8月15日、今年も護国神社に参拝しました。甲府に来て何度目になるか、護国神社がある事を知ってから時々行きます。
靖國神社のサイトに全国護国神社のリストがあるように、護国神社は全国道府県におおむね1か所はあるようです。公式には「靖國神社とは本社分社の関係にはない」とされているそうですが、私はこちらに来てからは靖國神社に行かずに護国神社にしています。
山梨県護国神社独自のホームページはありませんが、山梨神社庁サイトに護国神社の紹介ページがあります。
なお、護国神社では毎月第2・第4日曜日に骨董市が開催されていて先日写真も撮ってきたのですが、後日記事にしようと思っています。
第四十九歩兵連隊(甲府連隊)との関係でもう少し調べたいことも多いです。
8月15日は19時から盆踊りがありました。地元の婦人会?の皆さんでしょうか、揃いの浴衣で東京音頭、炭坑節、北海盆唄、甲州盆唄、よっちゃばれ音頭など、子どもたちも混じって賑わっていました。私も何年ぶりかで東京音頭の輪に入っては見たのですが、もうすっかり忘れていて見よう見まねでした
子どもたちも踊りに加わる・・・
英霊をお慰めするために皆さんで賑やかにと・・・
灯籠には県内各地の遺族会の名前もありました。靖國神社では全国から寄せられた灯籠には旧軍隊の部隊名などがいくつも見られ、色々な話を思い出すとそういう灯籠を見ているうちに辛くなって足早に出てきたものです。そういう灯籠の数が増えない日々が続くことを祈りたい、それが8月15日の私の気持ちです。
16日の読売新聞山梨版に「62回目 終戦記念行事」という記事があり、護国神社の戦没者追悼式について報じられていました。護国神社には25039柱がまつられています。
62回目の終戦記念日の15日、甲府市岩窪町の護国神社で県下戦没者追悼式が開かれ、遺族ら150人が出席した。同神社奉賛会会長の横内正明知事が「大戦から学んだ大きな教訓を心に刻み、平和と豊かさを実感できる県づくりを目指したい」と追悼の言葉を読み上げた後、正午の時報を合図に、参拝者らが1分間の黙とうをささげて戦没者の霊を慰めた。父親を満州(現中国東北部)で亡くした甲斐市島上条の主婦は「2歳の時に亡くなった父は写真でしか見ることができない。大切な家族を奪う悲惨な戦争は二度と引き起こしてほしくない」と話した。
また、甲府市総合市民会館(同市青沼)では、原水爆禁止県協議会と県平和委員会が「8・15を考える県民の集い」を共催し、約30人が参加した。今年は、沖縄県那覇市出身で現在は長野市在住の親里千津子さん(75)が招かれ、沖縄戦での戦争体験を語った。
親里さんは「雨あられのように弾丸が降り、戦闘機が目の前まで迫ってきた恐ろしさは忘れられない。戦争は絶対にしてはならないということを、家族や友達に語り継いでほしい」と悲痛な表情で訴えていた。