黒岩磨崖十三仏
自然に露出した岩壁に仏像を彫ったもので、山間の岩面に各種の仏像が彫られ、密教の影響があるといわれ、平安時代に多くつくられました。
時代は下るのですが、曽根にも磨崖仏があります。
「十三仏」の磨崖仏です。
曽根町の日笠山東麓の、いわゆる「黒岩磨崖十三仏」は、磨崖仏(まがいぶつ)としては、山間でなく、人家近くにあるということや、銘が彫られているという点が珍しく、しかも、十三仏が麿崖仏として刻まれているのは他にあまり例がありません。
一人の尼が逆修供養のために刻む
日笠山麓の黒昧がかった岩の一面を二段に長方形に分け、上段に勢至(しせい)、阿弥陀、阿閦(あしゅく)、大日、虚空蔵(こっくぞう)の五尊像、下段に不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音の八尊像を浮彫しています。
左端に「十一月二十八日干時永正二年丑建施尼敬白」と銘文があり、永正二年(1505)の年号から室町時代中期の作とわかります。
十三仏とは、死者の追善の法事を修めるとき、その年に配当された十三仏菩薩をおがむもので、日本独特の民間の一つです。
十三仏は、室町時代に最も多くつくられており、この十三仏信仰が完成したのは南北朝時代といわれています。
室町時代中ごろに一人の尼が逆修供養(注)のため、一生かかって刻んだものと考えられます。
注:逆襲供養(ぎゃくしゅうくよう)
「逆修」は、「死の前に、あらかじめ自分のために仏事を修めて、死者の冥福を祈ること」です。(no2740)
*『高砂市の文化財(石造編)』(高砂市教育委員会)参照
*写真:黒岩磨崖十三仏
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