ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

別府町探訪:加古川市との合併③・土山駅前問題

2007-06-21 08:20:48 |  ・加古川市別府町を歩く

_017   「世論調査の投票」(拘束力を持たない)の結果は、別府町と加古川町の合併は反対となった。

  結果、今度は阿閇村(現:播磨町)との合併が現実的な協議にはいった。

  事態は、加古川市制実施予定の6月1日に向けてますますの緊迫してきた。

  町長・町議会とも最終的な態度を決めなければならなくなった。

  そのため、今度は拘束力のある「決戦投票」の結果にゆだねることを決めた。

  投票は、昭和25年5月6日に実施され、結果は次のようになった。

    加古川町との合併賛成     1250 票

      〃          合併反対     1164 票 

  *この投票には、「外国人(在日朝鮮人を指す)は投票せしめない」との注意書きがある。

  結果は、加古川町との合併が賛成が反対を上回ったが、その差はわずかに86票であった。

  一部の議員からは「町長リコール」・「分村してでも・・・」という言葉まで飛び出した。

  ◇土山駅前問題◇

  このようなもたつきの中、二見町は明石市との合併を決めた。

  そして、阿閇村では「土山駅前問題」が発生した。

  土山駅前は加古川町・阿閇村・魚住村・二見村が入り組んでいる。

  その内、阿閇村に属している土山駅前商店街が、加古川町への合併を強力に推し進めようとした。

  阿閇村はさまざまな思惑と利害が対立し、村内がまとまらなくなった。

  そのため合併の是非を問う住民投票を実施した。

  その結果は次のようで、はっきりと合併を拒否した。

      現状維持  2548 票

    合併賛成  1502 票

  二見村は明石市と合併し、阿閇村は明確に合併を拒否した。

  別府村は、投票の結果、加古川町との合併を決めたが、なにせ小差であった。新たな情勢で別府町は、最終判断を迫られた。

*『加古川市史(第三巻)』参照、写真は土山駅前(6月20日撮影)

      

コメント
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