以前にも別のところで、この話題を取り上げあげたことがあります。重なります。
学校の社会科の授業で「江戸時代、身分は固定し、苗字帯刀は、武士以外は禁止されていた」と学んだのではないでしょうか。
実を言うと、私も中学校で社会科を担当していました。
そして、上記のように教えていました。
江戸時代の庶民の苗字
『苗字の歴史(豊田武)』(中公新書)を読んでみましょう。(新書の記述、文体は若干変えています)
(1)農村において苗字を持つ者は武士だけだろうか。個々の小作人も、特定の土地に居住し、耕作地とする以上は地名を家の名とすることはありうる。
(2)各地から(庶民も)苗字を持っていたという各種の例が寄せられている。
(3)庶民も、従来からの苗字を有していた。・・・・苗字を公に名乗ることが許されなかっただけのことである。
(4)一般的に、神事に関する場合は、苗字を使用する例が多かったようである。
江戸時代、多くの庶民は苗字を持っていた
写真下の寄贈者の名前は、表参道の隋神門の前の左右にある燈籠にある名前です。
読んでおきます。
右から尾崎兵太夫、同 宇兵衛、河田市右エ門、西山新村 伊左エ門、江戸 小嶋屋彦兵衛、同 宮嶋屋正蔵です。
彼らの苗字に注目ください。
最初の3人は尾崎・河田と苗字を使っています。
西山新村の伊左エ門は苗字がなかったのでしょう。後の彦兵エ衛と正蔵は屋号を苗字代わりに使っています。
尾崎さんと河田さんは武士であったとは考えられません。武士・農民・商人が一緒に献燈に名を刻む例はないようです。
江戸時代、大庄屋は苗字を名乗ることができましたが、尾崎さんと河田さんは大庄屋でもありません。
この二基の燈籠は天保十二年(1841)に寄贈されたものです。
上記の(3)・(4)を再度ご覧ください。
江戸時代、多くの庶民は苗字をもっていました。でも、正式な文書(もんじょ)や過去帳では使うことができなかっただけです。
神社(神事)では、例外的に庶民も苗字を使うことが許されていました。
きょうは志方八幡社に限った話題ではないのですが、八幡社の献燈から江戸時代の庶民の苗字について考えてみました。