州鉱山のイギリス兵「捕虜」のところに、日本人軍曹、16個の骨箱をも
    ってきて埋めるように指示。イギリス兵「捕虜」、収容所敷地内に埋め、木の
    十字架をつくって、小枝に死者の名を刻む。
1945年8月18日 紀州鉱山のイギリス兵「捕虜」、日本敗戦を知る。
1945年9月9日 紀州鉱山のイギリス兵284人、入鹿村出発。9月12日、東京出発。
1945年11月 紀州鉱山の朝鮮人労働者、帰国を求めて争議。
1945年12月、石原廣一郎、A級戦犯容疑で逮捕。後任社長小山卓次郎も公職追放。
1946年 石原産業が、紀州鉱山のイギリス兵16人の「墓」を作る(1946年2月20日撮影
   の写真あり)。
1946年2月 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)法務局調査課調査官、紀州鉱山
   の捕虜収容所の調査に来る。その後、連合軍墓地捜索班が遺骨を横浜の「外人墓
   地」に埋葬。
1946年2月1日、紀州鉱山労働組合結成。2月10日、石原産業四日市工場労働組合結成。
1948年12月 東条英機らの処刑翌日、石原廣一郎釈放。
1964年3月 石原産業紀州鉱業所、紀和町板屋の共同墓地に「無縁塔」を立てる。
1978年5月 紀州鉱山、閉山。
1987年6月 紀和町教育委員会、「史跡 外人墓地」を造成し、紀和町文化財に指定。
1995年4月 石原産業が提供した紀州鉱山事務所跡地に、紀和町が紀和町鉱山資料館を
   建設、開館。
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