ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




2011年1月24日に The Journal に掲載されていた 小沢氏の国会招致には絶対条件がいる (平野貞夫の「永田町漂流記」) という記事を読んでいて、以下の部分が理解できなかった。考えてみれば私は「政治倫理審査会」についてなんの知識も無く、「政治倫理」という日本語を見て感じていただけだったことに今更のように気が付いたのだ。

小沢氏の国会招致には絶対条件がいる
 岡田克也幹事長が小沢氏の政倫審への出席議決を断念した理由は、制度の基本的仕組みを理解していなかったことにある。政治倫理綱領第四項の「政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合にはみずから真摯な態度をもって疑惑を解明し努めなければならない」という宣言規定が、審査会での審査対象となり、世論から疑惑をもたれている小沢氏に対し、疑惑を解明して責任を明らかにせよ、と迫ることができると誤解していたようだ。
 審査会の審査対象になるのは、行為規範に規定した要件であり、政治倫理綱領という宣言規定は対象となっていない。これは世論の無責任な疑惑から議員を守るためである。審査会が取り上げるためには、行為規範の要件に著しく違反していることを明らかにした文書で申し立て、あるいは疑惑はないとの疎明文書で申し出することが必要である。

平野さんが書かれたことについてソースをおさえておきたいと思い、Wikipedia 政治倫理審査会の記事を手がかりにした。このページからリンクされている Wikisource で衆議院について3つの記事がある。

衆議院政治倫理審査会規程
  第一条 政治倫理審査会(以下「審査会」という。)は、政治倫理の確立のため、委員の申立て又は議員の申出に基づき、議員が行為規範その他の政治倫理の確立に資するものとして議長が定める法令(以下「行為規範等」という。)の規定に著しく違反し、政治的道義的に責任があると認められるかどうかについて、これを審査するものとする。
 第二条 前条の審査の申立てをするには、審査会の委員の三分の一以上からすることを要する。
 2 前項の申立てをする場合においては、申立書に議員が行為規範等の規定に著しく違反していることを明らかにした文書を添えて、これを審査会の会長に提出しなければならない。
(以下略)
規程第一条、第二条に、「行為規範等」  と書かれているが、この「等」とは法令でよく使われるように思う。

行為規範 (衆議院)
政治倫理綱領 (衆議院)

これらはいずれも衆議院議決: 昭和60年6月25日ということで、これに関連する議事録は 国会会議録検索システム から読み出すことが出来る。

第102国会 昭和60年06月25日衆議院 議院運営委員会議事録によると、以下のように小沢一郎氏の説明があるので、部分引用しておく。

○小沢委員長 これより会議を開きます。
・・・・・・
次に、「衆議院政治倫理審査会規程案」につきまして、要旨を御説明いたします。
第一に、審査会は、委員の三分の一以上の申し立てに基づき、議員が行為規範に著しく違反し、政治的道義的に責任があると認められるかどうかについて、これを審査するものといたしております。

昭和60年06月25日衆議院 本会議 議事録 にも次のような説明がある(部分引用)

○水平豊彦君 ただいま議題となりました政治倫理綱領案、行為規範案及び衆議院政治倫理審査会規程案につきまして、提案の趣旨を御説明申し上げます。
・・・・・・
次に、衆議院政治倫理審査会規程案につきまして、要旨を御説明いたします。
 第一に、審査会は、委員の三分の一以上の申し立てに基づき、議員が行為規範に著しく違反し、政治的道義的に責任があると認められるかどうかについて、これを審査するものといたしております。

議院運営委員会での小沢一郎委員長の説明と同文。「規程案」に「行為規範等」と書かれていても、「等」は法令制定時の常套句であり、恣意的拡大解釈を許容するものでは無いことを国会で説明していると理解すべきだろう。本会議ではこの説明に続いて採決されて原案通りに可決している。この制定後に、『その他の政治倫理の確立に資するものとして議長が定める法令』に該当するものが制定されたのかどうかまでは私には調べられなかった。
平野さんが 『審査会の審査対象になるのは、行為規範に規定した要件であり、政治倫理綱領という宣言規定は対象となっていない。』 とお書きになったことから見ると、現在は「行為規範」があるだけだと思う。

ちなみに参議院では同じ説明を、国立国会図書館議事録データベースではなく、議院運営委員会の記録記事から読むことが出来た。

2011年1月22日の朝日新聞社説 『小沢氏の姿勢 国会を台なしにするのか』 について平野さんは強く批判されているが、私がもし小沢一郎問題を新聞、テレビ情報だけで見ていたら、昔のようにこの朝日社説にもうなずいていたかも知れない。朝日新聞は「何について」説明を求めたいのか、具体的に書いているならその記事を知りたいと思う。「政治とカネ」は使い勝手の良いフレーズに過ぎないのだから、まさか「政治とカネ」について説明しろとは書いていないだろう。
植草一秀さんの 2011年1月24日記事、小沢一郎氏の「政治とカネ」問題再検証 に対抗できるような記事があると少しは参考になるのだが・・・



コメント ( 0 ) | Trackback ( )