耕衣を取りまく自然は、まさに天国のような別天地でした。
しかし、そのころ耕衣には寂しさがありました。
それは父と母の諍いであり、家の中を暗くしていました。
このころの耕衣の家庭のようすを『部長の大晩年』から引用します。
永田姓を継ぐ
父・林蔵は小地主であり、村役場の吏員。
耕衣は、その母・りゅうが40を過ぎてからできた。
兄と姉がいたが、いずれとも年が離れすぎ、忘れていたころ生まれきた子であった。
その上、なお寂しい気分にさせることが起こった。
岩崎家に生まれてきたのに、物心のつくころ、耕衣一人だけが永田姓を名乗ることになった。
母の妹の永田ていに子供がなかったため、戸籍上のことではあったが、耕衣は永田家入りさせられたからである。
明治39年(1906)、耕衣6歳の時だった。
父母の不仲
加えてそのころから、家庭の空気が冷え込んだ。
両親が不仲になり、それぞれの嘆息が耳に入り、大人の世界の難しさというものを耕衣は感じ取るようになった。
・・・・
母親が家を出たまま、長い間、家に戻らぬこともあった。
このため、小学校に通う耕衣は弁当が持って行くことができず、昼食時間には、一人学校を抜け出して、すぐ役場の宿直室へ。
ここで父親の焼く目刺しなど昼食をとった。
おかげで目刺しは耕衣の好物となり・・・(no3444)
*写真:「父・林蔵と母・りゅう、大正元年の頃の撮影」(『永田耕衣の世界』姫路文館)
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