ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

別府町探訪:綿屋源四郎

2007-06-28 09:44:13 |  ・加古川市別府町を歩く

_030    きのうのブログで、新野辺の住吉神社を紹介したが、場所の問い合わせがあった。

  新野辺の住吉神社は、最近はあまり知られていないようだ。下の地図でj神社の場所を確認して欲しい。

  新野辺の住吉神社は、適切な表現ではないが、昆虫が羽と脚をとられているように見える。

  かつて境内には松が生い茂っていたという記録(社寺明細帳・天明二年)がある。

  今は、広い境内の一角にちょこんと本殿があるだけである。公園の賑わいもない。

  『加古川市誌(第二巻)』にある住吉神社の写真では、大きな拝殿があり、かつての姿をとどめている。39e22139_1

  社殿(本殿)の前に一対の常夜灯と宝暦十二年(1762)寄進の狛犬がある。

  そして、本殿の前に一対の灯籠がある。

  向かって左の灯籠の文字は、はっきり読むことはできなかったが、右の灯籠は、延享二年(1745)正月 綿屋源四郎寄進の灯籠である。

  江戸時代、加古川地方、特に浜手は綿の生産が盛んであった。

  綿屋源四郎は、どんな人か確かめることはできないが、綿を商う商人で、商売繁盛のお礼の印に灯籠を奉納したのであろう。

*『加古川市誌(第二巻)』参照

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 別府町探訪:新野辺の伝承 | トップ | 別府町探訪:男たちの出稼ぎ... »

コメントを投稿