新野辺はもともと、「シノベ」に「篠部」の文字をあてていた。
室町時代の中ごろ、この付近には篠竹(しのだけ)が茂り、隠れ住むには都合がよかった。
嘉吉の乱(かきつのらん)に敗れた一族がここに隠れ住んだとも伝えている。
文禄のころ(1592~96)、この付近に大洪水があり、田畑一面土砂に覆われ、丘のようになってしまった。
大洪水の後、雑草が生い茂り、マムシが住みつき村人は大変困っていた。
村人は神に頼むことにした。
阿閇(現:播磨町)の宮から住吉神社を勧請した。これが新野辺の住吉神社である。
以後、不思議なことに新野辺からマムシがいなくなり、五穀は実り、村人は住吉神社をますます信仰するようになった。
なお、昔はマムシが嫌ったという紺色の衣類をつけて草取りに出かけたという。
*『加古川市誌(第二巻)』参照