播磨町をゆく(3) 大中(2)
善福寺 、 西国巡礼・郡西国二十番札所
西国三十三観音霊場巡りは、平安時代の中ごろ、庶民の間に流行しはじめて、後に貴族たちがまねをするようになりました。
人々は、病気の平癒(へいゆ)を願い、病気が癒えるとお礼のために、または亡き人の供養のために、さらに自らの死後の平安を求めて、人々は西国三十三観音霊場めぐりに出かけました。
第一番の那智山青岸渡寺から、最後の三十三番目の谷汲山華厳寺までの寺めぐりでした。
それは、まさに苦行の旅でした。
江戸時代になり、治安もよくなりました。
交通機関も整備され、西国三十三観音霊場めぐりも比較的やりやすくなり、苦行であった巡礼も、レクレーション的な性格さえ持つようになりました。
それでも、誰にでもできる気軽な巡礼の旅ではありませんでした。
苦しい生活の庶民にとって、三十三観音霊場巡りは現在の外国旅行よりも、ずっと縁の遠いものでした。
そこで考えられたのが播磨の国に三十三か寺の観音霊場を定め、それらの寺を巡礼すれば、同じ功徳があるとしてはじまったのが「播磨西国三十三所霊場めぐり」です
このような巡礼がはじまったのは、江戸時代の初めの頃です。
郡西国三十三札所めぐり
善福寺は二十番札所
「播磨西国霊場めぐり」よりも簡単に、誰にでもできる巡礼として、加古郡内に三十三観音めぐりの霊場が定められました。
これが「郡西国三十三札所(郡西国ともいう)」です。
この郡西国の二十番札所が、大中村の善福寺でした。
なお、善福寺の境内には三十三体の仏様が安置されています。(no4655)
*写真上:善福寺(播磨町大中)
*写真下:善福寺の33体のみ仏たち(善福寺境内)
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