*このシリーズ、「播磨町をゆく」は播磨町まちあるきマップ」(「ヘリテージ加古」編集・発行)たくさんお借りします。なお、転載等は発行・編集者の許可をいただいています。
播磨町をゆく(2)、大中(1)・大中の村名
大中村(おおなかむら)は明治10年、大澤村(おおざわむら)と東中野村が合併(がっぺい)して生まれた新村です。
村名は大澤村(おおざわむら)の「大」と東中野村の「中」を合わせて「大中(おおなか)」となりました。
大中地区北部(おおなかちくほくぶ)(旧大澤があり、古代の弥生時代から台地に集落が形成され、早くから人が住んでいたことがわかります。
大正時代になると、別府港(べふこう)と国鉄土山駅間(こくてつつちやまえきかん)を結ぶ別府軽便鉄道(べふけいびんてつどう)が村の中を走っていました。
昭和40年代前半には農地の土地改良(とちかいりょう-ほ場整備)が行われ、ため池、水路(すいろ)、及び道路も整備されました。
昭和40年後半の高度経済成長期には、沿岸部(えんがんぶ)の工業化が進んだ結果、人口が急激に増え宅地化が進みました。(no4654)
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