「キリシタン燈籠」再考
高砂市教育研修所の前庭に織部燈籠・キリシタン燈籠(写真)が保存されています。
織部燈籠は、一般的な燈籠に比べてやや小ぶりで、派手さを好まない点で、庭園等に好まれていたようです。
形に特徴があり、竿の部分の上部が横に張り出しているため十字架のようにも見えます。
また、竿の上部に十字の文様やローマ字のような記号めいたもの、また下方に、地蔵または宣教師のようにも見える像が彫られているものがあります。
大正末期から昭和の初期にかけて、一部の研究者や郷土史家によるキリシタン遺物の研究熱が高まりました。
その折、織部燈籠に彫られた像がマントを羽織った宣教師に似ていることなどから、織部燈籠の一部を「キリシタン燈籠」と称するようになりました。
織部燈籠のうち「キリシタン燈籠」として、地方自治体で文化財指定された燈籠が、全国に21基存在するといいます。
キリシタン燈籠ではない?
高砂市では、写真のキリシタン燈籠のほかに曽根町の入江家、高砂町の岸本家、そして延命寺にも「キリシタン燈籠」といわれている燈籠があります。
江戸時代は、厳しいキリスト教の禁教の時代です。
高砂は、経済の町で開明的な土地であるとはいえ、地域の豪商や寺などは、あえて見つかれば、「あぶない」燈籠を堂々と設置したのでしょうか。
考えられません。
これらの「キリシタン燈籠」は、キリシタンとの関連が希薄であると考えられるのです。
松田毅一は、『キリシタン史実と美術』(昭和44年)で、「キリシタン燈籠説」を否定されています。
が、現在も「キリシタン燈籠説」が世間に流布されたままとなっているようです。
みなさんはどう考えられますか。(no2741)
*論文「キリシタン燈籠再考(西村宗利)」(HPより)参照
*写真:高砂市教育研修所前庭にある「キリシタン燈籠」
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