ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

八幡町探訪:雁戸井用水

2007-04-18 10:13:41 |  ・加古川市八幡町

_450   加古の大池から西方へ、舌のように台地が伸びている。

  ここは水が得にくく、ほとんどが山林のままであった。

  それでも、明治30年頃から開墾がはじまった。

  しかし、土地は平坦でなく、水源がとぼしく依然として開墾は、進まなかった。

  明治38年、耕地整理法が、改正されたのを契機に開発の機運が高まり、明治39年に「雁戸井水利組合」を発足さた。

  「雁戸井用水(がんどいようすい)」というのは、加古郡稲美町母里(もり)の通称、雁戸井に堰を設け、そこから水を引く計画のためである。

  水路と非灌漑期に水を貯めておく三つの溜池(一号池・二号池・三号池)工事は、明治45年にはじまり、工事は大正5年にほぼ完了した。

  が、三号池は、土質の関係上、特に、保水力が弱かった。

  三つの池は完成したが、毎年一号池(写真)のみの満水さえ十分でなかった。

  二号池は、下村と上西条(共に加古川市八幡町)の境界に揚水場を定め、モーターで揚水している。

  その後も改修が繰り返されされ、146へクタールの水田が得られた。

  現在、三号池は埋め立てられ、高岡住宅となている。

*『ふるさと・やはた』(加古川農業改良普及所)、『兵庫のため池誌』(兵庫県農業水産部農地整備部)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 八幡町探訪:四人小僧 | トップ | 八幡町探訪:虫送り »

コメントを投稿