『日本史探訪(18)』(角川文庫)で、浜田彦蔵をアメリカ彦蔵の紹介を次のように書きだしている。
十三歳の時に漂流
西暦1860年代、日本では尊王攘夷の嵐が吹き荒れ、血なまぐさい事件が相次いでいるころ、アメリカ合衆国にも大砲の轟がこだまし、硝煙のにおいが立ちこめていた。
足かけ5年にわたる歳月と200億ドルの戦費をついやし、60万人を超える戦死者を出した南北戦争、そのさなかに時の大統領リソカーンと会見し、握手をかわした一人の日本人がいた。
幕末播州(播磨町小宮)の百姓の子に生まれながら、漂流してアメリカに渡り、思いもかけぬ人生を歩むことになった人物、アメリカ彦蔵として知られた、浜田彦蔵がその人である。
「ジョセフ・ヒコ物語」をしよう
ここでは、アメリカ彦蔵、浜田彦蔵、ジョセフ・ヒコと異なる名前で書いていますが、同じ人物で、以後、「ジョセフ・ヒコ物語」として紹介します。
私ごとで申し訳ありませんが、播磨町あまり知識がありません。
でも、小学校以来、なぜか播磨町出身のジョセフ・ヒコだけは不思議と興味を持っていました。
普段、気にしなかったのですが、その理由が分かりました。
3年ほど前に、小学校の時の担任の先生が亡くなられました。お葬式のお知らせがあり、参列しました。
先生は、播磨町の大中の方でした。
そういえば、先生が授業で郷里の人・ヒコについて語ってくださったようです。子供の時の知識は懐かしさと一緒に長く残るようです。
私も、「ジョセフ・ヒコ物語」をしようと思います。
子供さん・お孫さんにもお話しください。
*『日本史探訪(18)・海を渡った日本人』(角川文庫)参照
*写真:ジョセフ・ヒコ(右端)、伊藤博文(左端)、木戸孝允(左から二番目)