ICT工夫
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The Journal のサイトで2011年1月28日、マスコミは、なぜ小沢が怖いのか と題して二見伸明(ふたみ・のぶあき)さんがお書きになった記事を読みました。目次からタイトルをみて、今、ネット界で話題のマスコミ論かと思って開いたのですが、これはもっと広い視野からの小沢一郎論だと読みました。

『マスコミが重大視しているのは、小沢が一貫して「政権交代したら官邸の(記者)会見はオープンにする」と主張し続けていることである。』 これが記事タイトルの意味を端的に表わしているでしょう。何故重大視するのかということが縷々書かれています。【(括弧内)は引用者が追記】
1990年代の政治について色々出てきます、でもその頃の政治事情など関心が無かった私にはピンとこないので情けないです。

『小沢は論理の男だ。しかし、それだけだろうか。』 と次のエピソードに続いていますが、「論理の男」という表現には納得しました。民主党代表選のときのスピーチはそれを示していたと私は思っています。
「それだけだろうか」 に続く部分を私テキには「古い手法、古い政治家」だと考えてしまいます。義理人情浪花節を私は否定はしません、私は体育会系ですから押忍の世界で今でもそういう雰囲気の中にあります。それと「論理」とを整合的に昇華できるかどうかにかかっていると思っていますが、自分のような単細胞ではすごく難しいです。「論理」一本で押し通し、義理人情のセンパイに最終調整して貰うという方法しかありません。
二見さんは、『新しい理論・構想を持ちながら、居酒屋で酒を飲み、カラオケを歌う小沢のような「古い」政治家のほうがはるかに魅力的だ。』 という言い方で小沢一郎さんを評価しておられるようです。こう言われたら私ももっと小沢一郎さんについて知りたくなります。ふと感じるのですが、甲府に来てから知り合った方々の中にもこういうタイプの方がおられるような気がします。

この記事にもその時の事が書かれていますが、2009.12.13 天皇陛下の会見設定、社説を読む を書いた時は、私は「小沢叩き」側だったのです。 だからインターネットって良いものです(^o^)
私としては小沢さんの政策に含まれる「在日外国人に地方参政権付与」については未だ納得していません。小沢さんの構想の中で、それを許容するようになる日本社会の姿、双方の国民のレベルはどのように想定され描かれているのかという大局を知りたいと思っています。50年か100年か小沢さんは先を見ているのかも知れません。

2011.01.26 お先真っ暗闇な小沢一郎氏の「検審起訴」(強制起訴) に書いたことの関連ですが小沢一郎さんの「検審起訴」については、森ゆうこ参議院議員のブログで 2011年1月27日-最高裁から説明を受けました。と 、2011年1月28日-起訴議決は無効だ! 最高裁と検察審査会は今すぐ情報を開示せよ・・! で状況が分かります。



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